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婚約者は異国の地にて王女を想う(2)

「それにしても、今日はいつも以上に視線を感じますわね」


 あちらこちらに目をやるユリウスとは対照的に、視線をゆったりと前方に向けたままロズリーヌが言う。その口調はどこか楽しげだ。


「皆、ロズリーヌ嬢に見惚れているのでしょう」


 自分達が広場を行き交う人々の視線を集めていることは、ユリウスも気づいていた。

 仕立ての良い服をまとい、侍女と護衛を一人ずつ従えたユリウス達は、いかにも貴族のお忍びといった出で立ちだ。それだけでも充分に人目を引く。

 その上、道を行くのは、アシャールの社交界でも美しいと評判のロズリーヌなのだ。人々が思わず振り返るのも無理からぬことだとユリウスは思う。

 そう思ったから素直に口に出したのであって、ユリウスにはロズリーヌを賞賛しよういう意図はなかったのだが、ロズリーヌはユリウスの言葉に気を良くしたようだった。 


「まぁ、お上手ですこと。でも、わたくし一人なら、ここまで注目されることはありませんわ。半分以上は明らかにユリウス様に向けられたものですわよ」

「私に? まさか」

「間違いありませんわ。こちらを見ている者達の半分以上が女性ですもの」


 ユリウスは目を瞬く。向けられる視線の性別までは気にしていなかった。


「ユリウス様こそ、ちっとも気になさらないなんて、さすが、慣れていらっしゃるのね。お国でもご令嬢方に囲まれていらっしゃったのでしょう?」


 からかうような調子でロズリーヌが言う。


「いや、そのようなことは全く……」

「まぁ、ご謙遜を。そんな気取らないところもユリウス様の魅力なのでしょうけど」


 謙遜も何も、ユリウスには、祖国フェルベルクで女性に囲まれていたという記憶は全くない。令嬢達の視線を集めるのはいつも、親友である王太子ルーカスだ。ルーカスと行動を共にすることの多いユリウスも、ついでに令嬢達に囲まれることはあるが、一人でいるときには遠巻きにされている。

 もっとも、ユリウス自身はそのことを全く不満に感じてはいない。むしろ、婚約者でもない女性達に囲まれたって困るだけだと思っている。令嬢達に騒がれるルーカスを見て、婚約者がいないと苦労するなぁなどと気の毒がっているくらいだ。


 実際には、ユリウスも、ルーカスほどではないものの令嬢達の人気は高い。

 癖のない黒髪にアイスブルーの瞳の、冷たさを感じるほどの美貌。背が高く、体つきは均整が取れている。その上、公爵家嫡男となれば、人気が出ない方がおかしい。

 ただ、ユリウスが第4王女の婚約者だということを知らぬ者はおらず、二人の仲は良好とされているので、令嬢達も王女に配慮して不必要にユリウスに近付かないのだ。もっぱら鑑賞用として、遠巻きにキャーキャー騒がれているのだが、全く気付いていないユリウスである。

 

「あら、でもあまり注目されるのも考えものですわね。ユリウス様と街歩きをしていたなどと噂になったら、わたくしまた皆様に恨まれてしまいそう」

「皆様?」


 ロズリーヌの言葉の意味が分からず、ユリウスは眉根を寄せた。


「もちろん、ユリウス様を狙ってらっしゃるご婦人方にですわ」

「狙う……」

「恋人、あるいは愛人にですわね」

「こ……あ……」


 ようやく意味を理解したユリウスは、思わず絶句する。


「まさか、そのような……。そもそも私には正式な婚約者が……」

「もちろん皆様ご承知の上ですわ。さすがに、王女殿下を蹴落として婚約者の座に収まろうなどと考えている方はおられないかと。そうではなくて、ユリウス様がアシャールに滞在しておられる間の、期間限定の恋人又は愛人ですわね。留学を終えられても、外交官としてアシャールにお越しになる機会はあるでしょうし」

「はぁ……」


 二の句が継げず、ユリウスは間の抜けた相槌を打って再び絶句した。

 アシャール人が男女共に恋に情熱的だというのは、周辺諸国にも知られた話である。

 平民はもちろん、政略結婚の多い貴族階級であっても、独身のうちは自由恋愛を謳歌するのが一般的だという。さすがに貴族女性の処女性は重視されるため、節度は守る必要があるが。 

