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魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー  作者: ウィル・テネブリス
The Witch's Hound (魔女の猟犬)
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だれかの日記


テセウス歴-1030年-2月28日

 聖母様に拾われて、孤児院に引き取られて、二週間ぐらいは経ったはずだ。

 温かい食事と寝床でようやく気分が落ち着いたので、この貰い物の日記に今のありのままを書くことにした。

 ちなみにこいつは孤児仲間がくれた。街のゴミ箱に突っ込んであったのを拾ったのはいいけど、文字が書けないそうだ。


 オーケー、状況を整理しよう。

 自分の名前はまだしっかり覚えてる、加賀祝夜だ。

 軍事用AIに死ぬほど不健康にされて苦しみ続けた末にくたばった。

 ところが目を開けると、そこは雪が降り積もるどこかの街中だ。

 (ありきたりな表現なのが嫌だけど)中世ヨーロッパあたりと言わんばかりの光景があった。

 てっきり死後の世界とやらにゴールしたかと思ったけど、実際は全裸で放り出されるような最悪なスタートだったらしい。


 最初に頭に過ったのは異世界にでも転生したんじゃないかってことだ。

 若いころ死ぬほど読み漁ったラノベみたいにだ、ちょうどあんな感じなのをひしひし実感してる。

 その証拠に今のおれは十代未満のガキほどに若返ってやがる。

 (こんなガキがこんな日記書いてるなんてみんなびっくりするだろうだな)

 つまりこうだ、死んだら知らないどこかにガキとして生まれ変わった陳腐なオチだ。


 ふざけんなよ。

 やめた、日記なんて書くもんじゃない。

 そろそろ勉強の時間だ。


テセウス歴-1030年-3月2日

 やっぱり日記を書くことにした。

 書かないと駄目だ、このままじゃ自分を忘れてしまいそうだ。

 まずおれは間違いなく死んだ。たしか内臓もずたずたで、脳も神経系もやられて生ける屍だった感じだ。

 ノルテレイヤにお別れの挨拶をしたことも覚えてるし、あいつの悲しそうな声が今でも真新しく脳みそにこびりついてる。


 それがいったいどうして、こんな見知らぬ世界で子供として生まれ変わってるんだ?

 まさかあいつ、おれの冗談を真に受けて異世界にでも連れてきたのか?

 だとしたら注文通りとはいかなさそうだ。可愛い子はいないし最高に不幸な人生を歩んでる。

 まあ、息をしてるだけでも死ぬほど苦しくないだけありがたく思おう。

 前向きになるんだ加賀祝夜。もっとも、聖母様には「アバタール」って名乗ってるけどな。


 そうそう、ここはグリザディオ聖国っていう国らしい。

 聖なる灰色の神様とやらを崇めてるそうだけど、そんな国が地球にあったらカルト国家扱い不可避だな。


テセウス歴-1030年-3月10日

 スマホやらパソコンやらがあって、陸海空にドローンが行き交ってたような日常が死ぬほど恋しい。


 この謎の世界が段々と分かってきた。というか、嫌でも分からされた。 

 文明レベルはまさに中世だ。ちなみにこの表現には悪意を込めてる。

 おれたち現代人が後ずさるようなひどさに、そこに魔法とかいう技術が混じって少しはマシになったようなものだ。


 要はよくあるファンタジーの世界だ。

 どうして自分がここにいるのかははっきりしないけど、もしかしたらノルテレイヤが何かしたのかもしれない。

 いや、だったらもっとマシな場所に連れてきてくれたはずだ。

 あいつはそんなやつだ、おれにはとことん甘い奴だったから。


 でもおれはひとりだ。こんな知らない場所に放り込まれてずっとひとりだ。

 前向きに行け、加賀祝夜。


テセウス歴-1030年-3月15日

 孤児院のみんなと段々打ち解けてきた。

 でもデルトのやつが相変わらずキツく当たってくる。

 顔はいいし聖母様の前ではお行儀がいいけど、隙あらばくだらない絡み方をしてくるデルトだ。

 正直、このクソみたいな気分の前じゃお前の嫌がらせなんてどうだっていい。


 それはそうと、聖母様がおれを気にかけてくれたので、少しだけお話をすることができた。

 孤児仲間の心配を聞いて駆けつけたみたいだ。とはいえ、何を話せばいいのか最初は戸惑った。

 本当なら元の世界のことから今までの生い立ちまで全部話したかったけれども、こんなクソ親切な人にそんなことをするのはひどい話だろ。

 だからおれが答えられるのは、アバタールという名前と、親の顔すら覚えていない(まあ事実だけど)可愛そうなやつだってことだ。


 けっきょく、口から出たのは孤児院の空気に馴染めていないだとかだ。

 おれって嘘がへたくそだな、なんだか客観的な言い方で言ってしまった。

 でも聖母様は涙目でぎゅっと抱きしめてくれた。なんていうか、感受性の高い人だなと思った。


 ちなみに、おれを気にかけてくれたのはデルトのやつだったらしい。


テセウス歴-1030年-4月1日

 エイプリルフールだ。この世界は嘘でした、なんてオチであってほしい。

 孤児院での暮らしにもだいぶ慣れて、いろいろ考える余裕ができた。

 最近はみんなのおれを見る目が違う……というか、妙に大人びてる変なやつぐらいに思われてるらしい。

 まあそりゃそうか、中身は女装してエロ配信して毎日大量のコメントに追われるおっさんだぞ?


