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14.王女は自覚する

 その夜、寝る支度を終えたフローラは、ぼんやりとソファーに体を預けていた。

 いつもならすぐにベッドに入るのだが、昼間にロズリーヌと交わした会話がぐるぐると頭から離れず、とても寝付けそうになかったのだ。

 あの後まもなく、東屋にユリウスが現れ、ロズリーヌとのお茶会は終了した。

 ユリウスは、文官が執務する区域を中心に、ロズリーヌに王宮内を案内していたのだという。化粧直しに行ったまま戻らないロズリーヌを探していたとのことだった。

 そんな事情を、ユリウスは淡々とフローラに説明し、フローラはそれに曖昧な笑みを返した。

 いつもなら、ユリウスに会えばいくらでも話したいことが思い浮かぶ。読んだ本のこと、気に入ったお菓子のこと、覚えたばかりの外国語のこと……。けれど、ロズリーヌの瞳に射抜かれ、動揺したままのフローラの心は、うまく言葉を見つけることができなかった。

 「そうだったのね」と、意味のない相槌の言葉をようやくひねり出し、フローラは東屋から遠ざかる2人の背中をぼんやりと見送ったのだった。


「姫様、何かご要り用の物がございますか?」


 フローラの寝支度を整えて退出しようとしていたエルナが、いつもと様子の違う主に声を掛ける。

 そのエルナをしばし無言で見つめてから、フローラは大きな溜め息と共に眉を下げた。


「エルナ……こんな時間に申し訳ないのだけれど……少しだけ話に付き合って貰えないかしら。その……友人として」


 遠慮がちに目を伏せるフローラに、エルナは小さく目をみはった。

 普段のフローラは、昼間のお茶に侍女を誘うことはあっても、夜更けのお茶に付き合わせることはしない。そんなことをすれば侍女の休息時間が減ることを知っているからだ。

 初めての誘いに、エルナは柔らかく微笑んだ。


「喜んでお付き合いしますわ」


 いつものように1度は辞退の言葉が返って来ることを予想していたフローラは、パッと顔を上げた。1度でも辞退されたら、すぐに引き下がるつもりでいたのだ。


「……いいの? 迷惑なら断ってくれて構わないのよ。命令ではなくて、お願いなのだから……」

「まぁ、姫様。私、『友人』が泣きそうな顔をしているのに放っておくほど薄情ではないつもりですわよ? お休みの前ですから、ラベンダー入りのハーブティーをお淹れしますわね」


 言いながら、エルナはもうお茶の準備に取りかかっている。


「……ありがとう」


 フローラはふにゃりと微笑むと、吐息を洩らすように呟いた。





「わたくし、紅茶も大好きなのだけれど、ハーブティーも良いわね」

「そうでございますね」

「味と香りと色味が様々で、お菓子との組み合わせを考えるのも楽しいわ」


 エルナの淹れたハーブティーを味わいながら、フローラはなかなか本題に入れないでいた。その間、エルナは話を急かすことなく、フローラの話に相槌を打ってくれていた。

 フローラはティーカップを口元まで持ち上げ、鼻で深く息を吸い込んだ。ラベンダーの優しい香りに、少しだけ気持ちがほぐれる。

 フローラはティーカップを置くと、意を決してエルナに目を向けた。エルナもフローラの改まった様子に気づき、静かにティーカップを置く。


「あのね……昼間のロズリーヌさんのお話、エルナはどう思ったかしら?」

「ロズリーヌ様のお話、と仰いますと……」


 ロズリーヌとの話題は多岐に渡っていた。そのうちのどれを指すのか、判断しかねたのだろう。エルナが小さく首を傾げる。


「つまり、その……ロズリーヌさんは外交官を目指していると仰っていたでしょう? エルナもずっと王宮での仕事を続けたいと言っていたし、羨ましく感じたりしたのかしらと思って」


 意を決したはずだったのに、フローラの口から出てきたのは、本当に話したいこととは違う内容だった。エルナももちろんそのことに気付いているはずだが、それを表には出さず、「そうですね……」と思案する顔になる。


「自分が文官になど、考えてみたこともありませんでしたので……。でも、そうですね。興味は覚えますが、羨ましいという気持ちではないように思います。私は姫様の侍女という仕事にやりがいを感じておりますので。……姫様は、ロズリーヌ様を羨ましく思われたのですか?」

「羨ましい、とは少し違うのだけど……」


 フローラは、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「すごいな、と思ったの。敵わないな、と。わたくしはロズリーヌさんのように、自分で自分の道を選んだことはないから……」

