16 スピリット・タウンで何が起きた?
「…………いらっしゃい」
両開きの扉を開けた先で、なんとも重々しい声が出迎えてくれた。
ステアーの言うようにいい場所なのはすぐ分かった。
酒場と宿屋を兼ねているつくりで、明るい壁紙と積極的に太陽光を取り入れる姿勢が中を広く感じさせた。
「宿泊か」
ただし、西部開拓時代らしいカウンターの向こうは厳つかった。
スキンヘッドで髭をたっぷり蓄えた筋肉量強めの大男が見つめてくる。
「あー……」
戦車の全面走行みたいな顔つきには鋭い目がくっついてた。
きっとレンジャーのアーマーを着せたらいい隊員になれると思う。
というか石みたいに動かずじっと見つめてきてものすごく怖い――
「――お邪魔しました」
ばたん。
先頭を務めていた俺はゆっくりと見なかったことにした。
『いちクン!? なんで戻っちゃうの失礼だよ!?』
「いやだって恐ろしいのがいたから……」
「お前が恐れるなんてよほどのものなんだろうな、とりあえずアドバイスはこうだ。戻ってくるな馬鹿者」
「も~何してるのよいっちゃん、人を第一印象で決めるとロクなこと起きないわよ? まあ女王様に任せろ!」
クリューサと女王様に叱られたが、代わりに二人が進んでくれた。
「すまない、いろいろと訳のある顔ぶれだが泊めてもらえるか? 金ならいくらでも払うんだが」
「あら、こんな世界なのに趣があっていいじゃない。内装で広々とした感じを作っていて落ち着ける場所だわ」
「なんだったんだあいつ」みたいな目は、入れ替わりでやってきた奇妙すぎる顔ぶれを無言で見ている。
最初は踏み入った医者と女王を、次に変な客を、最後に人外な面々を見て。
「条件がある」
溶接したんじゃないかと思うほど硬い表情が店の中を指した。
その条件がある空間とは、酒場として機能している一階のことだ。
客で埋まればさぞ賑わうであろうそこに、腰を落ち着ける人は誰もいない。
「酒は取り扱っていない。構わないか?」
更にカウンター裏の棚にはそれらしい酒瓶が一本もない。
あるのは古びた十字架と聖書が大切に置いてあるぐらいだ。
なるほど、少なくとも酔っ払いにまつわるトラブルは避けられそうだな。
「良かった、酒は嫌いなんだ。酒絡みで血が流れるイベントもな」
なんだか親しみを覚えてきたのでしゃしゃり出ると、さっきの奇行はともかく感心された。
「お前もそういった決まりがあるのか」
「まあな。家族がアル中でひどい目に会って絶対飲まないと誓ってる」
「それは気の毒だ、だが自らを制して生きることは容易いことではない。どのようなものであれ誓いを守り続けることは尊い行いだと俺は思う」
見た目も声も何もかも怖いおっちゃんだけどいい人そうだ。
それにノルベルトやニクを見ても嫌な顔一つ(ただ単に表情筋が死んでるだけかもしれないが)しないのも好感が持てる。
「一人1000チップ。どうせ誰も来ない店だ、好きな部屋を使え」
「じゃあ10000チップね」
「待て。9000だ」
「そこにもう一人いるのよ。そうでしょ?」
本当に女王様が払ってくれたが、相棒の分まで勘定に入ってるようだ。
二人分の視線が肩の短剣に向くと、少し言いよどみがあってから。
『ど、どうも初めまして……ミセルコルデって言います……?』
いつものおっとりした声で店主に挨拶した。
「短剣が喋っているな、何が起きている?」
しかしこのおっちゃんも中々だ、まったく動じてない。
どっしり構えた身体には「ああそうなんだ」みたいな気概すら感じる。
「短剣に精霊が宿ってるのよ。だから一人よ」
「そこに魂がおられるんだな。だとしたら初めての客が今こうしてたどり着いたのも精霊の賜物か、こんな宿だがどうかくつろいでくれ」
『あ、はい……く、くつろがせていただきます……?』
なんだか勝手に感謝し始めているが、ともかく女王様のおかげで無事に部屋を借りることができた。
その名も宿屋レッドアイ、酒場があるのに酒を売らない変わったところだ。
「ようやく一息つけるのか。俺は疲れた、一足お先に休ませてもらうからな」
「久々にちゃんとした睡眠がとれそうだな。質の良い寝床は大事だぞみんな」
歩き続けた上に心労も絶えなかったクリューサは階段をのぼっていった。
他の面々も荷物を置きに行ったりと散らばっていく、やっと休めそうだ。
「へい店主! キッチンある!? 紅茶淹れてもいいかしら!?」
「あるぞ。好きに使え」
「あら、店の設備をお客さんに使わせちゃっていいの?」
「……料理は苦手なんだ」
「良かったわね、うちには料理人がいるのよ」
「およびですの~?」
「料理人……? その子供が?」
「みんな良く聞きなさい! 今からお茶入れるから待っててね! 女王直々のおごり故拒否権はないから!!」
