18.王女は涙する
「フローラ!」
堪えきれずに涙を零すフローラを抱き寄せたのは、兄のルーカスだった。
「事情はだいたい分かった。辛い思いをしたんだね。こんなに瞼を腫らして……」
ルーカスはフローラを守るかのように腕の中に包み込み、そっと頭を撫でる。
その優しい感触にさらに涙が溢れ、フローラはそれを隠すように兄の胸に顔を埋めた。
「此度の婚約破棄、この王太子ルーカスが確かに見届けた。父上と母上への報告には、僕も同席しよう。なに、心配することはない。フローラなら、もっと素晴らしい婚約者がすぐにでも見つかるさ」
「お待ち下さい! 婚約破棄を受け入れることなどできません。どうか今一度、フローラ様とお話をさせて下さい!」
焦りの色を露わにして鋭い声を上げたユリウスに、ルーカスは冷ややかな目を向けた。
「その必要はない。僕は常々言っていたはずだ。フローラを泣かせるようなことがあれば許さないと」
「フローラ様の涙の責任は確かに私にあります。ですが……」
「ユリウス、お前は僕にとって幼なじみで親友だ。だからお前の性格は分かっている。だが、悪気があろうとなかろうと、泣かせるような男にフローラを任せるわけにはいかない」
「……」
ユリウスは跪いたまま、唇を噛む。
しかし、そのアイスブルーの瞳をルーカスから逸らすことはなかった。
「元々、王家からバルツァー公爵家に打診して成った婚約だ。公爵家にとって、お前の婚約者がフローラである必要はないはずだ」
「いえ、私は……!」
「ああ、外聞を気にしているなら、幼なじみの情けだ、婚約破棄ではなく合意の上での婚約解消という形を取るように、父上達に進言してやろう。そうすれば新しい婚約者探しにも困らないだろう。バルツァー公爵家に嫁ぎたい令嬢など、いくらでもいるだろうからな」
「いえ! フローラ様以外の女性との婚約など考えられません!」
叫ぶような強い声音に、フローラは兄の腕の中で小さく息をのむ。これほど感情露わなユリウスの声を聞くのは初めてのことだった。
それに、婚約破棄に抗うようなユリウスの態度も、フローラには意外だった。ロズリーヌのことを別にしても、ユリウスはフローラに特別な感情など持っていないはずだ。王太子に歯向かってまでフローラとの婚約にこだわる理由があるとは思えないのに。
ルーカスは無言で片眉を上げる。ユリウスを見下ろす目は依然として冷ややかだった。
「私は、フローラ様でなければ駄目なのです! ですが……フローラ様が私を厭われるのであれば……そのときは潔く婚約破棄を受け入れます。ですからどうか、もう一度だけ、フローラ様のお気持ちを確認させて下さい。お願いします……!」
しばしの間、ユリウスとルーカスは無言で見つめ合った。睨み合うという表現が相応しいような、強い眼差しだった。
息詰まる沈黙を先に破ったのは、ルーカスだった。
「お前に最後の機会を与えるかどうか、それを決めるのは僕じゃない」
突き放すような声音で言ってから、ルーカスはフローラの背中に回した手を緩めた。
「フローラ。ユリウスともう一度話をする気はある?」
ほんの少しの躊躇いの後、フローラは無言で頷いた。
色々な感情がないまぜになり、自分でも自分の気持ちは分かっていない。
兄が自分のために怒ってくれたことは嬉しかった。
自分から言い出した婚約破棄でもある。
けれど、このまま婚約を破棄すればきっと後悔する。それだけは確信があった。
「……いいだろう。2人で話すといい」
ユリウスは黙って深く頭を下げた。
ルーカスは小さく息をつくと、険しい表情を今度はロズリーヌに向けた。ロズリーヌは飛び上がらんばかりに体を震わせる。
「ロズリーヌ嬢、貴女には色々と尋ねたいことがある。場所を変えてお付き合い頂こうか」
「は、はいぃ……!」
「エルナ、フローラ達のお茶を淹れ直したら、こちらにも頼む。君もフローラの友人として、一緒に話を聞くといい」
エルナに指示を出すと、ルーカスは涙目で震えるロズリーヌを伴い、東屋を出て行った。
去り際、ルーカスがほんのわずかに口元を綻ばせたが、フローラとユリウスがそれに気付くことはなかった。