「姫様は一国の王女でいらっしゃいますわ。自由に道を選べないのは当然だと思うのですが」

「それはそうなのかもしれないけれど……でも、結果的に選べないとしてもね、自分の進む道を選びたいという考えが浮かんだことすらないの。そのことに気付いて、自分でも呆れてしまったのよ。どれだけ周りに流されて生きてきたのかしらって……」

「姫様」


 いつの間にか目を伏せていたフローラは、エルナの思いがけず力強い呼びかけに、ハッと顔を上げた。

 エルナの真摯な眼差しが、真っ直ぐフローラに向けられている。


「私は思うのですけれど……自ら己の道を選んで歩く者もいれば、家族など周囲から定められ、期待された道を行く者もおりますわ。それは、その人の境遇からくる違いであって、どちらが優れているという話ではないと思うのです。大切なのは、それぞれの道で力を尽くせるか否か、ではないでしょうか。姫様は、このフェルベルク王国の第4王女としてお生まれになりました。王女として、次期公爵夫人として、様々な人から多くの期待を受ける立場にいらっしゃいます。姫様はその期待に応えるべく努力してこられたと、私は思いますわ」

「そう、なのかしら……」


 フローラの揺れる瞳に、エルナは深く頷いて見せる。


「ですから、姫様がそのように自信をなくされることはないのです」


 フローラから目を逸らすことなくきっぱりと言い切るエルナをしばらく見つめてから、フローラは長い息を吐いた。それから小さく笑みを浮かべる。


「ありがとう、エルナ」

「いいえ、出過ぎたことを申しました」


 エルナの言葉がお世辞や空虚な慰めでないことは、その真剣な表情からわかる。エルナの気持ちが、フローラは嬉しかった。

 けれど、それでも、フローラの胸に渦巻くモヤモヤは晴れることがなかった。


「……でもね、そのことを差し置いても、ロズリーヌさんには敵わないと思ってしまうの。美しくて博識で……。わたくしには無いものをたくさんお持ちだわ。なのに、どうしてかしら、純粋に憧れる気持ちにもなれないの。あの方を認めたくないと思ってしまうのよ。こんな気持ち、誰にも感じたことがないのに……」


 眉を下げて口を噤むフローラに、エルナは目を瞬いた。


「まぁ、姫様。もしやとは思っておりましたが……。やはり自覚しておられないのですね」

「なぁに。何のこと?」


 不安げに首を傾げるフローラに、今度はエルナが眉を下げる。


「いえ、このようなことを私が指摘するのも如何なものかと……」

「そんな風に言われたら、ますます気になるわ。いいから言ってちょうだい」


 救いを求めるような目で促され、エルナは観念したように息を吐いた。


「それでは申し上げますが……。姫様のそのお気持ち。それは嫉妬ですわ」


 ビシッと人差し指を立てるエルナ。

 瞬間、フローラはポカーンとして目を瞬いた。


「しっと……?」

「ええ、そうですわ。姫様は昼間、こうも仰有ってましたわね。ユリウス様がロズリーヌ様をエスコートするのを見てモヤモヤしたと」

「確かに言ったけれど……」

「つまり、そういうことですわ」


 「そういうこと」とはどういうことなのだろうと、フローラは考える。

 思い返せばフローラは、これまで他人に嫉妬心を抱いたことがなかった。少なくともそうと自覚したことはない。

 それは、本人ののんびりとした性格ゆえでもあるが、末姫として周囲に可愛がられて育ったからというのもある。他人に嫉妬する必要がなかったのだ。

 もちろん、フローラも嫉妬心がどういうものか、知らないわけではない。

 平和で穏やかな国とはいえ、王族や貴族の世界には様々な嫉妬が渦巻いている。フローラ自身、他人から嫉妬を向けられたことも1度や2度ではない。

 それに、フローラが最近好んで読む恋愛小説に、嫉妬のスパイスはつきものだ。

 フローラは、これまでに読んだ恋愛小説のシーンを次々と思い浮かべる。

 想い人や恋人が他の女性と親しくするのを目の当たりにしたヒロインの、悲しみ、怒り、嘆き、切なさ。

 ユリウスがロズリーヌをエスコートする姿を目にしたときの、あのモヤモヤとした気持ち。あれが嫉妬だと言うのなら……。


「でも、だって、わたくしはユリウスのことをお兄様のように思って……」


 だから嫉妬などするはずがない、と言いかけて、フローラは口を噤む。


(あぁ、違うわ……。そうではなくて……ユリウスがわたくしを妹のように思っているから、だからわたくしもそうだと思い込もうと……。本当は、わたくしは……)


