83 やっぱりあなたには真実を
気のいい住民から質問攻めにあってから、酒の席に乗らないまま抜け出した。
ご丁重なことに誰かさんは居住区にある部屋を俺たち一人一人にくれてやったようだ。久々の落ち着ける場所がようやく手に入った。
気前の良さに感謝しながら向かった先は文明感たっぷりの部屋だ。
まだ動く照明が眩しいぐらいで、壁に備え付けられたモニターが広告を流し、シャワーもトイレもあればキッチンすらある。
なんだか元の世界を思い出すのは言うまでもない。タカアキには悪いけどこっちのマンションの方がずっと快適だ。
「……ふぅ」
そんな場所につくなり、俺は熱いシャワーを浴びた。
何から何まできれいに洗い落とすとそれはもうすっきりした。
ひたすら動かした筋肉と皮膚に熱さがしみるが、身体の硬さは解れた気がする。
『……こういう部屋、初めてだなぁ』
そこにシャワーブースの外から相棒の声がした。
ガラス越しに洗面所を見れば、コップにぶち込まれたミコがいた。
「そりゃファンタジー世界にこんな現代的なのあるわけないしな?」
『うん。でも、わたしたちのいた街はお風呂とか台所とか、けっこうしっかりしてたよ?』
「あっちの世界で?」
『うん。クランハウスっていう場所でみんなで暮らしてたんだけど、すごく快適だったよ。人間さんたちも元の世界とそんなに変わらないって言ってたし』
「へえ、俺たち現代人が文句を言えないレベルか。気になるな」
水気をとりながら向かうと、敏感なセンサーがぴたりとお湯を止めてくれたようだ。
変哲もない洗面所を除けば両手をついた茶髪の『ストレンジャー』がいる。
『……いちクンの身体、また傷が増えてるね』
そんないつも通りの姿はミコも良く見てくれたらしい。
前々からあった傷に加えて、アーマー越しに受けた一撃や掠った弾の名残が幾分こびりついてる。
毒親に弄繰り回されたつるつるの白い肌はだいぶいびつだ。
でも俺からすれば上手に生きた証拠さ。毒親とのつながりを断ち切れたと思うぐらいには。
「未来の俺とやらもここまでボロボロじゃなかっただろうな」
同時にこいつは未来の自分を失った証拠だ。
あの話はこうだ。そうあるべきだった俺が遠い未来で引き起こした出来事だと。
人工知能と共に学んで、人生を一緒に歩いて、世界を変えて最後は死ぬ。
そしてまた生き返って、また世界を動かして、また最後に死ぬ。
その時点で未来の俺は死んだ。人生を共にしたノルテレイヤという子はそんな俺の死を二度も目の当たりにしたんだろう。
「もう本来あるべき加賀祝夜じゃない。アバタールでもなんでもない、ただの『イチ』だ」
けっきょく、彼女の人類に対する底なしの善意は過去の自分、すなわち俺へと回ってきた。
絶望だらけの未来よりも彼女がこねくり回した数千年後の地球の方が希望に溢れてたに違いない。
死んだ愛する人をこの俺に上書きして、三度目の人生を歩ませようとするほどには。
『……いちクン?』
元の世界にいた頃とだいぶ変わった顔を確かめてると、そう静かに呼ばれた。
見ればきれいに磨かれた刀身と柄がこっちを見ていた。
とんでもない物語を引き起こした余所者に巻き込まれた相棒だ。
「どうした? 何か言いたそうな呼び方だな」
そんな喋る短剣がいた快適な剣と魔法の世界とやらも、未来の俺たちが用意したものだとさ。
人ならざる形を得た人工知能たちも全て、この俺が生み出したことになるんだろうか。
今いるここだってそうだ。ノルテレイヤと共に犯したミスがたまたま生んだもう一つの世界だ。
一体幾つ罪状を重ねればいいんだろうな、相棒?
