119 まだ猶予はある。
「ご主人、起きて」
上げ下げの幅が乏しい声がして、ようやく圧し掛かる重みに気づく。
見慣れた犬っ娘が飼い主の身体を寝床にしてたみたいだ。
胸のあたりで顎を乗せて、耳をぺたんとしたままおっとり落ち着いていた。
「……ああ、おはよう」
今日もゆったりと起きれた。
少しけだるい体を起こそうとすると、ニクは圧し掛かったまま。
「ん♡」
上でゴロゴロしながら、妙に甘えるような声で頭を突き出してきた。
ふわふわつやつやな髪と耳をさわさわした。とても気持ちよさそうだ。
「……むふん♡」
そして愛犬はやたらと満足な様子で起き上がっていった。
そこにはぷにっとした犬っ娘の裸の姿が――ん?
【特殊PERKを習得!】
尻尾を振りながら離れていく姿に通知が重なる。
PDAを慌てて開くとPERKに【みんなの性処理器】と名があり。
【あなたは周囲の性欲発散道具として扱われた結果、そこそこに性的な技術を身に着けたと思われます。少なくとも、オスをメスに変える程度にはね。永続的に技量が1増加します】
何があったか、何をしてしまったのか、速攻で思い出す。
あの後俺はシャワー室で泡まみれにされて――
さっぱりした傷だらけの身体の前には、それはもう綺麗に折りたたまれた何時もの服が置いてあって。
『洗濯しといたっす! ロアベアさんより』
『追伸、ベッドの上でもストレンジャー』
スティングシティの終わりみたいな書き置きがあったので【分解】した。
あのメイド科メイド属メイドモドキはとにかくとりあえず服を着よう。
今やストレンジャーの象徴でもあるジャンプスーツを着てると。
「……またシてほしい」
一体何の現状報告か知らないが、わんこパーカーを着たニクが戻る。
気持ちを表明した相棒はとてつもなく親密な様子で迫って、こつん、と鼻先をくっつけてきた。
それも少し顔を赤らめて恥ずかしそうに。
『…………へんたい♡』
枕元の短剣からも追撃がきて、いよいよシャワー室の出来事が逃れられない歴史の一つと化したようだ。
ノルテレイヤ、また言わせてもらうけど俺が一体何をしたっていうんだ。
「……ごめんニク」
「ん。ぼくは成犬だから、セーフ」
「何がセーフなんだ!?」
『二人ともかわいかったね~♡ ……ふふっ♡』
「……メスにされちゃった……♡」
「クソッ! 変態しかいないのかこの街は!?」
このまま部屋にとどまるともれなくスティングが滅びそうなので、荷物を取って戦闘準備OKのまま出ていく。
「――例のマナ注射についてだが、準備ができ次第始めるぞ」
「ああ、分かった。あとでたまり場に集めておくぞ」
「それにしても困ったものだ、効果を確かめるための試験だというのにどうしてあのように嬉々として志願するやつがいるとは」
「フランメリアの者たちは好奇心旺盛だからな! それに医者は向こうでは尊敬される存在だ、みんなもお前のことを信頼してると思うぞ」
「その尊敬と信頼とやらがちゃんと医者の本質に目を向けている方であってほしいのだがな」
ちょうど出た先ではクリューサとクラウディアがいた。
ここ最近でかなり落ち着いた様子なんだから、この二人もスティングのお掃除の恩恵にあずかってるようだ。
『あっ待って首っ』「おはよう二人とも、なにしてんだ?」
「……おはよう、クリューサさま、クラウディアさま」
朝の挨拶を交わそうとすると、二人が一瞬「えっ」と戸惑った気がする。
特にお医者様の方はなんだかとても気まずそうにしつつ。
「……あー、元気なようだな」
「ああ、残念だけどお医者様の出番はなさそうだ」
「まあそうだろうな。役に立てないのは確かだ、余計な口は挟まないとしよう」
なんだか歯切れが悪いけど何かあったのか?
