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魔法の姫と世紀末世界のストレンジャー  作者: ウィル・テネブリス
Journey's End(たびのおわり)
367/580

5 ドーナツといえばサムズ・タウン!(2)

 温かくて甘ったるい香りが漂っていた。比喩ではなくその通りに。

 デイビッド・ダム・ロードの道すがら、西に見える廃墟に向かうようにそこはあった。


 戦前のサービスエリアが150年後の人類によって手を加えられた場所だ。

 車道の傍らにあるファストフードの店舗やホームセンターを都合よく整えて、ウェイストランドの旅路を挟むように作られている。

 人里を守る防壁と見張り台の監視の元、広い土地を使って旅人の憩いの場として機能されてるようだが。


『おーい! 止まれ! そのウォーカー・キャリアもどきはなんだ! まさか『下』の連中か!?』


 そばの小麦畑を過ぎて入り込もうとすれば、検問が俺たちを待っていた。

 左側に見える広い駐車場には戦闘用車両が銃座を向けて、頭上にも鼻先にも銃を持った男どもがある場所だ。

 敵意は感じられない。ただ単純にこの『ツチグモ』の大きさに驚いてる。


「ただの南から来た誰かだ! いいサービスエリアが見えたもんでな!」


 俺は銃座から敵意がないことを示した。

 相手は色あせた戦前の軍服で見てくれを統一された規律のある連中だ。

 ゲートの向こうにある屋台やらからは甘くて香ばしい香りが漂ってて、まるで町そのものが焼き菓子みたいだが。


『お、おい! 見ろあれ! 擲弾兵の装甲服だ!』

『ブルヘッド・ラジオで言ってた通りだ! あれ『ストレンジャーズ』だぞ!』

『通せ通せ! あいつらを招くといいことあるって言われてるしな!』


 擲弾兵の衣装に感謝しよう、向こうはこっちの姿に騒いでる。

 良く見えるように天井から飛び降りると、降りた先で警戒心もなく見張り連中が集まってきた。

 しかしそんな様子もすぐに落ち着くと。


「ようこそ『サムズ・タウン』へ、ストレンジャー。あんたなら大歓迎だ、ここでうまいドーナツでも食ってけよ」


 奥から一人の男が武器も持たずにやってきた。

 親し気というか、食べかけの太い輪状のお菓子を片手にのんびりしてる。

 ついでに言うとどう見てもドーナツを食ってた。緊張感などここにはない。


「話が早くて助かる、お邪魔するぞ。ところでそのドーナツ支給品?」


 そんな奴に向けてヘルメットを取った。甘ったるい香りがダイレクトに届く。

 病的なほど甘い匂いがする中、向こうは汚れてない方の手を差し出してきて。

 

