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魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー  作者: ウィル・テネブリス
Journey's End(たびのおわり)
391/580

29 メドゥーサは旅立った、ダークエルフの相棒と共に。

 『門』を目の当たりにした後、俺たちはダム近くの入り江に留まることになった。

 キャンプを立てて放送用の機材をセットして、自動放送も始まった。

 といっても、その内容はフランメリア人を呼び掛けるエルドリーチの音声が定期的に再生されるだけだが。


 そのころには昼時だった。女王様の感覚で言うなら「ランチティー」ほどだ。

 俺が通れば門が閉じてしまう以上、剣と魔法の世界へ向かう誰かを今からこの目で見届けなくてはならなかった。

 けれども。ストレンジャーズは誰一人向かおうともしなかった。


 あれからノルベルトはどうだ。ツチグモの中からずっと門を眺めてた。

 ロアベアはどうなんだ? ソファの上でじっとこっちを見てる。

 クリューサは寝てる、クラウディアは銃座の上だ。

 リム様なんてやけに静かだ。あれからずっと一人忙しくお料理を続けてる。

 アキと女王様は外で何かしてるみたいだ。門を調べてるみたいだけれども。


「……なあ、ミコ」


 なんだかいつもと違う雰囲気を嫌でも感じる中――俺は肩の相棒を呼んだ。

 みんなが無言もつられて見てきた。ニクもとことこ近づいてきたが構わず続けた。


『あっ、うん……どうしたの?』


 そんなおっとりとした声が伝わって、『みんなのところに帰れるぞ』と出かけた。

 でも言えなかった。どうしても口が働かない。


「俺は最後だってさ。フランメリアの奴らが全員渡るまでここで待たなきゃいけないわけだけど、お前はどうする?」


 それでもどうにか舌を働かせた。

 今すぐにでもこいつはミセリコルディアの連中の元へ帰れるんだ、嬉しいことこの上ないニュースなはずだ。

 ところが。


『わたしも一緒に残っちゃ、だめ?』


 少し間をおいて、寂しそうにそう言われてしまった。

 こういう時俺は喜べばいいのか、困ればいいのか。

 フランメリアで帰りを待ってるやつらにやっと会えるんだぞ? なのに俺と一蓮托生を望むなんて酔狂極まりない話だ。


「あっちでお前の家族が待ってるんだろ。早く安心させた方がいいんじゃないか?」

『……うん。そうだよね』

「ああ、だから俺がこっちに残ってる間に誰かに送ってもらって……」

『……ごめんね。やっぱりわたし、いちクンと一緒に残りたい』


 でもこいつは――その酔狂なやつなんだろう。

 向こうの俺の知らない仲間たちより魅力的だというのだ、このストレンジャーが。


「ミセリコルディアの人達が待ってるんだぞ?」

『みんな、待ってくれてると思うけど。でもね?』

「ああ」

『あの時からずーっと一緒だったでしょ? なのにわたしだけなんて、寂しいよ……』


 それが長らくの相棒の答えだった。

 無理に「帰れ」なんて言えなくなった。一緒にいてくれて嬉しい一方で、自分を待つ仲間を後回しにする心境が心配だ。

 何も言えずにいると不意に周りが気になった。

 ノルベルトが少し悩んだようにしているし、ロアベアもによによ具合が足りてない。


「ぼくもミコさまがいないと寂しい」


 しかも隣でじとっと言うのだ、あのニクが。

 撫でてやった。思えば物言う短剣と愛犬はずっと一緒だった。 


「……俺だって寂しいさ」


 この世界の旅でみんなと楽しくやってきたんだ、ストレンジャーは。

 オーガもメイドも出会いから今日にいたるまで刺激的な日々を共にした仲だが、あの『門』を超えればどうなる?

