50 地獄の始まり
「待ちやがれぇぇぇぇぇーーーーーッ!」
背後から追いかけてくるやつの熱気を感じながら、階段を駆け上った。
不思議と足は疲れない、なんだったら三段飛ばして猛ダッシュしたって余裕だ。
これも『PERK』のおかげなんだろうか? 明らかに今までと違う感覚がする。
『いちサン! 前!』
出口へと近づくと、弾薬箱を積んだ台車が狭い通路をのろのろ進んでいた。
どうする――よし、こうだ。
今の自分ならできると信じて、身体を横に向けながら壁と荷物の間へ入り込む。
「おっ、おおおおおおおおおおぃ!? なんだお前!?」
「悪い! あとで手伝う!」
背中で壁をすべるような感じで狭い隙間をくぐり抜けて、着地成功。
うまくいった。体勢を整えて出口へ続く階段へとまっすぐ走る。
「この××××野郎! 人の気にしてることを! あんなところで言いやがって! ぶっ殺してやるぞォォォ!」
がしゃーん、と後ろで派手な音がした。
ジャラジャラ散らばる弾薬の音に、悲鳴と罵倒が重なる。
「まだ追ってくるのかよ! くそっ!」
お構いなしに階段を二段、三段ぐらい飛ばしながら一気に走破した。
地上に出た――明るい空のもと、町中に向かって何も考えずに走り出す。
「止まれクソがぁぁぁぁッ!」
遅れて後ろからナッツクラッカーの声がする。
距離はだいぶ離れた。近くに止められたままの魔改造スポーツカーに近づく。
「悪かった! 俺だってそこまで傷つけるつもりはなかったんだ!」
足に力を込めてジャンプ、ボンネットに着地――びっくりするほど身体が軽い。
飛び移った勢いを保ったまま、今度は生垣の中に狙いを定めた。
枯れた枝が集まって分厚い壁を作っているが、どうにか身体をねじり込めそうだ。
「悪い、ミセリコルデ!」
さらに遠のく後ろからの気配なんか無視して、乾いた地面へと足から滑り込む。
腰に付けた物言う短剣ごと、民家の中へ続く穴の中に滑り込んだ。
『あばばばばばばばばばばばばばばば』
ぺきぺき枝先が触れる感触を無理やりかき分けながらずるっと潜り抜ける。
ざらざらとした地面に擦られながらも突破、片手で地面を押して反動で立った。
再び走った、けっこう間を置いてからバキバキという音が聞こえてくる。
「逃げるな……このっ! 卑怯だぞ! 止まって勝負しやがれェッ!」
一瞬振り返ると枝を強引に突破してぼろぼろになったあの男がいた。
ちょっとかわいそうなのでスピードを落としてやろう。
『いちサン……そろそろ謝ったほうがいいんじゃないかな……?』
「あいつがもう少し疲れ果ててから謝ろう」
『……っていうか、なんだかすごく余裕そうだね』
「ああ、PERKのおかげだと思う。なんだったらもっと引き離せそうだ」
目の前に小さな物置が立ちふさがる。
壁を蹴って屋根に飛び移って、隣の民家の屋根に向かって跳躍。
まだまだあきらめきれず屋根に沿って走る男を確認、相手が回り込めそうにない道へ飛び降りる。
「さっきは悪かったよ! だからいい加減あきらめてくれないか!」
「お、おい……待てこの……! 逃げるだけかぁ!?」
結構な高さから落下――したっていうのに、自然とうまく着地できた。
それどころかいくらでも走れそうだ。下半身が自由に動くというか、思い通りに動かせて気持ちがいい。
呼吸も楽だ、これなら相手が酸欠でくたばるまで逃げ続けられるかもしれない。
「待てっ……待てって言ってんだろが……!」
『……あの、イチさん……あの人かなりぐったりしてるよ……?』
が、短剣にそう言われたので停止。激怒していた男が見えるまで待ってみた。
家の周りをぐるっと走ってきたナッツクラッカーがふらふら追いついてきて、
「――死ねやッ! ちょこまか逃げやがって……! この××××野郎!」