ダークエルフの方も何か言いかけてたようだが、
「うむ、元気そうで何よりだ。ちゃんとご飯食べるんだぞ」
親しく笑ってそう口にしたので、おかげで空腹が蘇る。
何があったとは言わないが体力を消耗したのは事実だ、今の俺ならマカロニアンドチーズ二箱は余裕でいける。
お取込み中だった医者とダークエルフのコンビから離れて階段を下りると。
『いちクン、首っ』「おや、噂をすればなんとやらだね」
宿にはボスを中心にいつもの面々がゆる集まっていた。
今まで見たような忙しさこそ感じないが、山積みになった課題がテーブル上の地図に浮かんでるのが分かる。
「おはようございます」と近づくと、みんな親しく、やがて一瞬で怪訝そうな顔をされて。
「…………あー、ストレンジャー?」
地図をじーっと見つめていたツーショットが、なんだか気まずそうだった。
すぐに取り繕ったようだが、すぐに笑いをこらえるようなしぐさに変わった。
周りを見ればエンフォーサーの隊長からホームガードの軍曹まで困惑してる。
「……え、なんかあった?」
今日はまだ何もしてないはずだ。
みんなの様子の原因を探ろうとしたところ、ボスが露骨にため息をつく。
「あんたに「毎朝鏡を見ろ」と教えなかった私の責任かねこりゃ」
「どういうことですかボス」
「……身だしなみに気を付けろって言った方がいいかい?」
「どういうことですか!?」
「おいミコ、なんでこいつを止めなかったのか速やかに説明しな」
『えっ、あっ、だ、だってなんだか間が悪くて……!?』
「ニク、あんたもだよ。自分のご主人が、ましてこの戦いの深いところに身を置いてるような奴がこれでいいのかい?」
「……誇らしくていいと思ったんだけど」
「くそっ。ストレンジャー、あんたはどうしてこう変な状況ばっかよこすんだい」
「あの、ボス。朝の挨拶にこんなことを言うのは心苦しいんですが、俺なんかしちゃいました?」
「大いにだよ馬鹿もんが」
とことん呆れ果てるボスにびくびくしてると、ツーショットが「ぶふっ」と噴きだす。
「す、ストレンジャー……お前、全力で気づいてねえみたいだな」
「朝からおもしれーことしてんじゃねえぞ、お前」
「ウェイストランドでここまでぼけれる奴は初めて見るぜおっさん」
ヒドラだとかアーバクルとかコルダイトのおっさんあたりもだ。げらげら笑ってる。
理解できない光景に恐怖すら湧いてくるが。
「安心なさいストレンジャー、これを見れば全て解決するわ」
メディックが鏡を持ってきてくれて、やっと気づいた。
そこに濃い虫刺されみたいな赤い痕を転々と残す誰かがいる。
特に首のあたりが著しいというか。いや、なんなら頬や顎下、首筋から鎖骨にかけてまでもいっぱいだ。
いやまて、歯型も混じってるぞ? ということは――
「首弱いんすね~♡ あひひひ……♡」
とうとう正体がわかってきたところで、お仕事中のメイドも混じる。
よく理解した。あの惨劇の傷跡だ。なんてことしやがるあいつら。
「えっなにこれこっっわ」
「私は本気でここまで気づいてなかったあんたが恐ろしいね」
「ロアベアァ!」
「なんすかなんすか」
「……それでボス、あの、こういうときどうすればいいんでしょう」
「なんでうちのこと呼んだんすかイチ様」
「いいかいよく聞きな。わたしは朝の景気づけになる格好つけたスピーチを考えてきたんだ、もちろんあんたを使ったね」
「なるほど、俺が必要だったんですね」
「それが全部台無しだ。スティングを滅ぼすつもりかこの馬鹿もん」
「滅亡を防ぐために早起きしたんですが」
ボスはやたらと距離感の近くなってるニクを見て、未来に不安を覚えたような表情のまま。
「……よし、このキスマークだらけの馬鹿のせいで絶望の片りんが垣間見えたところで現状を説明するよ」
俺たちを地図に招いた。そこにはスティングから敵が待ち構えるクロラド橋の先までがある。
きれいになった街のはるかに南東では、いまだ敵の軍勢が待ち構えてた。
「邪魔者は全て片付けたわけだが、それでも奴らは橋の向こうさ。北部レンジャーやグレイブランドの連中の妨害工作はあれど、相変わらず戦力を集結させてとどまってる」
