37 剣と魔法の異世界へ
銀の門をくぐった先はまた霧の中だ。
けれども妙な感覚だ。空気のさわりが変わっていた。
世界中に乾燥材をばら撒いたようなウェイストランドとは明らかに違う。
ヘルメット越しにも分かるほどにひんやりとして、心地の良い湿り気だった。
「……ついたのか?」
ニクの手を引きながら白色の世界を歩く。
わん娘はちゃんとついてきてる。徐々に晴れる視界の中で尻尾が踊ってた。
「知らない匂いがする。これがフランメリア?」
そしてじとっとそう言うのだ。
俺たちは間違いなく、今までとは違う場所に足を踏み入れてる。
もっと奥へ。霧をかき分け続けると目の前の輪郭が浮かんできた。
薄まる白い風景の中に木々の形がある。
左右の様子も明瞭に変わって、晴れた青空だって見えている。
やがて見えたのは緑の世界だ。地面も、目の前も、遠い向こうも緑だった。
『いちクン、この感覚……』
ウェイストランドではない光景に相棒の感極まった声が重なった。
そのころには視界も晴れ渡って、あたりが木で覆われてることに気づく。
「俺たち、たどり着けたのか?」
――ここは森の中だった。
柔らかい足元には草が茂り、*本物*の木が控えめにあたりを囲って、青空の下で静かなざわめきを響かせていた。
どこからか風も感じた。擲弾兵のアーマー越しでも柔らかかった。
向こうの素通りしていくような乾いたものとは全然違う。しっとりとしてる。
『魔力を感じるよ! やっと帰って来れたんだ……!』
だからだ。肩の短剣はすごく嬉しそうだった。
そういうことなんだろう、俺たちはとうとうたどり着いたのだ。
「……ああ。やったんだな」
『うん。フランメリアについたんだよ、わたしたち』
ふと振り返る。
今までの旅路をくるりと向けば、そこにもう霧なんてなかった。
あるのはこじんまりとした湖だ。透明で、冷たそうな水が穏やかに揺れている。
過酷な道はもうどこにも存在しない。豊かな緑の世界だけがそこにあった。
「……お水がいっぱい……」
ニクなんて驚いてしまってる。俺だってびっくりだ。
一緒に水面を覗けば、あっけにとられたご主人とわん娘の顔を魚が横切っていく。
ついPDAを近づけてしまった。ガリガリはない、本当にきれいな水なのだ。
『あっ。いちクン、足元……!』
慣れない土地を進もうとした時だ、相棒の注意でやっと気づく。
良く見るとこのあたりの地面は広く踏みしめられていた。
そこに幾つものタイヤの跡も重なれば、思い当たるフシはすぐだ。
「なるほど、誰かが思いっきり通っていった跡があるな」
『うん……車もいっぱい走っていったみたいだね。外に続いてるよ』
「てことは、出口はあちらですって感じか」
そういうことか、帰還者はみんなここを通ったのか。
特に大きな足回りが走っていった名残なんてすぐ分かった。ツチグモのものだ。
「ツチグモのタイヤか。じゃあヌイスも無事についたってことか」
『……みんな、ちゃんとここに来れたんだね。良かった』
「ん、匂いからしてみんな向こうに向かったみたい。行こ」
ニクの鼻にもたくさんの人々の匂いが伝わったみたいだ。これはみんなの帰路だ。
それにあやかって俺たちも続いた。慣れない地面に少し難儀しながらだが。
森の外へと痕跡を辿っていけば、少しずつ差し込む青空は広まっていって――
「……ははっ、すげえ」
思わず笑ってしまった。
無理もないだろ。だって、緑の大地がどこまでも広がってるんだぞ?
