#13
白希は瞬きした。
「何で……そこまで」
もう目は冴えている。純粋な疑問をぶつけると、宗一は清々しいほどはっきり答えた。
「愛してるから結婚したんだ。何も不思議なことなんてないよ」
言ってる意味は分かる。
でもその心情までは分からない。
「分からない。……分かりたくない」
白希は視線を逸らした。
表面ではなく、触れられない内側が疼いている。
「……っ」
何故か分からないけど、彼と目が合った途端に全てがどうでもよくなった。
きっと、彼は自分が欲しいと言ったものは全て与えてくれる。
────それに乗っかってしまいたい。
「うっ……」
気持ち悪い。
突如、猛烈な吐き気に襲われ口を手で塞いだ。
「白希……!」
異変に気付いた宗一に、身体を支えられる。
“また”だ。
いつだって、自分を守れるのは自分だけなのに……どうして最後は他人に縋りついてしまうんだろう。
現実から逃げようとした。
楽しかった出来事が霞んでしまうぐらい、辛いことがあったからだ。生を放棄したわけじゃないけど、弱かった自分はこうすることでしか自分を守れなかった。
でもそろそろ“出てきて”くれてもいいのに────。
「白希? 良かった、私が分かるかい?」
痛いほど眩い白が飛び込んでくる。
白希は寝室のベッドの上で、天井を見上げていた。その端には、心配そうにこちらを見下ろす宗一がいる。
「はぁ~、心配したよ。また突然失神するから」
宗一は心底安堵した様子で、傍に腰を下ろした。だが冷静に考えて、原因は彼にあると思う。
「朝から色々言われて、限界突破しただけです」
「あぁ、それはそうだ。ごめんね……つい昔の感覚に戻っちゃって」
彼は申し訳なさそうに手を合わせる。実際悪気はないんだろうけど、事ある毎に以前の自分の存在がチラつく。
起き上がりはしたが、ベッドに座ったまま時計を見た。
恐らく、彼は仕事に行かなきゃいけない時間だろう。いつまでもここに留まらせては駄目だ。
「大人しく寝てますので、出掛けてください」
「本当に大丈夫? やっぱり心配になってきた……私も今日は有給を使おうか」
「大丈夫ですよ。私の身体は意外と強いみたいだし」
そのはずだ。ろくに運動しなくても、医者いらずで生活していたんだから。
煮え切らない様子の宗一をわざと冷たくあしらうと、熟考の末長いため息をついていた。
「………………分かった。でも二時間ごとに家に電話するから、必ず出るように。いいね?」
「……わかりました」
二時間って、寝かす気ないな。
心の中でのみツッコみ、大人しく頷いた。
日中、出勤後の宗一は本当に二時間ごとに電話をかけてきた。
嫌がらせに近い。せっかくベッドで寝ていても受話器を取るために起き上がるので、結局リビングのソファで過ごした。
勝手に外出しないか監視も兼ねてるんだろうけど、こんな状態で彼も大丈夫なんだろうか。仕事に支障が出ていたら大問題だ。
心配してるわけじゃない。別に彼が仕事で大失敗しようか構わないけど……。
ふらふらしながら水を飲み、用意されていた食事を食べる。でもやはり食欲がわかず、スープだけでいっぱいになってしまった。
この玉ねぎのスープも美味しいけど、何だか上手く飲み込めない。
一体何をやってるんだろう。独りじゃ何をしても虚しいなんて……そんなの、物心ついた時から変わってないはずなのに。
苦しくて仕方ない。熱い。
でも熱はないようだ。体温計を勝手に借りたが、平熱で顔も赤くなかった。
でも早く夜になってほしい。三回目の電話で、宗一に呼びかけそうになった。
早く帰ってきてほしい。
しかしそれを言う前に、電話口から珍しく慌てた声が聞こえた。
『白希、急にすまない。もしかしたら……だけど、私が帰る前に人が家に来るかもしれない』
少々切羽詰まった声だ。空も薄暗くなってきた為部屋の明かりを点け、カーテンを閉める。
「人? お客様ですか? 私が出ていいんですか?」
『いや……その、君が良いのなら。でも、できれば私が先に会いたいと思ってるんだけど』
彼にしてはやけに歯切れが悪い。こちらを気遣っているのが見え見えだ。
「別に大丈夫ですよ……適当に話合わせるので、その人と私の以前の関係だけ教えてください」
