イン・ワンダーランド02
埃臭い洞窟風景が変化する。《帰郷石》によって、あらかじめ設定しておいた転移基点へと戻って来たのだ。
目に入るのは中央奧に巨大な男性の神像が置かれ、真下には説法用の机、そして相対するように長椅子が並べられた白亜の建築物。
まるで教会のような建物だ。
いや、真実教会なのだろう。ただし崇めているのは神ではなく創造主、この迷宮の管理者たちの元締めだったが。
「帰りましたか。吉原庸介」
長椅子の一つに座っていた少女が立ち上がり、施設の片隅に設置された《帰還門》から出た俺と地助へ向かって歩いてくる。他には誰もいない。
手元に持っている分厚い書物は装丁から判断してダンジョン《ゼーレ金貨》の仕様書だろう。彼女は音を立てずにそれを閉じると導師服の裾にしまい込んだ。
金銀で装飾された高レベル素材の導師服に身を包んだ彼女の名はエリシア・Ⅰ・キリクテクリ。俺が挑んでいるダンジョン《ゼーレ金貨》の管理者であるダンジョンマスターにして《ゼーレ金貨》を攻略するギルド《ゼーレ金貨》のギルドマスターでもある。
「おう、ファースト。今日も無事帰れたぜ」
無事に帰れた安堵で顔が綻ぶ。現在の俺はEXPをかなり溜め込んでいるため、死亡のリスクが高いのだ。
「それで、どうでした?」
「上々ってところだ。見ろよこれ、ずっしりと詰まってるだろ」
腰から成果物の収まった鉱石袋をファーストに差し出す。ついでに腰に下げていた水筒に残っていた水を飲み干し、そいつも渡しておく。
地助がきゅー、と行儀良く座り、俺から袋と水筒を受け取るファーストを見上げていた。
「相変わらず埃臭ぇダンジョンだよなぁ。一階層から進めちゃいねぇんだが、二階層以降はどうなってるんだ?」
「剣も使えぬお前には今話しても意味の無いことです。それより精算を始めますから付いてきなさい」
つれない返答に肩を竦める。無事帰った高揚に水を掛けられた気分だ。
(今、ね。期待してくれてはいるんだろうが……。どうにもなぁ。俺を気に掛けるまで落ちてるし、こいつも哀れなもんだが。それにしたってもうちっと情報をくれてもいいもんだが)
要望は口に出さず、諦めて先を歩くファーストの後を追う。
目の前を進むのは俺より頭一つ小さい身長の白い少女。身を包むのは教会の床に広がるほどに裾の長い導師服、水に濡れたような艶やかさを持つ白髪はその身長よりも長く、紅色の瞳はまるで炎のような輝きを宿している。
澄ましたような顔でつんとした生真面目さが形になったかのように歩くファーストの向かう先は神像の前にある祭壇だ。彼女はここで奇跡を行使し、探索者に《恩恵》を与えるのである。
「吉原庸介、跪きなさい」
ぶつぶつと真言を唱え始めたファーストに頷き、俺は膝を折る。
「あいよ。りょーかい」
それは信心からではなく、行使される力を受け取るためだ。目を瞑れば秒を待たずに、暗闇にウィンドウが表示される。
レイヤーの中に文字が収まった《窓》と呼ばれるそれには俺のステータスやファーストから受けられる恩恵のコマンドが表示されていた。
窓自体は目を開けていても見ることができるものの、開いた視界の中では地面と重なって見難いし、目を瞑っていた方が集中がしやすい。
「さて、今回の成果は銀が二つ、金が一つ、鉄が七つ、銅が四つ。それとルビーの原石が一つですね。ざっと見てみましたが、ルビーが最大の戦果でしょう。今の鶴嘴ではミスリルやオリハルコンは採取できないでしょうが、宝石類なら次回も期待できますね。とはいえこれは採掘に慣れきったお前にかける言葉でもないでしょうが」