明るい世界があったのだ。終わりの見えない草原が、青白の空に眩しいぐらいに照らされてた。
『……フランメリアだ……!』
これはミコが泣いてしまうぐらいに求めていた場所なんだろう。
途中に川が走り、向こう側に山の浅い形が浮かび、そして空には島が浮いていた。
信じられるか? 一体何でそうなったのやら、頭上で浮かんだ小島が大地に影を落としてるのだ。
「これがミコさまのいた世界なんだ。すごくきれい」
『……ふふっ、そうでしょ? ここが私の故郷なんだよ』
ゆっくり森を出た先で道が伸びていた。
ひび割れたアスファルトじゃない、この世界の舗装されてない道路だ。
帰還したやつらはどうもこの道をたどってお帰りになったらしいな。足跡や車の痕跡が左右に別れてる。
「……で、どうする? 次の問題はどっちにいきますかって話だけど」
『えっと……クラングルっていう、すごく大きな都市があるの。そこにわたしたちのクランハウスがあるんだけど』
「クラングルか。どのあたりか分かるか?」
『フランメリアの中央寄りなんだけど……ごめんね、わたしもここがどこなのかさっぱりだよ』
「……においがいっぱい混じってて分からない、どこへいけばいいんだろう」
さて、どうしたものか。
ミコの家族が待ってるっていう都市やらはどこへ行けばいいのか。
あたりを見渡せば二択だ。右か左か、この道をどう行くか――だが。
「いや、目印ならあったみたいだぞ」
世の中親切なこともあるもんだ。
道のりの途中に見覚えのある棒が突き刺さっていた。
用済みとばかりに残されたクォータースタッフだ。それが道しるべとばかりにこっちの注意を引いていて。
【クラングルはあっちよ、寄り道しちゃだめだからね! 女王様より】
【この道をまっすぐ進むといいですぞ。良い景色をお楽しみください】
だってさ。そう紙が括り付けられていた。
いいや、もっとあった。見ればあちこちに書き置きが貼られて。
【馬鹿エルフを連れて里とやらに行くが、お前らはこっちだそうだ。早く行け】
【クラングルはいい場所だ、うまいものがいっぱいある。食べ過ぎて太るんじゃないぞ】
【迷うことなどないぞイチ。ミコの元の姿を必ず俺様に見せるのだぞ】
【うちもこっちに帰るんでよろしくっす~♡ お屋敷で待ってるっすよ】
【皆さまこんな書き置きしてましたのね! 道をまっすぐ辿るだけですわ! じゃがいもをお楽しみに!】
【空に島が浮いてるよ、イチ君……。これがファンタジーか、私は反対へ向かったよ、じゃあね】
【ふぇるなーさんじょう!!!】【フェルナアアアアアアアアアアアアアア】
あいつらめ、ずいぶん楽しそうに書いてやがるな。
おかげで俺たちは楽しく顔を見合わせた。良い仲間に恵まれたらしい。
「良かったなミコ、こっちだってさ」
『……ふふっ、おかげで迷わずに帰れるね? 行こう?』
「行くか。クラングルに」
「ん……みんなの匂いがする。また会おうね?」
律儀な書置きを頼りに道を歩いた。
慣れない地面は柔らかくて少し苦労したけれども、足取りは軽かった。
◇
フランメリアを通る道を進んでる途中だった。
見たことのない豊かな大地に妙なものが混じってた。
「……あれって、ウェイストランドの奴だよな?」
『そうだよね……あれ、なんだろう? 工場かな?』
具体的に言うならそう、遠い丘の上に見えるアレだ。
草木の上に錆びだらけの大きな建物が立ってた。心なしか壁にはロゴが見える。
双眼鏡で覗いてみれば――なんてこった!
「あー……食品工場だな。見覚えのある牛がいるぞ」
『牛? もしかして』
「ああ、死んだ目で草食ってる」
どっかのメーカーだと訴える牛がそこにいた。
草原の上、工業的なたたずまいの表面で茶色い牛が死んだ目で草を食ってる。
缶詰のラベルにいたあいつだ。それもとびきりデカいやつが転移先で違和感全開にその身をアピールしてた。
『ここまでついてきちゃったんだ……!?』
「転移したって聞いて覚悟はしてたんだけどな、まさかあの牛くんもついてくるとは」
『うん、ほんとに長い付き合いになっちゃったね……』
「これからもな。先が思いやられるぞ」
向こうに見える牛くんはさておき、また進んだ。
すると急に視界に通知が浮かんで――
【アップデート中...】
アップデート? 一体なんだって?
思わず立ち止まってしまった。もしやと思ってPDAを見れば。
『いちクン……? どうしたの? いきなり立ち止まって』
「いや、なんか……PDAがアップデート始めた」
『PDAが?』
「ああ」
よく分からないが、画面いっぱいにアップデートの構図が浮かんでいた。
ダウンロードの後にインストール進行率の進捗がゲージで表示されて。
10%――50%――100%!