 ゆっくりと顔を上げたフローラは、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「わたくし、ユリウスのことが好きだったのね。お兄様としてではなく、1人の男の方として」


 呟くようなその声は、微かに震えていた。

 エルナは一瞬目を見開いてから、柔らかく微笑む。


「……やはりそこからでしたか。先日から、もしやとは思っていたのです。姫様はご自身の恋心を自覚しておられないのではないか、と」


 それを聞いて、今度はフローラが目を丸くする。


「エルナは気付いていたの? わたくしがその、ユリウスを好きだということに。さすが鋭いのね」

「……お言葉ですが、姫様を見ていれば誰でも分かりますわ」

「えぇっ、ではもしかして、みんな知っていることなの!?」


 みるみる頬を紅潮させるフローラに、エルナは深く頷いて見せる。


「ええ。皆存じておりましたわ。姫様ご自身と……おそらくあの方を除いては」


 恥ずかしすぎるわと呻きながら、両手で顔を覆って首をブンブンと振っていたフローラだったが、エルナの最後の言葉に動きを止めた。


「……あの方って?」


 顔を覆う指の隙間からチラリとエルナを窺う。


「ユリウス様ご本人ですわ。これは私の推測に過ぎませんが、おそらく気付いておられないかと」


 フローラは大きな翡翠の瞳をパチクリさせる。それから、くったりと脱力するようにソファーの背もたれに寄りかかった。


「……それって喜んでいいのか悲しんでいいのか、複雑だわ……」


 溜め息混じりに天を仰ぐ。

 そのまましばらく瞬きもせずに天井を見つめてから、「ねぇ」と口を開いた。


「……ロズリーヌさんの想い人って、ユリウスなのではないかしら……」


 天井を見つめながら呟くフローラに、エルナは僅かに眉をひそめた。


「なぜ、そのように思われたのですか?」

「だって、相手は年上の外交官だって言ってたわ」

「その条件に当てはまる方は、ユリウス様以外にもたくさんおられますわ」

「あと、結婚するには障害がある、とも言っていたでしょう。相手の婚約者が王女だなんて、なかなかないくらい立派な障害よ」

「それは確かに障害になりうるでしょうけど、結婚の障害など他にいくらでも……」

「それに、とってもお似合いだったわ……」


 天井に向けられたままのフローラの瞳が、頼りなく揺れる。

 エルナは何事か言おうと開きかけていた口を閉じてから、すっと背筋を伸ばした。


「姫様」


 静かな、けれど力強い呼びかけに、フローラはのろのろとエルナに目をやる。エルナの深い青色の瞳が、真っ直ぐフローラに向けられていた。


「私は思うのですけれど、この際、ロズリーヌ様のお気持ちはどうでもいいことですわ」

「どうでも、いい……?」

「ええ、そうです。たとえロズリーヌ様がユリウス様をお慕いしておられたとしても、それだけでどうなるものでもありませんわ。重要なのは、ユリウス様のお気持ちではないでしょうか」

「ユリウスの気持ち……」


 口の中で呟いてから、フローラは目を伏せた。


「……ユリウスは、わたくしを妹のように思っているわ。きっとロズリーヌさんのことを……」

「ユリウス様がそう仰有ったのですか?」

「そうではないけれど……。長い付き合いだもの。分かるわ」


 フローラは俯いたまま、今にも消え入りそうな声で呟く。

 エルナはそっと立ち上がると、フローラの傍らに跪き、主の左手を両手で包み込んだ。

 フローラはおずおずと、目だけをエルナに向ける。エルナは柔らかな笑みをたたえていた。


「……姫様。人の気持ちは分からないものですわ。時には、自分の気持ちですら」

  

 フローラの瞳が揺れる。

 エルナの両手に包まれた左手から、じんわりと温もりが広がっていく。

 しばらくの間、じっとエルナを見つめてから、フローラは小さな苦笑を浮かべた。


「……今のわたくしに反論する資格はないわね。わかったわ。ユリウスときちんと話をしてみる。明日の朝1番に手紙を書きたいから、準備をお願いしてもいいかしら」

「かしこまりました」


 エルナは安堵の笑みで答える。

 そのエルナの両手に、フローラはそっと、自らの右手を重ねた。


「……ありがとう、エルナ」


 はにかむフローラの瞳は、わずかながら輝きを取り戻していた。

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