 一夫一妻制を採ってはいるが、結婚後に愛人を持つことも、配偶者への配慮を欠かさない限り非難されることはない。それは女性であっても同じで、跡継ぎを産むという義務を果たした後であれば、公然と愛人を持つことが許されるのだという。もちろん、夫以外の男の子どもを身ごもらない限度でという条件はつく。

 実際、アシャールの社交界では、円満な関係でありながら夫婦共にそれぞれ愛人を持っているというのも珍しいことではない。それによって名を落とすどころか、場合によっては恋愛上手と社交界での評価を上げることすらあるという。


 はっきり言って、ユリウスには全く理解できない。王族ですら愛妾を持たないことの多いフェルベルクとは、そもそも恋愛に関する価値観が違いすぎるのだ。

 ユリウス個人としても、フローラ姫という婚約者がありながら他の女性と付き合うなど、思いもよらないことである。そんな暇があるなら、紅茶でも啜りながらフローラ姫のお喋りに耳を傾けていた方が遥かに有意義だと、本気で考えているのだった。


「ユリウス様ったら、アシャールの社交界で大層な人気でしたものね。硬質な美貌とでも言うのかしら、アシャールでは珍しいタイプの男前でいらっしゃるから。何人かの方は本気でしたわよ。ユリウス様もお気付きでしたでしょう? ミレーヌ様なんて、あからさまでしたものね」


 誰だったろうかと一瞬考えてから思い至る。


「あぁ、ポワレ伯爵夫人。あの情報通のご婦人か」


 何度か夜会で顔を合わせたことのある伯爵夫人だ。年齢は20代後半だろうか。夜会で顔を合わせる度に、最新の文化情報をユリウスに提供してくれる、ユリウスにとってはなかなかありがたい人物であった。


 例えば、「美術館の庭園のチューリップが見頃ですのよ。宜しければご案内を……」だとか。

 「国立歌劇場の新作歌劇はもうご覧になりまして? わたくし、ボックス席をキープして……」だとか。

 「新しく出来たレストラン、雰囲気が良いと評判ですわ。わたくしからオーナーに言えばいつでも個室が……」だとか。


 後日ユリウスは、ポワレ夫人に教えて貰った最新スポットに、全て一人で訪れてみた。おかげで、フローラ姫への良い土産話が増えた。


(親切な方ではあったが……)


 特に恋愛的なアプローチを受けたという認識はないユリウスである。


(だいたい、あのように病弱では、恋愛どころではないだろう)


 ポワレ夫人は、いつも夜会の前半は元気にダンスやお喋りに興じているのだが、夜が更けてくると決まって具合が悪くなるのだ。


 「あ、わたくし眩暈が……」とよろめいて、ユリウスの腕にしがみついてきたり。

 「足を捻ったみたいで……控えの間まで手を貸して下さると嬉しいわ」と、ユリウスの胸に倒れ込んできたり。

 「ユリウス様……わたくし、こんなに胸がドキドキしたこと、今までありませんのよ。ね、お疑いなら手を触れて確かめてご覧になって……」とユリウスの手を取り、涙目で動悸を訴えてきたこともあった。

 そのたびにユリウスは、親切にも夫人の同伴者や従者を探して差し上げたものだ。


「ほら、あの方、お顔もお綺麗でいらっしゃるし、三人もお子様をお産みになったとは思えないプロポーションでしょう? 狙って落とせなかった殿方はいないという噂ですのよ」


 そう言われてポワレ夫人の姿をよくよく思い返してみれば、確かに目と鼻と口の配置が整っていたような気がする。

 体型は……そういえばやけに腰がくびれていたような気がする。

 そこまで考えて、ハッとユリウスの頭に閃きが走った。


(さてはポワレ夫人、コルセットを締め付けすぎているのではないだろうか。そのせいで、いつも夜会の途中で具合を悪くするのに違いない。大事になる前に誰かが忠告すべきだろうな。しかしコルセットは下着だ……。男で、しかも赤の他人の俺が指摘するのはさすがに憚られる。婉曲に伝える手はないものか……)


「なのに、いくらアピールしてもユリウス様が靡かないものだから、わたくし随分と探りを入れられましたわ。ユリウス様がよくわたくしと一緒にいらっしゃるものだから、関係を疑ってらっしゃったみたい」

