32 オールド・チャプター・ブックストア(1)
それから、俺たちは出発する冒険者に混じって北へ進んだ。
行く先が途中まで同じ『チーム・ヤグチ』と一緒だ――ちなみに勝手に命名した。
向かう先は向こうから流れてきた【書店】とやらだ。
先日の墜落現場を追い越した向こうでぽつんと建っているらしい。
制圧したスイカ村と墜落現場の二か所をチェックしながらの行軍になった。
道中は特に問題もなく、いろいろあった村や旅客機も今じゃただの通り道である。
あの小高い丘を越えた先で待ってたのは、緑豊かでなだらかな起伏だ。
人の手が及ばぬ土地が北まで伸び、左を見ればアサイラムまで続いてるであろう川の流れも見える。
そんな元の世界よりずっと恵まれた自然のおかげで、しばらく荷物の重みも忘れて優雅な散歩気分でいられた。
「日本じゃ絶対見られない光景だよね……俺、こういうの好きだな」
草原に沿って上がったり下ったりを続けながらも、誰かが隣で感銘を受けてた。
横に見上げると待っていたのはずいぶん高い背丈だ。
傷の残った防具を着込み、それから黒髪と穏やかな顔がセットでついてくる人柄はみんな口を揃えてこういう――ヤグチと。
「さっきから楽しそうに歩いてるな。お前ひょっとして自然が大好きな系男子だった?」
「元々そういうのじゃなかったんだけどね。アオに誘われて一緒にアウトドアサークルに参加することになって、それがきっかけで好きになった感じかな」
「ワオ、充実した理由をお持ちのご様子で」
「だからさ、二人でこっちの世界に来たときはその知識が生きて本当に良かったと思うよ……っていうかイチ君、いろいろ持ってるのに涼しい顔してるね? こういうの歩きなれてるみたいだけど」
「ちょっと前に訓練ってことで山歩かされまくったからな」
「や、山で訓練?」
「それもバケモンがいる場所を弓背負ってだ。おかげでいろいろ大切なものを学べたよ――もちろん皮肉も込めてな」
「イチ君、ほんとに向こうでいろいろあったんだね……?」
「ああそうだな、そのころ特に印象的なのは訓練と称して人の尻に二本も矢をぶち込んだやつらだ。見てろよあいつらフランメリアでもずっと恨み続けてやるからな」
「待って尻に矢ってどういうこと!?」
「それが訓練だとさ、やってくれた犯人のことは今でも恨んでる。そりゃもう臨場感あふれる職場の新人教育だったよ」
「……イチ君が声マジにするってことは本当なんだろうね、その、お尻大丈夫……?」
「あと数センチ横にずれたら尻の機能性が一つ増えるところだった。お前も矢に撃たれる訓練とかするんじゃないぞ」
「俺タンクだけど流石にそこまでしないからね!?」
そんなヤグチも今じゃおんなじ『ブロンズ』で、こうして気の合う友人だ。
歳も二十一と同年代、暇なときはこのとっつきやすい物腰によく絡みにいってる。
まあ境遇は絶望的なぐらい程遠いが。背負ってる突撃銃とライフルグレネードが特にそう。
「そういうイチ君だって彼女いるくせに。いつの間にかあのミコさんと結ばれてて私たちびっくりしたんだぞ!」
そこに小さな背で一生懸命に割り込んでくるやつもいた。
ヤグチと違ってずっと小さく、ゆるいレッドブラウン・ヘアと明るい顔でどうにか子供を卒業したような彼女さんだ。
通称アオ、切っ先鋭い長柄武器をぶんぶん振り回すことで『歩く突風』で通ってる。
「俺とあいつの関係もすっかり広まってるな」
「だってギルドで会うたびにべったりしてるじゃん物理的に! この前とかぐいぐい当てられててみんな笑ってたんだよ?」
「ノーコメントでいい?」
「じゃあ私からコメント、ミコさんってもしかして愛重い系女子?」