【WELCOME to your P-DIY 2000】
アップデート完了だそうだ。元のステータス画面に戻った。
何か変わったんだろうか? 軽く触れてみれば見知らぬタブが増えてた。
ご親切なことに【アップデート内容】と通知がついてた。開いてみたところ。
【P-DIY2000をアップデートしました! 新たなシステムとしてフレンド機能、メッセージ機能を実装! また資源カテゴリの拡張や【ハウジング】システムも追加されました。良いサバイバルを!】
だそうだ。
確かにその通りだ、【ソーシャル】タブというのが増えて連絡先リストも作られてた
クラフト画面の【資源】も種類が増えてた。石材だの燃料だの品数が足されてる。
『どう? 何か変わった、かな?』
「色々。これからもがんばれってさ」
まあ、後回しだ。それよりもクラングル探しが先である。
もっと進んだ。風景も変わって街道に触れてきた感じがする。
けれども先は全然見えなかった。ここの地形はウェイストランドとは勝手が違う。
「ミコさま、元の姿に戻れる?」
そんな時だ、ニクが疑問をこぼしたのは。
そうだった。こっちに戻れたってことは……ミコも元の姿になれるんじゃ?
『……えーっと、なんていえばいいんだろう? まだ、できないみたい』
ところができない、と言われてしまった。
「どうしたんだ? もう戻れるんじゃないのか?」
『今、マナが少しずつわたしの中に流れてるの。マナポーションとは違うものなんだけど、これがいっぱいになったら……』
「ああ、充電中ってことだな?」
『うん、充電中だね……ご、ごめんね? もうちょっと待ってほしいな……?』
どうも今すぐには無理らしい。
仕組みは分からないけれども、ポーション越しじゃない新鮮なマナをこうして感じてるんだろう。
リム様は言ってたな、酸素不足だって。なら今まで息苦しかった分じっくり味わってほしい。
急かすもんか相棒。いつまでも待ってやるさ。
「いいんだよ、ゆっくり充電だ。もう焦らなくていいんだ」
『ふふっ、そうだったね。じゃあ、ゆっくりマナの補充させてもらうね?』
肩の相棒にこの世界の空気を味あわせるようにまた歩いた――そんな頃合いだ。
ニクが急にぴたりと止まった。耳も尻尾も立てて、道の遠くを見ながら。
「……ん、車?」
次第に何か感づいた。その言葉を受けて俺も集中してしまう。
最初は感じなかったが、かすかに車の走行音が耳に触れた。
ちょうど進む先からだ。思わず腰のホルスターに手が伸びてしまうが。
『あっ……! 待って、向こうから車が走ってきてる……!?』
その発生源は実にあっけなく姿を現してきた。
軍用車と分かる深い緑の車両が走ってきてたのだ。
まさかウェイストランド人か? それとも帰還したフランメリアの奴らか?
「おいおい、誰だ? まさか知り合いじゃないよな?」
『帰還した人かな……? こっちに来るよ?』
「ああ、少なくとも縁はありそうだな」
どうであれ事実はこの世に一つだ。間違いなく俺に向かってる。
段々と近づくそれはぶぉん、とクラクションを鳴らしたのだからなおさらだ。
異世界らしからぬ戦前の姿は「いかにも」な形で道の傍らに停まったらしい。
「……おい! 誰だ! 帰還したやつらか!」
両手を広げて近づけば、一瞬だけガラス越しにサングラスをつけた顔が見えた。
重たげに開いたドアから革靴が、次に黒いスーツ姿が、そして――
「よお、待ってたぜ」
寂しそうな笑顔が浮かんだ。
それに聞き覚えのある声だった。俺はこの声を絶対に知っている。
そいつは変わった姿だ。こんな世界なのに動きやすそうなスーツを着て、顔にはサングラス、そしてなぜだか帽子まで被ってさながらマフィアというか。
俺に禁酒法時代までさかのぼったような知り合いなんていたか? いるわけない。
「……お前、まさか」
けれども、そのまさかだったんだろう。
へんてこな姿はさておき、そいつはそっと目元を明かしてくれた。
短く切った赤黒い髪の下で元気な顔立ちがあった。そんな頼れる造形を一度も忘れたことがない。
「へっへっへ、そうだよ! 驚いたか? いや俺だって驚いたけどな、バケモンとか外国人がすっごい行進してたもの」
間違いなく俺の幼馴染だ。そんな風にへらへら笑うのも良く知ってる。
思わずヘルメットを脱いで近づいてしまった。でも向こうは「待ってました」だ。
「おいおい、なんだその格好? マフィアかなんかか?」
「DLCじゃこういう格好なの! そういうお前も相当アレだぜ?」
「擲弾兵さ。上等兵だ、すごいだろ?」
「ああ知ってる、擲弾兵だな。てことはアリゾナでスタートか?」
「ちょうどそこをクリアしてきたところだ。また会えたな、タカアキ」
「おう、やっとだな。シューヤ」
俺たちは抱き合った。ようやくお互いの名前を呼びながら。
そうか、こうしてあの名前を呼べる日が来たんだな?
