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「ん? こんな夜にどこに行くんだい?」
釜山に入り二日目の夜、俺は泊まっているドミトリーにて外へと行く準備をしていた。
すでに十一月も第二週、夜の帳が降りればそれなりに冷え込む。フリースを羽織らないと寒さで凍える日々になりそうだ。ヒートテックにフリースを羽織り、手には軍手をはめて準備万全となった俺は赤い移動用のバッグを背負い外へと繰り出した。
「そりゃ某RPGよろしく、情報を集めるなら夜の酒場って決まっているんだよ」
酒場に行けば情報どころか、仲間まで紹介してもらえるからな。基本的に俺の旅の基準は某RPGがモデルだ。馬鹿らしいと思うだろ。そうだ、俺は馬鹿だ。
「情報を集めるとかいいつつお酒が飲みたいだけじゃないの? 昼間もビール飲んでたじゃん」
「まぁまぁ半分は正解だね」
そう笑みを一つ。
確かにお酒を飲みたいのもあるが、重要なのは夜の街を見るということだ。その国、その地域、その地区での人々の暮らしを理解するには昼間を見るだけではだめだ。夜の街を見なければ分からない。昼間の街も夜の街もその全てがそこに暮らす人々の暮らを表すんだ。
「やっぱりね。キミが夜に出るときはお酒を飲むときくらいなもんだもんね」
黒猫はポンッと俺の方に飛び乗った。どうやら、夜も自力で歩くつもりはないようだ。
「そりゃ、俺のこの度の放浪は何をモットーにしているか知ってるだろ、クロは」
「それはもちろん知っているよ。“美味い酒”、“うまいタバコ”、“いい女”だよね」
「そうその通り」
人間の三大欲求は、食欲、睡眠欲、性欲とは言うが、それは人間が生きていくために必要最低限な欲求だ。ただ生きるためにはそれだけあれば十分だが、そんなただ生きるだけの人生の何が楽しいというのか。人間はもっと怠惰に強欲に生きるべきだ。だからこそ、人間はその三大欲求の他に別の、自分にとって楽しいもの、人生に必要なものを作っていく。ある人は友情だったり、ある人は愛だったり、恋だったり、またある人は金だったりする。
某週刊少年漫画風に言えば、友情、努力、勝利のように、己が人生に必要なものを創造していくのだ。そういえば、某週刊少年漫画で思い出したが、いまあの週刊漫画って何が連載しているんだろうか? 俺が買ってたのは死神がノートをもってくるあの漫画が連載されていた時だったので今からだとそうとう前になる。某忍者漫画は終わったらしいから俺が知っている漫画なんてもうほとんど残ってないんだろうな。少年漫画なんてかれこれだいぶ読んでいないので機会があればまた読みたいものだ。まぁ、海外であの週刊誌があるのかと聞かれれば首をかしげざるをえないが。
閑話休題。
すまん話がずれた。
何が言いたかったのか言えば、俺にもあの某週刊少年漫画宜しく、三大用語というか人生の三大原則というものがあるということだ。
それは馬鹿な俺らしく単純明快、ずばり――――
――――“酒” “タバコ” “女”だ。
分かりやすくて非常にいいだろう。出来ればそれにギャンブルというスパイスを付け加えたいところだが、あれを付け加えると四つになり四天王になってしまう。俺は強欲で怠惰であるが、そこまで欲張りではないのでここは一つ我慢してその三つにしておこうと思う。それに最近はその三つが三大欲求をも上回り始めたからな、タバコと酒代を出すために食費削るなんてザラだ。それは海外に来ても相変わらず。タバコの値段も基本的に同じだからなぁ、高いよタバコ。まぁうまいタバコもあったからいいけどさ。そして、お金がやばくなれば今度は宿代まで削る覚悟まである。いくら安宿泊まっててもタバコ4,5箱分くらいにはなるんだよ、宿代。ならいっそ野宿してたばこ代捻出しようか考え中なわけだ。人間三大欲求には勝てないからな。
え?三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲だって? そんなもの分かってる。じゃあ俺だけ三大欲求を酒、たばこ、女、にすればいいじゃないか。これで解決だな。これで宿代を削ってたばこ代を捻出しようとする俺の正当性が認められたわけだ。うん、どうだ。これで証明完了QEDだ。
え? その三つの言葉だけでお前がダメ人間だってわかるって?
おいおい、そんなに褒めるなよ、照れるじゃないか。――うん、褒めてないって?
俺みたいな真正なゴミ人間にはその言葉すら褒め言葉になるんだぜ。ほら一つためになったろ?