「……ノーコメントでお願いします」
「アオ、そんなこと言っちゃ駄目だろ。失礼だよ流石に……」
「でも重いのは確かだ。物理的にも」
「イチ君も失礼だからね!? 女の子に対してそれは駄目だよ!?」
「どっちも重いのかー……なんかさ、イチ君尻にしかれそうだよね」
「もうしかれた。潰されないように日々強くなってる」
「ははーん、ミコさんのことそんなに好きなんだ?」
「俺のくっそ重い背景ごと好きになってくれてるんだ、一生に一度の理解者だと思ってる」
「うわイチ君もおっもい……じゃあ早くスチールぐらいにならないと駄目だね。私たちって等級が離れてるとどうしても付き合いも遠ざかっちゃうし」
「ミセリコルディアは引っ張りだこらしいからな。俺たちも出世したらあんな風に自由がなくなるもんなのかね」
「イチ君だったらごり押しで自由掴めそうだから大丈夫だよ、我が道のためにぶち壊しちゃえ!」
「ギルマスが聞いたら嫌な顔されそうなセリフだ。今のアドバイスは胸に刻んどくよ、二人で仲良くスチールになれよ」
隣のでっかい彼氏くんがそうならアオもいい友人だ。
依頼を一緒にして以来、この二人はいい話し相手になってくれてる。
今じゃ四人も後輩を引き連れていろいろ依頼をこなしてるそうだ。
「そしてうちがイチ様の愛人っすねえ、あひひひっ……♡」
と、ここできれいな話の流れをぶった切るメイドが一人――ロアベアァ!!
いきなり「愛人」とか飛んできて二人がぎょっとするのもしょうがない。
「んもーいきなり話台無しにするこのメイド……」
「あ、愛人……? ロアベアさんが……?」
「そ、そういえばイチ君とすごく仲いいよね、そのメイドさん……え? まさか侍らせてる?」
「こいつに関しては説明めんどいからノーコメントでいい?」
「そんな~」
「なんでそこで面倒くさいとか言っちゃうのイチ君!?」
「ほんとにどういう関係なんだ、二人とも……!? お姉さんにちょっと教えてみないかい?」
「ウェイストランドを旅してる時にいろいろあった。そして今もなおこいつのおかげでいろいろだ」
「お二方、なんとリーゼル様のお屋敷のメイドさんはうち含めて全員イチ様の配下っすよ。すっごい侍らせてるんすよこの人」
「どういうことなんだ!? イチ君、俺たちの知らないところで一体何が!?」
「め、メイドまみれ……! イチ君ハーレム築き上げてたのか!?」
「そのメイドハーレムはこういう一癖強いのがいっぱいいるって意味だぞ」
「うちの先輩とかイチ様いきなり荷物感覚で担いでいくっすからねえ、みんなイチ様で遊ぶの楽しみにしてるっす」
説明したくないメイド事情を分かりやすく説明してやった――生首をもって。
によによする頭部と自走する首から下を目にすれば、大学生カップルも屋敷の職場環境にいろいろ思いをはせたらしい。
「いる?」と二人に顔で伺えばやんわり「けっこう」だ。仕方ないのでそのまま持つことにした。
『――ウェイストランドでぶっ飛んでおったやつがこうして呑気な背中を見せるとはのう、ここに来てから良い人付き合いと環境に恵まれたようでおじいちゃん感慨深いわい』
『あいつ今まで同年代の友達なんていなかったからなあ……やっぱ嬉しいんじゃねえの?』
『え? そうなんか?』
『そうだぜお爺ちゃん。ちなみに俺三つ上ね、二人一緒にすんごい幼少期過ごして今に至たっております』
『二人そろってなんだか大変だったみたいじゃな……なに、フランメリアにいりゃこれからもっと明るくなるさ。今日もみたいにな』
『それなんだけどなんか空曇り始めてね?』
『こういう時ぐらい空気読まんかクソ天気め! なんか雲行き怪しいんじゃけど、こりゃ雨降るかもしれんな……』