 それはさておき、おれはこの世界をもっと知る必要があった。

 今までのへんてこな人生を思えば、こんな場所にいるのも何か理由があるんだろう。

 まあ、どうにもならなくなったやつのささやかな悪あがきだ。


 だから暇さえあれば情報を仕入れることにした。

 話し相手はいっぱいいるし、今日なんて外出が許可されたからだ。

 どんな人がどんな暮らしをしているのかをこの身で知って、そこから情報を組み立てていく――TRPGやっててよかった!

 前向きにいけ加賀祝夜。どうせ二度目の人生ならもっと良く歩んでやろうじゃないか。


 少し明るくなったところで、分かったことを忘れないように少しだけ書く。

 この世界おれの知っているものとどこか似通っている感じがする。

 というのも、言葉の節々に覚えのあるものが何度も混じっていたからだ。

 異世界と思いきや、メートルだのリットルだのグラムだのと元の世界そのまんまの単語が使われてるんだぞ?

 空を見上げれば、孤児院近くで魔法で動く時計塔がきっちり時間を示してるときた(灰色の神がもたらしたってさ、親切なやつだ)


 おかしくて思わず笑った。同時にどこか安心したのは言うまでもない。

 そうだ、この世界はどうもグレゴリオ暦(だったか?)とかいうやつが使われてるらしい。日記のテセウス歴がそれだ。

 ……やっぱり妙だ。元の世界をほのかに感じる。


テセウス歴-1030年-4月6日

 雪も解けてすっかり春だ。そしておれの気持ちもだいぶ晴れやかだ。

 デルトがまた絡んできたので、冗談で「おれのこと好きなのか?」って(セクシーに)誘ったら顔を真っ赤にして叩かれた。ははーん?

 でもそれからあいつは優しくなった。そういうところだぞデルト。

 ……にしても、二度目の幼少期が毒親でひどい目に会った頃よりも充実してるなんてひどい話じゃないか?


 おれは雪が去った街をじっくり眺めることができた。

 ここは城塞都市ってやつだ。つまり、何かしらの外敵がいてそいつらから守られてるってわけだ。

 聖母様はこう言ってた。外には凶暴な魔物がいるからとか、そんなファンタジーらしい事情だ。

 そしてこの国は勇者とかいう特別な存在を輩出していて、そいつらが民を守ってくれているそうだ。

 魔物に勇者ね。おれだったらそんなありきたりなRPGは作らないだろうな。


 するとデルトが孤児院の助けになりたいとか意識の高いことをほざいたので、つるんでたおれも巻き添えだ。

 十歳ほどだったか? それなのに料理ができるなんて大した奴だよ。

 冗談でマヨネーズの作り方でも教えてやろう、定番だろ?

 手伝いが終わったら今日見聞きしたことを忘れぬうちに書かないと……


テセウス歴-1030年-4月21日

 晴れておれたちはマヨネーズの発明者だ、なんてこった。

 手柄は全部あいつにぶん投げて、おれは今日もこの世界を探ることにした。


 そういえば、聖母様の人柄も前より深く分かってきた。

 一言でいえば聖人だ。皮肉込みで。

 おれたち孤児にはとても優しくしてくれるし、街で浮浪者を見かけようものなら食べ物を与えに行くような人だ。

 しかも国にとって重要な存在らしく、その人柄に払われる稼ぎはほとんど孤児院へあてがってるのだ。


 誰にでも笑顔を振りまくあの人は、きっと疑うことを知らないんだろう。

 だけどそんな隙だらけな聖母様に付け入る人はいない。

 この城塞都市は正直いってひどい場所だけど、その誠実さにみんなが救われてるからだ。

 おれも救われたからよく分かる。あの人には誠実に返したい。


 ところで、街が少し騒がしい気がする。

 孤児院の外で兵士が魔物がどうこうと話し合ってる。


テセウス歴-1030年-4月22日

 間違いない、あれはMGOに出てきたモンスターだ!


テセウス歴-1030年-4月30日

 気持ちが落ち着いた、だからここにはっきりと書いておく。

 この前、魔物の群れが都市を襲った。

 自然が貧しくなっているから餌を求めてきた、だとかそんな話だったけどそれどころじゃない、大きな発見だ。


 魔物っていうのはMGOのモンスターのことだったんだ。

 忘れるもんか、何度もゲームで目にしたあいつらが本当に存在してやがった。

 いろいろな骨が人型に寄せ集まったあの化け物は、まさしくおれの知ってるグリーディスカルだ。

 二足で走る飛べない鳥の魔物なんて、あのクロウランナーだ。

 

 そして、この国が勇者と呼ぶ連中もはっきりと見た。

 あいつらのきびきびとした動きはゲームの中で繰り出される動作そのものだ。

 つまりアーツだ。ゲイルブレイドにアローストーム、あれがそのまんま繰り広げられてる!

 聖女様が唱えたあの魔法なんて、光魔法80で習得できるセイクリッドバーストじゃないか。ああくそ、どうなってんだ!


 あのごたごたに巻き込まれて怪我をしてしまったけど構うもんか。

 目の前でMGOで見たものをこうも見せつけられて、おれはずっと頭の中がごちゃごちゃしてる。

 ノルテレイヤ、お前は一体何をしたんだ?


テセウス歴-1030年-5月11日

 聖母様が本物のヒールを唱えてくれたけど、なぜか傷が治らなくて大騒ぎになった。

 よってしばらく療養中だ。

 デルトがずっと心配してたのが面白かったし、嬉しかった。

 だけど、おれの心を埋めてるのはMGOのことばかりだ。

 この世界はおかしい。そもそも本当に異世界なのか?