 今までの縁は途切れないだろう。でも、みんな各々の事情を抱えてる。


 ノルベルトは故郷で待つ家族に会うのがゴールだ。

 その後は分からない。またこうして人生を共にする機会はないかもしれない。

 ロアベアは魔女の元でまたメイドらしく働くらしい。

 俺にアバタールの名がある以上魔女と幾らでも関りが持てるだろうが、今と変わらぬ接し方をこれから続けられるかは謎だ。


 『門』をくぐって遠のくのは何も物理的な距離だけじゃないのだ。

 俺たちにはもう、フランメリアだからいつでも会えるという単純な話じゃなくなるほどの縁が結ばれてしまっているのだから。


「心配するな二人とも、しばらく会えなくなると思うと私もすごく寂しいぞ。だがあちらに私なりの故郷もあれば友達もいるからな、帰らんわけにはいかないんだ」


 二人で続く言葉を損なってると、にゅっと銃座からクラウディアが降りてきた。

 でも、普段通りの冷淡な口調のくせして顔は本当に寂しそうだった。


「イチ、ミコ、俺様もだぞ。オーガとしたことが、あの門がひとたび通ればお前たちとの縁が切れそうだと恐ろしく思うほどにはな」


 ノルベルトもやっと喋ってくれた。

 オーガのくせしてそんな言葉が出るなんて意外だ。それに顔だって少し頼りない。


「うちもっす。だってうちら、みんなでずっと楽しくやってきたじゃないっすか? 帰ったら長期休暇が終わって退屈な労働を繰り返すだけの日々が戻ってくるような、そんな恐ろしさを感じてるっす……」


 ロアベアは……うん、いつまでもロアベアだ。

 魔女に怒られてクビになったら、気は進まないが雇って食い扶持ぐらいは持ってやった方がいいかもしれない。


「……私は少しだけいっちゃんと共に残りますわ。本当は一緒にあの門を通りたいのですけれども、フランメリアに戻ってお姉さまがたにいっちゃんのことを伝えなくてはなりませんし。それに私の運営する料理ギルドのこともありますから」


 その場にリム様が割り込んできた。お菓子の乗った小皿と一緒にだ。

 冷蔵庫のドーナツをリメイクしたバターケーキだ。お茶請けは紅茶一択。

 そんな俺たちの舌を楽しませてくれたリム様も、あっちの世界でやることがある。


「――どいつもこいつも別れを惜しんでいるようだが、()()()はもう少ししたら行かせてもらうつもりだからな」


 ケーキに手をつけようとすると寝室からクリューサの声がはっきり届いた。

 振り向けばいくら寝ても不健康なお姿があった。だがその物言いは「お先に失礼」とばかりだ。


『クリューサ先生……もう行っちゃうんですか?』

「おい、別にゆっくりしてけなんて言わないけどな。いきなりすぎないか?」

「ここまで来た以上、もうお前らに振り回される義理もないからな。あの大げさな建築様式の門は何もお前のゴールだけじゃないということだ」


 だけどつい笑ってしまった。おかげで相手はむっと不機嫌になった。


「おい、円満な別れが必要なら何を笑ってるのか説明した方がいいぞ」

「いや……変わったなって」

「何がだ?」

「クリューサお前、けっこう前は乗り気じゃなかったよな? フランメリアなんて知るかって感じじゃなったか?」


 そう、忘れるものか。

 スティングで再会した時のことだ。フランメリアに行けると教えたらクラウディアに「一緒に行くぞ」って強引に誘われてたんだ。

 このお医者様は好ましくなさそうに拒んでいたが今は違う。こうしてる間にも旅支度をしてる。


「この旅で少し考えが変わっただけだ」


 あいつは手短に答えただけだった。

 けれども心境はなんとなくわかる。だって微笑むクラウディアがそばにいたから。


「だいぶ変わったろうな、ほんとそう思う」

「それにこれ以上お前と共に過ごしてると何が起こるか分からんからな。もう共産主義者もテュマーも傭兵もごめんだ、ファンタジー世界でのんびりやらせてもらうとしよう」

「そのファンタジー世界でも何か起きたらどうすんだ?」

「その時はお前の出番だ」

「俺だって?」

「不本意だが俺とお前の行き先はまた同じようだからな、距離を置いたところで不運にもどこかで会うのが目に見えてるだろう」


 クリューサはそう言って荷物を集めると、また寝室へと戻っていった。

 ああ、そうか。どうせまた会えるから心配すんなってか?


