67 クラングルの地下に世紀末は走る(2)
「我らが神を脅かす者たちが来たぞッ! いっ急いで師に伝えねば……!?」
そいつがこの世に似つかわしくない階段を下り切れば、その倍のペースで追いつく。
神混じりの喚き声に導かれれば、深みの光景はますます妙だ。
先で光沢のある平たい地面が続いて、そこまで十メートルはあろう天井が太い管を行き交わせてる。
まっすぐ正面に【EVカートシステムオフライン】とある電子看板が一つ、そして左右には――
「おいおい、地下鉄かこれ!?」
「あのゲーム固有の地下交通システムっていうやつだ! 電動カートで各所を移動できんだよ!」
「じゃあ俺の仕業だな!」
白い床に連なった浅い線路が、クラングルの南北に道のりを伸ばしていた。
そう大きくないもないトンネルが前に後ろに続いて、一見すれば地下鉄の構造にも見える有様だ。
そこに上半分を損ねた大型乗用車ほどが乗って、この地下を走り回るのだと嫌でも表現してる。
誰かさんが今日もやらかした証拠だ、総じて大問題である。
『……何事ですか同志ウェルディ!? まさか神に背きし者たちに聖域の存在が……!?』
「いいからっ! 早くっ! 門を閉ざせええええッ!」
世界観を損ねる光景で白い姿を追いかければ、逃げる人柄がまた階段を駆ける。
天井までの高さを生かした歩道橋があって、そこに同じ身なりがまた一人いた。
だがこっちに気づくなり二人で猛ダッシュだ、奥に続くどこかへ向かってく。
「くそ……っ! 武器持ってくりゃよかったな!?」
「今度から奥さんに拳銃ぶら下げていいですかって聞いとけ!」
「お前は何か持ってないのか!?」
「そのままそっくり返したら怒るか!?」
「ならお前も怒っていいぞ畜生! 今日からカウンターに銃隠してやる!」
「だったら機関銃ぐらい置かせてもらえ!」
後悔もたっぷり交えてそいつらを追い続けた。
店の配慮が働いてこうしてカルト相手に手ぶらだ、次から散弾銃ぐらい持参させてもらおう。
レールを横切る橋を越えれば、戸惑う白さが必死な足取りを更に急かして。
「同志たちよ! お急ぎなさい! 悪魔たちがもうそこまできています!」
「冒険者どもめ! 我々の儀式の邪魔をするというのか!? さあ早く!」
「あっ、あの馬鹿げた姿は隣のパン屋の奴らだ! 師に伝えねば――早くここを封鎖しろ!」
向こうにどこかへ通じる扉があった。
待ち構える仲間が逃げる姿を大げさに招いてる。
そいつはさぞぎょっとした顔だが、すぐにそばの壁へすがるように触れた。
【緊急用】といかにもな赤色のレバーだ、入り口に素通しシャッターが落ちていく。
二人分が「うおぅ!」とか声を上げて飛び込むのが見えて――
「おい、引き返すつもりは?」
「逃がすつもりもねえよ、お邪魔すんぞ!」
俺たちの判断材料は視線を一瞬交えれば十分だ、わずかな隙間めがけて潜る。
世紀末世界の乾いた埃を拭くように、足から自由な形でずるるっと押し入った。
けれども、向こうはまさかここまでされるとは思わなかったようだ。
誰もが言葉を詰まらせ狼狽え、扉を閉じた張本人は「あ、う」と後ずさり。
「き、貴様ら……! 我らが聖域を汚しにきたのかァァッ!?」
「いけっ! ここが我々が食い止める! 白き神様の妨げがあってはならん!」
「わ、分かりました……! あ、あなたがたに白き神のご加護を!」
さっきまで背を見せていた人種二人が立ちはだから。