後ろじゃスパタ爺さんとタカアキが人の背中で話に華を咲かせてるようだ。
まあばっちり聞こえてるけどな。
何が一番困るって、その通りせっかくの晴れ空が鈍色を帯びてることだ。
「むう、急に空が曇り始めてるぞ……せっかく順調に進んでいたのになんだか幸先悪いんだが」
「もし雨が降るなら良からぬ知らせかもな。なにせ地図によれば雨宿りできる先は先客がいるような場所が二つだ」
横じゃダークエルフと護衛対象のお医者様も見上げる空にあれこれ申してる。
俺だって身体の触りに段々と違和感を感じてるほどだ。呼吸をするたびに胸の傷が少しざわつく。
「悪いニュースだ、ストレンジャーのセンサー的に言うなら雨の可能性がデカいぞ」
「どうしたんすかイチ様、古傷が疼いちゃってる感じっすか」
「なんか息苦しいからたぶん当たりだ。お前らと北へ向かってた頃を思い出すよ」
「イチが言うんだ、これは雨かもしれないぞ。体調は大丈夫か?」
「奇しくも俺たちが揃ってまた北へ向かってるとなれば、雨が降り出すところまで同じかもしれんぞ。おそらくはテュマーが出てくるところまで同じだろう」
「じゃあ雨宿り先をさっさと拝借する必要があるところまで同じか? まったく、ツイてないな俺たち」
話が弾んだ甲斐あってますます雨の予感が強くなった、確定だ。
雨宿りしようと引こうにも、都合がいいのはだいぶ遠のいたあの旅客機ぐらいだ。
そのくせ前方左手に違和感が見えてきた、柵で表現された敷地に白色がぽつんと建ってる。
「ご主人、右の方に道路がある」
「道路?」
「ん、人工物が見える。看板もあるみたい」
わん娘も立ち止まって双眼鏡を覗いてこれだ、全員に「ストップ」をかけた。
ならって測距機能と共に地形を覗けばその通りだ。
屋敷と思しき場所から東側、そこのゆるやかさにアスファルトが伸びていた。
【オールド・チャプター・ブックストア】と運転手向けの看板が示す先、二階建てほどの何かが確かにある。
「……ここから500mぐらい先だな、目撃者の情報通り「書店」ってクソ丁重に表現してくれてるぞ。で、西へ数百離れたところに屋敷とやらがあるらしいな。なんて物件だ」
つまり、ヤグチと俺たちの目標がなんとも微妙な距離感で共存してるようだ。
それなりに大きな白いレンガ造りの屋敷が、庭園と一緒に寂しく佇んでる。
違和感を探ろうとするとチャラそうな男女が目を凝らしてた――貸してやった。
「うわっ、マジであるし……左のがうちらが目指してた屋敷っスね、なんであんなとこにあんだろう」
「どれどれ? なんか思ったよりデカくないじゃん、あれなら白き民いても余裕じゃね?」
「建物だけで判断するのはまだ早いぞ。ええと……」
「ハルオっス、よろしくですイチ先輩」
「チャラオか」
「ハルオです! どういう間違えかたしてんですか!」
「あんたいきなりチャラオとか呼ばれててウケるんだけど。こっちセイカね、ヤグチパイセンに世話になってまーす」
「チャラオとセイカか、よろしくな」
「だからハルオですって一文字しかあってないっスよ!?」
「あはは、もっといってやっていいよ。そいつチャラいし」
「良くねえし!? もうそういうの卒業したんスよ俺!」
金髪と黒髪のコントラストの下で陽気そうな顔したハル……チャラオは斧使いらしい。
見た目はクラングルの人通りの中でナンパしてそうな感じだが、軽鎧に振り回しやすそうな斧がいかにも実戦的だ。
それから仲の良さそうな金髪美人の姉ちゃんも。
名はセイカ、モデル体型にごつい両手剣がよく似合ってらっしゃる。
「あっ、便乗しますけど私はイクエです。鈍器戦士担当でしたが最近回復魔法を覚えたのでダブルで頑張ってます」