ファーストの言葉の後、炎のようなエフェクトが走り、意匠を纏ったリザルトの文字と数値が窓に走る。
これがダンジョンマスターの権能である《恩恵》の一つだ。探索者が獲得した道具や資源をEXPと呼ばれる力の塊に変換し、その肉体に還元させる奇跡。
EXP自体は持っていても何も効果を発揮しないが、ファーストが還元させたEXPが、身体の奥底に積み上げられるのを感じる。これで元々持っていた――約半年分の――EXPに今回の分が追加されたわけだ。こいつは溜め込んだまま死亡すればほんの一部を残して体内からは雲散霧消する不確かなものでしかないが、それ故に、これだけの量を積み上げている人間は《ゼーレ金貨》には存在しない。
「よくもまぁ《ゼーレ金貨》でこれだけ……。普通は一度か二度死ぬことで諦めてしまう筈ですが。まさかここまで溜め込むまで死を回避できるとは」
ぐしぐしと、地助が戯れるように跪く俺の膝に頭を押しつけてくるが、軽く撫でる程度に留め、言葉を返す。
「鉱石掘りに慣れたのと欲しいものがあるからだよ。ほら、さっさとカタログ出せよ。そろそろ良い感じに買える量だと俺は思ってるんだが」
「せっかちですねお前は。少し待ちなさい。それにカタログではなく《神威の書》です。間違えないように」
へーへー、と誠意の少ない謝罪を返すと、ファーストの詠唱が教会に響く。
先ほどから俺達が言っているEXP、これはつまるところ数値化された経験だ。かつて完全な初心者だった俺にファーストが無色な力の塊だと説明したそれは本来、アイテムからの変換で入手するものではなく、ダンジョンマスターが用意しているクエストのクリアや、ダンジョンに生息するモンスターの撃破によって手に入れる類のものだ。
そしてEXPとはダンジョンマスターが奇跡を探索者に行使する際に必要とする重要なエネルギーであり、探索者が己を強化しダンジョンを探索するためには必須の存在。
そもそもが道具や資源からの変換ではそこまでEXPを得られるものではないのだ。本来このコマンドは不要な道具を破棄する際に多少は得ができるようにとダンジョンマスターがおまけでつけただけのものであって、探索の主旨ではないからである。
非効率的な変換は誰にとっても望ましくない。しかし鉱晶蟲が徘徊する《ゼーレ金貨》においてはこの方法のみが唯一EXPを得る手段に他ならなかった。
薄目を開け、大理石でできた床をじっと眺める。ままならない現状を睨み付けるようにぼぅっと考える。
今現在《ゼーレ金貨》に所属する探索者たちは鉱晶蟲を撃破することができていない。蟲特有の高い生命力を持ち、無音で地中を高速移動し、生半可な攻撃手段は弾き返し、探索者を一撃で死に至らしめることのできる鉱晶蟲は無敵の怪物だ。
(この無力さ。絶望こそが今のギルドの現状に繋がっているわけだが……)
ダンジョンとそれを攻略する探索者で構成されるギルドは密接に繋がっている。不可分の関係であるが故に鉱晶蟲の問題は直にギルドへと降りかかっていた。だが無力な俺がその問題に対して何ができるわけではない。
そもそも皆が諦めていようが、愚直に迷宮に挑み続けることだけしか俺に選択肢はない。
(迷宮に挑んでいるのは。俺ともう一人だけしかいない今、ここに未来はあるのか?)