どこかに隠してたのか、衣から棍棒と短剣がすっと抜かれる勢いでだ。
先端に丸みを蓄えた鈍器と装飾混じりの刃先は、不慣れに俺たちにむけられた。
「――殺したらまずいか?」
「――やっちまった時の言い訳考えとけよ」
構わず二人のご加護にまっすぐ押し入った。
幼馴染が短剣の切っ先に駆けた、同じ足取りで上がる棍棒に向かう。
同時の動きに向こうが足取りを引かせる――黒光りする重みが力んだその瞬間。
「悪いな、こういう手合いは加減しづらいんだ」
「あ、そ。じゃあ俺も遠慮しねえからな」
「なっ――!?」
並走していたタカアキと交差、進路をするっと交換した。
視界の傍らでメイスが空振りする直後、次に見えたのは刃物に戸惑う素人だ。
「ひっ――く、くるな悪魔ッ」
びゅっと目の前が切り裂かれる。間合い不足で成果は空気だけだ。
そして人に対するお言葉は相変わらず「悪魔」あたりか、ならその通りお前に地獄を見せてやる。
「よお、ご加護を確かめてやるよ」
間合いを詰めた、そこに「うわああああ」と滅茶苦茶なナイフの軌道がくる。
慌てず留まり、足で手の動きを蹴り払う――【レッグ・パリィ】だ。
得物がかつっと宙を舞った、煌めく装飾のきらめきにそいつの意識が動き。
「よっっっ……とぉぉぉぉぉッ!」
幼馴染も空振りした相手の横合いにぎゅっと回り込み――
「いっっぎゃああああああああああああああああああああああッ!?」
腰を抱きしめてのバックドロップをお見舞いだ。
神のご加護は重力に逆らえなかったらしい、すごい格好でそいつが倒れた。
「あっ――や、やめろ私は神」
「おらああああああああああぁッ!」
そこへあわせて、ナイフ持ちの信者の首に回し蹴りを落とした。
神は熱心な信者を見捨てたみたいだ、いい感触でどさっと倒れる。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいっ……! 悪魔だ、悪魔が我々のもとにぃぃぃぃぃぃぃぃ……!」
次はどこだ、逃げるもう一人がいた、白い衣をばたばたさせて逃げてる。
後ろは退路なし、進んでぶちのめすのみが俺たちに残された道だ。
「そういえばウェイストランドでも悪魔呼ばわりされてたな!」
「だったら悪魔の一撃お見舞いしてやれ! 今日は俺も悪魔だぜぇ!」
通路の明るみを大慌てで走るおっさんを悪魔二人で追いかけた。
電子公告が【本日特売中!】と表すところで、幼馴染がニヤっと何かを投げてくる。
不幸な形ですっぽ抜けた鈍器だ、ぎゅたっと床を踏んで身体の半分を絞り。
「オーケー! 死にたくなきゃ神に祈れ、ってなぁぁぁッ!」
背中を丸めて逃げすがるそこへ、遠慮なくぶん投げた!
殴打用の質量が新たな持ち主へと届けられたようだ、首上の当たりに直撃。
「おごう!」とすごい声を上げて転んだ、死んでようが生きてようが知らん。
「な、なんの騒ぎだ!?」
「おい、さっきの声は何事だ……って待てなんだこいつら!?」
そうして苦しそうに倒れた信者を踏みにじれば、奥からまた新しい顔だ。
事情が分からぬまま大声に導かれた何名様かが武器を手にしてる。
だけど駆けつけてきた援軍はこうしてばったり会って、口も足も止まったままで。
「見学希望者だ――で、こいつがお布施だ受け取れクソが!」
ぐったりするやつを蹴って棍棒を回収、そいつらの先頭にぶん投げた――!
「し、侵入者だ! 我らが神をけなおごふぅぅ!?」
結果は口上すら述べさせず一方的なご挨拶だ!