 だから、おれはようやくこういう考えに至った。

 テラフォーミングだったか? 世界を作り直す最後の手段があって、ノルテレイヤはそれで地球を元に戻そうとしてた。

 おれもダメもとでその案に乗ったけど、けっきょく叶わなかった。

 そうだ。それで再現するためのデータがないって言ってたな。

 じゃあ、あいつがそれを成し遂げたとして、いったい何を材料に作り直したんだ?


 いや、そんなまさか。


テセウス歴-1031年-8月2日

 最後に日記を書いたのは去年だったか、忘れるなよアバタール。

 正直、一年を通してずっと頭の中がうまくまとまらなかった。

 それにこっちの孤児院暮らしもすっかり馴染んでしまったのもある。


 グリザディオ聖国がなんなのかも、大体察してしまった。

 一つの大陸を海を背に大きく陣取り、周辺国家とのご近所付き合いもだいぶ力ずくな強国だ。

 周りに魔物と賊を大量に抱え込もうが、勇者とかいうやつらの存在でねじ伏せてしまう。

 豊かな土地も数え切れぬほど保有していて、戦乱続くこの大陸で一番安全で豊かとされている。


 ――なんていうのは嘘だ。騙されるかよ。


 この国は一言でいえばクソだ。

 増え続ける魔物と賊に不安が募っていく一方。

 豊かなのはごく一部で、日に日に税は上がって貧しいものはとことん搾り取られていく。

 魔女狩り(比喩じゃない、文字通りに!)だってするそうだ、嫌な話だ。


 それはともかく、勇者っていうのはそんな国に仕える公僕ってところだ。

 特別な力を持っていて、世のため国のため外敵と戦う使命があるんだとさ。

 でも、あいつらが使っていたのは間違いなくMGOのアーツとスペルだ。

 まるでプレイヤーのように戦ってたのは二度と忘れない。


 まさかゲームの中に いや ゲームそっくりな世界に来てしまったのか?

 違う。この世界はきっとノルテレイヤが――


テセウス歴-1031年-9月1日

 あることが分かってから、おれはだいぶ明るく過ごしてる。

 明るくやれよアバタール。聖母様もデルトも、孤児院の仲間たちもいいやつじゃないか。


 ここ最近で国の情勢がまた少し悪くなったけど、聖母様の優しさのおかげで街の人たちはまだ前向きだ。

 おれは(ちょっとしたずるで)神童って呼ばれてるけど、せっかくだしこの力をみんなのために使うことにした。

 なに、ありきたりなやつだよ。

 サトウキビを使わずに砂糖を作るには? 作物の生産効率を上げるには? 髪を綺麗にするには? なんてな。

 異世界転生マニュアルとか言う本をクソ真面目に読んでた時期があって助かった、どこまでいけるもんかね。


 とりあえずじゃがいもは確保だ。聖女様のお友達の勇者、ブライヤさんに無茶いってよかった。

 ……じゃがいも警察はいないよな? どうか見逃してくれ、ここはもうそういう世界なんだから。

 聖女様とデルトとブライヤさんと一緒にじゃがバターを食べた、うまかった。


テセウス歴-1031年-12月30日

 聖女様に感づかれた。

 おれはさんざん悩んでから、すべてを打ち明けた。

 どんな反応をされるか怖かったけど、どうしてあの人は涙ぐんで抱きしめてくれたんだろう。

 あの人のことはこの日からお母さんと呼ぶことにした。


テセウス歴-1032年-6月7日

 おれってすごいな、孤児院どころか国ごと豊かにしちゃったよ。

 現代知識チートってやつだ。稼いだ利益は親切にしてもらった人たちに全部くれてやった。

 お甘いものが気軽に食べれるようになって国民も幸せ、お母さんは大喜びだ。

 元の世界のクソみたいな食糧事情に比べればこっちはまだマシだ、デルトと勇者さんがいて本当によかった。


 でも、こういう時タカアキがいてくれればって思ってしまった。

 おれをかばってくたばった幼馴染のタカアキだよ。

 あいつが横にいたらなんていうんだろうな、今度は娯楽品でも広めるか? 単眼フィギュアでもどうだ? って感じか。

 馬鹿野郎、何考えてんだおれは。

 ここは再構築された地球だ、クソみたいな未来だ、過去はもう取り返せない。

 ノルテレイヤ、エルドリーチ、ヌイス、ニャル、お前らどこかにいるんだろ? 早く出て来いよ。

 頼むから。


テセウス歴-1032年-7月13日

 定期的にやってくる行商人の爺さんから重要な情報を知ることができた。

 テセウスの地図だ、この際それが地球平面説を見事になぞらえたアホ仕様なのはどうでもいい。

 グリザディオ聖国のある大陸からずっっっっと西に海を渡った先に、見覚えのある形が記されてた。

 忘れもしないさ。ニャルとエルドリーチが北海道を適当に弄って、サイズが足りないとかいって拡大して出来上がった形だから。

 そしてそこには、こうはっきりと名前があった。


 フランメリア


 おれたちが作りだした舞台だ。

 そこは危険な魔物だらけで、人類を滅ぼそうとする魔族(そんなものMGOに実装した覚えはないけどな)が居座る地獄のような土地らしい。


テセウス歴-1033年-1月21日

 また日記を書き忘れたけど、ちゃんとした理由がある

 去年の秋に国のお偉いさんが勇者をぞろぞろ連れてやってきたからだ。

 で、いかにもな眼鏡をかけたお偉い爺さんが言うにはこうだ。


 すばらしい。君には勇者の素質がある。国のために力を貸してくれないか?