カウンターの向こうではさっそく女王と魔女の侵略が始まってる。
料理も酒も出ない宿屋か、なんでステアーはここをすすめたんだか。
まあ、このおっちゃんのお人柄によるものなら納得だ。
「まったく、俺は旅先で必ずトラブルに挟まる体質なのか?」
お茶テロから逃れられなくなった俺は空っぽの席に着いた。
その傍らにニクがぴしっと立ったので隣に座らせて。
「……ご主人が進む先って、いつも何かが起きてる」
「それか俺が起こしてるかだ」
「大丈夫、ぼくもいるから」
「それは『俺に任せろ』と『死なばもろとも』どっちなんだ?」
「ん、どっちも」
「そりゃどうも、マジで頼りにしてる」
ミコに次いで巻き添えを食らってる愛犬をなでてやった。
頬も緩んで耳もぺたんとなったニクは「んへへ……♡」と幸せそうだ。
『……うん、思い返してみたら確かにそうかも。わたしたちが哨戒任務に出てから穏やかな場所なんて一つもなかったよね』
「一生続きそうだ。良かったなミコ、これからも記録更新だクソが」
『もうわたしたちってそういう運命なんじゃないかな……』
「やめろ、そんなこといったらゴールのデイビッド・ダムとかどうなるんだよ。テュマーうじゃうじゃ二倍で待ち構えてるのか? それとも盗賊団でも根付いてるのか?」
『考えたくないです……』
ひとまず休んで最初に思ったのがこの運命だ。
どこへいっても何かしら起きる体質はもう死んでも治らないとして、一体どうしてこう面倒なことばかりに巻き込まれるのか。
その内容は盗賊団の気まぐれから人食い族の陰謀、軍人モドキの侵略計画にテュマーも朝ごはんといろいろだ。
んで今度はなんだ? 西部開拓時代モドキの町で運び屋と住民のトラブル?
「今日もまた一段といろいろありそうっすねえ、イチ様」
荷物を下ろして楽にしてると、二階からメイドがちょこちょこ戻ってきた。
「そうだろうな、あともう少しで演技じゃなく本物の銃撃戦が始まってたぞ」
「わ~お、確かに本格的っすねえ。あひひひっ♡」
「撮影する奴がいればな。北部ってこんな血の気の多い奴ばっかなのか?」
「イチ様ぁ、うちあんまり把握してないんすけど……あのディアンジェロって人、運び屋のおじさんたちと街の人たちを争わせてるような気がするっす」
『……うん。そのことなんだけど、わたしもそう思ってたよ』
ロアベアもあの時のやり取りに違和感を覚えてたか。
無一文になったダメイドも座ると、ノルベルトものしのし降りてきて。
「この様子であれば皆気づいているだろうな、やはり何か妙だと」
近くの壁際のソファーに腰を掛けた。
これであいつを不信に思うやつは宿いっぱいになったわけか。
「ぼくもおかしいと思う」
ほら、撫でられてるニクもダウナーな顔でそう言っている。
「お前もか? どうして?」
「あの男の人、香水の匂いがした」
「香水? そんな匂いしなかったぞ?」
『香水……? ディアンジェロさんから?』
「ん。でも確かにしたよ、身体に染み付いてる感じがする」
変化の条件に乏しい顔で言うには「香水の香りがする」そうだ。
周りに「した?」と伺うが、ロアベアもノルベルトも首をかしげている。
「殿方が香水をつけるのは珍しいのかどうかはさておいて、そんなのつけてたら流石にみんな気づくっすよねぇ」
「俺様も嗅覚には多少なりとも自信はあるが、そのような香りはしなかったな。ニクの鼻の良さでなければ分からぬほど残っていたのか?」
「そうか。ニク、あいつから何か別の匂いはしなかったか?」
「牛と鹿の魔物の匂いがした。たぶん、解体してるからだと思う」
「血と肉の臭いか。狩人ってのは本当らしいな」
『じゃあ、そういう時に染み付いた匂いを消すためなのかな?』
「なるほどー、けっこう臭うっすよね血とか臓物の匂いって」
「それだけの獲物を狩っているということなのか? いやしかし――」
魔物の匂いがするってことは本当にあの銃で狩ってるんだろう。
しかし香水か、匂いを消そうと努力してるならまあ……いや待て。
狩りをしてるやつが香水? そう思ったところで。
「それは妙だぞ、ワールウィンディアといいガストホグといいクレイバッファローといい、そういった不自然な香りには警戒心を持つはずだ」
クラウディアが降りてきた。
その長耳で良く聞こえたのか話に割り込んでくる。
「そうだ、匂いで獲物に警戒される」
彼女の言う通りだ、狩りは何も自分の足と武器に頼るものじゃない。
地形を把握して相手の習性も理解して罠を張り、視覚や聴覚も駆使して感覚的にやることだ。
そして嗅覚も。獲物というのは思った以上に敏感で、風で送られた体臭で気づいて逃げることもある。
ディアンジェロはどうだ? そんなことも分からない素人だったのならともかく、そこまで気を使わない人間なのか?