薄手のガウンを羽織り、受話器を持ったままソファへ戻る。返事を待っていると、数拍置いて低い声が聞こえた。
『君の友達だよ。君のことをずっと心配してたから、安心させてあげたくてね。……君が家にいると伝えたら、すぐに会わせてほしいと言われて、返事を言う前に切られてしまった』
「それはまた」
忙しい人だ。
そう答えようとした瞬間、家の中にインターホンの音が鳴り響いた。
本当に来たみたいだ。なんてタイミングの良い。
「すみません、いらっしゃったみたいなんで切ります」
『本当? あ! 出る前にモニターで誰が来たか確認してから』
「え?」
彼はまだ喋ってる途中だったが、切のボタンを押してしまった。申し訳ないが仕方ない。
玄関まで小走りで向かい、内側の鍵を開ける。ドアを開けると、自分と同い年ぐらいの青年が立っていた。
彼が……以前の、自分の友人だろうか。
第一声をどうしようか考えていたが、それより先に強い力で抱き着かれた。
「白希! 良かった……体は大丈夫か? 連絡とれないから本当に心配したんだぞ」
「すっ……すみません」
動揺のあまり声が上擦る。抱きつくほど親しい仲なのか。それとも友人ならこれぐらい普通なのか……。
そもそも普通が分からない為硬直してると、彼はゆっくり離れた。
「宗一さんから、お前が家に戻ってきたって電話あってさ。申し訳ないんだけど、居ても立ってもいられなくて走ってきた。一体今までどこにいたんだよ」
「えっと……すみません、色々ありまして」
下手な嘘はつけない。それならまだ、黙っていた方がマシだろう。
「貴方なら何となく察してらっしゃると思うんですけど……」
適当過ぎるが、彼との信頼関係に賭けてどうとでもとれる台詞を吐いた。すると彼はハッとして、声を潜めた。
「やっぱり、お前の故郷が絡んでるのか」
……!
予想外の返答に息を飲む。
結婚生活が嫌で家出してたとか、適当な理由と結び合わせようと思っていたのに。眼前の青年の言葉は核心をついていた。
この青年は白希の出身地を知っている。
以前の自分が話したのか?
……話しても良いと思えるほど、信用できる人物だったんだろうか。
「名前……」
でも、そういえば名前を知らない。
一番大事なことなのに、宗一から聞きそびれてしまった。
ぼうっと佇む白希を不審に思ったのか、青年な前で手を振った。
「おい、白希? 本当に大丈夫かよ」
「大丈夫じゃないです」
「マジ? どうした」
「久しぶりにお会いしたら、貴方のことを何て呼んだらいいのか分からなくなりまして」
我ながら凄まじいボケを披露していると思う。
でも、これぐらいしないと彼から名前を聞き出せない。雅冬のときは、既に宗一が話していたが……この青年には、何故か記憶喪失ということを隠しておきたかった。
自分が全て忘れていると知ったら、きっと傷つくから。
無表情のまま青年の顔を見返すと、彼は心配そうに笑った。
「ったく、また先生とか言うなよ? フツーに文樹でいいから」
文樹。……さん。
名前がわかっただけなのに、すごく嬉しい。
「……つうかお前、ちょっと顔怪我してね?」
「わ……大丈夫です、全然痛くないので」
頬をなぞられ、くすぐったくて後ろに下がる。
何かこの人、誰かに似てる。誰だっけ。
声も香りも仕草も。宗一と同じく、懐かしい感じがする。
心の隅で思量しながら、恐る恐る青年の前に手を差し出した。
「ご心配おかけしてごめんなさい。あの……もし良ければ、上がってください」
私の家じゃないけど。
心の中で宗一に謝りながら、スリッパを置く。せっかく会いに来てくれたのに、このまま帰すのも申し訳ない。
文樹は遠慮していたが、半ば強引に家の中に誘導した。ひとまず椅子に座ってもらい、自分はキッチンへ入る。
「そういや白希の家、初めて入ったな」
「え、初めてなんですか?」
宗一と知り合いだから親しい仲だと想像したのだが、家に呼んだことはないらしい。
「いや初めてだろ。マジでどうした」
「すみません、最近ぼけてて」
あと、緑茶が見つからない。彼に入れようと思ったのだが、急須も湯呑みも見当たらなかった。宗一は緑茶を飲まないんだろうか?
