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プロローグ

『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくに人の世は住みにくい。突然で悪いが海外に行こうと思うんだ。日本は俺にとって生きにくいから、人でなしの国に行く前に、よその国を見てみようと思ってさ。期間は未定、いつ帰ってこれるか、いつ帰ってくるかは未定の行き先のない放浪に出ようと思うんだ。もちろん、海外といってもWi-Fiくらいはあるとは思うし、こまめに連絡をとっていきたいとも思う。けど、やっぱり海外だ。もしものことが万が一にもないとも限らない。だからさ、もしも二週間以上連絡が取れないようであれば、俺のことを記憶から消してほしいんだ。人間いつまでも後ろ向きじゃあだめさ。前を見ないとね。こういう時に銀行の口座番号と暗証番号くらい書ければいいんだけどさ、あいにく雀の涙ほどの預金は準備とあいさつ回りですべて消えた。地獄の沙汰も金次第という諺があるけどさ、それなら借金しかない俺はどうなるんだろうね、今から非常に楽しみではあるね。まぁ、とりあえず小銭程度は必ず身につけて行こうと思うんだ。六文ないとどうやら三途の川すら渡れないらしいからね。どうやらあの世でも金に苦労しそうだよ……』



と、ここまで書きかけた文章をデリートキーで全て削除する。


いくらなんでももう少しましな文章があるはずだ。少しばかりこの文章は酷すぎる。いつぞやに治ったはずの中二病が再発していると言われても否定できないくらいの仰々しさだ。馬鹿は死ぬまで治らないとは言うが、中二病も、もしやすれば一生治らないのかもしれない。


馬鹿と中二病は死ぬまで治らない。


うん、なんともそれっぽい言葉が出来てしまった。それと同時にこんなことをこんな歳になってまで考えているからこそアイツに馬鹿にされるんだろうな、と静かに思う。


「どうかしたのかい? 何か馬鹿な考えをしているような顔だけど」


噂をすれば影ではないが今まで俺の座椅子の横の席で大人しく座っていたアイツが声をかけてきた。黄金の瞳がこちらを向く。少し高いソプラノの声。その声を色で表すなら体とは逆に白、穢れや汚れを知らない純白という言葉がよく似合う。彼女こそ俺のこの度の放浪の友にして相棒、黒猫のクロだ。


別に名づけに他意はない。名は体を現すというが、彼女の場合は逆であろう。体が名を現すだ。


「別になにもないよ」


そう別に何もない。ただ一人で自分の行いを嘆いているだけだ。それにしても、開口一言目に馬鹿だと言われるとは、さすがクロ、容赦がない。なんともクロ“らしい”。


「ふーん、そうか。……でも、良かったのかい? 折角書いた文章消してしまって」


「いいんだ。あんな恥ずかしい文章がもしも後世に残ったら俺は死んでも死にきれいないじゃないか」


「確かにボクの目に見てもお世辞にもうまい文章ではなかったけど、そこまで卑下することもないような気もするけどね。ほら旅の恥は掻き捨てという言葉があるじゃないか」


「確かにそんな言葉はあるが、あれを残すと恥どころか黒歴史に近いものになりそうだからな」


旅の恥は掻き捨てというが、旅の中二病は掻き捨てられないだろう。それにもし、あんな文書が出回って友人に知られてしまったら、それこそ死んでも死に切れん。この年になって中二病で友人を失うのは勘弁してほしい。ただえさえ、俺は友人が少ないというのに。


「ふーん、そういうものかい」


クロは興味がなさそうに言う。


「あぁ、そういうものだ――っと、おっと」


そんな時だった。少しばかり船が揺れた。天気予報は曇り時々雨、薄汚れた窓から空を見れば重い重い鉛のような曇天が見える。低気圧の影響で午後の便は欠航。波は大きく畝っていた。俺の放浪の始まりとしてはこれ以上にないくらいの日だ。


あぁ、これでいい――いや、これ“が”いい。


こうじゃないといけない。雲一つない快晴でもなく、視界を埋めつくような土砂降りの雨でもない。風が吹がなく波がない日でもなく、大嵐で大荒れではない。


その中途半端さが俺を現しているようで思わず、口端を上げる。


これがいい。これがいいんだ。悪でもない正義でもない、主人公でもなく、悪役でもない、もちろん勇者でも魔王でもない。そんな半端な俺にとってはこれが似合っている。


「結構いま揺れたね……。それとその笑い方気持ち悪いよ」


「今日は荒れるって言ってたしな、午後の便は欠航になるくらいだし、荒れているほうだと思うぞ。――それと、笑い方は生まれつきだ。整形しない限り治らないから文句言うなよ」


「これじゃあおちおち寝ることも出来ないね。まぁボクは船酔いはしたことないからそれだけは有り難いけど」


確かに今日は少しばかり波が強い。ただ座っているだけならともかく、今の俺のようにノートパソコンをポチポチやっているとくるものがある。日本一番船酔いをしやすいと言われていた日本の秘境、大島―青ヶ島間でも平気だったため余裕だと思っていたが、画面をみて何かをするという作業は思った以上に酔いやすくなるのかもしれない。