「あいつの言う通りだぞイチ、私たちの縁はそうやすやすと途絶えるものじゃないさ。フランメリアに居ればなおのことだ、今生の別れになんてならないぞ」


 そんな相方を見て――ダークエルフは困ったように笑んでた。

 見ればこの褐色肌の食いしん坊だって、車内に預けた荷物に拾った戦利品を重ねてせっせと荷造り中だ。


「ああそうだな、別に二度と会えないタイプの「さよなら」になるわけじゃない」

『そう、ですよね。向こうでまた会えますよね、クラウディアさん?』

「あの世界は広いようで狭いものだ。いずれまた相まみえるだろうし、お前ならすぐ何かと話題になって私たちの耳に届くはずさ」


 二人は本当に門をくぐろうとしている。それだけだった。

 正直言おう。そんな医者とダークエルフのコンビに「ゆっくりしていけ」と口から出かけてる。

 みんなだって同じ気持ちだろう。オーガもメイドも淡々と身支度する姿に何か言いたげだ。


 けれども誰も無粋な真似はできなかった。

 ここはストレンジャーのためのゴールじゃない、お医者様にとっての行き着く先でもあるのだ。


「……あいつも寂しいんだよ、イチ。お前とこれ以上一緒にいると名残惜しいだけだ」


 寝室の奥に行ってしまったアイツにかわって、クラウディアがそう言っていた。

 そういう彼女の顔だって同じだ。そうかクリューサ、お前は気持ちを共にできる相手に恵まれたんだな?