作業着からドライバーを引っこ抜き、こっちにぶん投げてきた。
ふらふらと飛んでくるそれをどうしようかと考えた結果、腕で払って見せた。手の甲にあたってぺしっと撃墜したようだ。
「……くっ、くそっ……! なんなんだ、お前……!?」
ずっと追いかけてきた男はとうとう金切り声を上げて仰向けに倒れてしまう。
そりゃ無理もない、朝食で一杯の胃を抱えながらあれだけ走れば体調も壊す。
「……すまない、ちょっと話を聞いてくれないか?」
これ以上は無意味だ、ミセリコルデとの約束を守ることにした。
ぜーぜーいいながらぐったりしている男に近づくと、
「なんだ……ってんだ、畜生……」
まだ恨んでいるのか折れたのか分からないどっちつかずの視線を感じる。
「悪かった、そこまで気にしてるとは思わなかった。ただボスに命令されて――」
「……それ、マジ……? んなわけ……ないだろ……」
「残念なニュースなんだが本当さ、ヒドラショック」
疲れ果てたそいつにドライバーを返そうとすると、急にあの人の声がした。
案の定すぐ後ろにボスがいた。ただし手には飲みかけのビールが握られているが。
「……どういうことっすか、ボス」
「不満そうなあんたでいろいろ試しただけさ、おかげで面白いもんが見れたよ。なあ、お前たち?」
どうやらいい見世物になってたみたいだ。
ボスの近くには無口な褐色肌の女の子たちと――それからアレクがいた。
みんななぜか感心したような様子である。
「まるで忍者みたいだったな」
うれしいことに褐色系男子からそういわれた。
それなら走った甲斐があった。
「……早かった、よね」
サンディは眠そうな顔で妹たちに小さく首を傾げた。
みんなうなずいてる、胸の大きさに反してえらく薄い感想だと思う。
「お前さんの体力や身のこなしについては問題ないさ。これならいきなりハードなものから始めても問題なさそうだね」
「……お手柔らかにお願いします」
「誰がお手柔らかにやるもんかい。さっさと町の南側に行くよ」
どうやらこれから訓練が始まるらしい。
といってもこっちはそんなに疲れちゃいない、少し汗をかいたぐらいだ。
「それからヒドラ、この勝負はあんたの負けさ。だが前みたいに無暗に銃を抜かなかったのは褒めてやるよ。あんたは仕事はできるが怒りっぽい、次からはもっと賢くやることだね」
ついでにボスの視線が倒れている青年のほうに向かうと――
「ういっす……」
あいつはぐったりと倒れたまま、作業着の中からごそごそ何かを取り出した。
ポケットにねじ込めそうなサイズのリボルバー、たぶんフル装填状態だ。
さすがこの町の住人だ、なんてもん隠してやがる。
「……俺の負けだ、そういうことにしておいてくれ」
疲れ果てた声がこっちに向けられてきた。
とはいえ、今回は完全に俺が悪い。
「あんなこと言って本当に悪かった、次から良く考えて物を言うよ」
ナッツクラッカーの意味は分からないが相当傷ついたと思う。
そう謝罪して相手に手を伸ばした。
「いいんだ、俺も言い過ぎた。でも次追いかけるときは手加減してくれねえか?」
「ああ、次はフェアにいこう」
「今回はアンフェアだったな。俺はヒドラショック、ここで武器の管理をしてる」
「俺はイチだ。よろしく、ヒドラショック」
「よろしくな、今回の件は特別になかったことにしてやるよ」
相手が手を掴んだ、引っ張り起こすとずいぶん爽やかな顔だった。
ヒドラショックは立ち上がると「頑張れよ」と一言だけ残して戻っていった。
「あいつは見た目はあれだが結構繊細なのさ。銃や弾薬に関してはあいつから教わってもらいな。さて……それじゃ行くかね」
かくして、余所者のための訓練が始まった。
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