「まるで「これから突撃しますよ」みたいにな」
ツーショットの付け足した言葉通り、ここをあきらめるつもりはなさそうだ。
問題はそんな連中は今頃何をしてるかってことなのだが。気になったので手をあげてみた。
「ボス、この前の話で長距離を攻撃できる兵器やらもあるって言ってましたよね」
「ああ、こっちを射程範囲に抑えたご立派な奴がね。それがどうしたんだい?」
「ここまで準備してきたなら既にここに照準があっていて、いつでも撃てるんじゃないかって思うんですよ。それなのに身構えてるだけで一発も撃ってこないのはどうしてなのかなと」
「あんたは天才だね、皮肉の方だが。そりゃそうさ、普通だったら既にそういう手回しをしておいて主要箇所にぶっこんで攻め込むのがセオリーさ」
「ボスの言う通りだぜ。あいつらが長年準備してきた内容にはスティングに砲撃するっていう選択肢も普通にあるはずだ」
「そうさね。本当なら今頃街のどこかが吹っ飛んでたはずさ」
「じゃあなんでそうしないのか、って質問したら?」
「――アバタールのそっくりよ、それなんじゃが思うことがあるぞ」
地図上のそこにおられる敵軍の姿を眺めてると、ケヒト爺さんが来た。
緊張感のない落ち着いた様子だが、声には柔らかさがいまいち欠けてる。
「例えばじゃがな、おぬしは新品の剣と、使い古して今にも折れそうな剣、この二つのどちらかをタダでくれるといったらどちらにする?」
そこから俺に向けられた質問は二択だ。
新品の剣と折れそうな剣、どっちがいいって?
特別な事情を孕んでなければ新品のほうだと思う。
「どっちって……そりゃ、よっぽどじゃなきゃ新品の剣だな」
「なぜじゃ?」
「なぜって、使い道がなさそうなものなんていらないだろ? まあその折れそうな剣が実は魔剣でしたっていうならそっちにすると思うけど」
返答はおそらく満足がゆく内容だったのか、ケヒト爺さんはふん、と笑って。
「そそ、そーゆーことじゃよ。そりゃ新品の良い剣が欲しいにきまっとる、実は折れとるのが魔剣じゃった!とかいうオチだとしても、見抜けなきゃ二つの価値観など同じものよ」
「それってどういう」
「こういうことだな、ドワーフの爺さん。奴らは新品の剣が欲しかった、と」
その質問が導く先については、オレクスが掴んだらしく。
「あいつらは昔から変わらない価値観でスティングを欲しがってた、と考えた上だが。ここを無傷で手に入れる予定でいた、そうだよな」
「お若いのが言う通りじゃよ。じゃなかったら普通、間者まみれにしないもの」
「そして予想外の抵抗があったわけだが、本来だったら内側からじわじわと占領するはずのここが一瞬にして丸ごと敵に変わった。そうなると真っ向からどうにかしなくなるな」
「つまり、皆さんはこういいたいんだよな? 内側から攻める作戦がまさかの致命的失敗を犯して大ピンチ、でもずっと前から温めてた計画の根本であるスティングの制圧はまだ諦めちゃいない、というかしないといけない。本来ならそんなことするつもりはなかったが、兵力をかき集めて砲撃の準備もして正々堂々勝負だ。ってか?」
その要約はツーショットが固めた。
あいつらはどうしてもスティングを手に入れないといけない。当初の予定通りに動いているだけで、砲撃するまでもないと思ってたはずが期待を裏切られる。
その結果どうなるか、時間をかけて用意した土台が崩れて、慌てて真っ向勝負に切り替わった、と。
「後がないんだろうさ」
そこにボスが鼻で笑った。
「もしかすればここを手に入れないとヤバい状況だったのかもしれないし、指揮官とやらの首がかかってるのかもしれない、どうであれ、向こうで待ち構える連中は頭数揃えてみんな仲良く焦ってるのさ」
「砲撃の準備はまだできてない。なぜならことが変わってようやく気付いて、慌てて引っ張りだしたからです。ってか、ボス?」
「その通りさ。あいつら、ずっと練ってきた作戦の中に「いかに少ない損耗で済ませるか」を軸に置いてたんだろうさ。貴重な兵器を組み込むなんてはなっからなかったんだろうね」
「……ってことは、撃ちたくてもまだ全然準備ができてないと?」
