イン・ワンダーランド01
誰もいないダンジョン、岩と土で占められた空間で俺の耳に届くのは自分の呼吸だけだ。
「んじゃ、ここにするか。なぁ地助」
返事が聞こえるが意味は理解できない。だから無視をして荷物を降ろす。反対なら何かしらリアクションもあるだろう。降ろした背嚢の隣にはいつものように金属製のカップを地面に直接置く。ついでに水筒から水も入れておく。
暗い洞窟をランタンが発する光が照らしていた。年月が作ったのだろう、岩盤に刻まれた小さな亀裂の奧には他の岩とは違う鉱物らしきものが見え隠れしていた。鉄か、銀か。鉱石を集めるために俺は荷物から鶴嘴を取り出し、構え、振り下ろす。
がぎん、と硬い衝撃が手のひらに伝わる。くく、と口角を釣り上げた。
「おれのためならよっころせー。じすけのためならよっこらせー」
歌いながら鶴嘴を振り上げ、洞窟の壁面に振り下ろす。岩の砕ける音が鈍く響き、ぼろぼろと石塊が崩れ落ちる。
だが足りない。繰り返す。振り上げる。力を込めて振り下ろす。鶴嘴の先端が硬い岩石を砕く衝撃が手のひらに伝わるも構わず振り上げ、振り下ろす。
砕けた石塊で小さな山ができるころ、きゅ~くるる~、と足下をうろうろしていた精霊が鳴き声を上げた。
「なんだ? 地助」
土色の肌をした蜥蜴型の鉱物精霊は、ふんふんと鼻を鳴らすと俺に示すように落ちた鉱石らしき石の塊に頭を寄せる。
「早速当たりか! おーしおしおし、ここの壁は中々いいなぁ」
俺の言葉を理解しているのだ。地助の頭を撫でれば、自慢そうに鼻を鳴らす。
こいつの役割は鉱物の探査だ。
探鉱夫でも学者でも鉱石妖精でもない元学生の俺に鉱物の価値はわからない。
鉱石を臭いでかぎ分けることのできる鉱物精霊の地助は莫大なEXPを費やし、ダンジョンマスターから購入した大事な戦力兼パートナーだった。
「よーし、上手く帰還できたら、餌を奮発してやるからなー」
地助が示した鉱石を掴み、腰に下げている鉱物袋に押し込む。
探索の成果を入れている袋は今回の分も含め、鉱石で一杯だった。常人ならば立っていられないほどの荷重が腰にかかっているが不死の身かつEXPによって身体を強化している身にはそうきつい物ではない。
入らなかった鉱石は鉱石袋ではなく背嚢に詰め、鶴嘴を握り直す。
豊富な成果に鼻歌が自然と出、地助も機嫌よさそうに尻尾を揺らす。
「って、地助、少し……待て」
獣皮でできた靴。その柔らかい靴裏を通して微かな、本当に集中していなければ気付かない程度の揺れが伝わってくる。
先ほど地面に置いた金属製のカップを振り返れば、中の水が振動を感知して揺れ続けていた。
遅れてきゅるるる、と地助が洞窟の壁に向かって警戒の唸りを上げる。
鉱晶蟲が来る前兆だった。慌てて荷物の片付けに入る。命が大事とはいえ、道具も大事だ。一つも置いてはいけなかった。
そして、背嚢を背負い直した時には振動は集中しなくてもわかるぐらいに巨大になっていた。
「気付かれた! 経路が周回パターンから変化してる! 俺を目指して一直線だぞ! 食われる前に帰還するぞ、地助!」
迫る振動から距離をとるように走りながら腰に下げていたランタンを開けた。中からつまみ上げるようにして取りだしたのは、光源代わりに使っている《帰郷石》と呼ばれる発光する石だ。
《帰郷石》には光を放つ性質があり、ダンジョン探索の際の光源として探索者に使われる。
しかし、本来はこういった緊急時に使われるアイテムなのだ。
「リターン! 基点【エリシア・Ⅰ・キリクテクリ】!」
微かな魔力をつまんだ《帰郷石》に込め、キーワードを叫んだ瞬間、《帰郷石》が俺と、俺と魔力で紐付けされている地助を対象として発動する。
先ほどまで俺が鶴嘴を振っていた壁が内側から破壊され、巨大な口が飛び出してくるのはその直後だ。
壁から現れたのは、ミミズのようなべたついた色をした、直系2メートルはある巨大な掘削機のような口だ。
口中には鋼鉄色の鋭い歯が並び、削った岩を喉奧へと運んでいる。
まさに生きたドリルとでも形容すべき、全長何メートルあるかもわからないほど巨大な怪蟲。鉱晶蟲の口が俺の前に出現していた。この迷宮に大量に生息する唯一のモンスターにして、ギルド《ゼーレ金貨》に所属する探索者たちの天敵。
(距離が近すぎる。だが《帰郷石》は発動に入った……。いけるか?)
じりじりと口から距離をとるようにして、しかし相手を刺激しないよう静かに移動する。
足下に散らばった鉱石から距離をとるように、してだ。
このダンジョン、《ゼーレ金貨》の一階層は、神話の時代に単眼の巨神と呼ばれる鍛冶神が作業場とした鉱山跡だ。
故に、他のダンジョンでは《深層》と呼ばれるほどの到達困難な階層でしか手に入らない、貴重な鉱石が豊富に採掘できる場所でもある。
それだけを聞けば鉱石を集めて装備を作り、最高の武具でダンジョンを探索しよう、という発想にもなるのだろうが。
《ゼーレ金貨》に所属する(俺以外の)探索者たちは自前の装備が元々伝説級であるから無意味であるし。
鉱石を集めて売ろうにも、鉱晶蟲のモンスターとしてのレベルは深層級の化け物で、なおかつ鉱物の臭いや金属・石製の道具の気配に反応しダンジョンを高速移動してくる厄介さがある。
故に、鉱物をせっかく手に入れても、手に入れた瞬間に噛み殺される事例は跡を絶たず、実入りが低いのだ。
証拠に鉱晶蟲は、俺が回収できなかった掘り残しの石塊を巨大な口で攫っていっただけに止まらず。《帰郷石》の発動光に包まれた俺達へと鎌首を向け、飛びかかろうとしている。狙いは腰の鉱石袋だろう。
阿呆のようにそのまま突っ立っていれば鉱晶蟲に襲われ、死体も残らず殺されるシチュエーションではあるが――
「またな、化け物。ただし俺は会いたくもないけどよ」
――《帰郷石》は既に発動している。
俺が逃げる気配を感じたのだろう、逃がさぬとばかりに巨大な顎が豪速で俺に突っ込んでくる。
だが、目と鼻の先に鉱晶蟲の牙が達する前に、石が放つ光に俺は包まれている。
――う゛ぉおおおおおおおおおおおおおおん……。
転移によって《ゼーレ金貨》から脱出する俺の耳に、鉱晶蟲が放つ奇怪な鳴き声が届くのだった。