8.王女は眺める
煌びやかなシャンデリアに照らされた王宮のホールに、正装に身を固めた貴族の男女が集っている。
グラスを片手に談笑する者、顔見知りを探しながらゆったりと歩く者、良い縁を求めて若い男性を品定めする母娘。皆、夜会の始まりを待ちながら、思い思いに過ごしていた。
ホールからテラスに続く扉は全て開け放たれ、その向こうには薔薇園が広がっている。薔薇園には篝火が灯され、幻想的な雰囲気を作り出している。今夜の夜会の主役であるはずの薔薇は、残念なことにいまだその多くが蕾のままだったが、ホールの熱気から逃れるように薔薇園を散策する者もちらほら見られた。
やがて、王族の入場を告げる声が響き、ホールのざわめきが徐々に静まっていく。
その中を、フローラは兄である王太子ルーカスにエスコートされて入場した。その後を、2人の両親である王と王妃が続く。
ホールの最奥、一段高い場所に設けられた王族の席につき、夜会の開会を宣言する父王の声を聞きながら、フローラはゆったりと会場を見渡した。
美しく着飾った貴婦人達の色とりどりのドレスで、ホール内は花が咲き乱れたような華やかさだ。それを眺めているだけで、フローラの心は浮き立つ。
薔薇の夜会と呼ばれる今夜の夜会に因んで、貴婦人達の装いも薔薇をデザインに取り入れたものが多い。薔薇の刺繍を施したドレスや、薔薇モチーフのネックレスなど、皆それぞれに趣向を凝らしている。フローラもまた、薔薇をテーマにデザインされた水色のドレスに、ピンク色の薔薇の髪飾りで着飾っていた。
国王の言葉に耳を傾ける参加者は、特にそのような決まりはないはずだが、自然と爵位の高い者ほど王族席に近い場所にいるようだ。最前列にいるのは、いずれも、フローラも見知っている公爵家や侯爵家の面々だった。
居並ぶ者達の中でも、すらりと長身のユリウスは目立っていた。その姿を認め、自然と口元を綻ばせかけたフローラだったが、ふと違和感を覚えて動きを止めた。2度、3度と目を瞬いて、違和感の正体に気づく。
ユリウスの隣に、若い令嬢が寄り添っているのだ。
(そういえば、アシャールのご令嬢をエスコートすると言っていたわね。名前は確か、ロズリーヌ・サヴォア様……だったかしら)
数日前の東屋での会話を思い出し、フローラは改めてロズリーヌの姿に目をやる。
美しい令嬢だった。
遠目でもわかる、はっきりとした目鼻立ち。栗色の豊かな巻き髪が、その顔を更に華やかに見せている。女性にしては背が高く細身ながら、胸や腰には女性らしい丸みがある。着る者を選ぶであろう真紅のマーメイドラインのドレスを、実に品良く着こなすその姿は、まるで薔薇の花の化身のような艶やかさだった。
(やっぱりお綺麗な方だわ……)
フローラは心の中で感嘆する。フェルベルクにも美しいと評判の令嬢が何人かいるが、彼女達と比べても見劣りしないだろうと思われた。
ちなみにフローラも、容姿を褒められる機会は少なくない。そのほとんどは、王女に対するお世辞だろうと考えているのだが、それにしても、「可愛らしい」だとか「愛らしい」ばかりで、「美しい」とか「綺麗」などの褒め言葉と無縁なのが、フローラの小さな不満なのだった。
(どうせお世辞なら、たまには「綺麗」と言われてみたいものだわ)
それに、ロズリーヌの背が高いのも、フローラには羨ましく感じられた。ロズリーヌの身長は、ユリウスの肩ほどの高さがある。一方、フローラがユリウスと並んでも、胸の辺りまでしか届かない。フローラの童顔と相まって、大人と子どものように見られてしまうのでは、と密かに気にしているのだ。
(わたくしもあれくらい身長があれば、ユリウスと並んだときに丁度良いのに……)
いずれも華やかな容姿を持つユリウスとロズリーヌが並んで立つ様は、まるで一対の人形のようで、フローラは目を離すことができなかった。
やがて歓談の時間となり、ホールのあちこちで談笑する人の輪が出来る。見知った者同士で話に花を咲かせる者から、新たな知己を得ようと挨拶周りに忙しい者まで、皆思い思いに社交を楽しんでいる様子だ。
フローラはというと、両親、兄と共に、王族への挨拶に訪れる人々へ対応しなければならないため、ホールを自由に動き回ることは許されていなかった。
国王、王妃、王太子に次いで自分に挨拶に来る貴族達と、それぞれ当たり障りのない会話を交わし、見知った令嬢達とはもう少し親しく近況などをやり取りする。その間、微笑みは絶やさない。
ふと、人が途切れた隙に、隣に座るルーカスが顔を寄せ、小声で話しかけてきた。
「フローラ、ユリウスのアレ、気付いてる……よね」
「え? ええ、まぁ」
「アレ」というのが、ユリウスがロズリーヌをエスコートしていることを指すのだろうと察し、フローラも小声で兄に答える。
「ユリウスの奴、婚約者のフローラを差し置いて他の令嬢をエスコートするなんて、いったい何を考えてるんだ」
そう言うルーカスは、口元こそ口角を上げてしっかり笑みの形を作っているものの、目は少しも笑っていない。応じるフローラも笑みを保ったままなので、遠目には兄妹が仲良く談笑しているように見えることだろう。
「わたくしが構わないと言ったのよ」
「はぁ!?」
ルーカスは、信じられないと言いたげな目をフローラに向ける。
「アシャール王国の侯爵令嬢で、ロズリーヌ・サヴォア様と仰るのですって。お綺麗な方よね」
「まぁ確かに美人ではあるな。でも、フローラの方が断然可愛い」
「もう、お兄様ったら。そういうのを身贔屓と言うのよ。でもありがとう」
ふふふ、と2人はしばし心から微笑み合う。
「いや、そんなことより。他の令嬢のエスコートなど、嫌だと言えば良かったのに」
「あら、だって断る理由がないわ」
「婚約者だからという以外に理由が必要とは思えないけどね」
「でも、公爵家の大切なお客様だと言うし。それに、わたくしのエスコートはお兄様がしてくださるもの」
「フローラ……!」
「あ、お兄様。お気持ちは嬉しいけれど、今は頭なでなではよしてね。この髪型、エルナの渾身の作なのよ。崩れたら悲しいわ」
ルーカスは妹の頭に伸ばしかけた手をしょんぼりと引っ込めると、口角を上げたまま器用に溜め息をついた。
「フローラは甘えん坊の末っ子のわりに、人に気を使うんだからなぁ。もっと我が儘でもいいのに」
「あら、わたくしは好きにさせて貰っているつもりよ」
フローラはにっこりと兄に微笑んで見せた。
やがて、国王夫妻への挨拶を終えたユリウスが、ロズリーヌを伴ってルーカスとフローラの前に立った。