その分、画面を見ていない黒猫は暢気なものであくびを一つしながら俺の横で楽になっていた。羨ましいどころか軽くムカついてまでもくる。


「なんだ、眠いのか?」


「うん、少しばかり昨日寝れなくてね。――そう言うキミもきてるんじゃないのかい?」


「まぁ、俺はまだ若いから少々の寝不足大丈夫だよ」


「ふーん、そうか……」


黒猫は興味がなさそうに尻尾を振りながら窓の外に金の瞳を向けた。


「なんだそれ、お前から聞いてきたんだしもう少し突っ込んできてもいいんじゃないか」


「キミの大言壮語に付き合っているほどボクは暇じゃないんでね――っと、それよりも本当に大丈夫なの?」


何が――とは聞かない。この言葉でわからないほど俺と黒猫の仲は浅くはないのだ。


「――大丈夫じゃないのか?」


とりあえずは気休めの言葉を投げておく、大丈夫かと聞かれて大丈夫じゃないと応える日本人なんて早々にいるまい。


「本当に? 海外一人旅でしょ、それにしても何にもパンフレットも用意してないし、読んでもない。それで大丈夫なのかい?英語も話せないんだろ?」


「確かに俺は何も知らない。韓国の言葉も分からなければハングル文字だって読めない。いや、そもそも英語だって中学生レベル以下だ。そもそも母国語の日本語すら怪しいのに英語も韓国語も話せるわけないだろうに。それにパンフレットすらなければ地図も持ってない、ついでに言えば向こうでのお金の下ろし方すら分からないんだぜ」


オールオアナッシング。全てか無か。100か0か。


ギャンブル好きな俺が最後にたどり着いた境地。基本的に俺はこの理論で動いている。今回は0だ。俺は何ももっていない。情報は何もない。だけど、これでいい。いや、こうじゃないといけない。


対策に対策を重ねた旅行なんて何が面白いんだ。ただえさ、今の俺たちにはパソコンや携帯と言った通信機器があるんだ。これ以上便利なってどうする。


「なに決め顔で言ってるんだい。ないない尽くしじゃないか」


「まぁ、いざとなったらクロがどうにかしてくれるでしょ?」


俺のその投げやり加減にクロは一つため息をつくと、尻尾をパタンパタンと振る。


「何言っているんだい? キミが知らないことを僕が知っているはずないじゃないか」


「確かにそうだったな……」


「……ったく、どうしてこうなったんだか。困ってもボクは知らないよ。キミが日本を行き当たりばったりで回った時みたいに世界は甘くないんだよ」


確かに日本と世界は違う。治安のいい日本にずっと住んでいた俺には分からないものが沢山あるのが沢山あるのかもしれない。だが、それがどうした。治安がなんだ、情勢がなんだ、そんなもので俺の生き方は1mmも変わらない。変えられない。

決められたルートをたどる旅では俺は満たされない。そんなのを求めて俺は非人情の旅に出たのでは決してないのだ。


「クロ、別に俺は困ってもいいんだよ」


「海外で困ったら死んでしまうかもしれないのに?」


「あぁ、死んでしまうかもしれないのに、だ」


俺一人が死んでそれで終わりなら、まったくもってそれは構わん。

もとよりこの命いつ死んでもいいように使っている。好きなことをしている最中に死ねたのならそれ以上の幸福はあるまい。


「なぜ、そこまでするんだい? ボクには少し分からないよ」


「そうすべきだから、そうすんだ」


きっと今この機会を逃せば俺は一生海外を旅する機会はないだろう。そんな機会をみすみす怖いだの恐怖だの危ないだので逃すのは非常にもったいない。俺はこうするべき時だからこうしているにすぎないのだ。


「それは海外放浪する機会なんてこれくらいしかないとは思うけど、それでも色々と調べておくことくらいできるでしょ?」


確かに黒猫のいうことももっともだ。いや一般的には全面で正しい。海外での情報を調べ、ルートを決め、回ることを決める。間違いなく旅のスタンダードだ。これ以上にない言うくらい黒猫は正しい。


――――でも、それは他の人であって俺は違う。俺は俺だ。I am I. この世に唯一無二の俺の考えじゃない。


俺の考えはいつだって自分が楽しくだ。それ以下もそれ以上もない。


あらかじめ分かっていること、予測できることの何が楽しいというのだろうか。


何も知らない、無知のまま、白いままいってそこで色々なことを経験して学んでいくほうが何十倍も楽しくて何十倍も身につくに決まっているじゃないか。


「そりゃ、何も知らないほうが楽しいに決まっているからじゃないか」


だからこそ、ガイドブックはいらない、携帯はいらない、語学書はいらない、パンフレットもいらない、ノートパソコンもいらない、充電器もいらない、知り合いもいらない。


手札をぎりぎりまで捨てきってそこで勝負をする。与えられたカードでどれだけの結果が出せるのか、どこまでその手札を伸ばせるのかが面白いんではないか。


「そっか、じゃあなんで初めの国はここにしたんだい? もっと遠い国でもよかったろうに」


確かに初めて訪れる国に限って言えばここでなくてもよかった。じっさい、こんな近場から始めた人なんかは意外と少ないんではないだろうか。


「そりゃ単純明快な話さ。よくあるRPGでも初めは船で近いところから行くもんだ。初めから飛行機なんて使えるゲームはクソゲーに間違いないし、もしあったら遠いところに行けばいくほど強い敵が出るのは必須さ。だから、まずは近場からいってレベル上げないとね」


俺の返答に黒猫は少し愕然とした後、諦めたように首を横に振った。


「そうか、キミがそれでいいのなら、ボクはもう何も言うまい」


凛とした声で黒猫は言うと俺の膝の上に飛び乗った。


「ほら見なよ、虹だ」


黒猫は窓に前足をかけると俺の膝の上で壁に立ち上がった。相変わらず尻尾はくねくねと動いていた。


少し興奮気味の黒猫の様子に微笑ましさを感じながら俺は外を見る。潮風で汚れた窓の外では確かに曇天の空が少し明るみ、そこに虹が見えた。


どうやら、思った以上に幸先はいいみたいだ。


第一の国まではあと少し。

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