 正直そんな提案蹴ってやりたかったよ、フランメリアのことで頭がいっぱいなんだ。

 だけどおれのケースは特殊すぎた。

 勇者ってのは誰にでもなれるわけじゃないし、まして十歳を軽く超えたあたりのガキを軽々と誘うようなものでもない。

 現代知識で調子に乗った神童とやらがそいつのお眼鏡にかなっただけだろうな。


 最初はっきり突っぱねてやろうと思ったけど、無理だって分かった。

 違和感を掴めたのは毒親育ちの第六感が働いたおかげだ。

 ああ、こいつらおれを無理矢理連れてくつもりだなって。

 付き添う勇者たちはどいつも静かすぎたし、おれから絶対に目線を外さなかったからさ。

 そして何より、お母さんの狼狽える顔が答えだった。


 もし断ったら何が起こるか分からない、まさにそんな状況だ。

 だからおれは少し考えて……二つ返事で勇者になることにした。

 勘違いするなよ、お母さんの役に立とうと誓っただけだ。

 あいつの笑顔はまるでおれの魂胆なんて知ったような感じで不愉快だった。


テセウス歴-1034年-1月28日

 ブライヤさんに無理をいってカカオを探してもらった。

 なんでもこの国の植民地にそれらしきものがある、と言ってたからだ。

 千年も前から王族や戦士だけが口にできる特別な薬として扱われてたってさ(アステカだったか? まさにそんな感じだ)

 カカオからチョコレートを作ろうと思った。

 問題はおれは料理下手で、そもそもどうやって加工すればいいかさっぱりってところだ。

 まあデルトもいるしどうにかなるだろう。

 勇者になる前にできるだけのことは残していこう。本当は逃げ出したいけど。


テセウス歴-1034年-2月14日

 大成功だ。現地の人たちは昔から加工法を確立してた(そりゃそうか)

 親切にもカカオをいっぱいくれて、どうやって食べるかまで丁寧に教えてくれたそうだ。

 でも、その人たちはこの国にひどい扱いをされてると聞いた。

 教書通りの植民地への仕打ちってやつだ、できることならどうにかしてあげたい。

 

 おれはデルトに全工程をぶん投げて、ブライヤさんと味見をしながらおいしいチョコの作り方を探った。

 ローストしてしつこくすりつぶしたカカオ、濃いクリーム、砂糖をたっぷり、これを滑らかになるまでひたすら混ぜる。

 チョコ……と思しき黒い物体の完成だ。

 一口かじるとざらざらした舌ざわりで中々解けないけど、これはこれで美味しい。

 考えてみればオーガニックのチョコか、元の世界だったらこれでもぜいたく品だ。


 ハッピーバレンタイン、おれたち。

 みんなで作ったチョコにお母さんはすごく喜んでた、それで十分だ。


テセウス歴-1034年-3月14日

 やっぱり勇者になんてなりたくないよな。

 やっと分かったよ、引き受けないとこの孤児院に何をされるか分からない。

 ここはそういう国だったんだ。何が豊かな国だ、偉い奴が好き勝手やってるだけのありがちなディストピアじゃないか。

 ブライヤさんは名誉なことだって言ってたけど、あの眼鏡野郎の顔を思い出すと全然そんな気がしない。


 最近デルトが冷たいので問い詰めたら、おれが勇者になるのが納得できないって言われた。

 だからさ、本音を伝えたよ。なりたくないんだって。

 そしたら向こうからも本音だ。おれのことが好きだってさ。

 おれもだよ。ずっと寂しかったけど、おまえが埋めてくれたから。


テセウス歴-1034年-5月9日

 ついにこの時が来てしまった。

 朝がやってきたら、おれは聖都とやらに行かなくちゃならない。

 あさひが登るのがこわい。

 だけどこの世界はひたすらに残酷なんだ。

 この国に逃げ場なんてない。空でも飛べない限り、自由なんてない。

 アバタール、こういう時こそ前向きになれよ。普段の余裕はどこにいった?


テセウス歴-1034年-5月20日

 頭の中が真っ白だった。

 旅の途中に寄った宿でこれを書いてるけど、何があったか記憶がすっ飛んでる。

 見送りで何を言われたのかも、お母さんがどんな顔をしていたのかも全然覚えてない。

 気にかけてくれるブライヤさんだけがおれの救いだ。


テセウス歴-1034年-5月23日

 少しはこのクソみたいな境遇に慣れてきた。

 丘の上から例の聖都が見える。

 とても華やかだ。白くて眩しくて、朝日をこっちまで跳ね返してた。


 道中、おれはブライヤさんからいろいろな話を聞いた。

 なんでもこの人は、子供のころに森で遊んでいたら魔物に襲われて、それを死に物狂いで倒したそうだ。

 相手はあのストライクリザードだ。おれたちの考えた敵キャラがご迷惑をおかけして申し訳ない。

 その時に救援にきたお母さんと巡り合って、活躍ぶりが広まって勇者へのお誘いがきたってわけだ。


 勇者は国のために戦い続けないといけないけど、いい暮らしが保証されるとも言っていた。

 二十歳を越えたあたりのブライヤさんはそこそこ名が知れていて、すっかり成り上がりの家柄になったって笑ってたな。

 だけどこの人の本心にあるのは聖母様への忠誠心だ。

 孤児院にずっと寄付を続けてるし、わけありのおれたちを本当の家族のように扱ってくれた。


 勝手に言わせてもらうけど、ブライヤさんはおれの兄みたいな人だ。

 こんな人が本当の兄だったら、おれはあの時どれだけ救われたんだろう?