「うむ、クラウディア殿の言う通りだ。狩りに余計なものを持ち込むのは合理的ではなかろう」
『あの人、狩りに慣れてないのかな? でもちゃんと狩ってるんだよね……?』
「私の見た感じだが、あの男は狩りに慣れているぞ。あの体幹しかり銃の扱いしかり、魔物を狩れるだけの実力はある」
「それか「香水つけて縛りプレイとか余裕」だっていうのか? 何にせよ狩りにいらないもんを持ち込んでるのは間違いなさそうだな」
あいつは間違いなく魔物を狩ってる、腕も確かか。
そこにニクの言う香水か――――いやこいつが言うんだ、絶対に何かある。
『ねえ、ちょっといいかな?』
「どうした?」
『さっきのディアンジェロさんのことなんだけど』
「明るい話題じゃなさそうだな、なんだ?」
『いちクンにずっと目を合わせてこなかったよ。それに、言葉の調子が少しおかしかった』
「あいつ確かに変だったな。なんていうか顔がかなり緊張してた」
『うん。声も少し大げさにつくられてたよね? わたしたちが来てから言葉が急ぎ足になってた気もするよ』
「他に気づいた点は?」
『街の人たちをしきりに話に巻き込んでたよね、銃を構える時も全然躊躇がなくて少し変だったかも』
「言われてみればそうだ、待ってましたとばかりに構えてたよな」
あの時ミコが言ってたことはこのことだったのか。
どうも俺たちは違和感を共有してたらしい。こいつのおかげではっきりした。
「むーん、つまりこうだな? あのディアンジェロという男、本心ではなく何かしらの目的があって住民たちを運び屋へけしかけていた……と」
「そしてイチ様っていうかうちらの登場は、そのお方にとって想定外だったってことっすかね?」
「じゃあなんだよ、俺が立ってなかったらあのまま頭に猟銃ぶっこんで解決してたって言いたいのか?」
「イチ、私はお前がちょうどいい抑止力になったんじゃないかと思うぞ」
くそ、とにかく俺がいると不都合な何かを隠してることは間違いない。
話の雲行きが怪しい。ろくでもないこと起きる空気だ。
「――その原因の一つは緊張状態からの薬物の接種だな」
そこへお医者様がマイカップを手に割り込んできた。
紅茶と一緒に出てくる言葉が「おくすり」か。
『薬? クリューサ先生、ディアンジェロさんが何か薬を使っていたんですか?』
「ちょうど現物があるぞ、見るか。あと誰が先生だ」
あいつと何かの薬物が結ばれていて、その現物があるだって?
