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19.王女は微笑む

 エルナが熱い紅茶を淹れ直し、一礼して東屋を去っても、ユリウスは跪いて首を垂れたままだった。

 生真面目なユリウスのことだ。放っておけばこのまま何時間でも跪いていることだろう。仕方なく、フローラは溜息混じりに声を掛ける。


「……とりあえず、顔を上げて座って頂戴。その格好では話しづらいわ」


 言われてようやく、ユリウスは躊躇いがちに頭を上げた。その顔が今にも泣き出しそうで、フローラは目を瞠る。5歳も年上で、自分よりはるかに大人だと思っていたユリウスの、こんなにも頼りない表情を見るのは初めてのことだった。

 椅子に座り直したユリウスは、しかしすぐには口を開かず、しばらく沈黙してから、ようやく絞り出すように声を出した。


「……申し訳ありません。フローラ様と話をさせて頂きたいとお願いしたのは私の方なのに……何からお話しすればいいのか……」


 口ごもり、再び視線を落とす。

 そんなユリウスを見ているうちに、逆にフローラの気持ちは落ち着きを取り戻していった。

 ユリウスとの関係をどうしていきたいのか、婚約を破棄するのかしないのか、それはまだフローラ自身の中でも答えが出ていない。

 ただ、心に引っ掛かっていることを曖昧にしたまま結論を出すことはしたくなかった。


「では、わたくしの方から質問させて貰うわ」


 フローラの言葉に、ユリウスはハッと顔を上げ、それから悔しそうに眉を寄せて頷いた。


「単刀直入に聞くけれど、ユリウスはわたくしのことをどう思っているの?」


 ユリウスは言葉を探すように視線を彷徨わせる。

 フローラにとっては嫌な間だった。まさか嫌われてはいないだろうと思うものの、どのような答えが返ってくるのか、期待と不安で胸が苦しくなる。


「私にとってフローラ様は……かけがえのない大切な方です」


 ようやく返ってきたのは、なんとも漠然とした答えだった。

 フローラは一瞬安堵し、それから落胆する。


「それは、わたくしが王女だから? それとも妹のような存在として、という意味かしら?」

「いえ、そういう意味では……」

「でも、わたくしのことを……1人の女として好きなわけではない。そうでしょう? わたくし見たのよ。カフェ・ブルームで貴方がロズリーヌさんに笑いかけるのを。それで気付いたの。ユリウスはわたくしの前では笑顔を見せてくれないっていうことに……」


 一気に言い切り、フローラは目を伏せる。再び涙が込み上げてきそうになるのを、必死で堪えた。

 ユリウスは、驚いたように目を見開いてから、情けなさそうに眉を下げた。


「……私はフローラ様に酷い顔ばかり見せていたのですね」

「そうよ、いつだって眉間に皺を寄せて……!」

「申し訳ありません……全ては私の甘えが原因です」

「……甘え?」


 意味が分からず、フローラは震える声で聞き返す。

 ユリウスは尚も躊躇うように視線を揺らしたが、観念するように1度目を瞑り、それから真っ直ぐにフローラの瞳を見つめた。


「……私はこのとおり、外交官に向いた性格ではありません。表情も乏しい、口も巧くない、社交にも苦手意識があって……」


 ぽつぽつと語り出したユリウスに、フローラは目を瞬かせる。

 ちっとも話が見えてこない。

 そもそもフローラは、ユリウスが外交官に向いていないなどと考えたことは1度もなかった。フローラにとってユリウスは、語学が堪能で、外国のことをよく知っていて、いつだって冷静沈着な、自分よりずっと大人の男性だったのだから。

 ユリウスは静かな口調で話を続けた。


「自分の性格が外交官向きでないことは、幼いころから自覚していました。ですから、バルツァー公爵家の跡継ぎという立場は、私には重荷でしかなかった……。10代半ばから、周辺各国に留学するようになりました。見知らぬ土地、見知らぬ人達……留学など、苦痛で仕方がなかったのです。そう、最初は。けれど、フローラ様のおかげで、私は少しだけ変わることができたのです」

「……わたくし?」


 急に自分の名前が出てきて、フローラは首を傾げる。

 フローラは、ユリウスがそんな悩みを抱えていたなんて、今の今まで全く知らなかったのだ。だから、ユリウスの悩みを解消するようなことをした記憶ももちろんない。


「私が初めての留学先から帰ってきたときのこと、覚えておられますか? フローラ様は、私が留学先で見聞きした話を、それは楽しそうに聞いて下さいました。大きな目をキラキラと輝かせて。私の話など、拙いものだったはずなのに……。それ以来、外国に赴く度に、帰国したらフローラ様に何をお話ししよう、また笑顔で聞いて下さるだろうか……そんなことを考えながら過ごすようになり、気がつけば外国への留学は苦痛なものではなくなっていたのです」

「そう、だったの……」


 ユリウスは少年のころから、留学以外でも父親である公爵の伴で頻繁に外国に赴いていた。だから、ユリウスが言うのが何時のことなのか、残念ながらフローラには思い出すことができない。

 ただ、フローラは、ユリウスが外国に行って戻る度に、お土産のお菓子を食べながらユリウスの話を聞くのを楽しみにしていた。地理の先生の話は眠たいばかりなのに、ユリウスから聞く外国の話はいつだって楽しかったのだ。


「それからは、外交官を目指すことにも少しずつ前向きになれたのです。性格はすぐには変えられませんが……父の会話術を参考にしてみたり、ルーカス殿下を見習って人前では笑顔を絶やさないよう意識したり……。けれどそれは、いまだに私にとっては容易いことではなくて……」


 静かに語り続けるユリウスの声を聞きながら、フローラはふと、あぁそうか、と思う。

 ユリウスは自分と同じ種類の人間――周りから定められた道を行く者なのだ、と。

 ただ、フローラはそのことで苦労や苦痛を感じたことはないが、ユリウスはそうではなかった。苦しい道だと感じながら、それでも道を外れることはせず、その途上で時に立ち止まり、時にうずくまったりしながら、歩き続けてきたのだ。それはどんなに疲れることだろう、とフローラは思いやる。


「だから、愚かにも私は甘えてしまったのです。フローラ様は……私が気の利いたことを言えなくても、笑みを作れていなくても、いつでも花のような笑顔で接して下さいましたから……」

 

 ふと見れば、フローラを見つめるユリウスの目元は、ほんの少しだけ和らいでいた。そう、彼をよく知る者にしか分からないくらい、ほんのわずかではあったが。 


(ああ、そういえばユリウスはよくこんな顔をするわ……。いつも眉間に皺を寄せていたわけじゃない……)


 そう気付いた瞬間、フローラは、心の中で冷たく固まっていたものが、すうっと溶けて消えていくのを感じた。

 あとに残るのは、ふわりと柔らかく、温かな想い。


「フローラ様の前だけなのです。私が私のままでいられるのは」


 アイスブルーの瞳が、一心にフローラを見つめる。

 フローラは顔がじわじわと熱を持つのを感じ、それを誤魔化すように頬を膨らませた。


「……ずるいわ、そんな言い方。そんな風に言われたら、もう貴方を怒れないじゃないの」


 軽く睨んでそう言えば、ユリウスは困ったように眉を下げる。

 その表情に不思議と安堵して、フローラはようやく小さく微笑んだのだった。

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