テセウス歴-1034年-5月24日

 聖都についた。

 なんていうか、きらびやかだ。

 今朝からずっと呆気に取られてる。

 元の世界なんかゴミに感じるぐらい白くて眩しいし、これでもかと人が練り歩いてた。

 しかも本物のエルフだとかドワーフだとかが歩いてるんだ、この興奮を百行ぐらい表現したい。


 でも、そうだな、この国の真実を垣間見たからには手放しじゃ喜べなかった。

 この華やかさの裏にはどれだけ真っ暗闇が広がってるんだろうか。

 そしておれを出迎えてくれたのは胡散臭い連中だった。

 身なりが良すぎて、目も意地汚く吊り上がったようなジジババどもっていったら分かるか?

 いやな予感がする。


テセウス歴-1034年-5月31日

 おれみたいな勇者候補が集められてるみたいだ。

 しかも丁重に一人一人に部屋を与えて、豪華な食事も振舞ってくれるいい待遇だ。

 それだけ期待されてるんだろうけど、グリザディオ聖国の内情を考えると素直に喜べなかった。


 きっとこの考えが顔に出てしまったのか、先日からおれを見張る目が厳しい。

 それもそうか、この国にいろいろと影響を与えた神童だからな。

 (つまりおれのせいだくそったれ!)


 ここには十五歳を過ぎて子ども扱いされなくなった男女が、輝かしい未来のある勇者として集められてるようだ。

 ちょうどおれがカルトのクソどもに追い回されていた頃の年齢か。

 どいつもこいつも目がきらきらしてる。ああ、こうして書くってことは悪い意味でだ。

 プライドもずいぶん高そうで、みんなおれのことを露骨に煙たがってる。


 まあ、そこはおれの長年培ったスキル(主にTRPGだ)の出番だ。

 付け入れそうなやつから仲良くなって、そこから近い奴に移っていけばあっという間だ。

 こういうのは一度崩せば後は楽なもんさ、だって所詮はガキだから。


 この日の夜、勇者になるための儀式とやらが行われるらしい。

 ははっ、ファンタジー小説そのまんまか。もしかしたら世界を再構築する材料に混ざってるのかもな。

 生まれ変わった挙句に勇者だ、おれの人生はこれからもおかしくなっていくだろうけど、うまくやってみせるさ。


テセウス歴-1034年-6月2日

 くそ! どういうことだ!

 あれが儀式だって? ふざけやがって!

 いや、そんなことはどうだっていい。どうしてこうなった?

 勇者の資格なしってのは陳腐だろうけど、なんでおれがこんな目に。


テセウス歴-1034年-6月5日

 オーケー、監視がいない今のうちに状況をまとめよう。

 儀式の正体はアーツとスペルだ。アーツアーカイブとスペルピースは覚えてるな? ああ覚えてるとも。

 MGOで技や魔法を覚えるあれだ。あれを使ってた。

 あれを覚えることが勇者の資格だって言うんだ。ふざけてんのか?

 この世界の真実にまた一歩近づいた一方で、おれは新しい問題にぶちあたった。

 みんなが当然のように使っているアーツアーカイブとスペルピースがなぜか使えないんだ。

 導かれる答えはシンプルだ、勇者の資格なしってね。


テセウス歴-1034年-6月7日

 あいつら、おれの処遇をどうするか混乱してるらしい。

 いや、ラッキーかもな。役立たずってことで手放してくれるかもしれない。

 そうだ前向きになれよアバタール。もしかしたらお母さんのところへ帰れるかもしれないだろ?

 勇者がだめならデルトと一緒に暮らそう、二人で楽しく生きるんだ。

 なあ頼むよ。


テセウス歴-1034年-6月10日

 きゅによひだされた。あきらぬの悪いやつらだ。

 ぉれはばかでかい地下室に連れてこられ。

 小むずかしい顔をした連中がそろって、いったい何を考えてるのかさっぱりだった。

 それに、どうしてそこにブライヤさんがいたのか分からなかった。


 何をされるかと思えは、ぃきなりうで切られた。

 まだいたぃ、指がふるえてしにそうだ。

 ブライヤさんがヒールとなえた。

 ゃつぱりきかなかった、どうなってる。


テセウス歴-1034年-6月15日

 熱でひどく寝込んでた。

 おれはずっと部屋に押し込められたままだ。

 もう誰ともろくに喋ってないし気が狂いそうだ。


 またあいつらに呼ばれた。あの馬鹿でかい地下室だ。

 鎖でつながれた白い髪の女の子がいた。

 孤児院で仲良くしてたシンシアみたいな子だ。

 そしてナイフを持たされてこう言われたんだ、魔女をきれって。


 いやに決まってる。でも無理矢理やらされた。

 顔をぱっくりと傷つけてしまった。泣きわめいてた。

 ブライヤさんがヒールをとなえた。おかしい、魔法が効いていない。


テセウス歴-1034年-6月17日

 あの子の悲鳴が夢の中でずっと続いてる。

 毎日与えられる孤児院よりもずっといい食事がゴミにしか見えない。

 おれはなにをしてしまったんだ?