みんな釘付けになると、鞄から手のひらに収まるほどの容器を取り出し。
「リフレックスという戦闘用ドラッグがある。専用の吸入器で気化させて、喉の奥に流し込む薬物なんだが」
その全貌を見せてくれた――小さなタンクと繋がった白色の吸入器だ。
本体から口でくわえる部分が斜めに伸びており、その裏側で何かが起こりそうなボタンがあるのだが。
「こいつを吸うと気分を鎮静化させて、集中力を向上させるわけだ」
『えっ……あの、クリューサ先生……!?』
「誰も実践しろとまでは言ってないぞお前」
「待てクリューサ、お前は何をしてる。やめろ身体に悪いぞ!」
あろうことかそれを咥えてボタンを押して、ぷしゅっと音を立てた。
クラウディアの制止むなしくいきなりキメてみんなびっくりだ、店主のおっちゃんは相変わらずだが。
「……ふう。まあ依存性はあるがな、気軽に吸える薬物といったところか」
『吸っちゃった……大丈夫なんですか……!? そんな危ない薬なんて……』
「心配するな、薬物中毒を治す薬を使えば問題ない」
クリューサは青白い煙を吐きながら落ち着いている。
そのまま「どうだ?」と勧められたが、健康を大切にすることにした。
「まあ今問題なのはどう話に絡むかだ。過剰に摂取すると、激しい胸の動悸や吐き気、不安感の増長、一時的な多汗症に抑うつといった症状が出るんだが」
「医者的な視点で見るとその症状が出てたとか言わないよな」
「今述べた症状がところどころに見られたぞ。つまり」
「ディアンジェロ様はお薬に頼ってらっしゃるんすねえ」
「その通りだが、身体を害すほどあれを吸うのは健全な精神状態とは言えまい」
あいつはあんな顔して薬物にどっぷり浸かってるらしい。
怪しい、実に怪しい、叩けば叩くほどいろいろと出てくるぞ。
「それからあの岩塩は紛れもなく本物ですわ、何を隠そう私のカバンにも入ってますから!」
そうやって話が続くとキッチンからリム様が来る。
あのカバンをかき回して活きのいいガチョウが「Honk!」と出てきて、遅れて透明感のある塊が引っ張られた。
欠けてるが紛れもないあの岩塩だ、小さなおろし金もセットだ。
「さあロアベアちゃん女王命令だ、紅茶を配りなさい! ――ということはあの運び屋たちって白なのよねえ、私目線だと」
「うぇーいっす女王様」
とうとう紅茶が完成したらしい。女王様のコメントも一緒だ。
「黒はディアンジェロってことか」
「チャイを召し上がれ!」と紅茶がきた、甘そうだ。
「で、どうするつもりだ? ここまで分かった以上、もう他人ごとじゃすまされないぞ」
クリューサも紅茶をすすった、気に入ったらしい。
俺も一口飲むと――うまい。甘くて濃厚だ、匂いだっていい。
「そうだな。個人的に気になるってのもあるけど、ナガン爺さんが今後通りやすいようにしておきたい。ディアンジェロについて調べようと思う」
『……うん。すごく気になるし、手伝うよ』
「ん。においを辿るなら任せて」
「フハハ、俺様も付き合おうではないか。そうなれば監視者たちの詰め所に向かうべきだろうな」
「その前に街の人たちから話を聞くのも大事っすかねえ、あひひひっ」
探ろう。この街の謎とやらに興味があるのも確かだ。
それにみんなも関わろうとしてくれている。
気がかりは山ほどだがこれだけ頭数がいるんだ、分散して調べよう。
「行方不明となった監視者のことについても調べるべきだぞ」
「薬物を使うとなれば多少興味はわく、俺も参加だ」
「楽しくなってきたわね! もし詰所へ向かうなら私も連れて行きなさい」
「私は宿でお待ちしておりますわ~、お料理が必要になったらいつでもきてくださいね?」
クリューサや女王様もだ、さて……そうなると俺は何を調べるべきか。
行くとすればやっぱり詰所か、ステアーから詳しく聞いてみたい。
「オーケー、お茶の時間が終わったら動くぞ。俺はステアーのとこだ」
「……お前たちが何をしてるか知らないが、ディアンジェロさんのことで何かあったらしいな?」
ふとカウンターを見れば、巻き添えを喰らった店長もお茶を楽しんでた。
ちょうど何か知っていそうな口ぶりで関わってきている。
「聞いてくれ。あの人は腕の立つ狩人なんだ、人付き合いもいいしみんなから信頼されてる。だが最近は妙だ」
「妙?」
「街のみんなは気にしてはいないが、この頃狩りへ行く時間が長引いていてな。それでもたくさんの肉をもたらしてくれるのだから立派に努めているのは分かるんだが……心配なんだ」
「なるほどな、情報ありがとう」
「さっきの出来事は見ていたぞ。けっして力に頼らず言葉で解決しようとする態度はとても理性と勇気がいるし、賞賛に値することだと思う。どうかお前たちが今成そうとしていることもそうであってほしい」
店長はそれだけ言って紅茶を黙って味わい始めた。
また忙しい一日が始まりそうだ。カップを空にしたら真相を探りに行こう。
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