3.鑑定
空が白みはじめたばかりの早朝。
ロキは、足早に一夜を明かした広場を出た。
明るくなると、広場に人気が出てきてしまう。
人に見られる前に、立ち去ろうと思ったのだ。
それに、Sランク鑑定士がいる冒険者ギルド『黒龍の枕』にも、早い時間に行きたかった。
昨日、ルーラたちは酒場で夜遅くまで飲んでいただろうし、早朝なら、彼女たちと出くわす事もないだろう。できればもう、ルーラたちに会いたくなかったのだ。
ギルドに向かう途中、早朝から開店しているパン屋から、おいしそうな香りが漂ってくる。
空腹のロキは、ごくりと唾を飲み込んで、すぐに首を大きく振った。
貴重な金を無駄遣いするわけにはいかない。ユニークスキルの鑑定にかかる金は、正確には分からないのだ。
というか、そもそもこんな朝早くに、Sランク鑑定士はいるのだろうか……?
ロキ自身、今まで何度も冒険者ギルドに足を運んだが、そのSランク鑑定士に会ったことは一度もない。
(いなかったら、どうしよう……)
そんなことをもんもんと考えながらも冒険者ギルド『黒龍の枕』に着き、大きな扉をそっと空けた。
中は広く、正面にカウンターがあり、受付嬢が一人いる。
壁には、一面中に依頼が張り出されていた。ルーラのパーティにいたときは毎日のように来ていたので、もう見慣れた光景だ。
早朝はやはり、冒険者が少なく、ロキはほっと胸を撫で下ろした。
「あれ、ロキさんじゃないですかー! こんな早朝から、お疲れさまです。おひとりですか?」
「エマさん。おはようございます」
顔見知りの受付嬢――エマに話しかけられて、ロキはぎこちなく笑った。
エマは赤茶の髪をサイドテールに結んだ、活発な雰囲気の女性だ。
普通に話しかけられたところを見ると、エマはロキがルーラのパーティをクビになったことを知らないようだ。
しかし、広まるのは時間の問題だろう。
ロキは何となく恥ずかしくて、そのことを言わないでおくことにした。
「スキルの鑑定をしたいんですけど、Sランクの鑑定士はいますか?」
「えっ、スキルの鑑定ですか? でもロキさん、たしか鑑定スキルのCランクをお持ちでしたよね?」
「……実は誰にも言っていないのですが、僕はユニークスキルを一つ所持しているんです。それがどんなスキルなのか知りたいのですが、僕のランクでは分からなくて」
「えーっ! ロキさんユニークスキル持ちだったんですかっ!? それはすごいですね!」
「だ、誰にも言っていないので、他言無用でお願いしたいんですけど……」
ロキは周りを見渡しながら、焦ったように小声でそう言う。
幸い、誰も聞いていなかったようだ。まだスキルの内容が分からないだけに、知られたくはなかった。
「あっ、ごめんなさい。もちろん、誰にも言いませんよ! じゃあ、鑑定士に声をかけてきますから、座って待っててください」
エマはにこっと花が咲くように笑って、奥へ消えていく。
Sランクの鑑定士はいるらしい。そのことにほっとした。
「ロキさん。準備ができましたので、応接へ案内いたします! こちらへどうぞ」
「は、はい!」
戻ってきたエマに声をかけられて、ロキは勢いよく立ち上がる。
緊張して、ぎこちない動きで、エマの後を着いていく。
やがて扉の前で立ち止まり、エマは振り返った。
「このお部屋に、Sランク鑑定士のオーファンさんがいます。金額の交渉は本人としてくださいね」
「分かりました」
「では私はこれで!」
エマは愛想よくそう言って、受付へ戻っていく。
ロキは小さく深呼吸をしてから、扉をノックした。
「入ってくれ」
そっけない声が聞こえて、そっと扉を開ける。
部屋はそこまで広くない。中央に小さなテーブルが設置されており、向かい合うようにして、簡素な椅子と立派なソファが置かれていた。
ソファには、すらっと足の長い男が座っている。その男は、三十代中頃ほどに見える、なかなかの色男だった。
かっちりとしたシャツと黒いズボンを着用しており、清潔感がある。
「オーファン・クラウスだ。座ってくれ」
「ロキ・フェイズです。えっと、今日ここに来たのは……」
「エマから聞いた。ユニークスキル持ちなんだってな。ユニークスキルの鑑定なんて、久しぶりだな」