鼻と口ごと『侵入者歓迎の定番台詞』を黙らせた、痛そうだ。
するとそいつを押し退けて、別の誰かがぐらっと割り込んでくる。
「冒険者か!? き、貴様らッ!? 白き神へのその冒涜、決してゆるされ」
啖呵を切った剣持ちだ、神への言葉をおっ始めながら切りかかってきたが。
「うるせえんだよボケがァ!」
幼馴染の跳躍がいいところで遮った、ドロップキックという表現法だ。
遠慮のない体重の乗せ方で、そいつは「ぐえっ」と地面を弾んでいった。
こっちに躊躇うやつを発見、駆け寄って殴る、殴る、蹴るの三連続で突き飛ばす。
「どうして我々の居場所が……まさかウェルディの奴め、しくじったのか!?」
また一人打ちのめすと、ちょうど怒り狂うご老人を見つけた。
短い槍をがつっと立てて立ちはだかるものの――あの時のお爺ちゃんだ。
こんな戦いの営み中だろうが、お互い手がぴたっと止まるのも仕方なかった。
「はっ!? き、貴様は!? もしやあの時の……」
相手の真ん丸の目が「まさか」と言いたげだが。
「また会えたな。この前はいい教訓をありがとう、こいつはお礼だ」
すたすた寄って、得物の柄をひったくるついでに横蹴りを叩き込む。
肋骨内側をぶち抜く感触がした、偽りの預言者は重たく膝をつき。
「ひっさああああああああああっつ! ダイナミック☆添い寝ェェ!」
「なんなんだこの変な眼鏡は!? く、くるなうわあああああああ!?」
通路の乱戦をすり抜けたタカアキが、別の信者にまたとんでもないものをお見舞いしていた。
相手を軸にくるっと回り込み、首に腕を回して二人仲良く床にジャンプ&ドロップだ。
「あっっっっおごっっ!?」
背中からのダイブに道連れにされた頭部がごしゃっといい角度で潰れた。
これなら床のぬくもりに不眠症も治りそうだ。
さすがにここまでくると、残ったやつらは「ひぃっ」と尻もちをついて。
「ひっでえ技しやがって、死んでないかそいつ」
「死んだなら身体もっとぴーんってしてるから大丈夫だろ、ほれ先行くぞ」
「お、お前たちぃ……!? わ、我ら白き神の寵愛を受けし教え子たちにこんな真似をしてただ済むと」
残念なことに、その一人が幼馴染の足癖の悪さの犠牲になった。
落ちていた槍を拾い上げつつ、げしっと顔を踏みつぶす。
人間の尊厳を床に叩きつけられたせいで、詰まった声がそいつの最後になった。
「この様子だとまーだいっぱいいるだろうな。どうする? タケナカパイセンたちに「助けてくれ」とでも送ろうか?」
そして拾った短槍をこっちに渡してきた。
「突くなり投げるなりお好きなよーに」という一言もついてくる。
「そうして貰いたいけどな、助けてもらおうにもどっから助けが来ると思う?」
それから一掃したあたりで立ち止まった。
振り返れば頑丈そうなシャッターが二段構えで降り切っており。
【暴徒用シャッター展開中。開閉制御装置に致命的なエラーを検知、地下交通システム管理者にお問い合わせください】
なんなら電子的な画面のブルースクリーンが帰り道を固く塞いでる。
遠目でも分かるウェイストランドのずさんさに溜息が二人分だ。
こうして武器が渡ったところで退路なし、敵のど真ん中に向かう以外許されなくなったわけだ。
「北西だろうなあ、この調子だときっと他にもアクセスポイントはあるぜ」
「そうなるとこっちから探すのが一番ってことか」
「ああ、とりあえずさっきの道は使えねえだろうな」
「あれってPDAでどうにかできない類か?」
「管理してるのはあの画面じゃねえぞ、たぶん奥のどっかだ。つまり乗り込む以外ねえわけだよ」
なら仕方ない、生死不明の連中を残して進んだ。
ついでにタカアキが「これ着とけ」と白い衣を押し付けてきた。
渋々被れば今日から白き民の教え子だ、また白いものを被る時が来るなんて。
「まーた白い格好か……」
「お? なんか前例あった系?」
「あった系、白い格好した馬鹿どもは三度目、変装するのが二度目だ。ホワイトウィークスのやつらが懐かしいな」
「そりゃ災難で。だったら潰すのも三度目になるんじゃねえの?」
「そうしたいところだ」
