33 クラングルの朝ごはん
あれからクラングルにある定食屋には何度も世話になってる。
熱々のご飯とみそ汁を朝六時から提供、おかず数品と卵料理付きの朝定食が500メルタだ。
朝からうまい和食を気軽に食える店をありがたがる人間はたくさんいるし、もれなく俺もその一人だ。
「――そうですそうです、上手ですよニクちゃん! すくい上げるように掴んでお口に運ぶんです……こう!」
「……こう」
炊き立てご飯とみそ汁の香りが漂う食堂は賑やかだった。
今朝の和食がきりっと並ぶテーブルの向かい側なんて特にそうだ。
リスティアナの笑顔の傍らで、わん娘の毛皮と肉球混じりの手がご飯を挟んだ箸を持ち上げ――ぱくっと一口。
「こうです! えらいえらい♪ よくできましたねー」
「んへへー……♡」
ニクに箸の使い方を教えてくれてるみたいだ。
今や指導の甲斐あって和食をぎくしゃく口に運べるほどにはなったらしい。
「いつも悪いな。うちのわん娘にお箸の使い方教えてくれてすごく助かってる」
俺は愛犬の食事の振る舞いを文明的に押し上げてくれたやつに感謝した。
本日はほんのり甘くてしっとりな卵焼きだ。味変は大根おろしをどうぞ。
「いえいえ、イチ君にはいつもお世話になってますから。それに正しい作法を学んで美味しく食べる、これがヒロインの務めですよー♪」
「うまうま」
「ヒロインってお行儀のいいやつばっかで安心するよ。今日もうまいなこれ」
今日もリスティアナは底なしの笑顔を添えてぱくぱくしてる。
鮭の切り身を分けて頬張り、目玉焼きに添えられたソーセージやらもむしゃむしゃ、時折みそ汁も含んで茶碗が空っぽだ。
「ヒロインはよく食う」だとか周りは言ってたがまさにそうだった。
クラングルの飲食店が賑わってるのも良い消費者がいるおかげかもしれない。
「もうご飯が……! オルトさんおかわりお願いしまーす!」
「今日もいっぱい食べてるわねリスティアナさん……いや私たちヒロインってさ、基本みんなよく食べてよく寝てよく戦う元気な子たちだけどね?」
「えへへー。私たち『ドール』ってあっというまにエネルギー使っちゃいますから、いっぱい食べないともたないんです……あっご飯は特盛で!」
「はいはーい特盛はいりまーすっと。その子の種族次第で生活スタイルも変わるんだからヒロインって大変よね……」
その最もたるやつがすぐそこにいるが、間にタコの足がにゅるりと挟まった。
赤褐色のしっとり髪が踊る人外な美少女、オルトさんだ。
スキュラのタコの半身は忙しそうにしてる――空の茶碗が吸盤にさらわれた。
「おめーらこの店すっかり気に入ってるなオイ。いや俺もお気に入りだけどね? いろいろ食ってるけどなんやかんやでここ一番なんだよな」
そんな様子を隣で見ていた赤黒髪なマフィア姿もばくばく食ってる。
タカアキが教えてくれたおかげでこんな顔ぶれも食堂の雰囲気の一つだ。
「そうですねー? 私も宿を変える前は市場の方までいって、そこで食事したり屋台の料理を持ち帰ったりしてたんですけど……立地条件的に朝から温かいご飯を食べるのがちょっと難しかったんですよね」
「そういやリスティアナちゃん、前はギルド周辺に住んでたんだっけか?」
「そうですそうです。あそこって賑やかだし、ちゃんとそのあたりにある宿泊施設もみんな防音対策が徹底してますし、それに料金もお手頃なんですけど……」
「あー、飲食店がびっくりするぐらいないんだよなあ……あそこ」
「昔はお酒や食事の場を介してトラブルが多発したからってあんな風に住みわけされたらしいですけれど……快適なのにご飯に難儀しちゃうんですよねー」
「だったら親父さんとこに来たのは正解だなあ。それにパン屋もある」
「はい、パン屋もあります! 出てすぐ焼きたてのパンを買いに行けるなんて私びっくりしちゃいましたよ」
二人ががわいわい話すそばで俺は最後の一切れを食らった。
ついでに塩辛い鮭も。残ったご飯をかっ込んで朝から大満足だ。
「てことはなんだ、物理的な意味で飯に困ってるから引っ越したのかお前」
「あはは……そうなんですよねえ。そういう理由が一番なんですけど、宿から出ちゃうと「今日も仕事だー!」ってすぐに切り替わるぐらい賑やかで、ちょっと落ち着けないなーって」
「あのあたりって確かに冒険者まみれだからな。逆に言うとそれ以外なんにもないイメージがある」
「実はイチ君と会うけっこう前からそれで悩んでたんです。そしたら『ヴァルム亭』に巡り合って引っ越しちゃったみたいな感じです!」
「奇しくもあの一件がきっかけだったわけか」
「良かったなこいつがいて。あそこにいりゃまあ退屈はしないだろうよ」
