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2.王女は退屈する

 昼下がりの庭園で、薔薇の葉がつやつやと輝いている。ほとんどの蕾はふっくらと膨らんでいるものの、その先端はいまだ硬く閉じられたままだ。


「退屈だわ……」


 両手で頬杖をつき、ゆるゆると遠くに視線を遊ばせながら、フローラはつぶやいた。

 艶のある亜麻色の髪は緩やかに両サイドで編み込まれ、ハーフアップに纏められている。身にまとうドレスは、爽やかな空色。首筋から肩にかけて大胆に肌を見せつつも胸元の露出は抑えたデザインで、15歳の少女を品良く大人びて見せていた。

 王宮の庭園の隅に設えられた東屋は、支柱と屋根に蔓薔薇が絡み、趣のある風情を漂わせている。

 蔓薔薇の葉の茂みが外からの目線を適度に遮ってくれる一方で、中にいる者は葉の隙間から周囲の様子を窺うことができる。ちょうどフローラの視線の先には、庭園の向こう、王宮のメインエントランスから謁見の間へと通じる廊下を人々が行き交っているのを見ることができた。

 ちょっとした隠れ家のようなこの東屋は、フェルベルク王国第4王女フローラのお気に入りの場所の1つだった。

 東屋の中、少女が肘をつく円卓では、紅茶が湯気を立て、少女のお気に入りのチョコレートがけのクッキーが甘い香りを放っている。紅茶やクッキーと少し離れた位置には、栞が挟まれた本が置いてある。

 フローラは左手で頬杖をついたまま、クッキーをポリポリと齧った。


「お行儀が悪うございますよ、姫様」


 フローラからおよそ90度の間を開けて座る侍女姿の少女が、ティーカップを口に運ぶ手を途中で止め、呆れたような声を出す。


「いいのよ。誰も見ていないもの」


 のんびりと返された声に、侍女はやれやれと肩をすくめ、上品な仕草で紅茶を口に運んだ。

 侍女の名はエルナ。第4王女専属侍女となって3年目となる彼女は、リッシェ伯爵家の二女であり、自身も貴族階級の一員である。

 フローラの専属侍女は、彼女が子どもの頃から仕える年嵩の侍女の他に、15歳前後の貴族の令嬢が行儀見習いを兼ねて務めている。経歴に箔をつけて良縁を得ようと考える者、王族とお近付きになることを望む者、あわよくば王太子の目に留まらないものかと期待する者。様々な思惑を持つ令嬢達が、入れ替わり立ち替わりフローラの侍女が務めてきた。

 その多くは、侍女の仕事どころか自身の身の回りの世話さえ1人ではできないお嬢様であり、実家から自身の侍女を伴って王宮に参上する。そんなご令嬢達の仕事はというと、申し訳程度に本職の侍女の手伝いをする他は、専ら王女の話し相手を務めることであった。

 そのようなわけだから、フローラの専属侍女は、長くても半年程度で入れ替わる。その中にあって、侍女として3年目を迎えるエルナは、極めて特殊な存在と言えた。

 フローラは、エルナの侍女生活が2年目に入ったころ、彼女に問うたことがある。他の令嬢達のように侍女の職を辞して結婚しないのか、と。

 それに対しエルナは、穏やかな微笑を浮かべて答えた。


「姫様もご承知のように、恥ずかしながら我がリッシェ家は経済的にゆとりがあるとは申せません。私には姉と妹がおります。3人分の結婚資金を準備するのはおそらく難しいでしょう。私と致しましても、できることならば王宮侍女の仕事を続けたいと思っております」


 その言葉に偽りがないことは、エルナの働きぶりから明らかだった。エルナは自ら進んで本職の侍女達に教えを請い、侍女の仕事を1つ1つ身につけていった。今では、フローラの専属侍女として必要な仕事は一通りこなせるようになり、本職の侍女達からの信頼も得るに至っている。もちろん、実家から自分用の侍女を連れて来るなどということもない。

 そんなエルナであるから、フローラが他のお嬢様侍女に対するようにお茶に同席するよう誘っても、「仕事中でございますので」と遠慮するのが常だった。

 しかし、フローラもそう簡単には引き下がらない。


「あら、わたくしはエルナを友人だと思っているのよ? 友人の誘いをむげに断るなんて、ちょっと薄情なのではないかしら」


 フローラがわざとらしく頬を膨らませ、笑みを含んだ瞳でエルナを見つめれば、エルナは「姫様がそこまで仰るなら」と微苦笑を浮かべて席につく、というのが毎度繰り返されるお決まりのやり取りである。

 どうせ最後には応じるのだから、最初から「うん」と言えばいいのに、などと思う一方で、エルナの生真面目な性格を好ましく思い、この定番のやり取りを半ば楽しんでいるフローラである。エルナの方も、誘われたときには遠慮するものの、いざ席についてしまえば、フローラとのお茶を楽しんでいる様子だった。


「はぁあ、本当に退屈ね」


 溜め息交じりにつぶやいて、フローラはさらにもう1つクッキーを口に放り込む。エルナはそんな主を見やって、苦笑にも似たかすかな微笑みを浮かべた。


「そういえば、姫様。本日は確か、ユリウス様が帰国されるご予定でしたね。ユリウス様がお戻りになったら、姫様も退屈ではなくなりますわね?」


 その声にわずかなからかいの色を感じ取って、フローラはジトリとエルナを見る。それから、庭園の向こうの廊下に視線を戻した。


「でもまだ戻って来ないんだもの。やっぱり退屈だわ」


 ユリウスはバルツァー公爵家の長男であり、フローラの婚約者である。歳はフローラより5歳上の20歳。

 代々、外交面で国の中心を担うバルツァー公爵家の慣例に倣い、ユリウスも10代半ばから周辺各国に短期の留学をしていた。その最後の留学先として、3ヶ月前から西の大国アシャール王国に滞在していたが、本日帰国する予定となっていた。


「そんなにお暇でしたら、おサボりになった地理のお勉強に戻られたらよろしいのに」

「もうっ、そういうことではないの」


 フローラは頬を膨らませるが、エルナは涼しい顔でティーカップに口をつけている。

 ふとフローラは、頁を開かないまま置いていた本に手を伸ばした。そして、翡翠の瞳をキラキラさせてエルナを見た。

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