55 その日の夜のこと
この日も無事に訓練を終えた、尻に矢を受けてしまったが。
『……いちサン、お尻大丈夫?』
「かえっていい薬になったよ、ボスには本当に感謝してる」
ベッドの上から窓越しに見えるきれいな夜空に皮肉を吐いた。
今日は散々な目にあったけれども、なぜか清々しい気分だ。
「……まあでも悪くない。ひどい目にあったけど、充実してる。明日はもっと頑張ろう」
『あんまり無理しちゃだめだよ?』
「ああ、死なない程度にやる」
水筒に入った水で布をしめらせて、ミセリコルデの刀身を拭く。
きゅっきゅと根元まで磨くと『ふぁ~』と気の抜ける声がした。
掃除完了、きれいになった短剣を鞘に納めようとすると。
『……わたし……元の世界に帰れるのかな?』
おっとりした女の子の声でそう聞かれてしまった。
一仕事終えた気分から、一気に現実に引き戻された。
「MGOの世界か」
『……うん。あのね、なんだか不安なの』
「不安……って?」
『……ひょっとしたらもうみんなのところに帰れないんじゃないかなって』
あっちの世界の話だった。
そうだ、こいつには本来いるべき世界があって、帰りを待っている仲間もいる。
できることなら今すぐにでも『必ず向こうへ連れていく』と言ってやりたい。
ところがどうだろう、今の俺に向こうへ行くだけの力があるんだろうか?
「それは……」
この際、無知無力が言い訳になるとは思っちゃいない。
けれどもこの身動きの取れない物言う短剣に、なんとなくで『必ず帰してやる』と無責任に約束をしてもただのその場しのぎだ。
そんなのフェアじゃない、だからうかつに言えないのだ。
「……いや、きっと帰れる」
だからこそ、今までの記憶をたどって一つの答えを見つけた。
この旅路を振り返ってみてきたもの。
本来このウェイストランドに存在しえない存在、不可思議な現象、そして。
『……帰れると、いいな』
「俺の考えだけど、あっちの世界とこっちの世界がつながってる――そう思わないか?」
『……確かにそうだね。スケルトンもいるし、魔法を使う人たちもいて、マナポーションもあったし……』
「どういうことか俺にもさっぱりだ。でもこいつを覚えてるか?」
PDAのメール機能を立ち上げた。
相変わらずフランメリアへとだけ書いてある。
「このメールがなんとなく、たまたまで送られてきたとは思えない。つまり……何かしら向こうに行く方法があるんじゃないか?」
『じゃ、じゃあ……わたし、帰れるの?』
「どうしてつながってしまってるのか分からないけど、こう書いてある以上は向こうに移動するための何かがあるかもしれない。まあ、その方法が全然分からないわけだけど……」
PDAを降ろして物言う短剣を革製の鞘に納めた。
「……ちょっと重い話題があるんだ、話してもいいか?」
『えっ……う、うん……いいよ?』
深く息を吸った。
そして息を吐き出すように。
「……きいてくれ。こうなってしまったのは俺のせいかもしれない」
思っていたことを言った。
この『GUEST』の世界があることといい、こっちに『MGO』の世界のものが流れ込んでいるといいい、明らかにおかしい。
だからこそ思うことがあった。自分のせいでこの世界が生まれて、あっちの世界とつながってしまったからじゃないかと。
つまり……あの日、G.U.E.S.TとMGOを同時に起動していたから、こういうややこしい事態を引き起こしてしまったのかもしれない。
『いちサン、ごめんね。あの……正直に、いっていいかな?』
……重たい雰囲気のある言葉が返ってくる。
「ああ、言ってくれ」
『……わたしも、そう思ってた』
「……そうか」
そりゃそうだ。世紀末世界の元となるゲームを起動してたのは俺しかいない。
一体何が原因でそうなったかは分からないが、世紀末と魔法の世界がこの世に生まれ、交わってしまうというアクシデントが起きてしまっている。
それに巻き込まれてしまったのは彼女だけじゃないはずだ、もっとたくさん――数え切れないほどの何かを巻き込んでいるんじゃないか?