「見張り連中はドーナツを食うのも仕事なんだ、いや冗談じゃなくマジだぞ。職務怠慢の証じゃなくて宣伝も兼ねてる」


 チョコソースのかかった古き良きドーナツをもぐもぐしながら握手してきた。

 返すと「正直飽きたがな」と漏らした、この匂いにもうんざりしてそうだ。


「お勤めご苦労さん、ずいぶん甘そうな町だな」

「うまそうだからってどうか町を食わないでくれよ、ここの家やらはお菓子でできちゃいないし人食い魔女も貧しい兄妹もいないぞ」

「ならよかった、うちにお菓子の家を平らげそうなやつがちょうどいたからな」


 そういうと見張りたちは大きな駐車場を案内した、停めろってことらしい。

 ヌイスの運転が駐車スペースを大胆に占領するのを見守ってると、この『サムズ・タウン』の様子を生身で感じ取れた。

 どうもここは人で賑わってる。旅で来た連中が俺たち以外にもいっぱいだ。

 東側のホームセンターには収穫した小麦が運ばれてる様子もあって、あの黄金色の所有者がはっきりした。


「なるほど、ここの連中が育ててたのか」

『そうみたいだね。でもなんでドーナツなんだろう? そこら中からすごく美味しそうな匂いがするよ……』


 あの妙な看板の言う通りだった。ここはドーナツに支配されてる。

 向こうで屋台やキッチンカーがあからさまにドーナツ造りに勤しんでいて、買い求める客も相応だ。

 なんだかおかしい様子だ。今現在もその更に上を行くものが近づいており。


『こんにちは、市民。ドーナツはいかがですか? ドーナツはいいものです、朝も昼も夜も、間食にも夜食にも、ダイエットにだってうってつけですよ』


 ウェイストランドでたまに見かける人型を模したロボットが宣伝しにきた。

 二足で軽やかに歩くそれは宣伝道具を持たされていて、人の営みに無理やりこじつけた謳い文句を振るってる。


「イチ、ここはなんなんだ!? お菓子がいっぱい売ってるようだぞ!」


 そしてクラウディアが飛んできた。いっぱいに見える店に感激してる。


『お客様、適度なドーナツは身体と心の健康に良いとされています。健やかなドーナツをお求めであれば、ダイソン&ミドスのダイナーへおこしください』

「なんだと? そこに行けばうまい「どーなつ」とやらが食えるのか! 分かった今行く!」


 が、焦らず的確な宣伝をされてどっかに行ってしまった。

 ダークエルフの偵察力できっとうまいドーナツにありつけてるはずだ。


「……なんだこの街は、妙に活気があるくせに不健康そうな場所だな」


 追いかけて来たクリューサはそんな後ろ姿に呆れてた。

 戦後の医者目線にはきっとどこもかしこもドーナツを食らう人間が見えて思うところがあるのかもしれないが。


『元気がない時、肌色が悪い時もドーナツがおすすめです。熱いコーヒーと一緒に気持ちの良い午前を過ごしましょう』


 空気を読まぬ宣伝が挟まる。お医者様は白い顔で不愉快極まりなく訝しんだ。

 「あっちいけ」と追い払った。ロボットは渋々どっかにいった。


「その不健康っていうのは精神的な意味か? 俺にはここの人達がドーナツに取りつかれてるように見えてるぞ」

「何もかもだ。それになんだこの匂いは、吸ってるだけで健康被害が出そうなんだが」

『ドーナツの匂いでいっぱいですもんね……、ここまで強いとちょっと食欲がなくなっちゃうよ……』


 実際気分が悪そうなクリューサはともかく、みんなもぞろぞろやってきた。

 しかし想像以上の甘ったるい空気に難儀した顔ぶれだ。ニクなんてダウナーな顔をしかめてるぐらいで。


「……甘くて油っぽくて、なんかやだ」

「なんと濃い菓子の匂いだ。これほど強烈な香りは俺様初めてだぞ……」

「なんすかここ、皆様一心不乱にドーナツ作ってらっしゃるっす……」

「フランメリアの小麦を使ってお菓子を作っているのですね、こんな世界なのに甘味を大切にしてるなんて粋ですわね!」


 この嗅覚に被害をこうむる有様に関しては、クラウディアとリム様を除けばみんな難儀してるみたいだ。

 ノルベルトもダメならどれだけ深刻か嫌でも伝わる。そんな中。


「なんだいこの甘ったるいところは。どこを見てもドーナツの店だらけなんだけど、もしやドーナツを作らねばならないという不定の狂気にかかっているのかい?」


 ヌイスもしつこいぐらいのドーナツ臭に眉をひそめながら降りてきた。

 いればいるほど強く鼻に訴えてくるそれに俺すらも「ちょっともういいです」と誰かに言いたくなるころ。


「サムズ・タウンへようこそおいでくださいました、ストレンジャーさん!」


 陽気な声が向かってきた。街の見張りを引き連れてのおっさんのご登場だ。

 青色のジャージにテンガロンハットという、一目でこの世のファッションセンスに疑問を呈すような格好が近づいてくる。


「よお、邪魔してるぞ。その目立つ格好もドーナツの宣伝かなんかか?」

「古き良きファッションです、良いものでしょう? 私はこのコミュニティの町長、ノワドでございます。あなたのご活躍は良く耳にしておりますよ」


 髭を生やしたがっしりした体格はいい笑顔だ、ドーナツまみれの町を背景にしてだが。


「そりゃどうも、旅の途中だからちょっと立ち寄らせてもらってるよ」

「あなたのおかげでこの町も賑わっております。北からも南からの旅人が押し寄せて、ご覧の通り旅の合間の憩いの場と成り立ってますからね」

「俺のおかげ?」

「ラーベ社の馬鹿どもを静かにしてくれたでしょう? まったくやつらめ、以前は品格のない傭兵どもをけしかけてきたのですよ。我々の誇る小麦畑を接収しようと何度も何度も……」