 けっきょく二人の支度に水を差せずにいると。


「クスクス……♡ 素直じゃないんだねえ、君たちのお医者様は?」


 通路脇、その足元にある小さな物置からにゅっと赤髪の美女が這い出てきた。

 ニャルだ。雑貨やら小型洗濯機やら突っ込まれた場所に快適さを見出したらしい。

 耳を三角にぴんと立てて、目も猫っぽくした興味深そうな顔つきだ。


「別にいいさ。それくらいでちょうどいいんだ、あいつは」

「ふ~ん? やっぱりキミもさ、彼がいなくなったら寂しいかい?」

「日常生活から軽口を叩ける相手が一人減るからな、そりゃ困るだろ?」


 這い寄るニャルフィスは人の言葉にニヤニヤしたまんまだ。

 このまま物置に送り返して扉を閉めてやろうと思ったが。


「クラウディアちゃん、旅立つならちゃんとご飯を食べなきゃいけませんよ? 私が腕によりをかけて美味しいお昼ご飯を作りますから、食べて行ってくださいまし」


 そんなところにリム様が優しく言いにきて、クラウディアも少しにっこりした。

 ただし惜しむような笑顔だが。食いしん坊エルフがそうなる理由は良く知ってる。


「私が一番つらいのはリム様のご飯が食べられなくなることだな。おいしいやつを頼む」

「ふふ、もちろんです。あちらの世界についても、もし私のごはんが恋しくなったらいつでも呼んでくださいまし」

「その時はクリューサ連れて押し掛けるぞ!」


 思えばクラウディアは俺たちの誰よりも食べることを楽しんでたな。

 食い意地を張らせてなんでもうまいといって、特にリム様の飯がそうだった。

 こいつと共にした食い物は楽しかったよ。暗い食事をせずに済むほどにはな。


「ところでいっちゃん、その猫みたいな子はどうしたのかしら? お知り合い?」


 リム様は昼ご飯づくりに精を出すところだ――が、ニャルフィスに目をつけた。

 物置から猫のごとき安心感をニヤニヤ振舞う姿を気にしてるらしいが。


「ただの知り合いだ」

「やあやあどうも小さな魔女様、ボクはただの赤い猫さ。気にしないでいいよ?」


 軽く関係を教えると、赤い髪の美女はニヤァと手を振ってきた。

 それで納得がいったらしい。魔女は冷蔵庫からマッシュポテトのボウルを引っ張り。


「あら、いっちゃんのお知り合いだったのですね? 私は飢渇の魔女リーリム、お近づきにじゃがいもはいかが?」


 ひえひえな芋の圧殺死体を押し付けてきた。流石のニャルも戸惑ってる。


「ねえなんなのこの人、どうして初対面の人にじゃがいも押し付けてくるの? 大丈夫? そういう狂気にかられてる?」

「ポテトオブマッドネスだ、慣れろニャル」

『ポテトオブマッドネス……!?』

「心配はいらないよニャル、その人はちょっとじゃがいもに偏執的な感情を抱いてるけどけっして不定の狂気を患っているわけじゃないんだよ」


 だが流石ヌイスだ、もう慣れたとばかりの様子で運転席からやってきた。

 押し付けられるじゃがいもと白衣の金髪をどう見比べたのか、ニャルは人の交友関係を疑うような目で俺を見て。


「キミってやっぱり人付き合いが広いんだねえ、うん……」

「今の彼の方がもっと色濃いだろうね。一国の女王様から邪神まで幅広く縁を持ってるようだ、なんなら外にいる猛獣の如き淑女に夜な夜な慰み者にされてるよ」

「……あのさあ、それもう無節操っていわない? キミ、あんまり変な人と関りもっちゃだめだよ? 後で有名になったころに苦労しちゃうからね?」

「未来の彼もそうだったよね、何でもかんでも手を差し伸べるから余計なトラブルばっかりさらってきて……」


 なんだか二人一緒に心配してきた、きっと未来の俺に苦労させられたのかもしれない。

 リム様といえばそんな異質な存在でも気にせずだ、エプロン姿でにっこりしながら料理を作り始めてる。


「ふふ、よろしくねニャルちゃん? 今日のお昼ご飯は旅立ちのパンケーキセットですわ、ご一緒にいかが?」

「いいねえ、くるくると巻いたやつにクリームと砂糖をたっぷりかけたやつが食べたいなあ?」

「かしこまりましたわ! ということでイっちゃん手伝ってくださいまし~」

「何すればいい? またジャガイモの皮むきか?」

「えっその人に手伝わせるの? 大丈夫? 爆発しない?」

「ニャル、彼は料理下手だが炊飯器を暗黒物質に変えるような失敗はしないさ」

「どういう意味だコラ」

『ダークマター……!?』


 

 深い霧と銀の門から少し離れて、デイビッド・ダムの道路に寄ったあたりだ。

 向こうで漂う白色と乾いた青空に挟まれるなんとも微妙な立地条件の上、ちょっとしたパーティーが開かれてる。

 傭兵くずれどもから拝借したアウトドアテーブルを並べて、甘ったるい香りのする料理をみんなで囲んでいた。


「うんうん、おいしいね♡ この厚めのクレープみたいな生地に硬く仕上げた薄味のクリーム、上品なのに特別感があって嬉しいなあ♡ どこかの世界だったら四千円は取られるんじゃないかな?」

「四千円か、確かに言い得て妙だな」

『よ、四千円……? それってけっこうするんじゃ……』

「誰かさんの知ってる場所は物価がひどかったからねえ、クスクス……♡」

「今まで食ったリム様の料理を日本円換算したら何百万なんだろうな」


 ストレンジャーからオーガやエルフまで混ざった混沌した世界の中、一際目立つ赤い髪のニャルは優雅にガツガツいってる。

 皿には誰が言ったかクレープを思わせる生地が焼き色と共に置かれていて、そこに添えて下さいとばかりに果物やクリーム入りのボウルがあった。

 りんご、変異したクランベリー、レモン、砂糖、バター、お好きな物をどうぞ。

 塩辛いものが欲しい? 揚げ焼きのじゃがいもやソーセージもあるぞ。


「いやはや、イグレス王国の伝統的なパンケーキをこうも満ち足りて食べれるとは。ひょっとすると此度一番得をしたのは私かもしれませんなあ、甘いものに困らずの旅路でしたぞ」