二人に尋ねると、オチキスが指で橋の向こうを突いた。
集結地点のやや奥。重要な兵器があったらそこに置きたくなるような場所だ。
「その件だが、ボスが頼んだ偵察の連中から報告があったぞ」
「へえ、なんて知らせだい?」
「ここから10マイルほど、南東の線路沿いのところに敵の斥候部隊がいたらしい」
「タイムリーだね。で、詳細は?」
「通信装置や偵察用の装備からして観測員だ。ここまで揃ってれば、私がどう説明したいか分からないか?」
「当たりだね、やつらまだ準備ができてないんだ。で、その馬鹿どもはどうした?」
「生け捕りには失敗したそうだ」
「はっ、私ならきれいにやるがね。まあこれで大事なことが分かったじゃないか」
二人の話通りであれば、砲撃まだまだ猶予はあるってことかもしれない。
ボスは地図からツーショットの方に顔を向けると。
「あいつらはまだ街に当てる手段を持ってないんだ。ということは、妨害するまでの時間的余裕はまだあるね」
「なるほどな、じゃあどうするんだいボス」
「北部のレンジャーどもに任せようじゃないかい。ツーショット、あんたのところから装備を供与してやってくれないか?」
「そう言ってくれるのを待ってたぜ。で、あんたの考えはどうなんだ?」
「出来のいい奴がいるだろう? そいつにデカい銃を渡してやりな」
「それしかないよな、分かった。今すぐにでも連絡しとくが、シド将軍にはなんて言っとく?」
どうやら打つ手が決まったらしい。
ボスはまるで良いニュースを聞いた後みたいに自信のある表情をしていて。
「あいつには「二度目のスティングの戦いをおっ始めるよ、ついてきな」とでも言っとけ」
今まで一度も見たことのない、強い雰囲気を漂わせていた。
いつだってボスは誰からでも分かる強者特有の空気があるが、今回は特に濃い。
どう表せばいいのか。さながら、今よりも腕が良かったというかつての全盛期の気迫があるというのか。
「……へへ、いいじゃねえかボス。今のあんた、若く見えるぜ」
「腕はちと落ちたがね。それでも昔よりはやる気満々だよ」
「分かったよボス。うちからは出し惜しみなしでいく、あんたがこき使ってくれれば光栄だ」
「よろしい。では――」
話が定まってきたところで、狙撃手の鋭い顔が俺たちを見てきた。
「砲撃はさせない、以上。よって私らがするべきことは真っ向からぶつかりに来るクソどもに、それなりのやり方でお出迎えしてやることだ」
……そこから繰り出される一言というのは割とぶっ飛んでた内容だが。
砲撃は来ないから、敵に備えて迎えうってやれ、一体どんな自信と根拠でそう言えるのか。
しかし不思議なことに、この人がそう言うと未来予知か何かみたいに実現するのがオチだ。
「今からスティングの南部からここにかけて戦線を作るよ。つまりこの街を戦場にするわけだが、嫌ってやつはいないかい?」
地図の上、奪還して間もない最南部。そこから敵とぶつかり合う日々がじきに来る、と。
もしこれが最悪の状況続きだったらさぞ絶望しただろうが、誰一人不安はない。
それどころか「全然いける」だ。嫌々やるんじゃなく、やりたくてやる、そんな感じだ。
「異論はないみたいだね。まあ気楽にやろうじゃないか、あいつらが必死こいてる間こっちは舐めプで歓迎パーティーの準備をする。それにあたって各々の得意な分野についていろいろやってもらうよ」
それに、ボスは凄く楽しそうだ。
狂ってるともいえるかもしれないが、敵の大群がもたらす戦いに――笑ってやがる。
「あんたらにいっとくよ。私はこんな下品なことは言いたくないんだがね――楽しいよ。遠慮なく奴らが死にに来て、それをぶち殺せるんだからね」
こんなに良く喋る姿だって始めてみる。
ああ、そうか。シド・レンジャーズのやばい奴らなんだな、この人も。
「今から戦いの終わりまで適当にやれ、以上。細かい指示については現場にて説明する」
そう伝えると、ボスは「解散」と残して俺に近づいてくる。
「ストレンジャー、あんたには別の仕事をやってもらうよ」
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