 が、こんな甘い街も背景にはラーベ社の横行が絡んでたらしい。

 町長は南東に広がる畑に向かって仰々しく手を向けている。


「さっきの小麦は全部あんたらの所有物だったのか?」

「道中ご覧になったようですね。いかにも、あれは自慢の小麦畑でございます。小麦の種を見つけて植えて以来、あそこで良く育つようになっていまして……」

「ひょっとして作物が急成長してるのか?」

「ええ、いかにも。水脈は蘇り、あの廃墟の土壌は作物が豊かに育ち、まさにドーナツのためにあるようなものでしょう。その感謝の意をこうして皆で示しているのです」

「ドーナツで?」

「そう、ドーナツで!」


 あれは全部このドーナツまみれの町のものだったのか。

 目の前のやつはいかにドーナツが素晴らしいかと透き通る声でいってきたものの。


「あれだけの小麦を管理、加工するなんて骨が折れますわ。それをこのような場所で安定して行えるなんてすばらしい場所ですの!」


 リム様のロリ声がそうほめたたえたので、向こうは機嫌よくにっこりした。


「ええ、そうなのです。こうして戦前からあるホームセンターを倉庫と加工場を兼ねたものにしまして。それにこの辺りには食材にも事欠かさないのですよ」


 町長はそういって「あそこを」と手を向けた。

 ちょうどサムズ・タウンの道路を横断する一団が見えた。巨大な牛の群れともいうが。

 ファンタジー世界から来たとしか思えない姿は住人たちによってゆるく誘導されていて、もー、とやるせない声を今日も上げてる。


「なるほど、乳製品にも困ってないようですわね。ということはここでは酪農もしているのかしら?」

「その通りでございます、お嬢さん。南の『ブラックガンズ』ほどではありませんが、ここは穀物と乳製品を強みにしているのです」

「それにこの香り、卵や砂糖も自給自足してらっしゃるのかしら? ふんだんに使われてますわね?」

「おや、鼻の利くようで。あなたのいうように菓子に必要な食材がここには揃っているのです、まさにドーナツの神のお目思慕がある聖域なのですよ」


 リム様と話しが合うのか、変わった服装の男は目を輝かせて熱っぽく語ってた。

 そして最後に向けられたのは街の東側、そこに小高く立つ150年前の看板だ。


「我々はそのことに感謝しつつ、今日もドーナツを焼いております。良ければ旅立つ前にここのドーナツを是非ご堪能下さい、そして遠い地にいる者たちにこの甘味のすばらしさを伝えていただければ幸いです」


