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イン・ワンダーランド  作者: 止流うず
『イン・ワンダーランド』第0章-ファーストクライシス-
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イン・ワンダーランド06

 地図を読み込み進行するルートを決める。ただし鴻ノ巣達と同じルートを使って俺が迷宮のボスの部屋に辿り着くことは出来ない。俺にとって戦闘に入ることは死亡と同義だからだ。

 鴻ノ巣達は勝てずとも人海戦術で強制的に蟲の巡回ルートを突破していた。

 それを一人で攻略している俺には真似をすることができない。

 だから遠回りになろうとも敵となるべく接触しないルートを選択しなければならなかった。

「吉原庸介、少し宜しいですか?」

「なんだ? 俺のこの有様を見て暇に見えるならお前は相当頭がアレだろうが。……それで何か用か?」

 地図をガン見しルートを暗記している俺はどこからどう見ても忙しいだろう。俺が暇をしてればまとわりついてくる地助も気をつかってか地面に伏せて寝ており、邪魔をすることはない。

 ファーストは台詞に棘を混ぜた俺を見て眉をしかめた。

「前から思っていましたが、お前は私のことを嫌っているのですか」

「ギルドの中でお前を好きな奴が一人でもいたら俺は驚くよ」

「ッ……そんな筈はないと私は思っていますが……そうなのですか?」

「そう、が何を示してるかわからんが、お前に嫌悪を持っていない奴は少ないだろうな。そして持っていない奴らはお前に対してはもう無関心だよ。何も期待していない」

 実の所、余裕がある時ならともかく他にやることがある状態でファーストの相手をするのは面倒という気分があった。だから言葉は一息に言い切ってしまう。

 そうして俺が地図から視線を上げれば、どうして、とファーストの唇が動いていた。

 目と目が合う。動揺を悟られたくないのか、それでファーストは無表情に戻った。俺はそんなファーストには何も言わない。こいつが何百年ここにいたのかは知らないが、今のギルドの現状がファーストに対する全ての答えだからだ。

 こいつがこの有様だから、ギルドにはこいつを信頼する人間が一人もいない。俺もダンジョンマスターとしての機能だけは信用し利用しているがファースト個人を信頼することもない。

「それで、聞きたかったのはそれだけなのか? なら少し離れてくれ。俺は地図のルートをできる限り覚えなければならないんだよ」

 当然の話だ。俺が鉱晶蟲に襲われたなら生き残れない。《帰郷石》ならば逃げられるが、あれは購入に少なからずEXPを使用する。また、ダンジョン内でいつでも地図を開けるとは限らない。

 だから道をできる限り覚え、自力での逃走を可能としなければならなかった。

 地図を確認すれば、ボス部屋に行くルートには必ず鉱晶蟲と接触しなければならないエリアが存在した。それは《蟲蔵》と呼ばれ、最低でも一匹は鉱晶蟲の成体が常時存在するエリアだ。

 《蟲蔵》には鉱晶蟲の幼体やサナギなども存在する。ファーストの話では幼体を守る成体を倒し、《蟲蔵》に存在する幼体やサナギを潰せばかなりのEXPが稼げるらしいが、ギルドの探索者でそれに成功したという話は聞いたことがない。

 実際、誰も鉱晶蟲を倒すことができていないのだから当たり前の話だが。

 それはともかくとして、探索者が金属を持っていない場合の鉱晶蟲の探知能力はけして高くはない。しかし奴らがダンジョン内の壁内を進んでいるならともかく同じ空間にいたならば流石に気付かれてしまうだろう。

 鉱晶蟲に見つかったなら、助からない。

 嫌な想像を振り払い、なるべく《蟲蔵》を通過しないで済むルートを探していた俺に対して、無言だったファーストが突然地図の一点を指さす。

「こ、ここを目指しなさい。武装もせずに行くのは……よくありません。わ、私が言いたかったのはこのことです」

 "よくありません"。まるで母親や教師のような言葉遣いに薄笑いが浮かぶ。俺に武装を買うEXPは残っていないし、そもそも武装を扱う技術もない。それをわかって言う台詞なんだろうか?

 ファーストが指さした地点を深く見る気にはなれず、頭の中で結論をつける。

 そもそも今回は下見だ。俺が武装したところで何の意味もない。接触した時点で死ぬのだから身軽な方がいいに決まっている。

「お前な、それを俺に……」

「よくありません。お前は武装しなければならない。先に進むなら、今のままでは駄目です」

「駄目って……お前」

「武器にもならない道具では覚悟を決められない。進むなら、武器を持って、戦う(・・)べきなのです」

 強く重ねて言うファーストは自分で気付いていないのか。紅い瞳の周りが赤く染まっていた。

 所謂、涙目という奴だ。白い身体に赤い瞳でウサギのような少女だったが、鼻まで弱くひくひくさせている様は本当にウサギのような仕草で、そんな姿を見せつけられればこれ以上つつくことなどできなかった。

 そんなことをすれば本気で泣き出すだろうという謎の確信が湧いてくる。

 「あー」と俺は、どうしようもない声を出さざるを得なかった。

 泣いた女を見るのはこの世界に来て初めてのことだった。反応に困る。俺は女が泣く姿を見るのがとても苦手だった。元の世界での習性からか危機感すら抱いてしまう。

 仕方なく頭をぼりぼりと掻き、ファーストが地図上に指をさした地点を確認する。

 そこは少しばかり大きな部屋だ。剣と盾のマークが描かれているだけで、鴻ノ巣たちは特に注釈をつけてはいない。

「わかったよ。で、ここは何なんだ?」

 目元を無意識にか拭っているファーストを眺めながら、諦めの気持ちでアドバイスを待つ。冷静に考えれば如何にこいつに死の経験やダンジョン探索の経験が皆無とはいえ、ダンジョンの管理者なのだ。ダンジョンに関する知識は豊富に持っているに決まっていた。

