表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『僕』と『君』の話

桜と

作者: hibana

 あれは桜も緑になり始める頃、四月のことでした。


 あの人はいつもの笑顔で別れを告げ、他の人たちのところへ行きました。

 完璧な笑顔でした。理想の、と言ってもいいかもしれません。人が人を造るとしたら、笑顔の完成形はあの人でしょう。


 あの人を囲んだ人々へ向ける笑顔は、私へのそれと幾分も変わりませんでした。


 嗚呼、私もその他と変わらなかったのだなと少し気落ちしながらも、やはり安心したのです。


 そう、あれは確かに安心の気持ちでした───。

 それから自嘲気味に笑いました。なにを自惚れていたのだろう、と。


 私があの人に、好かれているはずがなかった。


 たくさんの人たちに、笑顔で別れを告げているあの人を見ながら、私は思いました。これで忘れられる、と。

 叶ってはならない恋に、身を焦がすことはもうない。


 緑が混じる桜の木の下、みんなが去っていって独りになったあの人を、私はじっと見つめていました。それでも、もう終わりなんだと言い聞かせ、私はあの人の背中に背を向けました。


 それなのに、あの人は私の手を掴みました。驚いて振り返れば、なによりいとおしく思った瞳のいろ。


“ずっと、好きだった”


 あの人は少し息を切らして、きっと走ってきたのだろうとぼんやり思いました。


 あの人は、私の額に優しく口づけしました。あの温もり、今でも、覚えている……。


 私たちはなぜ、恋をしてはいけなかったのですか──?






 あれは桜も緑になり始める頃、四月のことでした。


 僕は君に笑顔で別れを告げ、僕を待っている人々のところへ急ぎました。偽物の笑顔のほうが上手く行くのはなぜでしょうか。


 桜の花びら散る道の上、泣いている人、励ますように笑っている人、たくさんの人に囲まれていましたが、僕はずっと後ろが気になって仕方なかった。君が桜の木の下、なににも混じらずにこちらを見ているのがわかっていたから。


 贈られた花束は、僕の周りの人々との思い出と不釣り合いに大きくて、戸惑いました。彼らは最後には笑顔で手を振り、去っていきました。


 独りぽつんと立ち尽くし、これからどうしようかと考えていました。人生のことではなく、いいえ、もしかしたら人生そのものなのかもしれませんが、そう、君のことを。


 ゆっくりと三つ数えました。二つ目で、君が僕に背を向けるのがわかりました。三つ目で僕は振り向いて、駆け出しました。


 手を掴むと、君は大きく目を見開いて、僕を見ました。痛いほどの沈黙のなか、桜だけが、煩いほど舞い散っていました。


“君が好きだった”


 ただ一言そう言って、僕は君の額に口づけしました。どうして、と君の潤んだ瞳が僕に問いかけます。僕は首を振って、君の頭を抱きました。


 答えなくていい。答えないで。


 そう心のなかで呟きながら、いつまでも離れられないでいました。僕のYシャツがじっとり濡れて、ああ、君が泣いてる、と思いました。


 僕は禁忌を犯しました。


 恋をしてもいいけれど、それを伝えてはならない。決して、結ばれてはならない。


 だから君は、答えてはいけないのです。それがわかっているのに想いを告げた、狡い大人でしょう、僕は。


 僕は臆病者だから、なにもできないんだ。なにもできないくせに、君の心にのころうとする。


 嗚呼、そんな狡い僕を赦して───。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