 ……そこには遠くからでも分かるドーナツの造形がぶら下がってた。

 風に吹かれて今にも落ちそうに揺れてるが、コイツにはどうでもいいことらしい。


「ええ、素晴らしさはこうしている間にも伝わっておりますもの。洗練された菓子の香りがしますわ、私とても興味がありますの!」

「分かっていただけますか、素晴らしい。良ければこの地に伝わるレシピがございますので、町の雑貨店でお買い求めください――それでは良いご滞在を」

「まあ、作り方までご伝授していただけるのですね! さっそく買ってきますわ!」


 洗練されたドーナツの香り漂う中、町長は帽子を下げて一礼してから去っていった。

 なんとも狂気を感じるほどの菓子マニアだが。


「……あんなこといってたがドーナツのくだりは真に受けるな、ちょっと頭をやられてるだけだ」


 さっきの見張りの男がドーナツを片手に言ってきた。ものすごく嫌そうな顔をしてる。

 それだけ伝えると「ゆっくりしてけ」と残して持ち場に戻ったようだ。

 ついでにリム様が「ヒャッハー」いいながら通りに彷徨うのが見えた。


「オーケー、俺たち変なところに来ちゃった気がしないか?」

『やっぱり変だよね、さっきの人ドーナツあがめちゃってるよ……?』

「……おにく食べたい」

「クリンのように人食いがいなければ俺様は構わんがな。そこまでここの菓子のすばらしさを自負するというのなら味わってみようではないか」

「すっごいドーナツ推しっすねえ、あひひひっ♡」

「俺はもう胃もたれするような年だぞ、甘くて脂っこいものとは相性が悪いということを伝えておこうか」

「何か過去に強いショックを受けてドーナツにフェティシズムを発症した、一種の強迫観念的なそれかもね。まあ甘いものなら適度であれば歓迎さ」


 みんなでこの町どうしてくれようと話し合ってると。


「この『どーなつ』とやら本当にうまいものだぞ! なんてすばらしい場所なんだ、ここで一晩明かそうみんな!!」


 目をキラキラさせて、ついでにもぐもぐ頬を動かすクラウディアが全力で戻ってきた。

 ただし湯気立つ紙コップと食べかけのドーナツをその手に。

 そこまで言うなら、ということで少しだけこの街の空気に飲まれることにした。



 ……おかしい、どこを見てもドーナツがいたるところで作られてる。


 『ツチグモ』を見張り連中に任せて町に散らばると、俺の目に映るのはそれだけだった。

 小さな店が清潔さをアピールしながらドーナツを揚げ、立派な構えの店が焼いたドーナツを自慢し、気さくなキッチンカーが現在進行形のドーナツを売り出す。

 脳が侵食されるような光景だ。ヌイスの言う通り狂気に満ちてる。


「ようそこの兄ちゃん、ドーナツなんてどうだい? いやドーナツしかないんだがな」


 ミコとニクでそんな有様に腰が引けてるところ、屋台から声がかかった。

 神聖なものを扱ってますとばかりにドーナツが展示されてる。

 向こうでは半そでの兄ちゃんが生地をあげてるようだ。


「ここはどうなってんだ? どこ見てもドーナツだぞ?」


 話が通じるだけマシだ、俺はチップを片手に近づいた。

 様々な色と形が揃ってる。昔ながらのもの、ふんわり生クリームの白さを覗かせるもの、粉砂糖がかかった白いもの、オーソドックスなチョコ色のもの――ドーナツしかない!


「あんた、うちの町長からスピーチ喰らってやがったな。気の毒に」

「ああ、神様からの贈り物とか言ってたな」

「神っつーかご先祖だと思うんだがな」

「ご先祖?」


 ニクと一緒に立ち並ぶ甘味を眺めてると、店の兄ちゃんは指をどこかに向ける。

 追えばさっきのぶら下がるドーナツの看板が見えた。東の空でボロボロな方だ。


「ここはよ、昔ドーナツを売りにしてる会社があったのさ。あの今にも落っこちそうなのが見えるかい?」

「見えるな、そろそろドーナツの辞め時が見えてる」

「あれだよ、あれ。150年前は地域密着型の――そう、『ご当地ドーナツ』とでもいうかな。アリゾナ受けするドーナツを狙った企業の本社があったんだ」

「あそこにか?」

「そう、あそこさ。もっとも今じゃ危険な場所だ、現にあれが誰かの頭上に落ちそうなおっかないまま放置されてるだろ?」


 店の兄ちゃんは厄介そうに向こうを見てる。

 確かにこの辺りは人が住めるように整えられてるようだが、遠く離れた向こうだけは寂れてるのが良く分かる証拠である。


「なんでそんなのが放置されてるんだ?」

「テュマーだよ」

「……なんだって?」

「テュマーがうじゃうじゃいてな、それで外側にガンガンバリケード貼って中にずっと閉じ込めてるのさ。数十年も封印されてるらしいぜ」

「よくもまあ歴史が深い場所だな、数十年もの熟成テュマーのそばで暮らしてるのか?」

「逆に言えばそれだけで済むような脅威さ、いつか南で傭兵でも雇って綺麗さっぱり片づけてもらおうって話し合いで決まったんだ。まあ、今頃中で干からびてるんじゃないかって言われてるけどな」