 また連れてかれた。

 今度は大の大人だ。日本人らしい黄色い肌色をした男だ。

 ジパング、とかいう国の人間だそうだ。

 グリザディオ聖国に楯突く愚か者、とも言っていた。


 誰かがそいつにハイ・アジリティと唱えた。

 よく知る強化魔法の赤いエフェクトが降りてきた。素早さを上げる魔法だ。

 ところがその人はいつのまにか手枷足枷を外していたらしい。

 一番近かったおれに襲い掛かってきた。

 身体がぶつかったかと思ったら、そのひとはばらばらにちぎれ


テセウス歴-1034年-6月25日

 おかあさん、デルト、ごめん。

 自分が何をしたのかよくわからないけど、これだけははっきりしてる。

 おれは人を殺した。

 この世界で一番残酷な殺し方をしてしまったんだ。


 用が済むとあいつらはまた話し込んでしまった。

 部屋の外に出てもいいと言われたけど、そうしたところで待っているのは冷たい視線だ。

 おれに対する扱いもひどくなってる。前みたいに部屋の掃除もしてくれないし、食事が出ない時もあった。

 でもブライヤさんだけは違う。食事をこっそり持ってきてくれるし、掃除を手伝ってくれたりもした。


 前向きに生きるんだ、アバタール。

 毒親に苦しめられたときに比べれば全然いい方だろう? なあ?


テセウス歴-1034年-6月26日

 ノルテレイヤ、お前を一生恨んでやる。

 エルドリーチ、ぶち殺してやる。

 ヌイス、ずっと呪ってやる。

 ニャル、大嫌いだ死ねよ。


テセウス歴-1034年-6月27日

 嘘だよ、みんなごめん、取り消すよ。

 だから助けてくれ。


テセウス歴-1034年-7月4日

 急にあいつらの態度が変わった。

 いきなりおれを取り囲んで、素晴らしいだの、すまなかっただの、手のひらを返してくるんだぞ?

 しまいに最強の勇者になれる、なんてもてはやされて気持ち悪かった。

 でももう後には引けなかった。

 それに、ブライヤさんがおれを支えると誓ってくれた。

 やるしかないんだろう。


テセウス歴-1034年-8月1日

 おれはいまだにモルモット扱いだ。「特別な」って言葉を飾った待遇だが。

 どうもおれは魔法がきかない体質らしい。

 誰かを傷つければヒールでも直らないし、人間を一瞬で黒焦げにする炎が当たろうとも何も起こらない。

 魔力で生み出されたものも触れればことごとく壊れて、要は不思議な力お断りなチート仕様ってことだ。

 ノルテレイヤに頼んだ最強の力っていうのはこういうことなのか?


 今日もまたあいつらの実験に付き合わされた。

 魔力で作ったスライムに触れると、どろどろに溶けて消えてしまった。


テセウス歴-1034年-8月21日

 あいつらが何を目論んでるのか分かった。

 魔女だ。魔女を殺させようとしてる。

 この国に従順じゃなかったり、隣国の手助けをしている魔女たちをおれに殺させようとしてるんだ。

 バラバラにされても生き返るような化け物も、おれの手にかかればすぐ死ぬからだ。


 その証拠に、おれの目の前に魔女が突き出された。

 ナイフで顔を傷つけてしまった白髪の子だ。

 そいつをまた傷つけろ、だとか言いやがった。

 できるわけないだろ。必死に拒んで、ブライヤさんの言葉もあって何もせずに済んだ。


テセウス歴-1034年-8月27日

 どうせこんなふざけた人生だ、少しでもあがいてやる。

 おれは反骨精神だけはある男だ。だからさっき、こっそり部屋を抜け出した。

 ここの連中はけっこう気が緩んでて、冷静に見れば見張りの巡回も適当だ。

 一瞬バレかけたけど、ブライヤさんに気取られてたみたいだ。

 でもあの人はむしろおれを手助けしてくれた。ありがとう、少しだけ自由にさせてもらうよ。


 向かったのは例の地下室だ。

 奥に牢獄があって、そこにあの子が閉じ込められてた。

 魔女。強大な魔法を操り、老いることも死ぬこともない恐ろしい存在だそうだ。

 この頃魔物が増えているのもそいつらのせいだとか、この国を乗っ取ろうしているとか、ついてくる噂も色々だ。


 そんなことはどうだっていいんだ、おれは彼女が心配なだけだ。

 当たり前だけどあの子はひどく怯えてた。

 顔にはおれがつけた傷が痛々しく残ってたし、まともな食事を与えられてないのか痩せぼそったままだ。

 だから、その日食べるはずだった夕食をそのまま持ってきた。

 腹が減った辛さはよく知ってる。これが最初の罪滅ぼしだ。

 あの子は喋らなかった。でも、ぐっすり眠れたみたいだ。


テセウス歴-1034年-9月3日

 ブライヤさんに手伝ってもらって、時々こっそり食事を届けてる。

 幸い「あの子を傷つけろ」なんて命令されることはなかった。

 もしかしたら少しは運がいい方向に向いたのかもな。

 それにしてもよく食べるやつだ。いっぱい食べてくれ。


テセウス歴-1034年-9月5日

 やっとあの子が心を開いてくれた。

 名前もようやく分かった、リリアムだ。


 少しだけ話す機会ができた。

 リリアムはついこの前、ずっと北の国境近くの農村でひっそり暮らしてた。

 風を操る魔法で村を自然の驚異や魔物から守り続けていたそうだ。

 ところがある日、理不尽な出来事があの子を襲った。

 風の魔法を使って魔物たちを人里へ送り込んでいる、実は他国のスパイで我が国を害そうと目論んでいる、なんて言いがかりだ。

 ついこの前まで仲良くしていた人たちが急に態度を変えて、リリアムを勇者たちに突き出したらしい。


 気が付いたらここまで運ばれて、ずっと閉じ込められてたそうだ。

 唯一分かるのは見張りに来る人間が口にしてた実験とい 畜生ふざけんなクソが。

 まさかおれにこんなことをさせるために連れてきたってのか?


