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主と召使と

 かれこれ三年、何も食べていない。

 金が無いわけでもないし、今が飢饉というわけでもない。

 むしろ、食べ物は容易に手に入るし、娯楽も充実している。

 それなのに、僕は腹を空かせている。

 「出来たぞっと…」

 両手に持ったペンを放り投げ、背もたれに体重を預ける。

 思わず出たため息は地面の埃を巻き上げ、一気に視界を悪くする。

 そのあまりの埃の量に咽ると、また埃は舞い上がった。


 眼前にはドラゴンが実寸で二体は寝転べるほどの巨大な机の天板が広がっている。

 机の上はそれも巨大な石版とペン、それとペンを研ぐ為の砥石とそれらの削りカスやら資料やらで散らかり放題だ。

 僕がこの石版の前に腰を下ろしてから三年。

 その間僕は一歩もこの部屋から出ていない。

 「おーい!ミカエラ!そろそろ僕に食べ物をくれよ!腹が減ったままじゃもう動けないよ!」

 大声が室内にこだまする。

 誰の返事もない。

 腹の音がますます大きくなっていく。腹が減ったと意識しだしてからの空腹感は恐ろしいものだ。今までなんとも思わなかったものが急にこみ上げて居ても立ってもいられない気持ちになる。

 「おーい!おーい。おー・・・い」

 さすがに三年は長すぎた。

 だが、おかげで今回のモンスターは力作と言える。自分でも不思議なほど集中できていたし、それになんといっても物理攻撃から最短で魔砲を放つことが出来るように上半身に工夫を施したのは我ながら良いアイディアだ。この力作に名前を付けられないのは若干悔しいが、こいつが冒険者を吹っ飛ばす様を想像するだけで自然とにやけてしまう。

 机に突っ伏して腹の鳴る音に耳を澄ます。

 「ミカエラ-、僕に食べ物をくれよー」

 

 ミカエラは僕専属の世話係だ。

 僕が仕事をしやすいように、炊事・洗濯・仕事の助手から命を守るボディーガードまでなんでもやってくれる。

 なんでもやってくれるはず、なのだが。

 「ミカエラ、僕はもう我慢できないよ…」

 埃まみれで視界の悪いただ広いだけの部屋にそう吐き捨てて、椅子の肘掛けに両手を付きぐいと体を持ち上げた。

 立ち上がり、辺りを見回す。

 正面、右、左、足元、机の下。

 背後、天井、もう一度背後。

 視界は相変わらず悪いが、やはりそこにミカエラの影はない。

 「ああ、疲れたー…」

 塵をかき分け、できるだけゆっくりと部屋のドアへと向かう。

 ミカエラに止められることを期待していたが、ドアの前まで来ても彼女の気配は感じられない。

 「このまま本当に出掛けられそうだな」

 なんとなく湧き上がる勇気で気分が良くなってきた。

 このままドアノブに手をかけて、それを少し捻ってやれば三年ぶりに外の世界に行くことができる。

 もう一度周囲を確認しつつ、ドアノブに手を掛けた。

 

 その瞬間。


 「ン、ンンッ」

 どこからともなく大きな咳払いが聞こえた。


 「ミ、ミカエラ?」

 ドアノブを握りしめたまま、背後を振り返る。

 しかし、そこには誰の姿も見えない。

 少しだけドアノブを捻る。


 「ンンンンッ!」

 先程よりも大きな咳払いが部屋にこだまする。

 幻聴、ではないはずだ。

 だが辺りには姿が見えない。

 この三年間、彼女は僕を監視してきたはずだ。

 新しい魔法を開眼させるような暇は無かっただろうし、それにジャイアントエルフの彼女に身体変性の能力は身に付けられない。

 ミカエラの姿が見えないなんてことはあり得ないのだ。

 