 なんて場所だ、あの西側のリゾート地の反対側にもいやがったのか。

 いやそれにしてもテュマーを傍らに置いてドーナツ信仰だなんて頭がおかしいんだろうか。


「その結果がこれか、ここもおいしそうな町なことで」


 俺はいつぞやのクリンを思い出した。流石に人食いな甘党なんていないでほしい。


「あんたのこと、なんとなく知ってるよ。前に美食の町クリンで人食い族とやりあったって?」

「よくご存じで。そいつらが手塩にかけたレモンも燃やし尽くしてやったぞ」

「うへえ、あの『人間成分たっぷり』なレモンのことか?」

「ああ、食っちまった後に気づいたレモンだ」


 ドーナツをそろそろ吟味してると、向こうは悪戯っぽく笑って。


「じゃあこういうのはどうだ? ほらレモンだ」


 ……足元のバケツを探って、ちょうど話題に上がった果物を出してきた。

 思わず身構えた。ミコも『ひっ』と引くほどだ。


「うわレモンじゃねーか!? まさか南のか!?」

『れ、レモン……!?』

「おー、噂通りマジで喋るんだなその短剣」


 そんな声に相手はにこにこしながら普通に接してる、いいやつそうだ。


『あ、こ、こんにちは……?』

「どうもお嬢さん、喋る短剣なんてめでたいね。でもご心配なく、うちの店は北から流れて来たクリーンなレモンさ」

「あっちにもあったのか?」

「おう、岩塩と一緒に見つかったんだとさ。これで北の名物に「きれいなレモン」が追加されたぞ?」


 店の人はいい顔でこれ見よがしにレモンをかじってみた。苦くて酸っぱそうに歪んだ。

 すすめられたが全力で拒否した。まあ向こうはお構いなしにそれをしまうと。


「最近この辺りも調査が入った結果、水があったり豊かな土壌があったりと至れり尽くせりでね。うちの町長はあの今にも落ちそうなあれを見て、ドーナツ職人を作ろうってトチ狂ったこと言いやがったんだ」


 今度はごそごそしてから別のものを取り出してきた。

 保存状態のいいそれなりに厚い本だ。『初心者でも大丈夫! "ミス・ドーナツ"秘伝のレシピ集』と表紙にある。


「なんだそれ、ドーナツの本?」


 試しに見せてもらったがありきたりな料理本だ。

 スキルも上がらなきゃ、素人でも分かるように図解付きで丁重に作り方が書いてる。


「戦前にあそこが出版した民間向けレシピだよ。この街にたくさん在庫が残っててな、流石に本場150年前の味そっくりまでとはいかないだろうが"それらしい味"を作れるように企業努力が詰まった一冊だぜ」


 店のやつは「あそこ」とさっきのテュマー入りの本社の姿を補ってくれた。


「……まさかそいつがドーナツのおめしぼしとか言わないよな?」

「その通りだ。あいつは「150年前の味そのまんま!」とかいってるけどよ、正確にはもどきだ。企業秘伝のドーナツのつくり方なんてバラしたら商売にならないだろ?」

「まあ物はいいようだな。町おこしとしては成功してるからいいんじゃないのか?」

「まあな。この本に従えば大体はうまいドーナツができるから不思議なもんだよ」


 本が引っ込んだ。店主は周りの店の数々をじっと見てる。

 この店も、あの店も、あっちの店も、すべてが戦前のドーナツレシピ集を基に作られたようだ。


「でも一説によればだが、本社には伝説の企業秘密のレシピが置いてあるらしいぜ?」

「つまり本物のつくり方があんな場所にあるっていうのか?」

「ああ、あそこに大切に保管されてるって話だ。もっとうまいドーナツが作れるって話でもちきりだ」


 胡散臭い話も足された、その『ミス・ドーナツ』の本社に秘伝のレシピがあるらしい。

 今の俺に見えるのは少しきっかけを与えれば墜落しそうな巨大なドーナツの飾りだが。


「じゃあテュマーを起こしてまで作りたいかって話にならないか?」

「いいや思わないね、あんだけ朽ち果ててるんだ。触らぬ神に祟りなしってやつ?」

「あの看板がそのいい例だな。もう少しで落ちそうだ」

「それが町長が「伝統だ」とかいってあのままにしてやがるんだ。まだ半年もたってないくせに伝統だなんてほざきやがって、そろそろ誰かをカロリー過多で圧死させちまう頃さ」