信者に成りすました仲で奥を目指せば、そこからまた眩さを感じた。
壁に流れる広告や頭上のモニタが陽気に先を案内していて。
【アーロン・アンダーグラウンド・スーパーマーケットへようこそ!】
と、汚れたガラス越しの風景を文字と動画で補ってた。
自動ドアを抜けた先に映るのは――あろうことか説明通りだ。
少し低く感じる天井の下、広く取られた面積に陳列棚やらが押し込まれてた。
150年以上経ってもなお健気な照明が、十分な商品の数を残す店構えを照らしてる。
「……地下にスーパーマーケットだって?」
次第に日本人に馴染みのないタイプのレジやら、無駄に多く作られた冷凍庫の数々も見えてきた。
【冷凍ブリトー特売中!】という紹介の後ろでは、店内の機械が息苦しそうに稼働音を響かせてるようだ。
「あっちの世界じゃひどくなる地上よりも地下に希望を見出したやつが沢山いるのさ。お前のスタート地点だってそうだったろ?」
「実際は地下もひどくなったような場所ばっかだ」
「まあな、そんな浅はかな考えじゃ根本的な解決にはならねえさ」
タカアキ曰く、ここに間違いなく【G.U.E.S.T】の流れがあるそうだ。
あいつは白い格好のまま、入って間もないところのレジ周りに目をつけたらしい。
そして「おいおい」としかめっ面だ、気になればレジの向こうが示された。
「……んで、こっちに回ってきた地下スーパーが今じゃ何かに使われてるらしいな。たぶんマジでそういうのやってんじゃねえか?」
幼馴染のサングラスを追えばそこにあるのは木箱が一つ。
棺桶みたいな、という表現がぴったりだ。身体を閉じた人間ならきれいに収まる。
「つまりこういうことか? 俺が持ち込んだウェイストランドの地下スーパーが今じゃこうして儀式を執り行う場所になってて、マジで神かなんかがいやがると?」
もっとも、蓋には歯車の印がきっちり刻んであるわけだが。
最悪なことに馬車で運ばれたくだりの情報を絡めればまさに一致である。
タカアキが「こっちで連絡しとく」と撮影を始めた、さて、周りを見るに……。
「……ここらには信者はいないみたいだな」
店内の明るさを一度眺めるも、この『地下スーパー』は妙に静かだ。
冷蔵ケースの駆動音がごーっと混じる程度で、そこに白い格好は見当たらない。
【いいか、月曜日はタコス、火曜日はタコス、水曜日もタコス、ええい面倒くさい、全部タコスの日だ! タコズ・ベルの熱々でスパイシーな料理を食いたくないかい? 今ならそんなもの、自動販売機で買えちまうのさ!】
あとは時々思い出したように、電子画面の広告がそう伝えに来る程度だ。
売り文句に構えば壁際に【タコズ・ベル・ベンダー!】と自動販売機がある。
モニタに包装用紙入りのタコスが原寸大で紹介され、三つのスイッチでお好きな味を選べるらしい。
「うーわ……タコズ・ベルあるよ……」
空中をいじってるタカアキの興味も引いたご様子だ、欲しがってる。
そんな幼馴染の様子にぴこん、と通知音があてはまった。
状況が伝わったのかニクからミコまで一斉に【大丈夫?】コールである。
「あのゲーム特有の商品らしいな、ご存じで?」
「ああ、賞味期限は無限、味はそこそこ、お値段一つ5ドルの物足りないタコスだって作中で紹介されてたぜ」
「なんだか購買欲をそそるような説明文じゃないな」
「フランメリアの飯の方がうまいさ。んで今向こうに伝えたけど、北西あたりを重点的に探すとよ」
「後でタコスおごってやるよ。南が封鎖したことはちゃんと伝わったか?」
「そりゃどうも。ぶち壊す暇もねえだろっていう点も送っといた」
少なくとも『できれば助けてくれ』という思いは地上に伝わったみたいだな。
問題は白き教え子たちに対する俺たちの「これから」だが。
「……クラングルの下にこんなもんが堂々と作られてるんだからな、たぶん他にも地上と通じる場所もあるはず」
「そう考えればあいつらが姿を見せたり消したりの理由も納得だな。北西に一つ、どっかにもう一つがあるかもしんねえぞ」
今はまだ静かな店内に、そっとした足取りで混ざっていった。
日本とは勝手の違うこのスーパーの規模はけっこうなものである。
