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46 手術&昼ごはん


 負傷者の列が次々捌かれていく姿に見とれていると、


「起きたかい、お寝坊さん」


 急に威圧感のある姿と声を感じた。

 振り返ると肩のあたりに包帯を巻いた、あの背の高い老人がいた。


「……おはよう?」


 俺は噛んでいた干し肉を飲み干した。


「おはよう、ね。それにしちゃ寝すぎじゃないかい?」

「どれくらい寝てた?」

「二日もぐっすりさ、あともう一日で棺桶に入れるところだったよ」

「……は? 二日!?」


 言われてPDAの画面を見てみた。

 データの項目にプレイ時間――もといこの世界に来てからの日数が表示される。

 まだ二十一日目だ、時間は午前十時を示していた。


「……マジかよ、ずっと眠ってたのか?」

「そんだけ寝れば元気になったろう。さあ行くよ」


 いろいろと考えようとしたところに、いきなり何かを手渡された。

 ゴム手袋にマスクに、ガーゼやペットボトルがまとめられたものだ。


「行くってどこに?」

「あんたの犬のところさ、今からちょっとした手術をするよ。なに心配しなさんな、誰でもできる簡単なお仕事さ」


 手術だって?

 あのクソみたいな毒から立ち直ったばっかりの病み上がりなのは別にいいとして、つまり手術に立ち会わせるってことなのか?


