イン・ワンダーランド09
《ゼーレ金貨》一層《巨神の廃坑》は太古の鉱山跡だ。通路は巨人の炭鉱夫が掘ったもので天井は十メートルにも達し、横幅も大人三人が手を広げても届かない程に広い。
鉱晶蟲の移動時の振動が感じられるように、俺はゴツゴツとした岩肌に手を這わせながら視界の隅に表示されているマップ通りに進んでいく。
足下では地助がくんくんと匂いを嗅ぎながら進んでいる。鉱晶蟲の縄張りには特有の匂いがあり、人間には無理でも鉱物精霊である地助にはその匂いがわかるのだ。
警戒を忘れず、そして地助の様子に注意しながらペースを落とさないように慎重に、しかし大胆に歩いて行く。
進行は驚くほどに順調だった。
「マップのおかげってのがまた業腹だが……」
そう感じるのはアレス少年に指摘された俺の弱さが問題だ。克服するためには素直に感謝すればいいのだが、強情な俺の性根は納得してくれない。
その不思議な頑なさを自分自身気持ち悪く思いはするのだが、どうしても駄目なものは駄目なのだ。不思議とそれを受け入れるなら、何か致命的なものを受け入れる覚悟が必要だと、それが何かまでは俺もわからないが、何故か確信が存在していた。
思考の陥穽に落ちながらも俺は歩みを止めることはない。
俺の調子が崩れたことに地助は気付いたのか時折心配そうに見上げてくるが、手を振ってなんでもないと応えた。
そうして、数時間ほど歩いた先でその扉を見つける。
装飾の施された巨大な大扉。ここに暮らしていた巨人達に合わせているのかかなりの大きさと厚みがあることがわかる。
ただ大扉は閉じられており、開けるには巨人並の筋力ステータスを要求されるだろう。
未だただの人間の枠を越えられない俺が侵入するのは普通に考えれば不可能だろうが、ここはもう放棄された廃坑だ。扉の両脇に残っている衛兵らしき巨人の骨に内心のみで手を合わせつつ、扉を裂くようにして開いていた亀裂から中に入っていく。
「失礼しますよっと。お、おぉ……こりゃすげぇな」
それらを見て、思わず、初めてダンジョンに入った時のような声が漏れた。
《帰郷石》の光が周囲を照らすのに合わせて、見上げる。
そこはまさしく巨人の武器庫だった。
扉から入った部屋内部は岩肌に木材が貼り付けられ、明らかに室内と知れる空間へと変わっていた。
そして、巨大な武器や鎧が威圧するように並べられている。長剣、戦斧、斧槍、全身鎧に大盾、鉄弓その全てが埃や汚れに塗れているものの、俺の身の丈を軽く越える、巨大な武器がずらっと等間隔に並べられていた。
また、部屋の奥には、全てを睥睨するような巨大な大剣が台座に突き刺さり、部屋に入る者を見下ろしている。
「すげぇ、すげぇが、人間用の武器があるのか?」
俺に使える武器。予想も想像も付かないが、まずは人間が持てるサイズの武器を見つけなければならなかった。
そして部屋を見渡し、ぱっと目に付いた人間サイズの装飾箱を開けてみれば中身は当然空だ。当然と言えば当然の話。ここは鴻ノ巣から受け取った地図に書かれていた場所だ。
先人である奴らが探索を行っていた場所、武器防具道具装飾品や貴金属など価値のあるものは回収しているに決まっている。
見れば、巨人の武具自体は無事なものの、装飾の宝石や金などが使われていただろう部分からは価値のあるものが剥がされていた。
「それで、これだけか」
地助を伴い巨大な武器庫を探索し終わった結果を前に俺は唸った。
部屋の隅に転がっていた半端に折れたミスリル製の長剣が一本、壁に引っかけてあった大量の盾の残骸から見つけられた無事な黒檀らしき木製のバックラーが一つ、それと大鎧の裏に隠されるように置いてあった革製の鎧、鎧はあいにくとサイズが合わないが、ファーストに頼めばサイズ合わせぐらいはしてくれるだろう。
と、またもファーストを頼る思考を行っていた自分に気付き、ごつりと自身の頭を叩いた。
自分のできることぐらい自分でしなくてはならない。それを忘れてファーストに頼るのはよくないし、そもそも嫌っているなら相応の振る舞いをするべきだった。
「なんでもかんでもファーストに頼って恥ずかしくないのか俺は」
自嘲するようにして座り込む。剣を手に持ち、持ち上げる。