それにそんなもの今更じゃないか、ここまで付き合っておいて、それすらも分からなかったのか。俺は自他ともにダメ人間だ。そして、それが俺だ。ダメ人間であることが俺のアイデンティティだと言っても違いない。そこに一点の曇りはないのだ。
他人からなんと思われようと、何を言われようと俺の生き方は1mmたりとも変わらない。
「くすすす。ボクはたまにキミノー天気さが羨ましくなってくるよ。飲みすぎないように注意だね。それよりも治安は大丈夫なのかい?」
「さぁ、昼間回った限りじゃ大丈夫だとは思うが、どこでも後ろめたい連中は日の光を避けて、夜に活動するのが常だから何とも言えないけど」
俺の言葉に黒猫は呆れたように乾いた笑みを浮かべる。猫の癖に人間味溢れる器用なやつだ。
「大丈夫なのかい? ただえさ言葉が通じないのに。それに、忘れたの日本でも夜な夜な遊びにいって痛い目みたじゃないか。歌舞伎町やススキノ、それに中州でも結構やばいところまで行ったの忘れたのかい?」
なんともその通りである。それに中州と言えば先週、親富孝で飲みいった時の話なので最近のことだった。釜山という町が未だにどんな街か全貌はつかめないし、どう動くべきかも海外旅行初心者の俺には分かりかねる。言葉は通じないし、文字も読めない。夜のほうが一人歩きの危険度が増すのは当たり前の話だ。下手な店に入れば厄介ごとに巻き込まれる可能性があるのは日本でも当たり前のように転がっている話だ。それが海外ならその可能性はあがるだろう。
――だが、それがどうした。そんなこと元より分かり切ったこと。いくら危険があったところで俺の行動は変わらない。ここが日本でも日本ではなくてもだ。
「さぁ、どうになかるでしょ。なるようになるさ」
結局、なるようにしかならない世の中なら、思いっきり自分を貫けたほうがカッコいいだろ?
男の子はいつだって恰好をつけたがるのさ。
そして翌日、俺は財布の中身をみて驚愕することになる。
「おい、クロ。昨日何があった……?」
財布中には昨日あれだけ奮闘して落としたお金がほとんどなくなっていた。
「なにって、覚えてないの?」
「あぁ、焼肉屋で一人寂しく飲んだのは覚えているが、その後どうなった?」
メニューから指さし注文をしてドリンクは“びあ”の一点張りだ。それでどうにか飲み始めたまでは覚えているが後の記憶はさっぱりだ。いったい何があったというのか、俺の財布には落としたばかりの現金が少しばかり入っていたはずなのだが、今見ると青いお札が一枚だけだ。1000ウォン、俺の体感で日本円にして100円。これではジュースを買うどころか、あの安い釜山の地下鉄にすら乗れやしない。どうしたらこうなった。
「さぁ、ボクも記憶は最後の方はあいまいになってきたからあれだけど、きっといつも通り宵越しの金は残さない勢い飲んだんじゃないの?」
黒猫は甲高い声で笑う。なんともいつも通り他人行儀である。
「しっかし、結構現金あったと思うんだけど」
下ろしたのは昨日のことだ。金額的に言えばしばらく下ろさなくていい程度の現金は落としたはずなのだが。
「いつものことじゃないか。お金が尽きるまで飲むなんて、それが日本か海外かの違いだけで、そこまでの違いはないと思うよ、ボクは。――――ほら、なんだっていっつもキミが言ってるじゃないか。確かえーっと」
「毒を食らわば皿まで、酒は飲まれるまで飲め、罠を踏んだら踏み抜け、か?」
「そうそう、それそれ。なんとも男らしさをはき違えている言葉だと思うけど、いいんじゃないかい、いつも間違え続けたキミらしくて。うふふふふ」
「おい、俺がいつ間違えた」
「少なくとも正しい道を歩んでいないのは間違いないね、世間一般から見ればアウトローさ」
黒猫は上品にケラケラ笑いながらドミトリーの俺にあてがわれたベッドで尻尾をゆらゆらと揺らした。声は品があってかわいいし、恰好も猫で毛並みもきれいだ、だが、言動が可愛くもなければきれいでもない。生意気だ。
なんちゃらは飼い主に似るとは言うが、俺はまだ少しは可愛げがあったというものだ。五十歩百歩と言われそうだけどな。
「アウトローなのは否定しない。中学の時から変わり者と言われ続けたたからな」
「それで、変わり者で居続けたせいで友達はすくないと」
「それは事実だが、悲しくなるからやめろ」
「おやおや、すまないね。心の傷に荒塩を塗り込むような真似をして」
けろりとまるで何も意にもかいしていないように黒猫は言う。
「まぁいい。お前が俺に対して容赦ないのは昔からだからな」
そんな生意気な相棒だが付き合いは長い、それに俺は大人だ。大人は子供の粗相を笑って許してあげるのが仕事だろう。伊達に中学のことから親のお使いでタバコを買いに行っても年齢確認されないくらい大人びていない。今では普通に三十代に間違われるしまいだ。肺年齢が30代ならまだしも、見た目が三十代だからなぁ。