倉庫さながらの品ぞろえが戦前のままあって、もし世紀末世界のどこかにあって独り占めできれば人生一回分の財でも築けそうだ。
もっとも、今じゃ変なカルトがこうして独り占めしてるが。
「なるほどな……飲み食いにも困らないわけだよ。だから楽園ってか?」
戦前からの遺物を見てると、ここで何があったのかもすぐ分かった。
商品ジャンル『甘ったるいお菓子』コーナーに最近のゴミが散乱してたり。
加工食品用のショーケースに食いかけがまずそうに放置されてたり。
無数の酒がさながら壁のごとく並ぶそこで空き瓶がご機嫌に転がってたり。
『パン売り場』とある場所には一世紀経ってもおいしそうなベーグルだのドーナツが――誰か食った跡がある。
「事情を知らないやつからすればいきなり食い物が現れたようなもんかもな」
「エナジードリンクと酒もな」
「冷凍食品にパンも売ってるぜ――おい、150年経ってもカビ生えてないパンがマジであるぞ」
「なんであっちの食い物はこんなにしぶといんだ?」
「チーズとハムも健在だぞ、確か保存技術が発達してるとかで賞味期限無限だって設定だ」
「今更だけど食っても大丈夫なのか、それって。つーか日本のスーパーに比べて品ぞろえが濃厚だな……」
「海外じゃこういうもんらしいぜ、お兄さんこんな場所で異文化知りたくなかったよ……」
間違いない、ここに住み始めた信者が飲み食いしてた名残がある。
あいつらのいう『奇跡』と『聖域』の理由がなんとなくわかってきたぞ。
突然こんなのを見つけて、しかも飯も酒もあれば楽園かあたりかもしれない。
「あいつらが強気にやってた理由もなんとなく理解できた気分」
「そりゃ衣食住事足りるだろうさ、世間への礼節はわきまえられてねえけどよ」
「これぞ白き教え子たちの楽園ってか、ジンジャーエールは頂いてくぞ」
「ギルマスもこんなのあるって知ったら胃がそろそろやべえかもな。コーラもらい」
「そうだ、エナジードリンクとドクターソーダも貰っとくか」
現に向こうのドリンクコーナーには空のペットボトルがころころ捨てられてる。
そして冷たいジンジャーエールも――貰った。
でも俺たちは何も地下スーパーを漁りにきたわけじゃないのだ。
脱出の手がかりとあいつらの行方はどこだ?
そうやって武器を携え、店内を物色しながら進んでいた時だ。
【救援信号送信中、エラー、救援信号送信中、エラー、メーデー、メーデー、メーデー、救援コードは国際標準……】
だいぶ進んだその先で、うっすら見えた広場にそんな言葉が嫌に伝わった。
遠くからでもよく感じ取れる独特な電子音声だ。
男性的な低さを持った調子が実に嫌な単語まで発してくれるとなると、動くはずの足もそりゃ止まる。
「……タカアキ、今の声はいいニュースだと思うか?」
「いいや、最悪づくしが見えてきた。今の声はどう聞いたって……」
最大級の「まさか」を嫌に思いつくと、タカアキもコーラ片手に嫌な顔だ。
『――どうか! どうか落ち着いてください! ああ、我が主よ! あの堕天使こそがあなたが処すべき存在なのです!』
そこに仰々しい調子の、他人耳からしても大げさに作ったような言葉が続き。
『Liberigu-min! Mi-Mortigos-vin!』
どこまで俺たちの最悪は続くんだろう、芝居めいたものよりもっと作り物の声も連なった。
【エラー、エラー、行動不能 *店内ステータスチェック* 冷凍庫――制御不能、セキュリティ制御システム――オフライン、クレーマー対処プロトコル――正常、店舗利益――大赤字】
『今に見ていろ堕天使よ! 貴様のその黒き穢れし肉体は白き神の慈悲によって浄化されるのだ! ああ、白き我が主! どうかその手を彼奴に向けるのです!』
『AAAAAAA! Mi-Mortigas-La-Homaron!』
それらこうして汚い三位一体を見せてるってことは、この『楽園』で地獄のような構図が行われてるに違いない。
二人で「うわあ」な表情の後、陳列棚の数々に隠れながらも声を辿れば。
「タカアキ、一応確認だ。あれって世界の終わりの儀式だと思うか?」