真ん中から折れているために、剣先が欠けた中途半端な重さだ。信念の欠けた俺のような存在だと自嘲を浮かべながら鞘に戻す。錆びているわけでもないので使えなくはないだろう。
剣は床に置き、盾を手に取る。裏に獣の革らしきものが張ってあるそれはグリップからしてかなりの高級品だと知れるものだった。厚みのある木製の為、それなりの重さだが同じ大きさの金属よりも軽く扱いやすく出来ている。
手を通す穴があったため、腕を入れてベルトで締め、使い心地を確かめてみる。
「中々だな。うん、まぁ蟲相手にはまるで役に立たないんだが」
何しろ相手は金属でもなんでもまるごとバリバリ食べる口がある。盾を構えて防御、なんて場面は絶対にあり得ない。
それでも折角見つけた装備品だ。機嫌良く腕を振れば、筋力を強化しているため、かなり軽く扱える。
そして、最後に残った鎧だが、サイズが合わないため、背嚢にばらばらにして仕舞っていく。
何の革だかわからないものだが、きちんと全ての部位が欠けることなく揃っている。それに、やはり深層ダンジョンということなのだろう。ただの皮鎧なのにかなりの逸品に見える。
「とはいえ、な。これで今日の探索は終わりか」
パンパンになった背嚢を前に苦笑を浮かべる。こんな荷物を持っていては、歩き回ることはできない。もちろん魔導皮膜を施していない剣を持っている時点で相当に危険なわけではあるが。
ふと思えばここには刃が剥きだしで置かれている巨人用の武具がかなりある。ということは部屋自体に鉱晶蟲が入って来れない細工が施されているのだろうか。
壁の木材辺りが怪しいと思いながら背嚢を背負った。調べてもいいが、俺に魔法や魔術の素養はない。理解することはできないだろう。
「ま、剣やら鎧やらが役に立ってくれるといいんだがなぁ」
ああ、そうだよ。役に立ってくれよ、と祈りながら鞘に入った剣を持ち上げる。半欠けの為にバランスが悪いのだろう。鞘の先端が浮き上がっていた。
はは、と苦笑が漏れた。こんなものでは鉱晶蟲相手では何の役にも立たないだろう。それでも、俺の意識が変わるだけでいい。
俺は、武装することで逃げの思考が消えることを望んでいる。
「く、ははは。はははは……はは……」
笑い。否、思わずといったように嗤いが口から溢れた。
剣を持つことで湧きあがる不安。今まで武装しなかったことで目を背け続けていられた現実。
ファーストが指摘したこと。
手が震える。そもそもの話、俺の探索は遅々として進んでいない。
恐ろしさに目を瞑る。恐れるのは戦いではない。俺は、俺の願いが叶わないことを恐怖している。
一人でいるためか、弱音が口から零れた。
半欠けの剣に目を落とす。どんなに取り繕ってもそれは半欠けでしかないのだ。
「こんなことに……こんな、ゴミ漁りをすることに意味はあるのか?」
折れた剣を拾ってくる、合わない鎧をファーストに頼んで調整して貰う、蟲相手には糞の役にも立たなさそうな木の盾を装備する。
その行為で俺は変われるのか? 《ゼーレ金貨》に一歩でも踏み込めるのか?
疑念を振り切るように鞘を腰に下げた。
剣先が無いためにぺこり、とお辞儀するようにして鞘の尻が跳ね上がる。
起きた事象に顔を手で覆う。嗤いしか込み上げてこない。ファーストは、これを狙っていたのだろうか。俺が惨めな気持ちになることを祈っていたのだろうか。わざわざ魔法書まで渡した結果がこれだということを知っていたのだろうか。
八つ当たりでしかないことはわかっている。迷宮に潜らないファーストがこの現状を知っているわけがないことも知っている。
それでも、心に淀む澱のような感情を何かにぶつけたくなり、拳を振り上げ、木壁を叩く。叩く。叩き、拳から血が滲み、骨が軋むようになったころにようやく腕が止まる。
「糞ッ、糞ッ、糞ッ、糞がァ! 畜生! なんだこれは、なんなんだこの難易度は……。なんなんだここは……!」
当然、俺も、俺の願いがどれだけ条理を無視したものか知っている。本来は叶う可能性すら全くないことも、こんな夢みたいな挑戦ができる時点で恵まれすぎていることも知っている。
それでも、それでもこの現状はなんだと弱音を吠える。
胸を抑えた。ただただ心が痛い。絶望的だ。クリアが遠すぎる。
何年かければいい? 100年か? 200年か? それとも1000年か?