「俺ケイタ、電撃魔法使いだ! よろしくなイチ先輩!」
そこに残りの二人も乗っかってきた。
トゲつき棍棒がおっかない大人しそうな黒髪ボブの女の子に、この世界らしく作られたパーカージャケットかぶりの少年だ。
ヤグチも変わったやつばっか集めてるな、中々の個性に感心した。
「イクエとケイタか、よろしく。俺が言うのもなんだけど、お前らも中々濃いメンバーだな」
「イチ先輩たちの方がかなーり濃いと思いますけど……」
「そっちには負けるぜ……! 見てろよ、いつか先輩どもを追い越してやるからな!」
「ケイタ君、ここは追い越さなくていいですからね。この子ちょっとお馬鹿な中学三年生男子ですけど仲良くしてあげてくださいね」
「俺は馬鹿じゃねえっ! 我が道行ってるだけだっ!」
元気なやつと保護者がセットらしい、総じていいバランスだ。
さて、立ち止った先では道が二つ。
左はフランメリア、右はウェイストランドという感じか。
「地図通り二つともさほど離れてない感じだな。まあ問題は誰がお待ちしてるかって話だ、そっちは屋敷に行くみたいだけど大丈夫か?」
念のため、ヤグチ率いる一団の行き先を確かめた。
六人揃って左手の屋敷に向かう気概が一致していて、特にリーダーたる背の高さは自信で固まっており。
「うん、大丈夫だよ。今まで俺たちで白き民とけっこうやりあってきたし、昨日も大変な目にあったけど自信がついたからね」
「あっ、フラグじゃないからね? 私たちまずい時は速攻逃げるように決めてるから、手に負えないと思ったらいのちだいじにで!」
ヤグチとアオはなかなか頼もしい表情で返してきた。
よく見ると二人の腰にはあのポーションが二本ずつ下がってる。
計四本、タケナカ先輩はこいつらをよほど信頼してるらしいな。
「分かった。やばい時は横から援護射撃してやるよ、楽しみにしててくれ」
「あ、ありがとう……そっちも気を付けてね?」
「俺の経験上ああいうのはテュマーがいらっしゃるからな、さっさと制圧して安全にしてくる。雨降る前にやっちまうぞ」
「俺たちもなんだか白き民がいるって直感的に感じてるよ。行ってくるね」
確認は済んだ。最後の挨拶は突き出した拳だ。
ところがこの形式が謎だったらしい。チャラオのジェスチャーが「こう」と補ってくれてようやくぶつけあった。
「……よし、もう少し近づいて書店の様子を確かめるぞ。遮蔽物がないから気を付けろ、全員応戦できるように武器持っとけ」
チーム・ヤグチがそれらしい背を見せたのをきっかけに、俺たちも現代的な方へと向かった。
大地のゆるやかさをかき分ければ案外あっという間だ。
ひび割れた道路がまっすぐ伸び、路上の看板が異世界でなお宣伝を振りまき。
【オールド・チャプター・ブックストアはこちら! ウェスト・ヴァージニア州の誇る古き良き本屋といえばここぐらい!】
【今はアラモ砦だ!←ここはウェスト・ヴァージニア州だ馬鹿←比喩も分からないのか馬鹿】
と、本屋の広告の下にそんな乱暴な言葉が書き足されていた。
誰が書いたのかはさておき、あんまり治安はよろしくなかったらしい。
路上で物騒な壊れ方をした車の数々や、その近辺で黒色を晒す機能停止したテュマーどもがそうだ。
「……ウェスト・ヴァージニアの建物まで手をつけるとは、お前の転移の力は無節操なものだな」
「無節操すぎてご遺体までご一緒みたいだぞ」
「おかげで大切なことを学べた。あちら側にもテュマーの手は及んでたようだ、西も東も奴らが回ってるとはな」
通りすがるついで、クリューサ先生はそんな表現法に興味深そうだった。
どうも遠い場所まで引き寄せたようだ。そこはどんな場所なんだろう。