 眼鏡エルフも負けちゃいない。右にクリームとベリーたっぷりの一皿、左にバタークリームたっぷりのケーキをひと切れと甘ったるい。

 テーブルのど真ん中には余ったドーナツをリメイクしたホールサイズのそれがどんと乗っかっていた。

 おかげでアキは幸せだ。感じ入るほどに味わってる。


「みんな、ちゃんと味わって食べなさいよ? 料理ギルドの偉い人が作るごちそうなんだからね? ところでいっちゃんその女どちらさま?」

「知り合いだ」

「やあやあどこかの女王様、お食事中に失礼するよ。ボクは彼の知り合い、ニャルフィスさ♡」

「お友達だったのね? 私はヴィクトリアよ。もー、いっちゃんったら一体何人の女性と交友を深めてるのかしら?」

「クスクス……♡ これからもいーっぱい縁を結ぶだろうねえ?」

「くっ、私のいいおも……いっちゃんがとられてしまうわ! これからも密入国して遊びにいかないと!」

「パンケーキ食ってるのになんて話してるのお前らは……」

『おもちゃっていった……』


 勢ぞろいのお菓子に女王様は特に生き生きしてる。

 丸めた生地にレモンと砂糖をかけて、ティーカップをお供にお上品に召し上がってた。

 いい笑顔だが目は猛獣のごとしだ。向こうの世界でも飢えた獣のごとく襲い掛かって来るボスキャラと化すだろう。


「フランメリアというか向こうの世界は本当に大丈夫なのかい……? 一国の女王が勝手に国でて不当な手段で他国に侵入するとか正気の沙汰じゃないよ」

「あちらではそのようなことなど日常茶飯事、それどころかむしろ一つの誉だぞ、ヌイス殿」

「ねえ、一体どこに誇らしいところがあるんだい? 国交問題だよ?」

「ちゃんと生きて帰れるならいいんじゃないんすかねえ、あひひひっ♡」

「――心配いらないわ! 帰りは魔女のおばあちゃんに魔法で送還してもらってるから!」

「そういう問題じゃないよね? 聞けば聞くほどフランメリアの情勢が心配になってくるよ」


 ヌイスはオーガとメイドに挟まれてフランメリアの文化に度し難そうだ。

 クリームに埋まった生地に手が進まなくなるほどだ。その眼鏡にはきっと銀の門が魔境に通じる禁断の門に見えてるかもしれない。


「……そう言えば女王様、あんたはどうするんだ?」


 俺はパンケーキをミコで切り分けながら尋ねた。

 質問の内容は言わずもがな。女王様は一口運びながら門の方を見て。


「それなんだけどね、これ食べたらもう発つわ」

「もういくのか?」

『えっ、女王サマ……行っちゃうんですか?』

「あら、私がいっちゃうとやっぱり寂しいかしら?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

『うん、意外だなーって思いました……もうちょっとここにいるのかなって』


 口元をそっと拭きながらそう答えた。

 ちょっと意外だった。この人のことだからてっきり居座るのかと思ったから。


「ヒンッ」


 そこに馬の蹄の音がした。ダム周りを散歩していた白馬のお帰りだ。

 食卓の近くでぴたっと座った。女王様が変異したベリーを渡せばおいしそうにむしゃむしゃ食べて。


「私もあなたの旅路にあてられちゃったんでしょうね。こうして共に旅の終わりまでやってきて、向こうの世界がちょっと恋しくなっただけよ」


 とても穏やかな笑みを見せてくれた。

 初めて見る顔だった。やりきったような、満ち足りたような、女王様という肩書は本当にあったんだと思うようなお淑やかなものだ。


「……そうか」


 だからこそだ。そんな女王様との別れがちょっと寂しくなった。

 その表情にはこの世界で過ごした時間がいかに有意義だったか答えが書いてあって、それが間もなく終わろうとしていた。

 この人には背負った棒のごとくぶん回されたけど、今じゃもういい思い出だ。


「あれ~? ひょっとしていっちゃん寂しいのかしら?」

「クスクス……寂しそうだねえ? 女王様とのお別れが悲しいのかなぁ♡」


 そんな思いは顔に出たんだろう。女王様がニャルをお供にニヤニヤしてきた。

 いつもだったら軽く口答えしてやったろうが。


「ああ、あんたは戦友だからな」


 チャールトン少佐のことを思い出した。この人は戦いを共にした仲間だ。

 一緒に誰かを助けた仲なんだ。離れるのに惜しい人柄なのはもう変わりようのない事実だ。


「……ええ、そうね? 私のかつての仲間に生きる希望を与えてくれたもの。私たちはもう立派な戦友よ、ストレンジャー」