「ふふふ、そうですねー? みんなで楽しく朝ごはんが食べれるんですから!」
「はーいごはんのおかわりでーす……まあ冒険者ギルド方面の住まいって、正直安かろう悪かろうが浮き出てるようなもんよ。多少コストはかかってもいい住まいに移るのは大切だからね?」
そこへタコの吸盤がぬるっと茶碗を持ってきた。特盛りご飯一丁。
人形系お姫様が「いただきます」と目を輝かせて食らってるのを見てると。
「しかしイチさんもすっかりうちの常連だな。冒険者としてうまくやれてるみたいだし、こうしていつもうちのご飯を食いに来てくれてなんだか嬉しいよ」
厨房側から店長――和食の店らしい装いをしたトウマさんの姿が浮き出てきた。
この世界で飯を食うたび深まった仲だ。今日も「うまかった」と顔で表現した。
「最初は不安だったけどなんやかんやでやってる」
「うん、そのなんやかんやをこの前目の当たりにしたからな」
「どれだ?」
「他にもいっぱいあるだろうなそりゃ。ほら、あのゴーレム事件のことだよ」
「あれか」
「外の様子が気になって見に行ったらイチさんが暴れ回ってるのを見て、なんというか二度自分の目を疑ったよ。どこにあんなデカいの平然と倒すプレイヤーがいるんだ」
「私もなんだなんだって野次馬しにいったらゴーレム殴り壊してて何事かって思ったわ」
「しょうがねえだろああするしかなかったんだから」
店長とタコのお姉ちゃんにもゴーレムぶん殴り事件が知れ渡ってたみたいだ。
「ごちそうさま」と厨房に顔を向けると、ぬるっとタコ足がお盆を回収して。
「このあたりでも噂になってるのよ? 入りたての新米冒険者が悪さしてるやつらを一人でこらしめたとか、暴走ゴーレムに飛び乗って撃破したとかね」
まさにその言葉がちょうど当てはまる人間を見てきた――あっ俺だ。
「俺も知り合いからそのスクリーンショットが送られてきたんだが……いつもご飯を食べに来てくれる客がとんでもない大物で、次会う時どんな顔しようって困ってたよ」
「どんな場面だ」
「すさまじい笑顔でガラの悪いお兄さんたちを追い回してるワンシーン」
「間違いなく俺だなそれ」
「ねえ、イチさんがヒロインたちの間でなんて呼ばれてるか知ってる?」
「パン屋のお兄さんっていうフレーズは良く耳にしてる」
「色々あるわよ? 『やべーアイツ』とか『クラングルの脱がし魔』とか、他には『魔王』ですって」
「ひでえラインナップだ、一気に魔王まで上り詰めてるぞ」
こうして話して聞く限り、店の二人は俺の所業をよくご存じなようだ。
でも半分笑って(もう半分は引いて)接してくれるんだからいい人たちだ。
「魔王……なんだか強そうな語感ですね! なっちゃいます?」
誰がいったか素晴らしい渾名にリスティアナも魔王を見るような笑顔だ。
パンツ脱がしただけで魔王か、フェルナーあたりが「イっちゃんも仲間だな」とか肩を叩いてきそうだ。その時はレイナス呼ぼう。
「絶対いやだ。そもそもなんだ魔王って、不名誉な名前と同列させやがって」
「おいたが過ぎた馬鹿どもあんな風にしばいて魔王か。ひでえ成り立ちだな」
「お前も同罪だぞタカアキ」
「俺も魔王ってことか?」
「勝手になってろオラッ!!」
「よし部下は全員一つ目の美少女だおっふ!?」
今日も幼馴染はどつくとして、あれから俺に対する目の当たりは変わった。
人間側は「アイツだ」みたいにじろじろしてくるし、ヒロインたちは「あの人だ」と興味を向ける、それくらいの人生になってるようだ。
「でもイチさんの名前が広がってから冒険者の事情もちょっと変わったみたいよ? 転移事件があってからしばらく静かに暮らしてた人たちが急に加入するようになったり、ギルドもクラングルでの信頼性を持ち直してますます仕事が回されるようになったりとか」
「俺のせいでか」
「おかげよ。この都市がまた賑やかになってるのもきっとそうなんでしょうね?」
オルトさんはタコらしい瞳に親しみいっぱいだが、まさか俺がギルドの広告に使われたなんて思ってないだろう。
実際派手に騒いでから冒険者ギルドはなお活発である。
そういうのも仕事の一環だと今は割り切ってやろう――お冷を飲み干した。
「おはよう店長、朝定食三つたの――うわっパン屋のアイツいるぞ」
「なんだイチか。おはよう、お前ら今から仕事か?」
「あらパン屋の人。あなたもすっかり常連ですね、それにお仲間もいっぱいできたみたいで」
そこでがらっと扉が開いて、押し掛けてきたやつが軽く驚いてた。
日本人冒険者の男が二つ、食事の場に背の弓を持ち込むエルフの三人組だ。
ここで飯を食うたびたまに会うやつらだが、今じゃすっかり知り合いである。