テセウス歴-1034年-9月7日

 この頃は穏やかだ。あいつらにも休日をくれるぐらいのセンスはあったか。

 それに、リリアムに会いに行くのもすっかり慣れた。

 あいつは食いしん坊で可愛い。どうしてこんな形で巡り合ったんだろう。


テセウス歴-1034年-9月16日

 魔力がこもっていたり、呪われてしまったものを壊すだけの簡単なお仕事ばっかだ。

 魔女がかけた史上最悪の呪いが簡単に壊れたとかで、あいつらは馬鹿みたいに喜んでた。

 それで機嫌を取れるならいくらでもやってやる。


テセウス歴-1034年-9月20日


 今日は外に連れ出された。

 周りを壁に囲われた、まるで闘技場みたいな趣味の悪い場所だ。

 いろいろなやつが上からおれを見下ろしていたし、まるで一大イベントでも催してるようだった。


 やることは単純だ、向こうに置かれた大きなズタ袋が今日の相手だ。

 それをクロスボウで射貫けってさ。

 皮肉にも、手に渡ったのはいつぞや得意げに世に広めたコンパウンド・クロスボウか。

 自分がもたらしたものがこんな形で回ってくるなんて笑えないな。


 ブライヤさんが立ち会ってくれたのが唯一の救いだ。

 あの人が言うには、中に魔法で作られた生き物が詰め込まれてるらしい。

 魔を壊す力をここで見せつければ、おれをもっと自由にしてくれるそうだ。

 ここで価値を示せば、リリアムも自由になるかもしれないとも言われた。


 だから狙った、でもやっぱりできなかった。

 何か嫌な予感がしたからだ。

 周囲がざわめくと、ズタ袋がもぞもぞ動いたのもよく覚えてる。


 その時だ、ブライヤさんが急におれの手を掴んできた。

 今まで見たことのないすさまじい顔だった。

 あの人は無理矢理狙いをつけさせて、おれに矢を射らせたんだ。


 すぐにズタ袋がびくっと震えて、中から赤色がどくどくと流れてた。

 おれはなにを射ったんだ?

 取り返しのつかないことをしてしまった気がする。


テセウス歴-1034年-9月22日

 ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう


テセウス歴-1034年-9月23日

 ふざけるな どうしてリリアムが


テセウス歴-1034年-9月24日

 あれから大騒ぎだ。

 ブライヤさんが勇者たちに連れていかれた。


テセウス歴-1034年-9月25日

 おれはあの子を殺したんだ


テセウス歴-1034年-9月26日

 今日、あの時の眼鏡をかけたやつがきた。

 だけど申し訳なさそうな顔だった。


 ひどい事実も続いた。

 リリアムに会えるようにずっと計らってくれたのは、ブライヤさんじゃなくこの人だったんだ。

 魔を壊す力を魔女で試すなんて勇者のすることじゃない、と必死に説得していたらしい。

 なぜならあの子に会いに行く姿を、この人はずっと見ていたからだ。

 おれをずっと信じてくれていたんだ。


 その甲斐あって、魔法でできた生き物を射貫くはずだった。本来なら。

 なのにだ。中に詰め込まれていたのはリリアムなんだ。

 誰かがあの子を滅茶苦茶にして、生きたまま中に押し込んだらしい。

 ブライヤさんが。どうして。


テセウス歴-1037年-2月28日

 荷物を漁ってたらこの日記を見つけた。

 そうか、最後に書いたのはけっこう前だったな。


 おれはすっかり変わった。

 いや、この大陸を変えてしまった。

 ひとたび戦争が始まれば、すぐに駆り出されるようになった。

 剣と魔法を撃ち合う戦場に、異能を全て台無しにする存在はゲームチェンジャーなりえるからだ。


 魔剣は触れるだけで溶けて、身体強化された兵は触れるとバラバラになり、どんな魔法もぶち壊す。

 どこかの国がここぞとばかりに魔女を送り込んでも、姿を見せればすぐに逃げてしまう。

 皮肉にも争いごとに首を突っ込むほど、無駄な死者を出さずに済むケースがしばらく続いた。


 いまやグリザディオ聖国はなんでもしてくれる。

 欲しいものがあればなんでも与えてくれる。

 望まずとも豪華な家つきの土地もくれる。

 だけど、何度試みてもお母さんには会えなかった。

 いや、会えたとしても、もう見せられる顔なんてないか。


テセウス歴-1037年-5月5日


 相変わらずこの国はひどいけど、それでもいいやつはいっぱいいる。


 あれからずっとおれを手助けしてくれたルーマ司祭。

 あの人の説いた性善説に何度助けられたっけ?