 すると女王様はにやつく顔を変えた。困ったような笑みが答えだった。

 俺の面倒くさい業はこの人にいい人生を与えられただろうか。いや、きっとそうだ。


「私もあちらに凱旋と洒落込むつもりですぞ。もう十分な記録は取れましたからなあ」


 アキも便乗するように名乗り上げてきた。こいつも帰るのか。


「お前もこれ食ったら帰るのか?」

「ええ、いち早く本件を国に報告しなければなりませんので。帰還者がしかるべき場所に収まれば、次にフランメリアはまた大きく変わることでしょうからな」


 美味しそうに甘味を味わってたようだが、女王様に倣って口元を拭いていた。

 最後に紅茶を運ぶと一口で飲み干してから。


「それにイチ殿、貴方のこともしかと伝えなければなりません」


 そう言ってきたのだ。俺の中に眠るアバタールのことだ。


「そうだったな。アバタールの件か」

「そうです。今のうちに言っておきましょうか、おそらくあなたは向こうに付いたら大変な日々がいずれ訪れるでしょうな」

「まあそんな気はしてるさ。なんたって魔法が効かないからな」

「魔を壊す力があるだけで世界のバランスが崩れますからなあ。きっとあなたの力を望む者が接触しにきたり、その力をもって助けを乞うものが現れるでしょうな」

「面倒ごとと一緒にか?」

「実に。おっと、今のはニシズミ社の真似ですぞ」

「クソみたいなやつがいたらぶちのめしていいか?」

「それはできれば国を通してからやっていただければ幸いです。それと、貴方の力がどれほどのものかと国の研究機関からお呼び出しがあるでしょうな」

「だったらこういっとけ、解剖したりお注射しなかったら引き受けてやるってな」

「おや、いいのですか?」

「フランメリアの為になるなら構わないさ。注射はやめろよマジで」


 フランメリアに渡れば「アバタール奇跡の復活、魔壊しがセット」か。

 さぞ人目を引いていろいろなものを招くだろうし、知りたがりが調べに来るはずだ。

 だからアキに「来るなら来い」と伝えた。いい笑顔でうなずいてる。


「分かりました。もちろん注射なしと口で伝えておきます故、ご安心して実験台として振舞ってくださればけっこうです」

「心配するな、変な人体実験とかしたら暴れて脱走してやる。注射もな」

『注射そんなに嫌いなの……?』

「それは困りますなあ、貴方が暴れたらフランメリアがどうなるか不安で不安で……」

「そうならないためにも一日三食と寝床と適当な暇つぶしをつけるように伝えといてくれ。あと注射はなしだ」

「はっはっは、フランメリアの平和のためなら仕方ありませんな。私にお任せあれ」


 俺たちは笑った。こいつもいい付き合いになったと思う。

 こんだけ注射を断れば変な実験はされないだろう。俺の未来が一つ安泰になった。


「俺の食事もあれから賑やかになったものだな」


 その時だ。テーブルの向こうにいたクリューサがそっと口を開いていた。

 あいつはずっと黙って味わってた。すました顔だが、皿の上は何一つ残さずきれいに片づけられている。

 もちろん料理人冥利に尽きるからリム様も嬉しそうだ。反面、これからに寂しそうにしてたが。


「当たり前だぞクリューサ、ご飯は誰かと食べた方がうまいんだ。フランメリアじゃ当たり前のことなんだからな」


 誰より早く食い、誰より良く味わってたクラウディアもそれに並んだ。

 ()()のペースに合わせてたんだろうな。お行儀よく空っぽの皿を前にしていた。

 二人はまるで神聖な儀式みたいに静かに平らげると。


「……今まで食べて来たお前の料理は確かにうまかったぞ。これから先、これほどの食事やこれ以上の馳走に会うことはないと思ってるところだ」


 あいつはなんてことを言うんだろう、普段から想像できないセリフを言い出した。

 何か変なの食ったのかと茶化したくなるほどだった。あいつの本心がそこにあるのだ。

 リム様はよっぽど意外だったに違いない、一瞬言葉を詰まらせて。


「そんなことありませんわ、クリューサちゃん。フランメリアにはまだおいしいものがいっぱいありますの」


 首を優しく振った。少し泣きそうだった。


「だったら生きる片手間にそれを探すのも悪くないだろうな」

「もちろんですわ。私もそれを上回るご馳走をまた用意しますから、クラウディアちゃんと一緒にあちらの世界を身と心で味わってくださいまし」