オーファンは楽しそうに言って、身体を起こした。
「あの、実はあまりお金がないのですが、鑑定にいくらかかるんでしょうか?」
「ユニークスキルの精密鑑定は、銀貨5枚でやってる。足りるか?」
そう言われて、ロキは青ざめた。
足りない。
今ある全財産は、銅貨486枚分。つまり銀貨5枚分に満たないのだ。
「た、足りないです……今、銅貨486枚しかなくて。すみません、貯めてから出直してきます」
「あーいいよいいよ、それぐらい。銅貨450枚にまけといてやるから。ただし、代金は前払いだ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
ロキは銅貨が入った布袋を取り出すと、36枚の銅貨を抜いて、袋ごとオーファンに差し出した。オーファンは確かめもせずに、袋を机の上に置く。
これで全財産は銅貨36枚。
生きるか死ぬかは、この鑑定結果に賭かっている。
「じゃ、鑑定するぞー」
オーファンはそう言って、じっとロキを見る。
すぐに、オーファンのアーモンド型の瞳が驚いたように見開かれていく。
不安になりつつも、ロキは背筋を伸ばしたまま、結果を待った。
「な、何だこのスキルは……」
やがて、オーファンが小さく呟いた。
驚愕や興奮。いろんな感情が、オーファンの言葉や表情から滲み出ていた。
さらに時間が流れる。
たった数分だったが、ロキにはとても長い時間のように感じた。
やがて鑑定が終わり、オーファンは息を吐いて、ロキから目を逸らした。
「ど、どうでしたか……?」
いつまで経っても結果を伝えようとしないオーファンに、しびれをきらしたロキがたずねる。
オーファンは、片手で頭を支えて、何かを考えているようだった。
「……こんなスキルは初めてだ。いや、ユニークスキルなんだから当たり前なんだが、それにしたって、特殊すぎる」
「特殊、ですか? 一体どんなスキルなんですか?」
「……説明が難しい。それに今、お前に説明してしまっていいのかも分からねーな……」
「どういうことですか? 僕のスキルは、使えるようなものなんですか?」
「使えるかどうかはお前次第だな。って言うのも、発動条件がかなり厳しいんだ。普通に生きていたら、発動することなく一生を終える。それぐらい厳しい。だが発動できるようになれば、強い。間違いなく」
オーファンは、はっきりとそう告げる。
強い、と言われて、ロキは嬉しくなった。
だが、同時に困惑する。オーファンの言っていることに、全くぴんと来なかったからだ。
「どういった発動条件なんですか?」
「あー今、どうしようか考えてるから、ちょっと待ってろ」
再びオーファンは、何かを考えるように黙りこんでしまった。
真剣な表情のまま、うつむき、顎に手を添えて動かない。
ロキはオーファンからの回答を黙って待った。
やがてオーファンは顔をあげた。
「……ロキ、と言ったか。このスキルを発動させるには、お前がとても辛い思いをしなければならない。これは絶対に避けられないんだ」
「辛い思いですか?」
「ああそうだ。内容について、正確には答えられない。言うと発動を妨げる恐れがある。俺が聞きたいのは一つ。お前はどんな思いをしようとも、このユニークスキルを発動する覚悟があるのか、ということだ。覚悟があるなら、俺は発動を手伝ってやる」
真っ直ぐな視線を向けられたまま、たずねられる。
辛い思いをしてでも、ユニークスキルを発動する覚悟があるのか。
オーファンに言われた言葉を、もう一度考える。
ロキの手元にはもう、36枚の銅貨しか残っていない。
覚悟があるかは分からないが、後戻りはできない。
つまりもう、この可能性に縋るしか、ないのだ。
「――はい。覚悟はあります!」
オーファンの灰色の瞳を見たまま、ロキははっきりと告げた。
しばらくしてオーファンが大きく息を吐いて、うなずいた。
「……分かった。じゃあやるか」
「僕はどうしたらいいですか?」
「そうだな、まず……」
オーファンは、どこか悪どい笑みを浮かべて、にやりと笑ってロキを見た。
「追加料金発生だ。金貨を3枚、ここに持ってこい。耳をそろえてな」