14/『僕』
「あんたに話があるんだ」
涼が、決意に満ちた目で俺に言った……のだけども。
「いや、いい。俺はないし」
俺はその一言で片付けた。今日のシュナとも絶叫マシーンフルコースのせいか、それとも時差ボケのせいか、俺は少々疲れ気味だ。なので、俺はそれだけ言うと涼を意に介さずドアノブを回すことした。
「えっ、ちょっ! ちょっと待て! 一回落ち着いて!」
「……何?」
「や、俺が話しあるって言ってんだぜ? そこは聞こうよ。流れ的に」
つまり、流れを読めと。空気を読めと? 間接的に言われた空気を読めの一言。それは、アメリカ時代にシュナに言われ続けたそれに少しだけ似ていた。と、言うわけで。蓮、怒ります。
「あー、それじゃお前はあれか? 俺に空気読めって言いたいわけか? 空気読んでお前の言うとおりに行動しろと? それが人に物を頼む態度かこの野郎。殺すぞ」
「……あんたってそんな言葉遣い荒い人だったか?」
「お前が余計なこと言うからだろが」
俺の一言に涼は目を丸くして驚いているようだったけど……。あー、スッキリした。
「で、話って何だよ?」
「聞くのかよ!」
間髪入れず涼の突っ込みが入った。
「や、聞かなくていいなら別にいいんだけどな」
そうやって、チラッと涼を見ると。
「是非、聞いてくれ」
こんなにも素直な返答が来るとは、少し意外だった。と、いうわけで。
***
「お前、話っていったよな? そうだよな? どうして場所を移動しなきゃならない? 寒いだろうが」
俺は涼に連れられるままに野外の公園まで来ていた。秋も初め。昼間はまだ暑さが残っているが、夜になれば少し薄着だと少し寒いくらい。そして、今俺は薄着だった。
「まぁ、少し長くなるかもしれない。座って話そう」
そう言って、涼は噴水前に設置してあるベンチを指差した。怒り出したい衝動をなんとか抑えているようで、眉間に皺が刻まれっぱなしだ。しかし、俺は止まらない。
「寒いって言ってんだろうが! なんで寒いのに水周りに行かなきゃならないんだよ。頭イカレてんじゃないのか?」
涼の頭から、プツンと聞こえた気がした。
「うるせぇよ! こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって! 俺がお前に話してやるっつってんだから喚いてないで黙って聞けよ!」
俺も負けじと言い返す。
「それが人生の先輩に対する口の聞き方か? お前の体に礼儀って奴を刷り込んでやってもいいだぞこの野郎」
「おー、やってもらおうじゃねーか! その前に俺の右拳が火を噴くね!」
「噴かしてみろよバカ野郎。お前の右拳なんざ当たったってアリに咬まれた程度だっつーの!」
「んだとてめぇ! アリ舐めんじゃねーぞ!」
「認めてんじゃねーよ! クソガキ!」
***
「はぁ……はぁ……はぁ」
「はぁ……はぁ……。もう、やめにしようぜ」
あれから数十分に及ぶ口論の末、涼が先に白旗をあげた。
「まぁ、お前が負けを認めるならいいんだけどな」
「どうしてそうなんだよ!」
「嘘だよ。もう、面倒くさいから、さっさと話を聞かせてくれ」
「しかたねぇな。じゃあ、とりあえずあそこにベンチに……」
「ここでいいよ!」
俺の突っ込みの後、涼は急に真剣な顔になった。切り替えが早過ぎるっていうことに、少しだけ寒気がした。というより、先延ばしにされていた『話』に、身構えてしまったという方が正しいかもしれない。
「今までと違って、これは真剣な話なんだ。そっちも真剣に聞いてくれ」
無言で頷く。さっきまでの、木の葉のガサガサと揺れる音が聞こえない。車の通り過ぎる音も消えていた。いつのまにか、風が止んでいた。まるで世界が涼の話しに耳を傾けているかのように。いやな静けさの後に、涼がポツリポツリと語り始めた。
「正直なところ、あんたがいなくなってからの結衣は相当酷かった。何話しかけても上の空だし、見るからに体も不調だった。まさに、身も心もボロボロってやつだな。誰のせいかわかるか?」
涼は俺に質問を投げかけたんだろうが、俺は答えることが出来なかった。それも意に介さないと言うように、涼は更に続ける。
「まぁいい。とにかく、そんな状態が続いてた。みんな必死になって話しかけたよ。桜も、香奈も、きっとハルもタマも。もちろん、俺も。いろんなとこ遊びに連れてったり、おかしいくらいにお互いの家を行き来したり。もちろん、それは結衣を元気付けるためでもあったけど、結衣は一人にしとくとあんたを探してどこかへ行ってしまう時があったからな。それを監視するためでもあったんだ」