「吉原庸介、選びなさい。今回はどのような《恩恵》を欲しますか?」
「あ、ああ。待ってくれ。既に買うものは決めてあるんだ」
思考している間にファーストは《神威の書》を発動させていた。
窓の表示が変わっている。そこにはスキルの習得、肉体強化、権能の習得、装備の強化・属性付与などの項目が並んでいる。得たEXPをこのカタログに書かれた項目に費やすことで探索者は己を強化し、さらなる階層へ進むための足がかりとするのだ。
当然、それにも限界は存在する。無制限に何もかもを取得できるというわけではない。ただ、今の俺にはそういった成長の限界は関係のない話だ。
俺は拠点拡張の欄を開き、購入する項目の確認を終了する。
「ファースト、拠点拡張だ。鍵付きのマイルームを購入する」
「100回を越える探索による成果をスキルの強化や取得ではなく、そのようなもので良いのですか?」
目を開かなくてもファーストが呆れ顔で俺を見ているのがわかるものの、これは譲れないことだった。
いい加減、探索者用の共同部屋での雑魚寝にも飽き飽きしていたところだ。それに、大量にEXPを保持している現状、同じギルドメンバーの方がモンスターよりも危険かもしれない。こんな様ではおちおち心を休めることもできなかった。
溜め込んだEXPは通貨と同じだ。今の俺は金のぱんぱんに詰まった財布が無防備に転がっているような物だ。
仲間である筈のギルドメンバーに殺されては死ぬに死にきれない。不死であるため本当に死ぬことはないが。
それに、だ。ここに連れてこられてからは肉体の疲労と無縁の身体にはなったが、精神には何も変わりがない。心に安寧を齎し、安全を確保する為にもプライベートスペースは必要だろう。
「俺のモチベーションの維持にも役に立つ。問題はないだろ? それともダンジョンマスターは探索者のEXPの使い方にも口を出すのか?」
「すみません。確認の為に聞いただけです。使い方に口を出す気はありませんでした」
棘を含んだ言葉に直ぐさま謝罪を返され、俺は口をへの字に曲げた。素直な謝罪が返ってくるとは考えていなかったからだ。
「いや、こっちもすまん。ただ、な。ファースト、お前は……」
見上げれば、首を傾げた少女と窓が重なっていた。文字の向こう側に見えるのは、無表情の中にある意図のわからぬ強い意志だ。今のギルドの現状に気付いて放置しているのか、それともわかっていて強がっているのか。俺には何もわからない。
エリシア・Ⅰ・キリクテクリ。この少女について俺が知っていることは少ない。
数多いるダンジョンマスターたちの中で最も強い権能を持つ存在。俺達と同じように何をしようとも何があろうとも死ぬことはない不死の何か。
それだけだ。それだけで十分だった。しかし。
「私に何か?」
「……いや、なんでもない。それより部屋を頼む。EXPは足りているんだろ?」
「ええ、十分です。では、本当に後悔はしませんね?」
そうだ。こいつについて知ったところで俺の現状には何も変わりはないのだ。何一つ得る物はないし、こいつに何かを変えたいという気持ちがない限り、意味もない。
そもそも俺はギルドに対してそこまで強い感情を持っていない。
頷いた俺を確認して、ファーストが詠唱を始める。俺の肉体に大量に蓄積されていたEXPが消失していく。必要量が量だけに根こそぎに。
ギルド建物内と俺が魔力で紐付けされたのだろう。拠点の構造が変化し、部屋が作られていく感覚を感じながら思う。
(こいつに人間味があるかなんて、どうでもいい話だ。ダンジョンを維持するためだけに存在する機能でしかないんだから)
俺達の為に存在する何か。しかし自ら俺達を気に掛けるわけでもない何か。
ただただ信仰する何かの為に動く存在。
白い、聖女。
「終わりました。吉原庸介。他に何かやりたいことはありますか?」
「そう、だな。それじゃこいつの精製を頼む」
最後に入手し、背嚢に入れておいた鉱石を渡す。何の鉱石なのかわからないが地助が喜んでいたものだからそれなりに良い鉱石だろう。
鉱石を見てファーストが少しだけ眉を動かすが、すぐに精査に入り、目を見開く。
