7.王女は了解する
「申し訳ありません、フローラ様。本日はあまり長居できないのです」
フローラは一瞬キョトンとしてから、眉を下げた。
「まぁ、気がつかなくてごめんなさい。そうよね、長旅から帰ったばかりで疲れているわよね」
「いえ、それは大丈夫なのですが……実は本日は我が公爵家に大切な客人を招いておりまして」
「お客様って、さっき一緒にいらした方達かしら?」
「ご覧になっていたのですか?」
ユリウスがわずかに目を見張る。
「後ろ姿だけよ。外国の貴族の方のように見えたけれど、もしかしてアシャール王国の方?」
「えぇ、アシャール王国のサヴォワ侯爵とロズリーヌ嬢です。サヴォワ侯爵家はアシャールで代々外交官を務める家柄で、父と侯爵は旧知の間柄なのです。その縁で、アシャール留学中はサヴォワ侯爵邸に滞在させて頂きました。私の帰国に合わせて、侯爵とご令嬢が我が国に、非公式な視察を兼ねた旅行に来られたのです」
「そう。そういうことなら仕方ないわね」
ユリウスの説明を受け、フローラはあっさりと頷く。
大国であるアシャール王国で外交を担う侯爵とその令嬢が訪れるとあっては、次期公爵であり外交官でもあるユリウスが家を空けるわけにいかないことは、世間知らずのフローラにも容易に察しがついた。
「でも、留学から帰ったばかりだもの。明日からしばらくはお休みを取っているのでしょう?」
近い内に改めてユリウスとのお茶会の日を設ければいいわと、フローラは明日以降の自身の予定に思いを巡らしかけた。
「それが……侯爵とご令嬢はしばらく我が公爵家に滞在される予定で、父から案内役を申し付けられているのです」
「しばらく、ってどのくらいなの?」
「侯爵は明日には帰国される予定なのですが、ご令嬢は2週間ほど……」
「2週間!?」
全くもって想定外の答えに、フローラは言葉を失う。
しばしの間、ユリウスの眉間の皺が徐々に深くなるのを無言で見つめてから、小さく溜め息をついて肩を落とした。
「……公爵家の大切なお客様ですもの、仕方ないわよね。わかったわ。お客様が帰られてからでいいから、ゆっくりお茶を飲みながらアシャールのお話を聞かせて頂戴ね。約束よ?」
「ええ、必ず。それと、明後日の薔薇の夜会なのですが……」
眉間に皺を刻んだまま、ユリウスが彼には珍しく言いよどむ。
フェルベルク王国では毎年、薔薇の開花の時期に王宮主催の夜会が開かれる。薔薇の花をこよなく愛した3代前の王妃が始めたこの夜会には、国内の主だった貴族は皆招待されており、フローラとユリウスも当然ながら出席する予定になっていた。
「先ほど国王陛下から、ロズリーヌ嬢も我が公爵家の客人として薔薇の夜会に出席するように、とのお言葉を頂いたのですが……。サヴォワ侯爵は明日には帰国され、薔薇の夜会には出席できないのです。それで、ロズリーヌ嬢をエスコートするよう、サヴォワ侯爵から頼まれてしまいまして……。国王陛下もご承知の話です。もちろんフローラ様のお許しが頂ければという条件で……」
「わたくしは構わないわよ?」
コテンと首を傾げ、フローラは即答する。
ユリウスは無言で目を瞬かせた。
「だって、元々ユリウスにエスコートして貰う予定はないのだし」
「それはそう、ですが……」
夜会に未婚の貴族令嬢が出席する場合、通常は親族の男性が、婚約者がいる場合には婚約者がエスコートするのが、この国では一般的である。親族でも婚約者でもない男性がエスコートすることもあるが、もちろん双方の然るべき関係者の承諾を得た上でのことである。
ただ、婚約者がエスコートするのが一般的と言っても、単なる貴族令嬢ではなく王族であるフローラには当てはまらない。王族が王宮主催の夜会に出席する場合、王族専用の扉からホールに入り、王族専用の席につく。それゆえに、例え婚約者が居ても、いまだ王族でない婚約者をエスコートすることも、されることもないのだ。
これまでフローラが王宮主催の夜会に出席する際のエスコート役は、いつも兄である王太子ルーカスが務めていた。そして、フローラの婚約者であるユリウスは、誰をエスコートすることもなく、1人で夜会に出席するのが常だった。
ちなみに、王宮主催ではない夜会であれば、王族であっても婚約者と共に出席することができるのだが、今年社交界にデビューしたばかりのフローラには、いまだその機会はなかった。
「それに、サヴォワ侯爵令嬢はバルツァー公爵家の客人として出席するのでしょう? ユリウスがエスコートするのはごく自然なことだわ」
うん、と自ら納得したように頷いて、フローラはにっこりと笑顔を浮かべる。
ユリウスは何か言いたげに口を開きかけたが、結局は無言のままフローラの笑顔を見つめ、それから眉間の皺を深くした。
「……ご理解頂き、感謝致します」
「ユリウスとダンスを踊るのも久しぶりね。楽しみにしているわね」
笑顔のフローラと対照的に、ユリウスは眉間に皺を刻んだままだったが、夜会でのダンスに思いを馳せるフローラはそのことに 気付かないままだった。