心が摩耗しそうだった。憎悪に血を吐きそうだった。
「それ、でも……」
誓いがある。やらなければならないことがある。俺が、俺だけがやってやれることがある。
終わりを夢見ながら俺は血に塗れた拳に手を添えた。痛みがあっても冷静にはなれない。それでも、立ち上がって進まなければならなかった。
壊れた呼吸を整えながら、鞘に入った剣に手を掛け、周囲を見渡す。もしかしたら、という警戒だ。幸いなことに鉱晶蟲の気配はない。
そういえば、と足下を探す。ちょろちょろと歩き回っている筈の地助がいなくなっていた。どこにいるのかと顔を上げ、はぁ、と息が漏れた。
呆然とする、というのはまさにこのことなのだろうか。
それを見て、俺は焦りから一瞬思考を停止させた。
「お、おい。地助、ま、待て、待て待て待て待て! ちょっと待てお前ッッッ!!」
部屋の奥。巨大な、それこそ誰が使うのかわからないようなサイズ、20メートルを越える剣が突き刺さった台座。ミスリルかオリハルコンかアダマンタイトか、見分けは付かないがかなりの貴重な金属で作られただろう巨大な剣の根本に地助がいる。
それは自体には何も問題はない。しかしやっていることが問題だった。
眼前の危険に全身が震える。慌てて叫びながら地助のいる場所まで走る。
地助は、驚くべき事に、はぐ、はぐぐぐぐ、はぐぐ、と興奮しながら懸命に金属を食べていた。しかし、驚くのは食べていた事実ではない、奴が金属を食うことは知っている。そういう性質があることを俺は知っていた。
そう、問題は地助が剣の台座を食っていることだった。巨大な剣は台座に突き刺さる形でその巨体を固定していた。だが地助は俺が自失している間にその台座を一心不乱に食っていたのだ。
「地助! やめろ! 何を考えてんだこの野郎ッッ!!」
慌てて指示を出したものの、地助は俺の声など無視するように剣を食べ続けていた。ゆらゆらと、嫌な風景に心臓が止まりそうになる。
「マ、ジ、かよぉおおッッッ!?」
見上げれば、巨大な剣の柄が揺れていた。そして傾きはかなりのもので今にも倒れそうになっている。
走る速度を上げる。背嚢はとうに放り投げていた。盾も腕から引き抜き、投げ捨てる。
手に持った剣が邪魔だった。舌打ちと共にこれも投げ捨てた。
「地助、聞こえてんだろ! 止まれ! やめろ! 食うな食うな食うなぁああああ!」
そうして、俺の叫びにようやく気付いたのか。きゅぅ、とかわいらしい声を上げ、地助が俺に振り返る。
しかし一息も、安堵も吐けない。間に合わなかった。足を前に出す。走る速度を上げる。
ミキミキミキと、鈍い音が響いていた。それは地助が食っていた剣の根本からだ。台座を半分以上も食われたせいだろう。かかる荷重に耐えきれなくなった台座には目に見える巨大な罅が走っていた。
俺と地助へと倒れ込んでくるそれ。部屋の正面奧に、オブジェのように突き立っていたものだ。壁をぴったりと覆うようにして突き立っていた巨大な剣だ。
(あ……死)
額に汗が流れる。頭から飛び込むようにして地助を抱き上げた俺に向かって剣が落ちて来る。
空気ごと迫り来るような圧迫感。停止しかけている思考。
あまりに巨大すぎる剣。それは当然、俺を潰して余りある金属塊である。
せめて一撃で殺してくれと祈りながら俺は最後の意地で地面を蹴り、そして――。