「いいや、エンディング迎えてるのはあいつらの脳みそだろうな」
「そうだな、ついでに人生も終わってそうだ」
「まさかあれが世界の終わりってやつ? 冗談じゃねえよ」
目と脳がバグりそうなへんてこな光景が待ち受けていた。
地下空間に「うちの店はこんなに広い」とアピールする無駄な広まりがあった。
その【最新のドローン警備型トイレはこちら!】と表される通路の中に。
【救援要請、救援要請、行動不能。メーデー、メーデー、非感染者に捕捉された、繰り返す、非感染者に捕捉された。店内利益――大赤字、店の評価――最低評価の星一つ】
あちこちに手足が生えた黒い塊がうじゃうじゃ波打ちつつ、見事に詰まっていた。
身動きが取れない今の身分を、電子的な赤い瞳が悔しそうに周囲に訴えてる。
「おい! もっと我が主を近づけさせんか! 乱暴でいい、堕天使に近づけろ!」
「し、しかし……師よ、我らが神が中々進んでくださらないのです!」
「どうか落ち着いて、どうか! 我々ではありません、あの黒き天使を断つのです!」
その離れた場所で偉そうにしてる白いご老人が一名。
目の前の機械的な化け物にびくびくしつつ、取り巻く連中に「早くしろ」と慌ただしく催促しており。
【MI-MORTIGOS-VIN,HOMARO!】
そんな忙しそうな彼らが苦戦してる相手は――なんてこった、白き民だった。
二メートルほどの背が鎖やらで高度な緊縛を受けつつ、必死に抗ってる。
信者たちはそいつを黒い塊にけしかけようと苦戦してるらしい。
装飾つきの剣を「どうか」と捧げる信者に、迷惑そうな白き民は自由をお望みだ。
「テュマーっぽいのと白っぽいのとバカっぽいのが揃ってるように見えないか?」
「俺にはこの世の馬鹿加減を寄せ集めたひでえギャグに見えるぞ」
「良かった、こっちもだ」
「ありゃテュマーの変異種じゃねえか、んで白き民にその教え子たちだって? なんでんなもんクラングルの下でお得なセットにしてやがる」
タカアキが悩むほどの現実がそこでひとまとめにされてるのだ。
テュマー以外の何物でもないそれに、白き民をあてがう信者たちがわーわー楽しそうにしてんだぞ?
いやそういうことか。クソ真面目に怪文書通りをなぞってやがる。
「……ちなみにタカアキ、あのでっかいのはなんだ? 前にもああいうの見たことあるんだけど、変異種だって?」
「ありゃテュマーが進化したやつと思え。他に食うもんなかったり、あいつらの気まぐれで同族食うとあんな風にマジモンのバケモンだ」
「謎が解けてすっきりだ――じゃああそこでテュマーに信者に白き民か、最高」
「最高だね、悪い意味でな。ぶち殺したくなってきた」
そしてまた一つ嫌な事実を知った。
以前にも見たあの黒い化け物は、テュマー人生が極まった個体らしい。
んで、なんでそいつがこうしてトイレの通路に詰まってるかって話だが。
「……あいつら堕天使がどうこういってたよな」
「堕天使が浄化されるとかの下りなら暗記済みだぜお兄さん」
「じゃあこういうことか? 楽園見つけたらトイレの前で立ち往生してる堕天使を発見しました、これはお告げに違いない、じゃあ白き神を連れて裁いてもらおう……ってアホ極まりない発想だ」
「お前の言う通りだったらこいつらマジでアホだぜ、トイレまでの道のりで詰まってるやつに奇跡を見出してるんだぞ。笑うわこんなん」
「あいつら、トイレを塞ぐ迷惑なやつをどうにかしようとしてるわけじゃないよな?」
「そうであったほうがまだ健全だろ、まったくなんて事実だ畜生」
あの怪文書を照らし合わせると、とても嫌なレベルで一致してしまった。
タカアキもこらえきれず「ふっ」と鼻から笑うぐらいだ。
つまりこういうことだ、たまたまこの地下を見つけた、そしたらテュマーがいた、そいつを堕天使だと思って宗教味のある考えが捗ったんだろう。
思わず「ばーっかじゃねえの」と変な笑いを一緒にしてしまうも。
「Li……Li……Liberigu-min……」
そんな汚いものに向けて押したり押されたりな白き民がぴたりと止まる。
崇める神とやらが段々大人しくなった様子に、周りは何を感じたんだろうか?