「そうだな、まずウェスト・ヴァージニアってなんだ? からスタートだ」
「アリゾナよりずっと東にある州だ。歴史が深く自然豊かな場所だが、その分だけ戦後の影響も複雑だぞ」
「お兄さんから補足するとだな、変異した虫と獣がうじゃうじゃなトコだ。アメリカの東側ってのはアリゾナよかミュータントまみれだぜ」
「残りは全部こいつの説明通りだ。言っておくが医者的にはごめん被りたい環境だ、あそこは病原菌の媒体となる生物が山ほどいると聞いたし、妙な病がいろいろあるというからな」
「ついでに未確認生物にも会えるぞ。ホラー苦手なやつにはおすすめできねえな」
「説明どうも、俺もたった今ごめん被りたくなった」
タカアキの補足も混じればどれだけヤバい土地柄なのかすんなり分かった。
ミュータントにホラーだとさ、ここから先もそうじゃないことを祈ろう。
「なんすかなんすか、お化けでも出るんすかタカアキ様ぁ」
「何も知らなきゃお化けだろうなあ、ありゃ……」
「うち気になるっす!」
メイドと幼馴染の怖い話から距離をおいた。
突撃銃に手をかけて進めば、双眼鏡で見た姿があれこれ細かく感じられた。
ここには倒壊した街並みの一部があって、書店だけが唯一無事だったらしい。
緑のラインと大胆なガラス使いが混じった白色の建物がそれだ。遠目に見る限り敵の気配はないが……。
「どっかの通りがまた転移してきたって感じだな、しかも書店だけ無事に残ってるみたいだ」
「見事にどっかから切り取られてんなあ……敵はいるか?」
「ご遺体があるってことは、まだ生きておられる方もいらっしゃるっすねえ……」
待て、と合図してもう一度双眼鏡を見る。
その距離200m、店の前には車両の混雑さがそのまま残ってた。
軍事規格を思わせるトラックが特にそうだ、横向きに店の前を大きく塞いでる。
「それから路駐してた車もご一緒らしいな。おかげで入り口が見えない」
テュマーがいるかどうかを持ちかけられたら出せる答えは『グレー』だ。
あの廃墟は朽ち果ててはいるが、建造物としての形はよく残ってる。
だけどよーく確かめれば、屋上には誰の仕業か積まれた土嚢が射線を遮ってる――まさしく『砦』って感じか。
「けっこう車とか残っとるじゃないの、ラッキー。つーかアラモ砦ってなんじゃ」
「スパタ、あのメッセージは「ここで死ぬまで戦ってやる」ぐらいのニュアンスに受け取っておけ」
「その意味をあれに重ねると嫌な予感しかせんのう。周り滅茶苦茶なのにあそこだけ立派に残っとるぞ?」
「本当に誰かがあそこをアラモにしたのかもな。イチ、どう思う?」
同じく廃墟観測に励んでたドワーフ&お医者様も同じ疑問を感じてたらしい。
どうかと言われればこう返すしかない、テュマーの色にかけて――
「黒だな、綺麗に残った建物に守りができてるなんてテュマー向けの物件だ。おまけに道路に転がったやつらのことを考えれば……」
書店には間違いなく敵が潜んでるってわけだ。
そう広がれば、俺たちは自然と屈んで路上の車に寄りすがった。
向こうとは200mほどの開きがある。気づかれてないのか攻撃はまだ来ない。
そんな時だ。ふっ、と向こうから流れる風が首筋に触れて。
「……ご主人、あそこからテュマーの臭いがする」
うちのグッドボーイが敏感に気づいたようだ、犬の手が屋上をさしてる。
やっぱりいやがったか。さっそくのニクの活躍に俺たちは感心混じりに笑った。
「ニクのセンサーにも引っかかったぞ。残念だけどただのお買い物じゃ済まないらしい」
「なあに、はなっからそのつもりだぜ俺は。しかし本屋の屋上に敵ねえ……防犯対策ばっちりじゃねえか」
「よっぽど本が大切だったんすよきっと、どうするっすか皆様ぁ」