「俺も、最初はただ巻き込まれただけだって思ってた。でもお前と出会ったり、魔法を見たりしてやっとはっきりしてきたんだ。俺がいるからこんな事態になってしまったんじゃないかって」
コンテナの壁につけられた窓から外を見てみた。
知らない夜空が広がってる、ここはどこなんだろうか。
少なくともここには俺たちの故郷はない。
「……ミセリコルデ、お前に謝らないといけない。俺は――」
不幸にもこの世界に転移してしまった男のせいでこんな目に合ってしまったミセリコルデに、謝ろうとした。
『だめだよ、いちサン』
ところが遮られてしまった。
いっそクソ野郎とか罵倒してくれた方が良かったのに、声はいつにもなく柔らかい。
『……謝っちゃだめだよ。わたしはあなたの事情、ちゃんと知ってるんだから』
「でも、間違いないだろ? いや、わかってたんだ。わかってたのに俺は今までずっと黙ってたんだ。お前に話すのが怖くて……」
そうだ、そうだとも。
かなり前から違和感には気づいてた、俺のせいでこうなってしまったんだと分かっていたくせに、この物言う短剣には何も言えなかった。
その理由は怒られるのが怖かったからだ。
何度も死んで戦い続け、あの狂ったカルトどもに立ち向かう度胸はあったのに、ずっと逃げてたのだ。
『……たしかに、いちサンが引き起こしたことかもしれないけど……だからって、わたしはあなたが悪いとは思えないよ』
それだってのになんだこの反応は、お人好しすぎるんじゃないか?
「この世界に迷い込んだのも、そんな姿のまま身動きが取れないのも、何もかも俺のせいかもしれないんだぞ? それだけじゃない、もっとたくさん、何かを巻き込んでるかもしれない」
俺がいるせいで。
すべてはこの一言で終わってしまう。
この世界に起きている異変も、彼女の存在も、すべては俺という爆弾が招いたアクシデントなのは間違いないはずだ。
「いっそ怒ってくれ。お前のせいだクソ野郎、ぐらい言ってくれ」
思っていたことを口にすると、
『わたしは怒ってるよ』
おっとりとした声でそういわれた。
言葉ははっきりしている、本当に怒ってる。
『聞いて、いちサン。わたしはあなたが悪い、なんて言えないよ? だってまだなんにも分からないんだもん』
「なんにも、分からない?」
『まだ分からないことばかりだよね? 確かにあなたがいるせいでこうなったのかもしれないけど……なにもかもあなたが悪い、なんて言えないよ。まだわたしたちはなんにも分からない、それなのに逃げるなんて……ずるいよ』
口から『じゃあどうすればいいんだ』と言葉が出そうになった。
けれどもやめた、あの時、自分で道を決めると誓ったじゃないか。
『苦しいかもしれない、簡単なことじゃないかもしれないけど……おねがい、ちゃんと向き合って。本当の答えが見つかるまで、あなたはあの時わたしを助けてくれたいちサンなんだから』
ミセリコルデは『ううん』と付け足して。
『それにね、やっぱりあなたが悪い人だとは思えないよ。血まみれのわたしを拭いてくれて、鞘も作ってくれて、ご飯の味も共有してくれて、わんこも助けて……だから、わたしの心の中ではあなたはとってもいい人だよ』
いわれて、なんだか気分が楽になった。
けっして俺がもたらした何かが許されたわけじゃないが、少し肩の荷が下りた。
「……ごめん、ミセリコルデ。退屈だろうけど、もう少し付き合ってくれないか?」
『いいよ。もう覚悟はできてたから』
「ありがとう。その代わり……ちゃんと調べるよ。どうしてこうなったか、一体何が起きてるのか、知る必要がある」
『うん、わたしもできるだけ手伝うよ。どうしてあっちの世界の物が来てるのかずっと気になってたし……』
そのためにも、もっと強くならなければ。
この世界で生き抜くための術も力もまだないに等しい。
「確信があるまで約束はしない……って思ってたんだけど、やっぱやめだ」
