15/『季節』は巡り、『恋』がくる
逃げて、逃げて、逃げて。色んなことから目を逸らして、また逃げた。いつのまにか、それが僕の中で当たり前となってしまった。見上げる空、周りの景色、なにもかもが灰色に見える。けど、色んなことが嫌になって、投げ出そうとした時。誰かが、僕の傍にいてくれた。僕だけが迷ってるわけじゃないんだ。生きているうちは、みんなそうやって手探りで進んでいくんだろう。
ゆっくりでいい。そう、ゆっくり。膝に力を入れるんだ。目的地なんて、歩いているうちに見つかるさ。そして目的地が定まったのなら、振り向かずに、それだけを目指して。
僕は走り出した――
***
蓮が走り去り、公園に1人残された涼は、ひときわ大きな溜息をついた。その背後にゆっくりと近付いていく1つの影。涼がその人物に気付いた時、その人物が口を開いた。
「よく、あんなこと言う気になったね」
「……瀬戸さん。あんた見てたのか」
その人物とは瀬戸綾だった。瀬戸は今までの一部始終を見ていたようなのだ。瀬戸を睨みながら、涼は声を絞り出した。
「ごめんね。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどね」
瀬戸は、少し笑いながら寂しそうに答えた。それから、暫しの沈黙の後、瀬戸は涼に問いかける。
「後悔、しない?」
「……あぁ」
言葉とは裏腹に、涼は頬には一筋の涙が伝っていた。
「実はさ、結衣をアメリカに行った日から、こうなるんじゃないかと思っていたんだ。だから、覚悟はしていたつもりなんだけど……」
涼は、手でグシグシと乱暴に涙を拭った。
「どうも、現実に起こってみると……。情けないぜ」
「そんなことないよ。あんなに結衣ちゃんのことを想えるなんて……。涼君は立派だよ」
励ますように、諭すように、瀬戸は努めて優しく言った。
「俺は思うんだけど、あんたは優しすぎるよ」
涼は、地面に転がっている石を蹴飛ばしながら言った。そして、瀬戸に向き直り、口を開く。
「あんたは、いいのか?」
わかりやすくなにかを口にしたわけではないが、瀬戸にとってはそれで全て伝わったようだった。
「……あんな蓮君見てたらさ、私は何も出来ないよ」
自分の指と指を絡めながら、瀬戸はポツリと言う。その背中は、少しだけ小さく見えた。
「……それについては、同意見だな」
涼も、蓮が消えていった方向を見ながら、ポツリと呟く。
夏の終わり、秋の始まり。そんな中途半端な季節の夜は、賑やかさの代わりに静けさを、暑さの代わりに寒さを迎え入れる。それは、今の二人には寂しさを迎え入れる結果となった。
「夏は……終わったんだね」
「……あぁ。終わった」
夏は、恋の季節。男女の関係を育み、築き上げるのに適している、一年を通しての中で一番『温かい』季節。それは、何も夏にだけ訪れるわけではないのだけれど……。少なくとも、今二つの『夏』が終わりを告げた。しかし――
「よし! 落ち込んでても仕方ないし、私達は私達で新しく良い人探そう!」
「おいおい、今さっきのことでよくそんな前向きに…………。いや、そういうノリも、たまにはいいかもな」
夏は終わっても、秋、冬、春と季節は巡り、また夏がやってくる。進んで、止まって。また進んで。それがわかっているからこそ、瀬戸は空元気だが前向きな声を上げた。それがわかってしまったからこそ、涼もその健気な努力に沿える答えを出した。
「そうそう! 落ち込んでても仕方ないしね~。だから、二人で良い人探そ!」
「そうだな。というか、あんたモテるんだから探す必要も無いだろ」
これからの二人の未来は、どうなるのかわからないのだけど。
「またそうやって適当なこと言って……。あ~! 上、上!」
「ん? 上? ……あぁ、本当だな」
今は、過ぎていく『夏』に小さく手を振り、また来るであろう『夏』に想いを馳せながら、二人は夜空を見上げていた。
見上げた夜空は、満点の星で飾られていた――
***
「はぁ……はぁ……ふぅ」
僕は、公園から全速力で藤宮邸まで走ってきた。結構必死で走ってきたから、正直息も絶え絶えだ。僕の足は思っていたよりも速かったのか、それとも火事場のクソ力ってやつなのか、案外早くつくことが出来た。時間にして……まぁそれはいいや。とにかく僕は、門の前でゆっくりと深呼吸し、息を整えた。
「ふぅ……よし」
ガチャ
ずっしりと重い扉を開けると、そこにはシュナが立っていた。いつからいたのだろうか。それは多分、僕が出て行った時からずっとここで待ってくれていたのだろう。シュナは、まるで全て見透かすかのように、僕の目をしっかりと見据えていた。
「どうやら、大丈夫みたいですね」
「あぁ」
それだけ答えて横を通り過ぎようとした時、すっとシュナの手の平が差し出される。僕は、パン! とその手を強く叩いた。
「つぅ~~~………」
うん。少し強く叩き過ぎたみたいだな。しかし、今はそんなことには構ってられない。僕は、目的地へと急いだ。今度は、当たり前だけど涼の邪魔は入らない。僕の手はごく自然に、かつ相当な緊張を持ってドアノブへと向けられる。
「おっと」
ノックをし忘れていたことを思い出し、急いでコンコンと二回ノックをした。
「はぁ~い」
ドクン……。懐かしい声に、心臓が大きく跳ね上がる。途端に、自分が何をしていいのかわからなくなった。会えば、なんとかなると思ってた。ここまで来れば、自然な形でいけると思っていた。それがどうも、頭が真っ白で、ただ背中を伝っていく汗が印象に残っていた。数分、いや、時間にしたら数秒のことだったんだろう。結衣が、部屋の中で「あれ?」と素っ頓狂な声を上げた。当たり前だろう、ノックが聞こえたのに誰も来ないんだ。しかし、その声でようやく僕の思考が再会し始める。パタパタと、フローリングをスリッパで歩く音が聞こえる。近付いてくる。僕の心臓が、警鐘のように鳴り響ている。
そして――
ガチャ
「あ……」
と僕。
「あ……」
と結衣。
ほぼ二年ぶりに再会した僕らの第一声は、お互いに『あ』だった。あんなに緊張していたのに。あれだけ辛い思いをしてきたのに。今日この日のためにこの二年、頑張って頑張って、必死に自分を強くしてきたつもりなのに。待ちに待ったその瞬間は、あまりにあっけないものだった。それがなんとも拍子抜けで、可笑しくて。
「く……はは、くはは!」
結衣も、僕と同じように、腹を抱えて笑っていた。
「ぷ……あは、あははは!」
それからしばらくひとしきり笑いあった。もう二度と迎えることがないと思っていた、あの懐かしき日々のように。目の前で笑っている結衣は、2年の時間を感じさせるほどに成長していて、正直笑いながら見惚れていた。結衣の笑っている姿が、可愛くて、可愛くて、いうまでもここまま二人で笑いあえたら、どんなに幸せだろうか。でも、当たり前だけどだんだんと笑いは収まってきて。何か言葉を紡がないといけない気がした。どうしようとか、何を声にすればいいんだろうとか。どんな顔をして結衣に向き合っていればいいんだろうとか。
けど、それすらも僕の杞憂だったようで、僕と結衣は、どちらからということもなく、静かにお互いを見詰め合うと。
そっと、ぎゅっと、お互いを抱きしめた。