 探索経験が数年程度しかない俺が嫌悪だけで切り捨てて良いものではなかった。

(そうだ、決して俺が女の、ファーストの涙に負けたわけじゃねぇ)

 俺がそんなことを考えている間にファーストは精神的に立ち直ったのか地図を指して説明を始めている。

「そこは巨人鍛冶の武器庫です。中には彼らが小人と呼ぶ、人間用の武器もあります」

「つまり武器を拾ってこいと?」

「迷宮内資源の回収は探索者の本来の任務です。ただその過程で全てを私たちに提出する必要はありません。使えそうなものがあればお前が使いなさい」

 ぐし、と小さく鼻をすすったファーストが言った言葉にそうか、と頷いた。

 ファーストに対する感情を棄てて考え直す。

 俺に武器は必要なのか? 俺は剣を一度も握ったことがない。もちろん、あらゆる武器を選択する自由が俺にはあった。しかし他の探索者たちから一層の様子を聞き、鉱晶蟲に勝てないと結論を出した俺が最初に握ったのは鶴嘴だ。

 そのせいで探索者たちから炭鉱夫と揶揄されていることは知っている。

 未だ諦めていない俺にとって鶴嘴を握ったことが正しい選択だったのかはわからない。

 得られたEXPで手に入れたものなど、鉱石採掘が楽になる採掘のスキルや、得た鉱石を運びやすいよう体力や筋力などステータスの強化、あとはたまたま手に入れる機会のあった、地助を召喚・使役するスキルだけだ。

 そもそも俺は剣を握ろうともしていなかった。それは俺の逃げなのだろう。死を、戦いを無意識に拒否してしまっている。

 ファーストはそれを指摘しているのだ。

 先に進むなら今のままではいけない。例え勝てなくても剣を握って進まなければならないということを。

 隠れ、逃げているだけでは願いなど何千年かかっても叶わないだろうということを。

(人を責めてる場合じゃなかった。俺は、ファーストに感謝しなきゃならない。ならないんだが素直に言うのもな……)

「ファースト、さっきは――」

 だから、謝ろうと俺は思った。先ほどは流石に言い過ぎたと。俺が悪かったと。

 だがこの瞬間、《帰還門》が光を発する。誰かが帰ってきたのだ。突然の事態に、俺は振り向く。

「……俺の他に誰か迷宮に挑んだのか?」

 ファーストはわかっていたかのように無言だ。《帰郷石》で戻って来たのだろう。《帰郷石》が砕ける瞬間の淡い光が見える。

「また、敗れてしまいましたか」

 ファーストは動かない。疑問に思いつつも《帰還門》へ目を凝らす。

 見える。そこに倒れていたのは、半身を失った少年剣士だ。彼は腰から下の身体を失っており、手には《帰郷石》をいくつも握っていた。中には効果を発揮したのか、砂になった《帰郷石》が見える。

 気絶しているが下半身を失ってなお帰還できたのだ。治療をすべきだと思った。

「おい、ファースト。彼を助け――」

「無駄ですよ。それに、死んだ方が早く済みます」

 その言いざまに、おい、とファーストに怒鳴りを返し、走り、少年の元へと到達する前に全ては終わっていた。

 少年剣士の身体はびくん、と生命力を出し切るようにして大きく跳ね上がった。そして、力を失ったようにだらりと身体が脱力する。それきりだった。

 生前は金髪碧眼の快活な少年だった死体(それ)の顔は、憎悪と恐怖に凝り固まり、醜く歪んでいた。

 少年の手に握られていた剣がからん、と大理石の床に落ちた。

 俺が呆然とする間にも、視界の中でその身体は剣を含めて瞬く間に消失している。

 視線を背後に向ける。唇を引き結んだファーストが自身の足下を注視していた。

 そこには完全な、新品の、少年剣士の肉体が現れている。

 これが不死の作用だ。ファーストの足下のあれは先ほどの少年剣士の死体だ。

 俺は小さく唾を飲み込んだ。慣れているとはいえ、見ていて快い光景ではない。

「ファースト……」

 白髪のダンジョンマスターが見下ろす少年剣士の身体は完全だった。負っていた全ての傷は消滅し、健全な肉体だけがそこに転がっている。

 だが、表情だけが憎悪に歪んでいる。全てが奇麗な中でそこだけが滑稽だった。

 まるで悪夢を現実に持ってきたような光景。

 しかしこれこそが不死人である俺達特有の現象。ファーストが何度も経験している事柄。ああ、確かに、死んだ方が治療するよりも早いだろう。

 それでも、と何かを言いたくなり、しかし言葉にはならない。

 俺とファーストは暫くのあいだ無言だった。そうして、それでも動かず黙っていたファーストに俺は告げた。

 それは死の沼地が如何に深いかを知っている者としての言葉だ。

「蘇生、してやれよ」

 沼は、浸かれば浸かるほどに抜け出す時の痛みや苦しみが重くなる。少年剣士の絶望がこれ以上深くならないようファーストの手が空いているならすぐに取りかかって貰う必要があった。

「……わかっています。それが、私の役割ですから」

 少年剣士を見下ろすファーストの表情が何かに耐えるように歪められていたが、俺は何も言わなかった。

 俺の胸中から先ほどの謝罪の気持ちは吹き飛んでいた。こいつがこの後にすることを思えばこそだ。

 俺達がこいつを嫌わざるを得ないのは結局、そういうことなのだ。

 どだい信頼し合うことなど不可能だった。


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