「手術って……まさかあいつの? 助かったんじゃないのか?」

「確かに一命はとりとめたがまだ苦しんでるところさ。だからあんたも責任もって手伝いな。心配しなさんな、あんたがやるのはあくまで手伝いだ」


 耳に刺さる言葉を聞きながら移動すると狭い通路に出た。

 途中の壁に『お買い物は地下三階で!』と張り紙がある、ここは地下なのか。


「……あの犬は大丈夫なのか?」

「毒で死にやしなくなったが、ひどい脱水症状と疲労で苦しんでるところさ。今日やっと容態が安定してきたんだ、今のうちにやるよ」


 置いていかれないようについていくと通路の途中に扉が見えた。

『手術室――隠れてヤる場所じゃないぞ、ヤるなら外でやれ』と張り紙がある。

 それはまるで開けてはいけない扉のように見えた。

 この中に苦しんでいる犬がいるかと思うと、想像して怖くなってしまった。

 それに医療だなんてさっぱりだし『応急処置』スキルもゼロだ、俺なんかに――


「でも俺、手術なんて……」


 思わずそう口にしてしまうと、大柄の老人は振り向くなり詰め寄ってきて。


「おい、新兵」


 ひどく威圧的な低い声で俺を呼んだ。

 あと少しでも腕を伸ばせばまた胸倉をつかめるといった距離だ。


 いっそ、そうしてくれた楽な気がした。

 背中でもケツでも蹴飛ばしてこの部屋の中に無理やり押し込んでくれれば、自分の足で入るよりどれだけ気が楽なのか。


「大丈夫。私を見るんだ」


 ところが伸びてきた腕は俺の襟首を掴むことはなかった。

 それどころか今、自分の両肩にはずっしりとした両手が置かれている。

 顔を上げると……ただ誰かを叱責しようとしているだけの老人の顔があった。


「いいかい、あんたはあの子の飼い主だ。あんたの境遇や人生がなんだろうと知ったことか。最後まで責任を持ちな」


 その一言は罵倒されたり同情されるよりもずっと効いた。

 そうだ、この人のいうとおりだ。

 言われてようやく気付いた、自分の足で踏み込まなければいけないと。


「……了解」


 覚悟が決まって、扉を開けた。

 清潔な空気に混じって何かが発酵したような悪臭が流れ出てきた。

 周りには薬品だらけの棚や、いかにも手術に使う道具が一通り乗った台に――


「見てみな、イチ。今のあの子の姿だ。目をそらすんじゃないよ」


 寝台の上で変わり果てた黒い犬がぐったりとしていた。

 目は開きっぱなしで、いつも開いていた口は硬く閉ざされている。

 べったり伏せた頭から背中を目で辿れば、まるで犬という生物から外れてしまったかのように背中がぱんぱんに腫れあがっていた。


「……どうすればいい?」


 言われたとおりに目はそらさなかったが、あんまりだ、吐き気すらしてきた。

 相手がゴム手袋とマスクを着けるのを見て、俺も真似するように身に着けた。

 近づくと黒い犬から高い鼻声が聞こえた。まだ生きている。


「処置に必要な道具は全部そろってる。あんたは言われた通りにやりな」


 傷のあたりからマスクを貫くようなひどい匂いを感じる。

 老人と一緒に犬の前に立つと、後ろでがちゃっと扉が開いた。


「……おま、たせ?」

「待ってたよ。さあ、さっさと終わらせるよ」


 ぼさっとした髪でジト目の女の子――サンディだったか。

 手早く準備をすると彼女も加わった。

 ゴムに覆われた手で、どこか遠くを見る犬を優しく撫でている。


「まず患部を洗浄だ。止血用のガーゼとかも準備しな、それからスティムを二本手元に。イチ、そこのメスで縦に切開しろ」

「せ、切開って……こうか?」

「違う、針を突き刺すように……もういい。サンディ、代わりにやりな。あんたは生理用食塩水とガーゼ持って待機だ」


 いつの間にか処置が始まっていた。

 そうこうしてるうちに犬の背中に、メスを持った褐色の指が近づいて……。


「……うわ、昼食前にこれはきついね。ろくでもない毒だよ相変わらず」

「……すごい、量だね」

「……うぁっ……」


 メスの先端が軽く患部をなぞった直後、カスタードクリームと血を混ぜたようなドロドロとしたものが噴水のように――


「もっと切開だ。イチ、ボトルを開けな。いわれたとおりに洗浄するんだ」


 発酵に失敗した乳製品みたいなひどい匂いがして吐き気がした。

 だけど死んだようにじっとしている犬の顔を見て――とにかく申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。


「……ごめんな」


 仕事を全うしよう。それが今できる償いだ。

 そう謝って自分にできることをした。



 犬の処置は二時間ほどで終わった。

 何をしたのかはあんまり覚えちゃいない。

 傷口の中を洗浄したり、動き出した犬を抑え込んだり、ひたすら患部を拭いたり……言われたことをこなすだけであっという間だった。


 あの処置が正しいものなのかは分からない、なぜならここはまともな医療機関もないような世紀末世界だ。

 俺にできるのはこの世界に従うことと、助けてくれた二人に感謝することだ。

 それしかできなくて、自分が大嫌いになっていた。


 まただ、また漠然に流された。

 固く定められたルールもこれから行く道筋も考えずにただぼーっと進んでいただけの自分が憎たらしい。


 ――俺は生まれてきてから二十一年間、何をして過ごしてたんだ?


 そうだとも、カルトども相手に調子に乗った俺はあの神父を殺して、犬を巻き込んだ挙句この町にやつらを連れ込んだ。

 現実の――いや、元の世界でどうにか生きていけたのも、タカアキという親友が狭い橋から外れて落下死しないようにリードしてくれたからだ。


 この世界で何ができる?

 殺して必死に生き延びるしか能がない。

 役立たず。なんにもできない臆病者め。


「おい、余所者。こんなクソ狭い通路で座られちゃ邪魔だ」


 誰かに言われて、はっと気づいて顔を上げた。

 見上げるとこの町の住人がいた、少しだらしなさそうな赤毛の男だ。

 それに比べて俺は、手術室の外でずっと座り込んでいたみたいだ。


「あ、ああ……ごめん」

「終わったんだろ? そのマスクと手袋外しとけよ」


 言われて気づいた、膿の臭いが移ってしまったそれをあわてて脱ぐ。

 すると向こうから手が伸びてきて、二つとも持ってかれてしまった。

 相手の顔はなぜか困ったように笑っている。


「……これは先輩からのアドバイスなんだが、ここじゃあんまり泣かないほうがいい。周りのやつらに馬鹿にされっからな」


 そういって去ってしまった。

 腕で目のあたりをぬぐった。

 頭を持ち上げると、通路の奥からトレイをもったおばちゃんの姿が見えた。


「こんにちは、コーンフレークさん。こんなところにいたのかい?」


 人当たりのよさそうな穏やかな顔つきの女性だ。

 ただまあ、何というか腰のあたりは物騒だ、でっかいホルスターに切り詰められた散弾銃が刺さってる。


「えっ……な、なんでしょうか」

「ほら、遅めの昼食だよ。うちのボスからの差し入れさ」


 びびっているとトレイが差し出された、上にはいろいろな料理が乗っている。

 加熱調理された豆やトウモロコシやカボチャ、照りのある何かの肉、肉くずと炒められた角切りのじゃがいも、そして見たことのない真っ赤な果物といった品ぞろえだ。


「プレッパータウン特製の炭水化物セット『太った三姉妹』だよ、いっぱい食べな……ってなんだい、食欲がないのかい?」

「あ、いえ……ありがとうございます」

「次からは自分で取りに来るんだよ。しっかり食べて元気だしな」


 トレイを受け取るとおばちゃんは来た道を戻っていった。

 廃墟で手に入れた食べ物とは違う、人の手が加えられたちゃんとした料理だ。

 いい匂いがする、見ているとやっと空腹感が戻ってきた。


『いちサン……大丈夫? どうかしたの?』


 料理を持ってさっさとこの場から離れようとしたらあの声がした。

 まさかと思って振り向くと……目に映ったのは、短剣をホルスターに収めたあの老人の立っている姿だった。


「まだそんなところにいたのかい。立ちな、そんなとこにいると踏んづけちまうよ」


 手には俺と同じトレイを持ってる。

 さっきとは違って顔つきは柔らかい、やることやって落ち着いているという感じなのか。

 この人は恩人だ。そんな相手を見て少し迷って、トレイを置いて立った。


「……ありがとう、ございます」


 姿勢をまっすぐにして頭を下げて、今できる限りのお礼を言った。

 感謝の気持ちがどうにか伝わってほしいという気持ちでいっぱいだった。

 すると相手からくすぐったさそうな息が漏れた気がして。


「いいってことさ。ほら、食事の時間だよ。外で食べようじゃないか」


 その人は歩き始めた。

 トレイを拾ってついていくと、階段のようなものが見えてきた。

 壁のプレートには『地下二階』とある、ということは――

 