「……お前、ぼろぼろじゃねえか」
少ししてタカアキは俺の顔を覗いてきた。
心配そうだが気にすることはない。だから自慢げに肩の短剣を小突いて。
「紹介するぞミコ。こいつがタカアキ、あの怪文書送った幼馴染だ」
『あ、あのっ、初めまして……? あなたが、タカアキさん、なのかな?』
幼馴染のみっともない表情を案内してやった。するとまあ、あいつはおどけて。
「おう、あの文言どおり単眼美少女にセクハラして投獄されたお兄さんのタカアキだ。あんたがミコちゃん?」
『投獄……!?』
「おいお前」
「半分冗談だ。リム様から聞いたよ、ミセリコルディアの奴が待ってるぜ」
何か罪状を背負ってしまったらしいが、そんな名前を知らせて車に招いてきた。
リム様、ちゃんと伝えてくれたんだな?
『みんな、待っててくれたんだ……』
「おう、まあ詳しくは車の中で話そうや。ところでそこの女の子誰? お前の友達?」
「向こうの世界のジャーマンシェパードが魔法的なやつで化けただけだ」
「どういう状況だよ。つーか犬ってまさかアタックドッグか?」
「ん。ぼくはニクだよ」
「分かった名付け親はお前だなシューヤ」
「なんでわかった?」
「そんなネーミングセンスお前しかいねえだろ? ちなみに俺はドッグミートって名付けた」
「お前もお前でひでえ名前だな」
『どっぐみーと……』
それに良かった、コイツのテンションも相変わらずだ。
ミコのこともちゃんと伝わってるんだ。タカアキはわざわざ迎えに来てくれたのか。
「……まあ乗れよ。心配すんな、大体の事情は聞いたからよ」
「リム様はどうしたんだ?」
「俺に現状説明した後、ヌイちゃんを歯車仕掛けの都市へ案内するって行っちまったよ。忙しそうだったぜ」
ともかく、タカアキは一際嬉しそうに笑った。
「助手席な」と付け足されたのでその通りにした。飾り気のない軍用車の内装だ。
「なあ、タカアキ」
「どした?」
「お前どこまで知ってる?」
剣と魔法のファンタジーな世界、車がぶるるっとエンジンを震わせた。
俺のそんな些細な質問には少し時間が必要だったらしい。しばらくして。
「気が遠くなるほど遠い未来でも、まだお互いの関係が相変わらずだってところまでだな。いや個人的にはもしくたばるなら銃殺じゃなく自爆が良かった、派手にぶっ飛ぶ方の」
あいつは困ったように笑った。
お互いニャルから聞いたわけか。あるべきだった未来のことを。
「世話焼かせて悪かったな、ずっと」
「んなこといったら俺だって「悪かったな」だ。あんなゲーム渡しちまってよ」
「だったらお互い様にしないか?」
「そうだなあ、それがちょうどいいか! ところでミコちゃんだっけ? なんかシューヤが粗相しなかった? 大丈夫?」
『……い、いえいつもお世話になってます……!?』
「この相棒にはお世話になりっぱなしだったな。まあ持ちつ持たれつって感じだったぞ」
「そうかそうか! お前も女の子と一緒になるとはなあ、えらい成長したもんだぜ! ちなみに俺は一つ目の女の子にフラれてもう死にそう」
「お前が相変わらずで安心したよ」
『……ほんとに一つ目好きなんですね、タカアキさん』
「俺、元の世界に置いてきたアイボルちゃんみたいな単眼美少女と付き合うんだ……」
「再会直後にあのフィギュアの話はやめろ頼むから!」
車は進んだ。
フランメリアの道のりはまだ少し遠かったけれども、明るいタカアキの言い回しもあってあっという間に感じた。
◇