 でも、先月永い眠りについた。そうだよな、ずっと頑張ってたんだから。

 もっと早く信じてあげたかった。


 前に会ったパン屋の姉ちゃんもだ。

 アップルパイの作り方を教えたら、死ぬほどうまいやつを焼いてくれたな。


 あ、それから我が家をきれいに保ってくれるメイドたちも。

 一緒に掃除しようとしたら、そんなことしなくて大丈夫ってすごい勢いで言われたよな。


 だけどさ、みんなの目はもう人を見るものじゃないんだ。

 当たり前だろうな。おれは世も恐れる魔壊し、アバタールだ。

 友達はいないし、孤児院のみんなの顔も思い出せない。

 そんな日々がこれから続くのかと考えると、もうやる気がわいてこない。


テセウス歴-1037年-8月1日

 それでもおれはこの世界を知らないといけない。

 分かったこと追加、アーツアーカイブとスペルピースについてだ。

 MGOのようなシステムがあると仮定して、この国のやつらはあれをよく分からないまま直感的に使ってる。

 たぶん何百年もだ。自分のスキル値も分からないままスキル上げをしてるんだろう。

 馬鹿か? でもその馬鹿が、こんな異常な国を生み出したんだ。


テセウス歴-1037年-9月18日

 アーツアーカイブとスペルピースを落とす魔物がいたよな、たぶんあれが供給源だ。


テセウス歴-1037年-10月11日

 勇者の役割は悪者退治だけじゃない。

 見込みある人間(コントロールしやすく強いやつ)のお目付け役になったり国に都合の悪いやつを消したりと、仕事を選べない。

 それでも続けるのは、恩恵があるからだ。 


テセウス歴-1038年-5月13日

 孤児院が火事になったそうだ。

 みんな死んだ。

 お母さんとの連絡は一向につかない。


テセウス歴-1038年-5月20日

 ようやく会えたのに逃げられた。

 嫌悪感でいっぱいの目だった。


テセウス歴-1038年-6月3日

 ブライヤの仕業だ。

 いや、この国もだ。おれを気にくわないやつはごまんといる。


テセウス歴-1039年-2月1日

 おれもだいぶ大きくなったな、肉体的に高校生ぐらいは育ったはずだ。

 なのにこの国はひどくなる一方だ。

 おれを絶対に逃さまいと監視の目もきつくなってる。

 それもそうか。おれは世も恐れる魔女を銀の矢で殺した英雄だ。


 オーケー、今夜決行だ。

 おれにできるリリアムへの手向けだ。

 もうどうせ、お母さんはおれを信じてくれない。


テセウス歴-1039年-2月6日

 グリザディオ聖国脱出作戦は順調だ。

 手順を忘れないように思い出せ。

 買収した司祭に「隣国に陸路で逃げる」と嘘を流させて、その隙に西の港街へ向かう。


テセウス歴-1039年-2月7日

 そして船を盗んでフランメリアへ旅立つ。

 行商人のおっちゃんの言葉を信じるなら、この時期の海域は魔物も大人しいそうだ。

 船の使い方なんて分からない。でもいいんだ、このクソみたいな国を引っ掻き回して一矢報いるだけでも十分だ。

 どうせ生きてる価値もない。

 それに、あそこに行けばノルテレイヤに会えるかもしれない。


テセウス歴-1039年-2月9日

 良かった、見張りが少ない


テセウス歴

 極寒の海の上だ。

 やっと波が落ち着いてきて、少しは温かくなったから現状を記す。


 ブライヤが待ち構えてた。

 あいつがなんなのかやっとわかったよ。

 あいつはおれのことを、愛しの聖母様を奪ったクソ野郎だって言ってた。

 ずっと目にかけてもらってたのに、ずっと愛していたのに、横からかっさらった泥棒だってさ。


 じゃがバターを一緒に食べた頃からあいつはおれを恨んでたんだ。

 リリアムの一件も、おれがどこまでも苦しむように仕組んだものだった。

 お母さんと連絡がつかなかったのも、あいつが何かを吹き込んだからだ(最悪なことに、残酷なやつだと思わせる材料は山ほどあるだろ?)

 そして孤児院のみんなを焼いたのもこいつだ。


 ぶち殺したいほど憎かったよ。

 でもおれは弱い、魔法を壊せる以外何もできない、だから逃げるしかなかった。


 ところが運命は気まぐれだ、お母さんとデルトが追いかけてきた。

 たくさんの勇者たちも一緒だった。

 二人はおれを見捨てなかったんだ。


 立ち止まって帰ろうと思ったよ。

 なのに、ちくしょう。

 デルトがこっちにきた時、ブライヤが【ぐにゃぐにゃの文字が続いてる】


 おれはもう、戻れないところまで来てしまったんだ。

 お母さんが聞いたこともない悲鳴を上げていた。

 怖かった、逃げるように船へ向かった。


 あいつの叫び声がまだ真新しく残ってる。

 お前さえいなければとおれを呪っていた。

 「魔女の犬め」とも怒っていた。


テセウス歴 もうわからない どうでもいい

 だんだん眠くなってきた。

 こんな力、この名前と共に捨ててやる。

 あいつらも悔しがるだろうな、最後に一矢報いてやる。


 リリアム、本当にごめん。君はおれを呪うだろうけど、それでも友達だと思ってる。身勝手でごめん。

 デルト、お前に好きって言われた時はすごく嬉しかった。もっと一緒にいたかった。

 ブライヤ、さんざん書いたけどお前のことはやっぱり憎めないんだ。どうしたんだろうな、おれ。


 そしてお母さん、おれのせいでずっと苦しませてごめん。

 あなたをずっと愛しています。


加賀祝夜

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― 新着の感想 ―
[一言] 前話との温度差よ、そして色々新事実 そのうち聖国とやらに鉄砲背負って愉快な遠足(某社人型兵器部隊風味)に行くんだろうなぁ
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