「死因がドーナツなんて死ぬほど恥ずかしくなるだろうな」


 不穏なドーナツを眺めてると、今度は「こっちはどうだ?」と店の品々をすすめられた。

 大分匂いに慣れたせいかうまそうだ。ニクも興味津々ですんすんしてる。


「こっちのおすすめは?」

「"デビルド"と"チョコナッツ"だ、軽いから食いやすいぞ」


 店長じきじきのおすすめを尋ねると、ふわっとうねる小麦色と砕いたナッツがこびりついたチョコ色がそれらしい。

 大体が一つ150チップほどだ、北の物価はともかく世紀末世界なくせしてそれだけの価値がある見た目は確かで。


「そいつを二つずつくれ」

「よしきた、ここのドーナツは冷えてしっとりしたやつを提供するのがしきたりだ。食いすぎるなよ」


 ニクの分も含めて買った。紙に包まれたドーナツが手元に残った。

 まいど、と見送られながら気さくな店から離れると――妙にうまそうな香りがする。


「……元の世界でもこんなのあった気がする」

『これが?』

「ああ、タカアキが好きだった。あいつの故郷はなんかドーナツが安いとかいってて……」


 俺は愛犬と顔を見合わせてからかぶりついた。

 しっとりした生地だ。チョコとは違う甘さのあるナッツの香りがよく合う。


「……ん、おいしい?」


 ニクは目をキラキラさせてる。味の性癖に当たったらしい。

 ついでにミコもブッ刺した。


「普通にうまいな、これ……」

『あ、おいしい……!? こんな世界でこんなもの食べれるなんて……!』


 あっという間に食べてしまった。じゃあ"デビルド"も試してみよう。

 見た目は少し大きなドーナツだが膨らんでる。一口食べれば膨れた生地から甘さと香ばしさが流れてきた。

 脂肪分はともかく甘さそこそこで食べやすい。確かに店主がすすめるだけあると思う。


「おいしいですわ! これぞフランメリアにはない甘味、いっぱい食べて覚えなければッ!」


 二つ目も三人で平らげてると、リム様がドーナツいっぱいにやってきた。

 どこで買ったのかあの料理本もしっかり脇に抱えてる。食べ物が絡んだリム様は元気だ。

 ……ついでに足元にはドーナツ咥えたガチョウがいる。誇らしげにしてる。


「流石のフランメリアにもこんなのはなかったか?」

「ええ、ありませんでしたわ! このふわっと揚げた生地にクリームを入れたものとか、丸みを帯びたもちもちしたものとか、チョコの味を利かせたこれも絶対向こうで流行りそうな気がしますの!」