『うん。さっきの話のことなんだけど』
「ちょうど俺もそのことを考えてたよ」
『あの世界も、わたしたちも、未来のいちクンとノルテレイヤさんが生んでくれたのかなって』
そう言われてふと鏡を見た。
鋭さの増した瞳と見ごたえのある数々の傷はもはやアバタールの資格を損ねてる。
配信者として楽しくやって、人工知能たちと足並みを揃える未来はもうない。
そこにいるのは今の俺だけだ。ノルテレイヤに纏わる物語の原点たる『1』は、世紀末世界で血なまぐさく生き抜き、敵を殺し装甲を穿つ足の生えた対戦車兵器へと様変わりだ。
「そうだろうな。そしてその資格をこうして失った俺がいるってことだよな」
皮肉なことに、こんなイレギュラーが生まれたのは大切な人を蘇らせようと焦ったノルテレイヤによるものだ。
おかげで未来でMGOを作り、たくさんの仲間に恵まれ、フランメリアでも愛された『アバタール』は完全に消えた。
ストレンジャーの存在は未来を一つ殺した事実だ。
今残っているのはそのわずかな名残、それもいつ爆発するか分からない時限爆弾つきときた。
『……じゃあ、わたしたちは生みの親を失っちゃったのかな?』
クソ面倒くさいストレンジャーに物言う短剣が尋ねてきた。
そうだな、そうなるだろう。ノルテレイヤも、その子供たるヌイスやエルドリーチも親なしになったわけだよ。
ここにあるのは輝かしい未来で人工知能と社会を発展させたアバタールじゃなく、そのガワだけのまがい物だ。
「そうだと思う。俺はもうストレンジャーだ、『ノルテレイヤの愛する人』はもういないってことなんだろうな」
そう答えて着替えを取りに行く。
ヴァルハラの連中が用意してくれたこの都市らしい格好だ
擲弾兵を引きずってるのか、ダークグレーのしっかりとしたカーゴパンツに心地よさそうな市街地向けのジャケットが重ねられてる。
「あわよくばこれ着て戦え」とばかりだ。実戦的な気配りをありがとう。
「でも、それだけだ。まだノルテレイヤとの縁は切れちゃいない、だったらやることは決まってる」
ブルヘッドの流儀にしたがって新しい服を着た。ちなみに擲弾兵セットは洗濯中だ。
びしっと身に着けて「どうだ?」と相棒に見せに行った。
鏡の中には割と元気そうな『ストレンジャー』がいらっしゃるぞ。
「確かに俺の未来は死んだし、みんなの愛する『アバタール』は消えた。でもそれを継ぐ権利までははぎとられてなかったみたいだな?」
逆に言えばそういうことだ。未来は一つ消えたがオリジナルの俺ができた。
アバタールとしては逸れたけれども、その分自由な選択肢がここにある。
だったらその身軽さを利用して、ついでに今の自分をはっきりさせてくれたお礼として、生みの親に恩返しでもするのもありだろ?
「お前らを生んでくれた、いや、俺すらも生んでくれた二人のために頑張ろうと思う。なにをどう頑張るかまでは決めてないけどな」
だから少し笑った。つらい時は笑えばいいという今の俺なりの経験から基づく持論だ。
「だから……こんな目に会わせてしまって本当にごめん、お前もきっとあの世界で楽しく生きるべきだったのにさ」
それから謝りもした。こんなはた迷惑な話に首を突っ込ませた相棒に、一体どれだけ負担をかけてしまったのやら。
フランメリアのバケモンどもだってそうだ。どんなにこの世を楽しもうが、あっちの暮らしから無断で連れてきた責任はぬぐえない。
「俺、あっちの世界にいったら埋め合わせをしようと思う。まずはそこからだな」
コップから短剣を抜いた。
タオルで拭くと、いつもの綺麗な刀身が出てきた。
『……ふふっ、すごいなぁ』
が、鞘に収めたところで感心された。
おっとりとした笑い声は意外だった。どうして褒められるのやら。
「何がすごいって?」
『ううん、ほんとにすごいなって。あんなことを聞かされて、いっぱい知って、それなのに前を向いていられるんだよ? いちクン、やっぱりすごいなって思う』
「ボスに『うじうじ悩め』とか教わってなかったからな。叩きのめされた甲斐があると思うよ」
こんな子にすごい、と言われるなんて光栄なこった。
まあ悩む暇がないというか、そうならないように育てられたというか、だいぶ俺もウェイストランドに鍛えられたみたいだが。
『……あのね、そこだけじゃないんだよ?』