……飲まなそうだな。
一考してひとり納得してると、文樹がキッチンの中へ入ってきた。
「さっきからウロウロしてるけど、何やってんの?」
「お茶を入れたいと思ったんですけど、見つからないんです」
「あぁ、そんなのいいから。そもそも、俺が突然押しかけたのが悪いし」
彼はそこで初めて笑った。今までずっと険しい顔をしていたから分からなかったが、これが普段の彼なんだろう。明るく、陽気な青年に思える。
こんな人と友人関係だったなんて、ちょっと信じられない。
「あっ! そうそう、ここの住所なんだけどさ。何故か大我が知ってたから、それを聞いて来ちゃったんだ」
「大我さん!?」
思わず大きな声を出してしまい、青年は慌てた。
「う、うん。本当に悪い!!」
彼は両手を合わせ、頭を下げる。住所を聞き出したことを謝っているようだったが、白希が驚いているのは別件だ。
大我と知り合い。……まさか、この人……。
以前大我が言っていた、想い人のことが頭をよぎった。
「大我さん……と、最後にお会いしたのはいつですか?」
「え。会ったのは、三日前かな。住所は電話で聞き出したんだ。あいつも、お前の様子が知りたいとか言ってたよ」
文樹はそう言うと、また鋭い目付きで体を乗り出した。
「白希……何があったのかちゃんと教えてくれ。大我に何か脅されてんなら、俺があいつと話してやめさせるから!」
「文樹さん、落ち着いて……別に大我さんには何もされてないから大丈夫ですよ」
「本当か? あいつ、お前を襲った変な奴らと組んでたっぽいぞ!」
話から察するに、彼は事件当日の様子も知っている。白希と同じく渦中にいたようだ。
なら自分だって危険な思いをしたはずなのに……彼は白希のことばかり心配し、そして怒っている。
何て真っ直ぐで純粋な人だろう。
良い人だ。────嫉妬してしまいそうなほど。
「大我さんはただの学生でしょ。犯罪に関わったりはしてないと思いますよ。文樹さんは大我さんのこと、信用してないんですか?」
「してないよ。直接行動してなくても、お前を襲った奴らと関わってたのは間違いないし」
「そっか……」
少し考えて、冷蔵庫を開ける。扉の内側にパックのオレンジジュースが入っていたので、文樹に渡した。
「白樹、コップ使っていい?」
「はい」
私のじゃないけど……。二つのグラスに、オレンジジュースが注がれていく。一つをこちらに差し出し、文樹は俯いた。
「信用したいけど、できない。それにあいつ、わざと俺を怒らせようとしてくるんだ」
「あぁ、それは……怒らせたいわけじゃなくて、……嫌われたいんだと思います」
グラスを両手で持ち、壁に寄りかかる文樹に笑いかける。
白希にも覚えがあった。道源の家にいた時は、自分も大我に嫌われようと頑張った。これ以上彼が苦しまないように……とにかく離れられるように。
「文樹さんを守りたいから。嫌われてでも距離を置こうとしたんじゃないかな」




