6.ワイバーン
たどり着いたシヤハの森は、鬱蒼と茂っていた。
まだ午前中だというのに、辺りは薄暗く、不気味な雰囲気が漂っている。
ロキは周りを警戒しながら、ゆっくりと進んでいく。
この森に入ったことは、一度だけある。
ルーラのパーティに所属していたころ、Bランクの依頼で来たのだ。
しかし、ボブゴブリンの討伐で、入口から近い場所にいたので、ここまで森の奥に入ったことはなかった。
「あっ、ヒカリ蟲がいる。それに、ドクドク茸も。鉱石もこんなに……すごいな、素材の山だ……」
ロキはひとりごちながら、素材を採取しては鞄に入れていく。
素材を採取してしまうのは、錬金術師としての癖だった。特にシヤハの森の奥は、強いモンスターがいるためか、人に荒らされた形跡もなく、素材がとても豊富だ。
そのとき、地面に落ちていた細枝を踏んで、地面からパキンと音がした。
途端に、バサバサと鳥が一斉に木を離れて飛び立っていく。ロキはびくりと身体を震わせた。
(何を浮かれているんだ。採取なんかしてる場合じゃない。気を引き締めないと……!)
採取はほどほどに、荒れた道をゆっくりと進んでいく。
歩きながら、入手したばかりの素材で簡単な調合をする。
Bランクの煙幕が2つができた。
モンスターから身を隠すのに、有効なアイテムだ。
ときどき、モンスターにも出くわしたが、スライムやスケルトンなど、ロキでも討伐できるEランクのモンスターばかりだったので、短剣で何とか討伐できた。
一時間ほど進んだところで、大きな木に裂けたような跡があるのを見つけ、じっと観察した。
「間違いない。これ、ワイバーンの爪痕だ……」
呟いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
ここからそう遠くない場所に、ワイバーンがいる。
ロキは震える両手を抑えるように、ぎゅっと握った。
――そのときだった。
鬱蒼と茂る、ほとんど見えない空から、黒い影が真っ直ぐにロキに向かってくるのが見えた。
黒光りしている身体に、黄金の瞳。大きなトカゲのような見た目で、尖った耳と、鋭利な牙が見える。背中には身体ほどの大きな羽が生えていた。
ワイバーンだ。
すぐにそう気が付いて、臨戦態勢に入った。
しかし、遠くに見えていた黒い影は、一瞬でロキとの距離を詰め、鋭い爪を大きく振りかぶる。
ロキは、反応できなかった。
「――が、はッ!」
肩が大きくえぐられる。
衝撃で身体が吹き飛び、大きな木に激突した。
痛みと眩暈で、くらくらする。地面にはロキの血がぼたぼたと落ちた。
ロキは、何とかカバンからポーションを取り出し、一気に飲んだ。
身体は回復し、痛みが引いていく。しかし恐怖までは、ぬぐえなかった。
ワイバーンが高らかに咆哮をあげる。
森中が震えるような、大きな声だった。
ロキは、片耳をふさぎながら、もう一方の手でカバンから煙幕を取り出す。
さきほど森にある素材で調合したばかりのアイテムだ。
それをワイバーンに向かって、投げる。途端に、辺りは白い煙で覆われて、辺りが見えなくなった。
(こんなの、僕には絶対に無理だ……逃げなきゃ……)
一瞬で恐怖に呑まれたロキは、もつれる足と引けた腰で、何とか立ち上がる。
幸い、ワイバーンは煙幕でロキを見失ったようだ。この煙が晴れる前に、遠くへ逃げなければ。
ワイバーンに背を向けて、逃げようとした、そのときだった。
振り返ったそこには、同じく黒い影が二体いた。
それは、ワイバーンだった。
二体のワイバーンがロキを真っ直ぐに見て、じりじりと距離を詰めてくる。
「嘘、だろ……三体いたのか……?」
ワイバーンが三体。
それは、ロキにとって絶望的な状況だった。
ここまで目が合っていたら、残り一つある煙幕を使ったところで、効果がない。
ワイバーンがじりじりと迫るごとに、ゆっくりと後ずさりして、やがて大きな岩に背中がついた。
煙も晴れ、三体のワイバーンが舌なめずりをして、金色の瞳を真っ直ぐにロキに向けている。
「あ、あああ……あああ……」
恐怖で、声が漏れる。
身体が震えて、心臓があばれていた。
やはり、騙されたんだ。
ロキはそう思った。
オーファンは詐欺師で、はなから自分のユニークスキルを覚醒させるつもりなんて、なかった。
ただ、小金が欲しかっただけだったのだ。そうでなかったら、この状況は何なんだろう。回避できるような場面は、とてもなかった。
数秒後には、ワイバーンはロキに襲いかかり、身体中を喰われるだろう。
ロキは、モンスターの餌となるのだ。
そう思ったとき、ロキの心の中に深い深い、絶望が襲った。
心の深淵を真っ黒に覆うような、深い絶望。
――そのときだった。
『――ユニークスキル 魔法少女、発動』
「うわ……っ、ああ、ああああああッ!」
頭の中に情報が流れ込んでくる。
同時に、謎の光がロキの身体中を覆った。
***
同時刻。
冒険者ギルド『黒竜の枕』内。
部屋の一室で、Sランク鑑定士、オーファン・クラウスは、赤色のソファに寝そべりながら、ふと窓の外を見た。
遠くに、鬱蒼と茂る森が見える。ロキがいる『シヤハの森』だ。
その森の中心部から、輝くような光が発生し、真っすぐに空へとのびている。
神々しい光は一瞬で、すぐに消えた。
「すまなかったな、ロキ」
オーファンは、そうひとりごちて、口元をにやりとさせる。
「――深く絶望したとき、そのスキルは、はじめて発動するんだ」
Sランク鑑定士、オーファン・クラウスは、窓から見える森を見ながら、誰もいない部屋で、そう呟いた。