 クリューサはそれ以上何も言わなかった。しいて言えば「ああ」だけだ。



 そこからはあっという間にお別れムードだ。

 お医者様とダークエルフは席を立つと、ツチグモから荷物を回収しにいった。

 女王様やアキもお土産の山を背負ってきた。旅行でもしてきたような振る舞いだ。

 食いかけがあろうが俺たちも立った。旅立ちの装いをかけた四人と一緒に、あの銀の門へと歩いていく。


「……ここを通ればいいんだな?」


 そして、あの銀の世界が目の前にあった。

 石の門に収まったふんわりとうねるその色はまるで液体だ。

 クリューサはそんなものを見上げていた。人知に理解し得ない不可思議なものだが、それが向こうへ渡る手段だと信じてる。


「それを通ればフランメリアさ。大丈夫、火星に飛ばされることもなければ究極の土地に送られることもないし、気楽なものだよ? クスクス……♡」


 いつの間にそこに移動したんだろう、大きな門の上でニャルフィスがくつろいでた。

 だがお医者様には尻尾をゆらゆらさせる遠い姿に驚くものはなかったようだ。

 それだけ分かると振り返ってきて。


「……ノルベルト」


 オーガの姿を呼んだ。見届けようとしていた本人が目を合わせると。


「聞いた話だがお前には家族がいたそうだな。俺にはもうそんなもの、この身にありもしないが……きっとお前のご両親は向こうで息子の帰りを心配しているぞ、早く行って安心させてやるんだな」


 いつもの調子でそう言ってきた。

 ノルベルトの返事は「わかった」という寂しそうな顔の頷きからだった。


「クリューサ先生、貴方は良き医者だ。フランメリアでもその腕で笑顔になる人が沢山いることだろう、どうかクラウディア殿と共に貴方らしい道を歩んでくれ」


 クリューサも深く頷いた。次にロアベアを見て。


「ロアベア、医者からのアドバイスだ。エナジードリンクの飲み過ぎは臓器と神経系への致命的な損傷を与えるぞ、その手のものを控えて以後は勤勉に働くことだな」

「わかったっす」

「お前のメイドとしての評価は医者視点からでもどうかと思うが、それでも俺たちが幾度も助けられてきた事実は変わらん。せいぜいイチと仲良くやることだな、健康でいろ」

「……うちもあんたにはお世話になったっす。どうかお元気で、クリューサ様」


 医者らしい言葉を残して、それからメイドと挨拶も交わして俺の方へきた。


「ミコ、お前の相棒は少し馬鹿だ。支えてやるやつがいないと危険だからな、人的被害を抑えるためにも見張っておいた方がいいぞ」


 最初の言葉はまあなんとひどいことか。でもいつも通りだ。


『……はい』

「俺が教えた医療技術も忘れるな、ヒールを使う時は応急処置からだ。お前たちの荷物に医療機器や薬を入れておいたから役立てるといい」

『クリューサ先生、ずっとお世話になりました。ニクちゃんやいちクンを助けてくれたり、たくさんの人を救ってくれたり、あなたはやっぱり素敵なお医者さんだと思います。だからどうか、お元気でいてください』

「……その素敵なお医者さんも今日でお別れだ。今度はお前が助けてやる番だ、いいな」


 クリューサが少し笑った気がした。それから最後にぽんと肩を叩くと。


「クリューサさま。ぼくがご主人と一緒にいられるのは、あなたのおかげ。今までありがとう」


 ニクのダウナーな顔がそう見上げていた。

 お医者様の黒い手袋越しの手がその頭を撫でたみたいだ。尻尾がふりふりしてる。


「その逆もしかりだ。お前は数奇な人生を歩んでいるようだが、そこのご主人と共にいれば安泰だろう。この二人を支えてやれ」

「……うん、任せて」


 別れを告げると、とうとうこっちにやってきた。

 あの不健康な顔が目の前で淡々としていたものの、俺たちは目が会うなり。


「クリューサ、思えばずっと世話になったな」


 片手を差し出した。握手の形で向けたそれに返答なんて期待しちゃいないが。

 ところが意外なことにぎゅっと握り返された。しかも強く。


「イチ、聞け」


 そしてまっすぐと見てきた。その表情は未だかつてないほどの生気がある。


「お前の背負ってるものは途方のしれぬものだろうな。お前を人たりえない何かにするほどの重みかもしれない。だがお前がなんであろうと、俺の心にあるのはあの時命を拾ってくれた余所者(ストレンジャー)だ。お前もそれを忘れるな」


 強くそう言われてしまった。そうか、お前も俺をずっと見てきてくれたんだな?