「はぁ!?」


 真面目に伯爵夫人の健康問題に思いを馳せていたユリウスは、思わず声を裏返す。


「どうしてそんな話に!? 確かにロズリーヌ嬢とご一緒する機会は多かったが、それはサヴォア家に滞在しているからで……」

「ええ、もちろん、わたくしからもそのように説明しておきましたわ。夫人は他の可能性も疑っておられたようですけど……大丈夫ですわ、ユリウス様の名誉のため、全て否定しておきましたから、ご安心なさって!」


 ロズリーヌにいい笑顔を向けられ、ユリウスもつられて曖昧な笑みを返す。途中から話が見えなくなったが、確認しない方がよいと本能が告げていた。


「それにしても、そのように誤解されてしまうとは……。ロズリーヌ嬢にも迷惑をかけてしまったようで申し訳ない」

「あら、この程度のこと、わたくし気にしませんわ」


 浮き名を流してなんぼのお国柄らしく、ロズリーヌは平然としている。


「それに、これから2週間のフェルベルク旅行中はユリウス様やバルツァー公爵家の皆様にお世話になるのですもの。トゥールをご案内するくらい、お安いご用ですわ」

「しかし、クレマン殿にあらぬ誤解を与えては……」


 ロズリーヌの想い人の名を出せば、彼女はたちまち頬を染め、ツンと唇を尖らせた。


「い、いいんですのっ。むしろ誤解して妬いて下さらないかと思っているくらいですわ。わたくし、これまでアピールしすぎたのではないかと思って、ちょっと距離を置いてみているところですの。押して駄目なら引いてみろ、ですわ」


 なるほど、とユリウスは神妙に頷いてみせる。

 恋の駆け引きなどからっきしのユリウスだが、日頃のロズリーヌを思い返せば、意義のある作戦のように思われた。


 ロズリーヌが、外交官を務めるクレマン子爵に恋をしていることは、アシャールの社交界で知らぬ者はいないほど有名な話だった。その手の話に疎いユリウスですら、すぐに気づいたほどである。なにしろ、ロズリーヌは何かと用件を見繕っては、2日と空けずに王宮内の子爵の執務室を訪れるのだから。

 けれど、ロズリーヌの恋は残念ながら順風満帆とはいかないようだった。

 まず侯爵家と子爵家では階級に開きがある。その上、ロズリーヌより10歳年上の子爵には結婚歴があり、5歳の娘がいる。そのようなこともあって、ロズリーヌの父親であるサヴォア侯爵がいい顔をしないのだ。

 それに、クレマン子爵はアシャールの貴族には珍しく一途な人で、3年前に死別した妻を今でも想っているという話だった。


「わたくし、もう一週間もお会いするのを我慢しておりますのよ!」


 なぜか得意気に胸を反らせたロズリーヌは、次の瞬間には不安げに眉を下げた。


「……あぁ、でもこれ以上お会いせずにいたら、わたくし、あの方に忘れ去られてしまうのではないかしら……。やはりフェルベルクに発つ前に、一度お目にかかっておいた方がいいですわよね。ね?」


 そうですね、とユリウスが同意を示せば、ロズリーヌは「ですわよね!」と瞳を輝かせ、何か思案する顔になった。クレマン子爵に会いに行く自然な理由でも考えているのだろうと、ユリウスはロズリーヌの横顔を見やる。

 普段のロズリーヌは、社交界では貴族令嬢らしく澄ました表情を崩さず、外交官補佐としても常に冷静沈着だ。それが、クレマン子爵のことに限って感情豊かになる。

 きっと明日にでも、差し入れの焼き菓子を持って、クレマン子爵の執務室を訪問するのだろうと、ユリウスは微笑ましく予想している。先ほどユリウスがフローラ姫への土産を買った高級菓子店で、ロズリーヌもまた焼き菓子を購入していたのだ。その量は、一人で食べるには明らかに多いものだった。


 クレマン子爵に焼き菓子を手渡すロズリーヌを想像し、そこからフローラ姫に土産の焼き菓子を手渡す自分を連想して、ユリウスは我知らず口許をほころばせる。

 さて本はどのようなものが良いだろうかと考えを巡らせ始めたそのときだった。


「ユリウス様ではございませんの?」


 唐突に横手から掛けられた女の声に、ユリウスは足を止めた。

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