 恐らく甘味だらけの紙袋を二つも抱いて好奇心がよく働いてらっしゃるようだ。

 使い魔も「HONK!」と羽を広げてご満悦だが……。


「はい、お二人とも! ママからのおごりですわ!」


 ずいっとドーナツ袋を押し付けられた。好きなものとれと豪快さがある。

 中はいろいろなドーナツ科ドーナツ属でいっぱいだ、俺だったら食いつくすのに一週間はかかりそうだ。


「んもーさっき食ったばっかりなのに……」

『りむサマ、いくら何でも買いすぎだよ……』


 しかもだ。さっきと同じ見てくれのものも混じってる。

 デビルドとチョコナッツが一寸変わらぬ有様であるんだから、いかにレシピに忠実なのか良く現れてた。


「しかもこれ、さっきの店とあんまり見た目かわらなくね……?」

「確かにそうですわね。このレシピに沿って作られてるとお聞きしましたけれども、どこもかしこも忠実に再現されてるような……」

「せめて購買意欲を湧くように努力したほうがいいんじゃないか? 見た目も同じとかありがたみがないぞ」


 物申したい気分だが、さっき気に入ったチョコ味を取った。

 一口かじれば――あれ、さっきと同じ味。


「……ついでに味も」

『味も!?』

「いやほんとなんだ、見てくれミコ」


 さっきと同じおいしさがあればありがたみも薄れるが、相棒にも共有させた。

 刀身を指すと「うーん?」と悩ましい声がして。


『……あれ? さっきのおんなじ味がする?』

「さっきの店のと?」

『うん、全然変わらないっていうか』


 かなり疑問を呈してた。ミコが言うほど同じらしい。

 それならもう一つの袋、別の店舗のドーナツだ。チョコ色を掴んで刺せば。


『やっぱりそっくりな味がするよ。若干の違いはあるけど、殆ど同じ気がする……?』

「言われてみるとそうですわね、似たり寄ったりといいますか……かすかな風味の違いはあれど、芯は皆同じという感じがしますわ。材料もほぼ同じとみてもよろしいかと思います」


 リム様ももぐもぐしながら舌で調べてる。地面に置かれた紙袋にガチョウが顔を突っ込んでた。


「……みんなレシピに忠実みたいだな、素晴らしい一体感ですこと」


 俺は食いかけのものをかっこんだ。『PERK』のおかげで無理やり気味に。

 しかも道行く人たちはドーナツを楽しんでるわけで、それほど質の良いものがこうも店を並べるほどに作れるなんて大した場所だと思うが。


「……おや、あなたたちも来ていたのですね。しばらくぶりですなあ」


 そんなところにてくてくと歩くスラックス姿が混じった。

 片手には湯気立つ紙コップ、そしてやっぱりドーナツを手に取る誰かだ。

 その言い方を発するのはあの緑髪のエルフ、アキだった――何してんだこいつ。


「アキ、お前も来てたのか?」

『あ、こんにちはアキさん。ここまで来てたんですね?』

「いやはや、素晴らしい甘味を味わえて感無量なのですよお二人とも。ここは素晴らしい場所ですなあ」


 ものすごくマイペースだった、ドーナツを堪能してる。

 先行したやつらはどうしたのかと気になってけれども、まさかドーナツに縛られてるやつがいたとは。


「他のやつはどうした? ここにいるのか?」

「先へ行かせました、しばらくここの調査なども執り行う予定でして。ああいや別にドーナツに魅了されたわけではありませんよ?」


 アキは小麦畑とドーナツの店を「仕事です」と紹介してる。この土地の事情を調べるつもりらしい。


「俺にはドーナツ中毒になったエルフが見えかかってるぞ」

「甘みというのは何だって中毒となりえるものですよ。いやしかし、フランメリアの小麦がよもやこうも美味な甘味に変わるとは胸躍りますな」

「あらアキちゃん、ドーナツ気に入りましたの?」

「ニシズミ流に言うのであれば"実に"ですよ。飢渇の魔女殿には是非ともこの作り方を持ち帰って欲しいところです」

「ふふ、もちろんです。あちらでもこの世界の味をそのままそっくり再現してさしあげましょう」

「良き返事ですな。これで帰国の喜びもまた増えたものです」


 やっぱりこいつドーナツにハマってるんだと思う、傾けた紙コップからコーヒーの香りが漂った。

 メスキートのコーヒーモドキだろうか、甘ったるい味に苦さが欲しくなってくる頃だが。


「ああそうそう、イチ殿。あなたのお知り合いがいらっしゃいますよ」

「俺の?」

「ええ、良く知っている御方です」


 一口飲んですっきりしたアキは「あちらです」と手招きしてきた。

 俺の知り合いっていうのはどいつのことだろう。ドーナツまみれの場所で知り合うような奴がいたものか。


「やあストレンジャー、我が救世主。今日も楽しんでるかい? こっちもエンジョイさ、久々じゃないか」


 かけられたのは流暢な言葉だった。

 世紀末らしからぬスーツ姿のいい男がそこにいた。

 やっぱりドーナツ片手だが、今日は何時にもなくご機嫌な様子でその足取りを見せている。

 名前は、そう、メルカバ。俺の『リージョン』自動拳銃を売ってくれた武器商人だ。



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