「どうも先輩ども、今日はパン屋休みだ」
「冒険者じゃなくてパン屋を名乗るのか……」
「あんたらのアドバイス通りにやったら自分の金で宿代払って飯食えるぐらいにはなれたぞ。あの時はありがとう」
「パン屋になれって言った覚えは絶対にないんだがな。ていうかお前、冒険者の間で伝説扱いされてるんだぞ? 新米のくせして何もかも破壊する大物がいるとかなんとか」
「その前にあの変な先輩どもを伝説にしてやったぞ。帰ってこない方のな」
「確かに二度と見てないけどな……しかもお前、もうカッパーなんだぞ? それって異例の速さだからな?」
「ああ、おかげでパン屋が捗ってる」
「いやパン屋の等級じゃなくて。本当になんなんだお前は、イレギュラー過ぎる癖にどうしてこう頑なにパン屋で働いてるんだ……」
リーダー格と思しき日本人はバケモンを見るまなざしだ。失礼な奴め。
三人が席について朝飯を待ち遠しくすると、エルフの女性の視線も関心気味で。
「パン屋の人、あれからうまくやれてますか? 冒険者というよりはパン屋に馴染んでるようですが」
「いやパン屋の人ってお前……まあヒロインたちもみんなこいつのことパン屋で覚えてるらしいからな、うん」
「タケナカには同情するよ。でも昇格したってことは行儀よくできてる証拠だ、最近どうだ?」
と聞いてきた。胸元でアイアン等級の輝きを示しながらに。
他の二人も興味がある感じに見てくるが。
「ご覧の通り今日も朝飯がうまいし、仕事も捗っていい感じだ。ほら仕事着も買っちゃったぞ」
「ん、ぼくも買った。二人で楽しく過ごしてるよ」
俺はここぞとばかりに「この通り」を見せた。
鞄から取り出した【KILLER-BAKERY】のエプロンだ。
ニクもしれっと一緒に突き出して、殺意マシマシの造形が店内を貫く――!
「いや、なんですかそのエプロン。なんでそんな得意げな顔できるんですかあなたは」
「オーダーメイドの仕事着だ。カッコいいだろ?」
「もう冒険者じゃなくてパン屋じゃねえか」
「これは確かに大物だな。こいつがカッパーに昇格したのも仕方ない気がしてきた」
「もし予約注文が必要なときは俺に頼んでもいいぞ、一個からでもオーケー!」
「おい戻って来い、お前両足パン屋に突っ込んじゃってるぞ」
「はーい、いつもの三人組お待たせしましたー。いつもの朝定食でーす、いっぱい食べて頑張ってね」
「お、きたか。今日は急ぎじゃないからゆっくり食うぞお前ら」
エプロンのカッコよさに三人とも畏怖してるみたいだ。
渾身の得意げな顔も添えてこれでもかとアピールした、微妙な顔された。
「――ごちそうさまでしたー! ふふふ、イチ君すっかりパン屋さんですね!」
ちょうどリスティアナも美味しそうに食べ終えたらしい。お盆を綺麗に整えて満足にっこり顔だ。
「店の業務は完璧に覚えたぞ。まだパン生地に触らせて貰えないけどな」
「えっないんですか? パン屋ってパン生地こねこねしてるイメージありますけど」
「素人がいきなり小麦粉こねこねできるような世界じゃないってことだ。でも今度奥さんが作り方教えてくれるっていうからちょっとわくわくしてる」
「そうだったんですねー……うまく焼けるといいですね? 味見しましょうか?」
「パン焼くのは厳しいよって言ってたけど頑張ろうと思う」
「お兄さんお前がちゃんと職についてくれて嬉しいけどさ、それもう料理ギルド入ってからやる仕事だろって最近思うよ」
「料理ギルド入ったらパンの前にじゃがいも料理仕込まれるかもしれないだろ、勘弁してくれ」
料理ギルドに入るという選択肢はなしだ、絶対に。
さもなきゃ今日の朝食が主食からおかずまで芋になってたかもしれない。
*ぴこん*
こうして朝食が終わったところでメッセージの着信音だ。誰からだ?
【いちクン、今朝話した遺跡の件だけどやっぱり転移してきた建物だったの。ちょっと力を貸してほしいんだけどいいかな……?】
左腕のPDAにはあの時言っていた『遺跡』の話題があった。
俺が転移させた建物だったか、それもストレンジャーが必要とされる方の。
「おい、ミコからメッセージだ。こっちに来た建物の調査を手伝ってほしいってさ」
「転移した建物のことみてーだな。なるほど問題があったようで、だったら俺も行きてえかな」
「ん、ミコさまから? どうしたんだろう?」
「むっ、何かお困りですかもしかして? 私もお力になりますよー?」
今日はゆっくりできそうにもないが、みんな付き合ってくれそうな顔だ。
ひとまずあいつから話を聞こう。「ごちそうさま」と席を立った。
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