 軽口も叩けないほどのうれしい言葉だった。強く首を縦に振ってこたえた。


「ああ、俺は世紀末世界のストレンジャーだ」

「それでいい。お前にはひどく振り回されたが、今じゃ誇らしいものだ。向こうではせいぜいわが身の健康に気をつけることだな」

「……ああ」

「そんな顔をするな。いつから今生の別れになったんだ」


 気の利いた冗談も飛ばなかった。本気で見送ることにした。


「さらばだぞ、みんな。もし向こうでまた会ったら食べ歩きに行こう! フランメリアはおいしいものがいっぱいだからな!」


 クラウディアも手を振ってきた。そして二人はくるっと門を向いた。

 行く当てはその銀色、奥に通じる剣と魔法の異世界だ。


「――イチ、最後に教えてやる」


 臆することなく進んで、その途中にクリューサが立ち止まった。


「あの時……お前は俺だけじゃなく我が母も救ってくれたな。俺たち一族に根付く長く深い苦しみを断ってくれたのは間違いなくお前だ、これが自由というやつなんだな」


 そういって、振り返らぬまま伝えてきた。

 クリューサ、俺はお前に少しはいい人生をくれてやれたんだよな?


「また会おう、ストレンジャー」


 二人は門へと潜っていった。

 最後に見えたのはふっと消えていく後ろ姿だった。

 これで医者とダークエルフは異世界へいった。楽しい人生を過ごしてくれ。


「……さて、私たちも行かないとね?」

「そうですなあ。帰ったらさぞ忙しい日々が待っておりますぞ、女王様」

「うまくサボるわ、心配ご無用」

「サボった分の何かが誰かに回ることをお忘れなくとしかいえませんな」

「ヒヒンッ!」


 女王様とアキも続いた。大げさなほどの荷物がお土産だ。

 付き添う白い馬なんて気の毒なもんで、あれこれ入ったバックパックを左右につけられて荷物持ちとして活躍してる。


「ヴィクトリアちゃん、紅茶とお菓子が恋しくなったらうまく抜け出してくるのですよ!」

「今度は子供連れて密入国果たすわ! 待っててねみんな!」

「とんでもないこといいやがったよあいつ……」

『これ、いちクンのところにまた来るパターンだよね……』


 ……ひでえ挨拶だった。もはや俺にできるのは連れてくる子供がイロモノじゃないことを祈るだけだ。


「いっちゃん! たぶんフランメリアについたら私の旅の仲間が接触しに来ると思うわ!」

「もう結構です……!」

「私ほどじゃないけどすごく強いから稽古をつけてもらいなさい! いい人生の糧になるから!」

「人の話聞けよおい!? もういいからほんと!?」

「ミコちゃん! 元の姿に戻ったらいっちゃんとドロ甘ラブラブになりなさい!」

『女王サマ!? せめてもうちょっと綺麗な言葉使ってくれませんか!?』

「ニクちゃんはいっぱい可愛がってもらうのよ! 散歩もねだりなさい!」

「ん、もちろん」

「オーガのご子息はいい笑顔で帰りなさい、それが最高のお土産よ!」

「ああ! あなたから学んだこと、教わったことは良く生かそう! さらばだ!」

「ロアベアちゃんは今まで通りに人生を楽しく過ごすこと! それと職にあぶれたらいっちゃんに養ってもらうように!」

「了解っす~♡ その時は雇ってもらうっすよ~」


 女王様もいろいろ台無しにしつつ、ストレンジャーズに別れを告げて門をくぐった。

 あんたにはひどい目にあわされたけど、間違いなく俺の人生は楽しくなってるよ。


「それでは皆様、フランメリアで会いましょう。いやはや、クラングルあたりであのドーナツがまた食べられないかどこかに話を持ちかけてみなければいけませんなあ」


 アキも通っていった。お洒落の姿に流暢な挨拶を浮かべて、楽しい足取りだった。

 最後はあの白馬だった。こっちに「ヒヒンッ」とひと鳴きして、軽快なステップで帰っていく。


 人がごっそり減ったストレンジャーズは静かなものだった。

 寂しいけれど、悲しいお別れなんて一つもないのが救いか。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 普段口数少ない常識派なクリューサ先生の説教臭い熱い別れの言葉にジーンと来ました。 数話前で授〇手〇き+複数プレイやらかしてたとは思えない話です(´∀`)ヶラヶラ [一言] 何年か前に感想欄…
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