 握りしめているドアノブを一気に捻り、そのまま石製の扉を思い切り引っ張った。


 ゴキッ。


 不気味な鈍い音とともに腰に衝撃的な痛みが走った。

 「あだだだっ!」

 勢い良く開けようとした扉は尋常ではない重さで、そもそも運動不足だったこともあり、僕の腰は一瞬にして使い物にならなくなってしまった。

 「その扉、ドアノブ関係ありませんよ」

 腰が抜けて床にへたれこむ僕の頭上から、聞き覚えのある澄んだ女性の声がする。

 「ミガエラッ!」

 声の先を見上げると、僕の体ほどある巨大な顔がすぐそこで僕を見下ろしていた。

 「お、お前!今までどこにいたんだよ!」

 「わたしならずっとここにいましたよ。主様が静かにするよう仰った一年と四ヶ月、十日前からずーっと…」

 そう言いながらミカエラは僕を指先でつまんで机の上に座らせた。

 ミカエラは、息を勢い良く吐き出し辺りの塵を一気に吹き飛ばし、僕の視界に収まるようにしゃがみこんだ。

 「ミカエラ!なんで呼んでるのに答えないんだ!お腹が空いたって言っているのに…」

 「嫌がらせです」

 「…え?」

 「嫌がらせですよ。嫌がらせ…」

 ミカエラは視線を逸らしたまま無表情で訳のわからないことを言っている。

 「は?いじわる?な、なんのことだい…?」

 「主様、わたしは退屈だったんです。主様が集中なさっている間ずーっと!本を読んだり、散歩したり、主様の独り言をメモしたり色々やっていたんですが、それでもだんだんやることが無くなって…、それで主様をリラックスさせようと歌を歌っていたら…。うるさいと」

 そう言って、ミカエラは巨大な体をぎゅっと縮こませて小さくなった。

 とはいっても、そもそもの巨大な体は当然僕の数倍の大きさだが。

 「ミカエラ?」

 ミカエラは膝の間に顔を埋めて鼻をすするような音を出している。

 僕は机から飛び降り、ミカエラに歩み寄る。

 「悪かったよ。僕も軽率だった、お前が僕のためを思わない行動をとるはずがないよね」

 蹲る彼女の膝の辺りに手をあて、軽く叩いた。つもりだが絵面としてはどうだろうか。彼女に対して僕は小さすぎるから、反省する猿のように見えるかもしれない。

 「ところでミカエラ…。本を読んだり、僕の独り言をメモにとったり、それから何て言っていたかな?」

 ミカエラの体がぴくりと反応した。

 「なあミカエラ。なんて言ったんだい?」

 ミカエラがそっと顔を上げる。

 「さ、散歩です」

 「散歩…?」

 「も、申し訳ございません、主様っ!」

 「そうか…。ミカエラ、お前は一歩も部屋から出られない主人を置いて独りだけ、ひ・と・りだけで外に出掛けていたんだね?」

 ミカエラがひえっと声を上げる。

 「すすす、すみません主様!主様は随分集中してらしたので、バ、バレないかと思ったんですがねぇ。えへへー」

 そう言って首をすくめてへらへら笑っている彼女の頭を力いっぱい殴った。

 ミカエラはイテッと小さく声を上げ、もう一度「すみません」と呟いて子犬のような目で僕を見つめている。

 「とにかく、モンスターのデザインが仕上がったんだ。今回は中々の力作に仕上がったんだぞ、ちょっと見てみてくれ。」

 腰に手を当て、背筋を伸ばして机を指差した。

 ミカエラは立ち上がり、僕の頭越しに机を見下ろしているようだった。

 僕は上を見上げて机を見下ろす彼女の表情に注目する。

 「どれどれー」と偉そうに呟きながら石版を見下ろすミカエラの表情が明るくなっていく。

 「主様っ!これは素晴らしいです!さっすが主様!天才的!猟奇的!…ですが、これって」

 「何か問題でもあるかい?」

 「いいえ、問題なんて。でも、なんか気持ち悪いなあとは思いますね」

 「な、何を言うんだよ。構造上問題はないし、それにこいつの優れているところは物理攻撃と同時に魔砲を放つことが出来るという点だからね。同時二回攻撃なんてかなりの玄人冒険者だってひとたまりもないだろうさ」

 「なるほどー」

 ミカエラは関心したような声を出した。

 「よし、それじゃあ今からこれをボスのところに見せに行くよ。ミカエラ、石版を運んでくれるかい?」

 「はーい」

 ミカエラは自分の体の半分程の大きさの石版を小脇に抱えて、扉を開いた。

 僕にとっては微動だにしない重い扉も、彼女の力の前では普通の扉と変わりない。

 床を引きずる馬鹿に大きな音とは裏腹に、軽々とそれを開く彼女はさすがだといわざるを得ない。

 

 こうして僕は三年ぶりに軟禁されていた部屋から外に出るのである。

 

 

 

 

  

 

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