錆びたピックアップトラックの裏での協議の結果、タカアキとロアベアと揃って出てきたのは軽口だ。
試しに身を乗り出して突撃銃を構える。
そこにライフルグレネードの射線を重ねるも、地形や高さの兼ね合いや土嚢に阻まれて無駄になるだけか。
「……おいクラウディアの、お前さんならあそこまで忍び込めるかの?」
どうしたものかと考えてれば、何か思いついたのはスパタ爺さんだ。
あの光景にダークエルフの身軽さがちょうどいいとばかりに本人の顔を伺ってる。
「ふむ……曇りで少しどんよりしてるのがちょうどいいな、それに地形の起伏も使えば横から回り込めるぞ。ニク、地上から匂いはするか?」
クラウディアの返答は単純だ、ひとっ走りするつもりで得物に矢を番えてた。
「……ん、しなかった。でも多分中にいっぱいいると思う、テュマーがいたらもっといると考えるべき」
「なら好都合だぞ。あの構造だと店内からは正面しか見えないし、周りを見渡せるのは屋上だ。転移したせいで地形に恵まれなかったようだな」
「クリューサ、こいつやる気らしいぞ。無関心そうな顔してるところ聞くけど行かせていいのか?」
「こういう時は本能のまま生かせてやるのが適切だ。好きにしろ」
「だってさ。オーケー、ダークエルフらしく頑張ってきてくれ」
保護者のお医者様も「どうぞ」とばかりに見送る顔だ。
ゴーサインを送れば、あいつはさっと横に抜けて。
「じゃあ行って来るぞ。今から屋上へよじ登って仕留めてくる、合図を送るまでそこで待ってるんだぞ」
「待ってるだけでいいのか?」
「ここはフランメリアだ、我々のホームグラウンドに迷い込んだことを後悔させてやるさ」
ずいぶんと自信たっぷりなセリフを残して行ってしまった。
気づけば軽やかな走り方で曇り空を抜けて、地形の高低の中に褐色肌が消えた――頼もしいやつだな。
「……俺も言ってみたいな、得意げな顔で「ホームグラウンドだ」って」
「わはは、お前さんも長らくここに暮らせばわしらみたいにそう言えるようになるさ。これからもこの世で精進することじゃな」
「そうする。一応何かあった時のために動けるようにしとけ、このまま監視しながら知らせを待つ」
全員で車の残骸に身をひそめたまま、事の成り行きを見守ることにした。
それぞれの得物を傍らに双眼鏡を覗いての様子見だ。
今のところ向こうの様子に変化はないが……。
「クラウディアの姉ちゃんすげえなオイ、ちょっと目離したら見失っちまったぞ」
「そういうやつだ。あいつのアクティブさにはお医者様も毎日振り回されてるらしいぞ」
「この世界に来てからあいつはいつもの倍は元気だ、そうなると俺の苦労がどれだけ増したかお前たちでも分からないか?」
「一蓮托生ならお前の苦労も倍だろうな」
「いいパートナー持ててよかったじゃないのクリューサ先生。どうかお幸せに」
「そのいいパートナーに毎日毎日食い歩くために振り回されてるんだが、ここのどこに幸せを見出せと? くそっ、一つ恐ろしいことを教えてやるがダークエルフ族はみんなあいつみたいなやつなんだぞ?」
「一族みんな大食いってことか? そりゃ怖いね」
「え? みんなあの人みたいなん? 逆に見て見てえわ俺」
「クラウディア様そっくりな方々いっぱいいるんすか? 面白そうっす!」
「ああそうだな、暴食具合も同じなら人の顔色に対する物言いも同じだ。家族どころか一族揃って俺を病などと言いやがって」
クリューサの(本気の籠った)苦労話を聞いてやれば、視界にふと褐色が映る。
北西側の草原を抜けて、横合いから通りに踏み込んだダークエルフがいた。
残された車の間をするっと転がり、低くした背で這って、倒壊した建物に沿って書店に向かっていく……。