「これは珍しい。ミスリルですね。今の鶴嘴では取れない筈ですが運がよかったのでしょう。それで、これはポイント変換はしなくても良いのですか? それなりにEXPを獲得できますよ」
ミスリル。今の俺ではとても運が良くなければ手に入らない鉱石。過去に行ったEXP変換では二回分の探索分に相当する筈だった。
その事実に少しだけ心が動かされたが掘った鉱石は全てEXPに変換している。残っている鉱石はこれだけだ。変換してしまうと地助との約束を果たせなくなる。
惜しい気持ちを振り払い、ファーストに要請する。
「いや、精製をしてくれ」
「そうですね。剣でも盾でも鎧でも、これで装備を作れば多少はお前の探索の役に立つでしょうし。それが良いでしょう」
そういうわけではないのだが、何も言わずに精製が終わるのを待つ。数十秒待てばファーストの手の中にあった鉱石は一本のインゴットに変換されていた。
「完成です。どうぞ」
ファーストが手に抱えたインゴットを受け取る。ミスリル、精霊銀と呼ばれる貴重な鉱石。剣に加工すれば鋼鉄よりも硬く、軽く、鋭くなり、鎧に加工すれば並の武器では貫くことさえもできない金属。しげしげと眺めているとファーストが顔を綻ばせた。
「鉱石がよかったのですね。量も質も申し分ありません。これは良い装備が期待できますよ。もちろん一本だけですからダガーか何かにでも……吉原庸介?」
すりすりと俺の脛に身体をこすりつけていた地助を抱き上げ、その口元にインゴットを寄せた。
「どうした? ファースト」
「何をしているのですか?」
聞かれ、顔を向ける。ファーストは目を見開き、呆然と俺の手元を見ている。
視線の先にいるのは精製したばかりのミスリルインゴットにガジガジと齧り付く地助だ。
あぐあぐと、がりがりと、インゴットに齧り付く蜥蜴型の鉱石精霊の頭を撫でながら、呆然としているファーストに答えた。
「なにって、餌をやってるんだが? こいつには世話になってばっかりだからな。マイルームも手に入ったし、記念って奴だよ」
がりがり、ごりごりとミスリルが削れていく。ファーストがぷるぷると震え出す。
「ば、馬鹿ですかお前は! き、貴重なミスリルをたかが精霊の餌に! 鉄でも金でもなんでもいいでしょう! 何故ミスリルなのですか!」
「お前……。驚いたな」
「は? 何がですか?! それより! いますぐ! その獣に食べるのを止めさせなさい! ほら、まだ半分残ってます! 早く! 早く!」
地助ががりがりと齧り付いているミスリルを持っているのは俺だ。別に食べさせるのを止めさせなくても引き上げるだけで地助ごと吊り上げられるだろうし、そんなことになれば地助も食べるのをやめるだろう。
だが、俺はそんなことをしない。これは地助へのご褒美なのだから。それよりも俺はファーストの感情の乱しように内心で驚いていた。
「ファースト、お前でもそんな顔をするんだな」
背に垂らした導師服のフードを揺らしながら俺に詰め寄るファーストが今更自分の現状に気付いたように止まる。そして羞恥にか顔をかぁっと赤く染めると《恩恵》を終了させたのか、俺の視界からウィンドウが消え去る。
「し、知りません! 吉原庸介! 貴重な金属を失ったことを後で後悔しなさい!」
感情の乱れを察せられたのがそこまで悔しかったのか。教会に併設されたダンジョンマスターの居住スペースへと急ぎ足に歩き去っていくファーストを見送りながら、その背中に俺は再度声を掛けた。
「まぁまた掘るよ。明日もよろしく頼む。おやすみ、ファースト」
返答はなく、白い少女は強く閉められた扉の向こう側へと消えていった。
きゅー、という声に足下に目を向ければ、食べるのをやめた地助がどうしたの、というように首を傾げている。
その頭を強く撫でつつ、なんでもないというようにインゴットを差し出せば、地助は飛びつくようにして再び齧り付き始める。
「そうか。あいつにも感情ってのが、ねぇ。普段はすまし顔なのに……」
認識を改めた方がいいのだろうか。
俺は迷いながらそんなことを考えるのだった。




