13.王女は動揺する
そのとき、ずっと隅に控えていたエルナが、無言で2人のティーカップに紅茶を注ぎ足した。
コポポポ、という穏やかな音に、フローラの意識が引き戻される。
フローラは、凍えた人が温もりを求めるように、ティーカップに手を伸ばした。その熱に触れて初めて、指先が冷たくなっていたことに気付く。熱い紅茶を一口飲むと、体の中心にじわりと温かさが広がり、わずかに気持ちが落ち着くのを感じた。
密かに1度深呼吸をしてから、フローラは王女の笑みを作る。
「フェルベルクのアクアマリンを気に入って頂けて嬉しいわ。それで、フェルベルク滞在中のご予定について伺っていたのでしたわね」
やや強引に話題を戻したが、ロズリーヌは特に不審には思わなかったようだ。
優雅な手付きでティーカップを持ち上げ、紅茶の香りを楽しんでいる。
「ええ、そうでしたわね。けれど、今回フェルベルク王国に来た1番の目的は、実はすでに達成できましたの。フローラ様のおかげですわ」
「わたくしの、おかげ?」
チョコレート菓子の紹介以外に何もした覚えのないフローラは、目を瞬いて首を傾げる。
「ユリウス様のエスコートをお許し下さったことですわ。おかげさまで、ユリウス様にご紹介頂いて、フェルベルク王国の主だった貴族の皆様にご挨拶することが叶いました」
ロズリーヌの唇が艶やかな笑みを浮かべる。
途端に、ロズリーヌをエスコートするユリウスの姿を思い出し、フローラの胸にまたもや冷たくモヤモヤとしたものが広がった。
「……まぁ。随分と社交に熱心でいらっしゃるのね。サヴォア侯爵は外交官をなさっているとか。やはりお父上の影響かしら?」
フローラは、思わず崩れそうになる笑顔を保つため、グッと口角に力を込めた。
ロズリーヌはそれに気付いた様子もなく、優雅な微笑みを浮かべている。
「父の影響と言えばそうなのでしょうか……。実はわたくし、外交官を志しておりますの」
「まぁ、本当に?」
思いがけない答えに、フローラは目を丸くした。
男爵家や子爵家ならいざ知らず、上位貴族たる侯爵家の令嬢が職を得て働くなどという話は、聞いたことがない。下級貴族の令嬢が仕事に就くことがあると言っても、侍女や家庭教師くらいのものだろう。少なくとも、フローラの知る限り、フェルベルク王国に女性の文官はいないはずだ。
「侯爵令嬢が外交官になるというのは、我が国ではちょっと考えられないことなのだけど……アシャール王国では普通のことなのかしら?」
「いえ、さすがに普通とは言えませんわね。アシャールには女性の文官もいますが、男性に比べると数は圧倒的に少ないですわ。貴族階級出身者に限れば、2、3人と言ったところでしょうか」
「……お父上はお認めになったの?」
貴族階級に生まれた娘は、婚姻により家と家とを結びつける役割を担う。それがフェルベルクでは常識的な考え方だ。娘が文官になりたいと言えば、貴族ならばたいていの父親は良い顔をしないのではないかと、フローラは思う。
すると、ロズリーヌはフローラの予想を肯定するように、わずかに苦笑した。
「最初はもちろん猛反対されましたわ。時間をかけて説得して、最近ようやく折れてくれましたの。今は外交官補佐として、父に付いて勉強しているところなのです。ただ、父から、結婚だけは必ずするようにと条件を付けられてしまって……」
「……ロズリーヌさんは、婚約者はいらっしゃるの?」
ロズリーヌは今18歳だと言っていた。フェルベルク王国では、貴族の女性であれば、18歳で結婚もしておらず婚約者もいないというのは稀だ。
ましてや、ロズリーヌは家柄も申し分なく、この美貌である。婚約者は当然いるはずだとフローラは考えていた。
ところが、ロズリーヌの答えはフローラにとって予想外のものだった。
「いえ、それが、まだおりませんの」
「え?」
思わず声が洩れる。
それは純粋な驚きからではなく、奇妙な焦燥からだった。
フローラの反応をどう受け取ったのか、ロズリーヌは自嘲気味の笑みを浮かべた。
「残念ながら、外交官になりたいなどという変わり者と結婚したがる殿方は、アシャールでも稀ですわ。わたくしとしても、結婚後も仕事を続けることを認めて下さる方でなければ結婚するつもりはありませんし」
きっぱりと言い切るロズリーヌに、フローラは一瞬言葉を失った。
上位貴族の娘でありながら婚姻を政略と割り切ることなく、自ら夫となる男を選ぼうとするロズリーヌの考え方は、王女として育ったフローラにはあまりにも異質に思えたのだ。
けれど同時に、羨ましくもあった。まるで、自ら運命を切り開く恋愛小説の中のヒロインのようで。
そんな風に思ってしまったからだろうか。それほど親しくもないロズリーヌに対し、普段はしないような立ち入った問いを発してしまったのは。
「ロズリーヌさんは……どなたかお慕いしている方がいらっしゃるのでは?」
その瞬間、ロズリーヌは驚いたように目を見開いた。
それから、ゆっくりと目を細め、口角を持ち上げた。
「……どうしてお分かりになったのでしょう。ええ、おりますわ。お慕いしている方が」
「……まぁ。どんな方ですの?」
思いがけず声が掠れ、それを誤魔化すようにフローラはティーカップに手を伸ばした。
「年上で……外交官をしている方ですの。とても優秀な方で、わたくしも彼のような外交官になりたいと」
紅茶の水面に、細かな波が立つ。
愛しい男を思い浮かべているのか、ロズリーヌはうっとりとした表情で視線を宙に遊ばせた。
「……お相手の方は、ロズリーヌさんのお気持ちをご存知なのかしら?」
「はっきりと言葉で告げたことはないのですが、わたくしの想いは伝わっていると思います。彼もわたくしと同じ気持ちのはずですわ」
「……それでは、ロズリーヌさんはその方とご結婚を……?」
「ええ、彼と結婚したいと思っていますわ。色々と障害はありますけれど……」
不意に、ロズリーヌの灰色の瞳が、真っ直ぐにフローラを捉えた。
挑むような強い眼差しに、フローラは息をのむ。
「でもわたくし、決して彼を諦めるつもりはありませんの」
カチャリと、フローラの手元でティーカップが小さな音を立てた。