白い神と黒い堕天使の姿にまっすぐ信者たちは「おおっ」と腹の底から感心し。
「我らが主よ! そうです、我々ではございません! 彼奴があなたの裁くべき黒き堕天使なのです!」
「ああ白き神よ! どうかこの剣をその手に! 我ら一同、その美しく白きお姿のお力になりましょう!」
偉そうにしてるクソジジイの大げさな身振りがそこに入れば、勝手に盛り上がる連中はどんどんことを進める。
躊躇いの浮かぶ白き民に柄を近づけ、猛獣向けの拘束をいそいそ外していく。
白き民が脱出の機会を伺ってるように見えるが、周りはそんなの知らんとばかりだ。
「よし――妖精を! 偽りの妖精を生き血を捧げるのだ!」
特に極まったご老人は嬉しそうなもので、声高々に儀式を続けた。
本当にあの怪文書をなぞった奇行を楽しんでるようだが。
「……い、生き血を!」
「我ら一同、覚悟はできております! さあ、偽りの妖精の力を我らが主に帰すべき時が来たぞ!」
もし本当にそうであれば、ここにきて最悪なものがまた一つ重なるのだ。
信者だかりから数人ほどが緊張と慎重ごちゃ混ぜに現れる。
その先頭を行く奴は小動物用のケージを抱えていた。
ペット用品コーナーからのそれを運ぶそばでは、調理器具やグラスが連れ添い。
『……! ……!!』
鳥がすっぽり入りそうなそのスペースの中で、間違いなく何かが光ってた。
ちかちかする橙色に目が慣れると、そこにペット用ケースに相応しい姿がある。
手のひらに乗っかりそうな調子の人型が吊り下げられてるようだった。
何も知らなきゃ悪趣味に収納された人形でもいらっしゃるように見えるが。
「待て、あのキモい文章通りなら妖精の血を捧げるあたりも律儀にやるってか?」
「おいおい……あいつらマジでそのつもりだぜ。じゃあ行方不明の妖精さんってのは鳥かご入りのあの子のことじゃねーか」
「それもちゃんと生き血をご所望みたいだぞ。最悪な繋がり方しやがって」
俺たちの目に映るのはどう見たって生きた女の子だ。
表情こそ分からないが、橙色の髪をした誰かが縛られてるのは嫌でも分かった。
あの様子だと口も「お静かに」されてるだろう。
今までの情報を混ぜれば妖精の生き血がどうこうのあたりだろう。
「……どうするよ? あのままじゃクラングルがどうこうはともかく、あの子たちのお友達がしぼりたてになっちまうわけだが」
そこまで様子を確かめて――タカアキは本気で困ってた。
こんな状況だ。武器もないし逃げ道も不確か、救援を呑気に待つ暇もない。
でも幼馴染と違うのは、こういう状況を何度か経験した実績ぐらいだ。
「タカアキ、昔カルト相手に逃げ回ってたのは覚えてるか?」
俺は『生き血を!』とコールを始めた連中を見て、静かに思った。
浮ついてる。だけどこのまま愚直にまっすぐ挑めば数の差が待ってるし、悠長な時間も残されてない。
分かるのはどこかに逃げ道があるということ、そして――
「いろいろ行ったよな。親戚とか頼りにしてさ」
「その親戚すらクソだった時は笑っちまったよな」
「兄弟たちに居場所売ったんだっけか? お前を逃したから恥かいたとかいって顔真っ赤だったらしいぜ」
「んで、お前と一緒に逃げ回って最後は札幌にたどり着いた」
「そう、いろいろあって俺はマンションの管理人、そしてお前はしばらく無職だ。ひでえ人生だったよな」
「でももう違うよな、少なくとも俺はパン屋で働けてる」
「そして俺は単眼美少女を実際に拝めた――いい人生だよな」
カルト相手に逃げ回っていた二人なんてもういないってことだ。
だから自然と顔が合う、見ればお互いニヤっとしてた。
ああいう手合いにびびりちらかして隠れる奴はもうここにいないのだ。
「お前の趣味はともかくそこそこいい人生さ。出口はどこだと思う?」
「さっき案内見たらここの反対側に店員用の通路があるみたいだぜ」
「だったら逃げる余地はありか」
「まあ道が続いてるならなんとかなるだろ」
「今までみたいにな――よし」
俺たちは覚悟を決めた。表情いっぱいの「ニヤリ」を浮かべて。
見れば今まさにケージが開けられるという瞬間だ。
あの時から変わらぬ二人の足並みのまま、騒ぎ立てる白さへと歩んでいった。