なんとなく、そういうことがあるかもしれないとは思っていた。だって、そのせいで結衣は事故にあってしまったんだから。しかし、実際にあったと言われると、胸が苦しくなっていくのが、自分でも分かる。
「まぁそんな不安定な時が続いていたんだ。けど、ある日。びっくりするくらいいつもの結衣になって戻ってきた。当時、俺はみんなの中で一番結衣を元気付けるのに躍起になってたから、みんな俺の健気な努力のお陰だって言ってくれたよ。俺も、その時は自分の努力のお陰なのかもしれないって喜んでた」
話を聞く限りでは、本当に涼のお陰なんだろう。結衣のためにみんながそこまで躍起になっている時、俺はアメリカでぬくぬくと過ごしていた。それが涼に申し訳なくもあり、感謝すべきでもあった。けど、この話はまだ終わっていないことを、涼の言葉が物語ってる。
「みんなはそれきり気にしてなかったけど、俺はずっと気になってた。だって変じゃないか。急に元気になるなんて。だから、俺は結衣とアメリカに行ったあの日、結衣に思い切って聞いてみたんだ」
そこで涼は言葉を区切る。これから、涼は何を言うのか、俺は何を言われるのか。それが何か重要なことのようで、俺は涼の口が開かれるのをじっと待った。そして、口を開く瞬間、涼の顔に微かな寂しさが感ぜられた。
「結衣は言ったよ。とてもとても大切なことを思い出したって」
「大切な……こと?」
「そうだ。そして、大切な人の影をあんたに重ねていたのかもしれないって凄く寂しそうに言っていた」
それはつまり、死んでしまった大好きな『兄』を俺に重ねていた……。ということなんだろう。
「それを、今から確かめに行くんだ。って、ぎこちなく笑ってたよ。けどな、あんたは知らないかもしれないけど、あんたの父親からあんたの話を聞いて、結衣は笑ってた。本当の笑顔だったんだ。それだけで、俺は結衣が大切な人にあんたを重ねていたわけじゃないってわかったよ」
知ってるよ、涼。俺は、実はその場にいたんだから。そして、俺はこの時知ったんだ。俺がぐずぐずしている間に、結衣は立派に過去を乗り越えていたんだ……! それに比べ、俺は……。そんな後ろ向きな思考を吹き飛ばしてくれたのは、涼の力強い『話』だった。
「俺は、あんな笑顔をしてほしくて、結衣の傍にいた。けど、それじゃダメなんだ! 俺にはわかる。結衣を本当の笑顔に出来るのは、俺でも、他の誰かでも無い! あんたなんだ!」
それは、涼としては大好きな人を諦める言葉。しかし、本当に大好きだからこそ、言える涼だけの言葉。
「あんたは今だって流されてるだけだ! あんたの境遇は加奈子さんから聞いて知ってる! それがどれだけ辛かったかは俺にはわからないけど……。どうしても耐えられなくて、アメリカまで逃げたんだろ? 今、それを攻めるつもりは無い。でも!」
涼の純粋な言葉が、俺の……いや、『蓮』の心に響く。なんの飾り気もない、感情に任されて出るからこそ、『蓮』の心に届く。それは、『蓮』の迷いも、虚勢も、真実だと思っていた想いも、全てを断ち切るに十分な強い力を持っていた。それが『蓮』を救う唯一の方法だとは、涼は気付いていないだろう。それでも、大好きな人の為に涼は声を張り上げた。
「でも、あんたは戻ってきた! なら、最初にやるべきことはなんなんだよ! 藤宮の家族と飯食うことか? 桜のお見舞いか? 遊園地で姉と遊ぶことか?」
……違う、そうじゃない。
「そうじゃねーだろォ!!!」
うん、そうじゃないんだ! 思い出したよ、『僕』は母に捨てられたあの日から、『俺』っていうようになったんだ。そう、『蓮』は『僕』だ。『俺』じゃない。結衣の前でだけは、『僕』で居られたじゃないか!
それが、他の誰のでもない、僕だけの真実。それが僕の真実だから、その声はどんなに小さくても僕に届く。それを、涼は僕に教えてくれた。『俺』から『僕』に戻るためのきっかけをくれた。
「ありがとうな、涼!」
感謝の言葉をその場に置いて、僕は走り出した。
気付かせてくれて、ありがとう。
結衣のことを、こんなにも好きになってくれて、ありがとう。
こんな僕に、たくさんの勇気を与えてくれて、ありがとう。
僕は、今からこの世界で一番大切な人へ、僕の『真実』を届けに行きます。