ミコはふんわりとそう言いかけてきた。
『この世界、作り物なんだよね?』
「ああ、どうもそうらしいな」
『でも、あなたは本物として向き合ってくれてるよね?』
「まあな」
作り物のウェイストランドか。
いつぞやボスに話したけど、この世界は偽物だ。
世紀末世界を取り巻くたくさんの記憶が「ある日突然再現されたもの」だって。
『だからすごいと思うの。あんなに悲しい真実がいっぱいあったのに、一歩も逃げないで受け止めてるもん』
「それしかないっていうか、よけようがないっていうか、そういうのもあるけどな。それに一時期全部踏み倒して逃げようかと思ったよ」
『……わたしだったら何もかも嫌になっちゃうよ。ずっとふさぎ込んじゃうかも」
「困ったことに『絶望してふさぎ込め』なんてのも教わってなかったからな。それに……この世が作り物だって分かっても堂々としてたすごい人がいただろ?」
ところがだ。
恩人を死なせて「これはゲームだ」と思い込んでた誰かさんと違って、その事実を知ってもなお真実のまま生きた方がいる。
その名もボス。作り物の世界を受け入れモノにしたとんでもない御方だ。
『……うん、いたね?』
「その人の真似をしてるだけさ。今もこれからもな」
だから俺も続くことにした。彼女の生きざまを見てやっと受け入れられたんだ。
思えばツーショットもきっと――そういうことなんだろう。
あいつは俺たちよりもずっと前にこの世の真実に気づいてしまったはずだ。
だが、きっと、世界の内情を知ってもなお『ボス』であり続ける彼女にどこか生きる理由を見出したのかもしれない。
『……ふふっ、おばあちゃんもいちクンも、わたしの周りはすごい人でいっぱいだなあ?』
「何言ってんだ、お前含めてみんな立派なやつだよ。俺はそれにあやかってるだけだ」
楽しそうに笑う相棒に「ツーショットもな」と付け足してリビングに戻った。
「……だから一生のお願いがあるんだ、ミコ」
『うん』
「もう少し俺のわがままに付き合ってくれ。んでー―」
それから、ちょっとだけ部屋の窓を見た。
小さなブルヘッドの夜景があった。夜遅く生き生きとした明るさだ。
「向こうに着いたらお前を待ってる家族にはちゃんと事実を伝えるつもりだ。何を言われようが俺は真実を伝える」
ずっと思っていたことの一つをそっと伝えた。
この旅で起きたこと、そしてどうしてこいつが姿を消したのか、俺には包み隠さず話す義務がある。
たとえそれが「出ていけ」という言葉に変わろうがだ。
『……クランのみんなに、全部話すの?』
帰ってきた言葉はそれはもう不安そうだった。
そりゃそうだ。いきなり連れ回して「おたくの友達借りました、異変の原因は自分です」なんていったらお帰り願いたくなるだろう。
その時点できれいな終わり方はなくなるし、ミコとの関係もだいぶ遠ざかるはずだ。
「ああ、そのつもりだ。まあ世界の起源だとかぶっ飛んだのはなしにするけど」
『ううん、全部話さなくてもいいと思うよ』
「悪い、ずっと前から決めてたんだ。もう誰にも嘘はつきたくない」
『……ダメだよやっぱり。そんなことしたらみんな、きっと……』
「いや、やる。そうしないと――」
でもやらなきゃいけないのだ。
都合のいい事実だけを並べてこいつのヒーローになるなんてごめんだ。
俺は真実を追い求めるストレンジャーであるべきだ。今まで踏んだ旅路にかけて。
「俺じゃなくなるからだ。お前を無事に返してカッコつけてさようなら、なんてするように育てられちゃいないからな。俺は向こうで、また『いち』からやり直さないといけない」
あっちでぼろくそ言われて「帰れ」といわれるのが最初にすべきことだ。
それからいろいろな人にかけた迷惑や、未来の自分たちがやり残したことを継ぐ。
また『1』からのスタートなんだ。それでようやく行くべき道に戻れる。
「だめか?」
『……わたしと会えなくなっちゃうかもしれないのに?』
ところが返ってきたのは泣きそうな声だ。
おいおい泣くな、と少し笑った。
「そうだな、『二度とストレンジャーに会うな令』が発令されても、こっそり会いに行くぐらいはしでかすつもりだ」
『……そんなことしたら、みんなにもっと怒られちゃうよ』
「バレないように全力で取り組むさ」