「それはありがたいね。それと、今日はどうするんだい?」
「あぁ、今日か……」
宿をとったのは今日までなので延長しなければ十一時にはチェックアウトをしてゲストハウスのドミトリーを出ないといけない。え、ゲストハウスやドミトリーってなんだって? あぁ、そうかその説明がまだだったな。すまん普通に調べたほうが分かりやすい説明が出てくると思うが、俺のつたない、少ないボキャブラリーの文章でも説明をしておこう。興味のないやつは悪いが飛ばしてくれ。
まず、ゲストハウスというもんだが、基本的に個人経営のホテルみたいなものと思ってもらえば、俺みたいなバックパッカーなんかが好んで泊まる安宿だ。個室からドミトリータイプのものある、ついでに言えば値段もピンからキリまである。基本的に泊まる客は外国人が多いから、英語を話せる従業員が多い。まぁ、俺には英語も出来ないから関係ないんだけどね。もちろん、日本にも多く存在するゲストハウス。ちなみに俺は日本全国津々浦々行ったがゲストハウスには泊まったこと一度もない。貧乏旅すぎて交通費すらヒッチハイクで賄っていた俺にどうやって宿代をひねり出せと?もちろん、宿泊は野宿一択である。日本なら冬以外ならどこへ行っても野宿できる無駄な自信があるね、俺には。いや、本当に無駄な自信が改めて思うと。
それに、そのせいで数少ない友人からはどこでも生きていけるゴキブリみたいなやつだと思うわれてる節がある。ゴキブリの並みの生命力とはほめているのか貶しているのか分からない言葉だ。ゴキブリって新聞紙をくるくるして叩いたら死ぬし。そう考えればゴキブリ並みの生命力っていう言葉は実は新聞紙で死ぬような貧弱野郎というニュアンスが含まれているように感じてならない。
え? 話が大きくそれているって?それとゴキブリ並みの生命力は決して褒め言葉じゃないと……。
ほうほうほう、確かに一般人にとってはゴキブリ並みの生命力、つまりゴキブリに例えられるこの言葉は褒め言葉になりたり得ないだろう。しかし!――しかしだよ、この俺のポジティブ差に限って言えばその言葉すら褒め言葉に変わりえるのさ
あぁそうそう、こんなとこでゴキブリ談義している場合じゃなかったな。
えーっとなんだって……。そうそうドミトリーについての説明か。
ドミトリーとは一つの部屋をみんなで借りる感じと言ったほうがいいのかな。
ほら中学や高校で林間学校とかで泊まった施設の部屋でさ二段ベッドが並んだ部屋があるだろ。その部屋のベッドの一か所を借りてそこで寝るのがドミトリーという施設である。簡単にいうと二段ベッドがある部屋をそこに泊まりたいやつらでシェアする感じ。料金も安いかわりに見知らぬ人と泊まることになる。毎日が集団生活、毎日が修学旅行だ。まぁ、実際はそこまで気軽なものでもないが、それは別の機会に語ろうと思う。
以上で簡単だが、ゲストハウスとドミトリーの説明を終らせてもらう。拙い文章で分かりにくかったらネットで調べてもらえばそれっぽい説明は山のようにでてくるからそれを参照していただきたい。コミュニケーション苦手な俺だから説明も下手だよ、すまないな。この旅で少しはまともなコミュニケーション能力がつくことを期待しているところだ。
「今日はとりあえず、韓国の首都ソウルに行くぞ」
釜山を十分回ったとは言い難いが同じとこにとどまっていては旅人とはいえないだろう。フットワークが自慢のバックパッカーがご自慢のフットワークを殺してどうするって話だ。
「ふーん。どうやって行くんだい?」
「バスがいいかなと思っている」
「バス?」
ゲストハウスのパソコンで調べたところ釜山からソウルまではバスが安いという結論に至った。ちなみに、この文章を書いているのはそのバスの中だったりする。
俺が泊まっていたゲストハウス、その最寄りの駅は南浦駅という地下鉄の駅だ。その南浦駅はプサンの地下鉄の一番線の中の一駅であり、プサン駅から二駅ほど先の駅にあたる。その南浦駅から一番線の地下鉄をプサン駅の方向に戻り、一番の終点のノポ駅にはバスターミナルが隣接してある。そのバスターミナルからソウル行きの電車にのることが今回のミッションである。ソウルについた後の宿? そんなものどうになるだろ。最悪野宿だ。テントもってきているから大概の場所なら生きていける。
「あぁ、バスだ」
「それ大丈夫なの? ただえさえ韓国語もろくに分からないくせに」
「まぁ、どうにかなるでしょ。さて、準備だ。今日雨だ、久々に雨具の出番だぜ」
どうにもならないものをどうにかするのが旅人だ。どうにもならなくても野宿すればいい。持ち物の少ない俺だ。とられて困るものと言えば命くらいだ。
「ふふ、“まだ”大丈夫そうだね」
小さくつぶやくように吐き出された黒猫の言葉は俺の耳に届くことはついになかった。