「……むっ、立ち止ったな。あの動きは……メッセージでも書いとるんか?」
そんな姿をじっと見ているスパタ爺さんは首をかしげてる。
しかし疑問はすぐに溶ける。ぴこん、と着信を手元に感じ。
【ぜったいに動くな。さっき横から見たが屋上に狙撃手がいたぞ、お前たちが射線に入るまで土嚢の隙間からずっと狙ってたようだぞ】
聞きたくなかったような、聞きたかったような、実に嫌な答えが送られてきた。
屋上でこそこそしてやがったか。俺は周りに促しつつもっと頭を低くした。
「その通りだ、あの土嚢陣地に狙撃用の穴でもあるみたいだ。小銃かなんかでこっちを狙ってたらしい」
そういってさっきの判断に安心した。ずかずか踏み込まなくて正解だったか。
しかしダークエルフの知らせは「ぴこん」で続き。
【それから建物の中から足音やら聞こえる。お前たちに感づいて動いてるようだ】
【つまりすぐ近くで敵がうじゃうじゃか、無理するなよ】
【造作もないぞ、ちょっと屋上の敵を仕留めてくる】
【どうやってだ】
【後ろに崩れかけの建物があるんだが、そこがいい感じに足場になっててな。任せろ】
そのメッセージを最後にクラウディアがまた動く
また姿を消したと思えば、しばらくの沈黙と無変化を過ごすことになった。
みんなで大丈夫かと心配するような雰囲気が出てくるのも仕方ないだろう。
*ぴこん*
まあ、それもすぐに着信音がかき消した。
【小銃持ち三名がいたぞ。気づかれずに仕留めた】
……と、曇り空に見舞われた屋上の様子も送ってきたからだ。
コンクリートのそっけなさの上で、土嚢に囲まれぐったりうつ伏せの黒さが三つ。
迷彩服を着たテュマーたちが道路にむけられた穴から狙いを定めてたようだ。
「やったってさ。マジで狙われてたぞ俺たち」
「ん……ほんとだ、クラウディアさますごい……」
「スコープつき小銃が三つね、俺たちのことじっと観察してやがったってか?」
「お見事っすねえ、あひひひっ♡ じゃあうちらも行くっすか?」
「ようやるわダークエルフめ、これでこっそり殺しにゆけるな。ゴー、じゃ」
「ウェスト・ヴァージニアもタチの悪い人種がいたようだな。流石は狩猟文化が根付いた州だ、死してなお俺たちで狩りをするとは」
そんな様子に思い思いに口にしつつ、見張りの消えた書店へとすぐ移動した。
このシチュエーションなら「お静かに」だろうな。
カービンキットを抜いて展開、自動拳銃を差し込んで消音器もねじ込めば物静かなお友達の完成だ。
「タカアキ、こいつを使え。どうせお前こういうの持ってないだろ?」
まあ、今日の持ち主はタカアキだ。
そいつをパスして代わりに抜いたのは弓だ――久々だな。
「っととと、悪いな。なんだこれ小銃か?」
「自動拳銃に組み込むカービンキットだ、ドワーフが作ってくれた」
「こんなもんも作るなんてすげえやつらだよ。俺も今度作ってもらおうかな」
「おいお前さんら、そろそろじゃぞ。起こさんように静かにしとけ」
スパタ爺さんもこんなこともあろうか、とばかりに背の得物を手にしてる。
滑車も交えつつ後ろに強く反ったリムに、弦と繋がったレバーが後ろに伸びたクロスボウのようなものだ。
下部には筒状の弾倉がくっついてる――レバーを引けば「かきっ」と装填完了。
「かっこいいクロスボウだな」
「テュマーのこと考えて作った試作型じゃよ、実験はまだしとらんがな」
「これからするつもりか?」
「正解じゃ、ゆくぞ野郎ども。寝る子はおこすなよ」
得意げなドワーフ顔を背に、弓を手に書店へと近づいた。
車の間をそろりそろりと抜けた先で、軍用トラックの長さに遮られた入り口がようやく見えてきた……。