「あの、質問があるんだけど……ここはどこなんだ?」


 階段をのぼりながら相手の背中に尋ねる。

 上る途中に地下シェルターの構造図が張り付けてあった


「本当のプレッパータウンだよ、地上は付け合わせのポテトみたいなもんさ。まあ別荘があったんだが、一昨日きれいさっぱりなくなった」


 階段をのぼった先にはさっきよりも広めの通路が見えてきた。

 モニタールームや兵舎と書かれた部屋が幾つもあるみたいだ。

 そのまま通路の奥へ進もうとすると、


「ボス、ちょうどいいところに。報告が二つほど」


 無線室と書かれた部屋からメガネをかけた若い女性が早足に出てきた。


「ああ? なんだい? これから昼飯だっていうのに……」


 目の下に隈を作った女性に、ボス(・・)はだるそうに答えている。

 この老人はかなり慕われてるようだ。


「さっきシド・レンジャーズから連絡が。シエラ部隊が暴れてるから当面安心しろとのことです。あとできたら余剰弾薬よこせ、ですって」

「あいつらが暴れてるならもう大丈夫だね。オーケー、回収した弾薬はクソみたいにあるからいっぱい渡しておきな」

「それからシド将軍から伝言です、無理するなと」

「生意気言うんじゃないよクソガキって返答しておきな」

「了解しました。あとブラックガンズからも報告が来てます。また向こうで異常事態が発生したそうで」

「なんだい、動く骨が襲ってきたっていうのなら聞き飽きたよ」

「また農場にじゃがいもが植えられまくっていたそうです。見たことがない品種で非常においしいとか」

「またかい。まあいいさ、誰の仕業か知らんけどおかげで食い物には困っちゃいない。あんたらも仕事が終わったらさっさと飯食いな」


 面倒くさそうなやり取りが終わると、通路の奥にある階段へと一直線。

 見たことのある階段だ、はじまりのシェルターにあったあれみたいな。

 食べ物をこぼさないように昇っていくと――開きっぱなしの扉が頭上にあって、そこから光が見えてきた。


「ようこそ、ニルソンへ」


 登り終えた先にあったのは見慣れた外の世界だった。

 戦火にさらされた町並みと、遠くに広がる乾いた荒れ地と山の姿。

 なんてことない、いつものウェイストランドの姿だ。


「……どうなってるんだ?」

「どうなってるも何も、本当の住処はあっちさ。この町のご先祖様が150年前に作ったあのシェルターこそがプレッパータウンなんだよ」


 軍人のように背をまっすぐ伸ばした老人は外に置かれた車に近づいた。

 カルトどもが使っていたはずの、魔改造された哀れなスポーツカーだ。

 尖った丸太は外され、代わりに料理の乗ったトレイが乗せられている。


「……さて、飯の時間だ。良く噛んで食べな」


 先割れスプーンで料理を口に運ぶ姿を見て、俺も食べることにした。

 ドアにもたれかかるように背中を預けながら、焼かれたカボチャやトウモロコシを一口――信じられないぐらいにうまい。

 肉はバーベキューソースが塗りたくられてるが、甘くて辛くて酸っぱくて噛むと肉のうまみが舌を覆いつくすほどだ。

 欲を言えば肉はもっとあってもいいが、どうであれこれはこの世界に来て初めて食べる「人の作った食事」だった。


「食いながらでいい、あんたに答えてほしいことがあるんだが」


 必死に味わっているところ、突然そういわれて手が止まった。

 見ればこっちにミセリコルデが鞘ごと突き出されている。


「……答えてほしいことって?」

「この子からいろいろ聞いたのさ」

「いろいろ?」


 沈黙している物言う短剣を見て――注意深く、それを受け取る。


「あんたらがこの世界の人間じゃないとかね」


 その言葉を聞いて食欲と一緒にスプーンを掴む手が止まってしまった。


「……ミセリコルデ、どこまで話したんだ?」

『……ご、ごめんなさい。話してほしいって言われて……」

「こいつを許してやってくれ。私にも知らなきゃいけないことがあるんだ」


 俺たちの置かれている状況を教えたってことか?

 そんなこと誰かに話したってそもそも信じてもらえるかどうか怪しいだろ?

 場合によっちゃ不都合なものまで招いてしまうかもしれない――


「イチ、だったか? どうか私に話してくれないかい?」


 そう思ったが、目の前の老人は本気だ。

 何を言っても受け入れてくれそうな目をしていたからだ。


「……どこまで話せば」

「可能な限りでいい。無理なら話さなくていい」


 焼かれた肉に先割れスプーンを突き刺して、顔を上げた。


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