ずっと言いたかった言葉を告げることにした。
「ミセリコルデ、お前を必ず元の世界に帰してやる。そう約束させてくれ」
すっきりした。これでやりたいことが一つ埋まった。
『……うん、お願いしますっ!』
「そうと決まれば明日からいろいろ調べないとな。とりあえず今日はもう――」
こうして大きな目標ができたわけだけども、
『ワンッ!』
さあ寝よう、と思ったら急に聞き覚えのある鳴き声がした。
扉の方から控えめな感じでかりかり引っ搔く音が聞こえる。
「……おい、まさか」
『いまの鳴き声って……』
飛び起きた。家具の間をすり抜けてコンテナの扉を開けると、
「ワンッ!」
見覚えのある黒い犬がお行儀よく座っていた。
尻尾をぱたぱた振って、じとっとした目でこっちを見上げている。
「お前……もう大丈夫なのか!?」
『わんこ……! 良かった、元気そうだよ!』
「ワウッ!」
少しぎこちないものの、黒いシェパード犬は鼻を鳴らしながらすり寄ってきた。
しゃがんで顔を近づけるとほおずりしてきた。良かった、本当に。
「……寂しそうだったのでな」
名もなき犬を撫でてると、その後ろから声がする。
暗闇の中から褐色の長身と小柄が一人ずつ――アレクとステディだ。
「アレク……とステディ。一体どうしたんだ?」
「すっかり良くなったようだから連れてきたのだ。それにしてもよく懐いているな、よほど信頼されているとみた」
「連れてきてくれたのか……で、お前の後ろにいるちっちゃな姉ちゃんは?」
名誉の負傷を与えてくれたステディはアレクの後ろに隠れるように立っている。
短めの髪をこすりつけるように密着していて、いつもの不機嫌そうな顔は控えめに引っ込んでる。
ティッシュで遊んで家中を真っ白にした猫が『ごめんね』と顔をそらしている感じだ。
「……ステディ姉者がお前に謝りたいそうなのだが」
「まさか尻に矢の件か?」
『大丈夫?』と首をかしげる犬から視線を外すと、まどろんだ目が合った。
ステディは大きな弟の背中から顔を出して。
「……ごめん、ね?」
本当に申し訳なさそうに謝ってきた。
といってもあれは俺にも責任がある、逃げ出してしまったわけだし。
「あれは逃げた俺が悪い。でもできれば次はもうちょっと手加減してね」
「名誉の負傷だな。おめでとう、プレッパータウンですっかり話題になってるぞ」
「スティムの実用性も実証できたわけだ。尻も治るってドクに伝えとこう」
俺は「気にしてないぞ」と顔で返事をする。
「……ほんとに、だいじょうぶ?」
小さな姉は黒い犬より深く首をかしげると、控えめな声で問いかけてきた。
「気にしてないよー、大丈夫だよー」
「……わかった」
ちゃんと伝わったようで、ステディはひょこっと姿を現した。
黒い犬の頭をわしゃわしゃ撫でて、くすっと笑った。
「そうだ、ヴァージニア様から伝言があるのだが。『明日からもっと厳しくなるから覚悟しろ』とのことだ。しっかり休んでおくことだな」
「いやもう十分――望むところだ。やってやる」
『……これ以上厳しくって何するのかな……』
「ワンッ!」
今日はなんだか充実した一日だった、明日に備えて寝よう。
ベッドに向かった、元気になった犬がソファの上にぺたりと座る。
全員で『おやすみ』とあいさつを交わすと、二人が去っていくが――
「――おい。アレク、ステディ」
ちょっと呼び止めた、二人がどうしたのかと振り返って。
「ありがとな」
心の底から、ついなんとなくお礼を伝えた。
「……どう、いたしまして」
「どういたしまして、だ。ところで何かいいことがあったようだな、いい顔つきだ」
二人は最初は何事かといった表情だったものの、すぐに小さく笑った。
「ああ、じゃあまた明日」
こうして清々しい気持ちで一日を終えた。犬と一緒に。
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