『どうやって……?』
「ブラックガンズでの訓練でも生かしてこっそりと」
『……悪用厳禁って言われてたよね?』
「どこまでが悪用なのか聞き忘れてたなそういえば。まあ大目に見てくれるだろ、あいつら適当だし」
俺だって辛いさ、だなんて言葉もあったが言わないでおいた。
真実を言ったところで相応の何かが降り注ぐだろうし、ミコとの距離が空くのは確かだ。
ずっと肩にいた相棒がある日突然消えたら寂しいに決まってる。今考えるだけでも怖い。
「ま、要するにいつでも会いに行くってことだ。俺が事実を言って信頼ゼロのスタートを切ろうが、一からやり直して勝ち取って見せるよ」
けれどもそれがなんだってんだ。
生きてる限りはチャンスはある。それでミセリコルディアの連中から嫌われようと、ミコとまた一緒になるために死ぬ気で信頼を積んでやる。
んであわよくば一緒に、今度は短剣越しじゃないおいしい食事を共にしたい。それが俺の願いだ。
『……いちクン、どうしてそこまでしようとするの?』
「今まで一緒に飯は食ってきたよな?」
『うん』
「今度は二人でちゃんとした飯を食うぞ、相棒。それも堂々と、こそこそしないで、みんなの前でだ。とびきりうまいラザニアをな」
そのためだったら何でもしてやる。
フランメリアについたらいつどこでも二人で仲良く飯を食えるほどの信頼を勝ち取るだけだ。
こうして言ってやると、ミコは泣いてるんだか笑ってるんだか良く分からないまま。
『……ふふっ、律儀な相棒ができちゃったなぁ?』
「それがストレンジャーだろ」
とにかく嬉しそうにしてくれたんだ。上等だろ?
自分がこういられるのも間違いなくこの相棒のおかげなんだ。
向こうで英雄として成り上がる? 最強の人間として頂点に立つ? いいや、この計り知れない恩を真っ先に返してやりたい――それだけさ。
「そういうわけだ。お前の大切な家族にぼろくそ言われて、大変な借金も抱えて、さぞきついスタートになりそうですがどうかよろしくお願いします――ダメか?」
『だめ』
「なんでだ」
『わたしも一緒。あっちについても一人にさせないからね?』
「つまりこっそり抜け出してくれるわけだな?」
『うん、やってみる。わたしも一緒にブラックガンズで学んだから』
「じゃあいっそのこと一緒に怒られちまうか? でもクランのみんなのことは何より大事にしてくれよ? お前には家族がいるんだから」
俺はだいぶ染まってくれた相棒をぽんぽんした。
いっぱい言えてすっきりしたな。白い部屋に置かれたふかふかのベッドに向かう。
『ううん、両方大事にするよ』
「欲張りだな」
『どっちも大切だもん』
「うん、ありがとな」
ぼふっと転がった。世紀末世界のくせして仰向けから見える天井はえらく真っ白だ。
「こんないい相棒に会えたのも未来の俺がしでかしてくれたからなんだよな。だったら、なおさら恩返ししてやらないとな?」
ずっと一緒にいてくれた相棒を掲げていってやった。
それから少し悩んで、そうだな、口を近づけた。
「ん」
『あっ……』
冷たい刀身の根元にふにっと唇を当てた――まあそういうことだ。
多少時間をかけて「なにしてんだ俺」と我に返ったが、やっちまったもんはしょうがない。
そのまま何か伝えようとしたが羞恥心の方が強かった。急いでベッドに潜る。
「……ごめんやっぱ恥ずかしいです」
『……ふふっ♡ やっぱりいちクンは律儀だな~♡』
「ごめんなさい忘れて」
『…………あっちについたら、覚悟してね?』
「勘弁してください」
枕もとの相棒の甘ったるい声がするが忘れよう、もう寝る。
そう思って必死に身を守ってると。
『開けろッ! 飢渇の魔女だッ! お夕飯持ってきましたわー!』
『ご主人、リムさまつれてきた』
『イチ君! いるのは分かってる、でてきたまえ!』
『ハハ、夜分遅くに失礼。遊びに来たぜイチ』
どんどん、ばんばん、やかましいのが外から聞こえてきた。
どうして俺ってこうタイミングがひどい重ね方をするんだろう?
「んもーーーーーほんと空気読まない奴ら……」
ひどい割り込み方をされたが、恥ずかしさも忘れて来客を迎えに立ち上がった。
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