#8
その日の夜、宗一は白希に話を聞かせた。
退院した日のこと、一人で外出したときのこと、バイトを始めたときのこと。
せいぜい数ヶ月の間に起きた出来事なのに、どれもとても遠いことのように感じる。
「まだ写真を全然撮ってないからな……これからはたくさん撮らないと」
宗一と同じソファに座りながら、彼の手元を見る。
彼が持つスマホは写真フォルダが開かれていて、時折笑っている白希が写っていた。
本当に、何でもない日常を過ごしていたようだ。
でも……他人からすれば取るに足らない小さなことも、自分にとっては全て大事件だったに違いない。
また、終始嬉しそうに話す宗一が印象的だった。彼の表情や仕草に注目して、途中から肝心の内容が頭に入ってこなかった。
「お、もうこんな時間か。白希、眠くない? そろそろ部屋に行こうか」
「別に。でも、貴方が寝るなら寝ます」
何故だか、子ども扱いされるのが嫌だ。確かに十年分の記憶が抜けているから仕方ないけど、“子どもだから”と言われると妙な違和感が生まれる。
けどその理由を考えようとすると頭が痛くなるから、強制的にシャットアウトした。
「私は明日仕事なんだ。申し訳ないけど、今夜も一緒に寝てね」
寝室に連れていかれ、寝巻きに着替えさせられる。その頃には少し眠くなって、ウトウトしながら宗一のベッドに腰を下ろした。
「大丈夫? 今日はちょっとはしゃぎ過ぎちゃったか」
「平気です……」
先に横になるよう促されたが、彼が中々ベッドに来ないので座位を保った。てっきり着替えたらすぐにこっちにくると思ったのに、彼はデスクの前でなにか書き物を始めてしまった。
眠い。でも隣に来るまで寝たくない……。
部屋は暖房で暖まったが、布団が温かくないと寝心地が悪い。何とか宗一の作業が終わるまで起きてようと努めたが、限界が訪れる方が先だった。
「いったい!」
「え!?」
寝落ちした一瞬でバランスを崩し、ベッドから落ちてしまった。逆に痛みで目が覚めたものの、驚いた宗一に抱き起こされる。
「大丈夫? どこか打った?」
「うう……いえ、尻もちついただけです」
宗一は心配そうに白希の全身チェックをした。ひとまず問題ないと判断し、胸を撫で下ろしていたが。
「何だろうな……もう一回頭を打ったら、もしかして記憶が戻るかな?」
「んなわけないでしょ!」
さらっと恐ろしいことを言われ、青ざめながらつっこんだ。彼の真顔は本気なのか冗談なのか分からないから怖い。
そもそも頭を打った様子はないと診断されてるし、彼が提案するショック療法は的外れだ。
身の危険を感じて布団の中に避難すると、彼は申し訳なさそうに手を合わせて微笑んだ。
「ごめんごめん、言ってみただけ。白希は今も昔も反応が良くて楽しいよ」
「私は楽しくありません……」
引きながら言うと、彼はデスクライトを消してベッドに腰を下ろした。どうやら書き物は終わったらしい。
「仕事してたんですか?」
「いいや。心の整理」
「……?」
相変わらず、意味の分からないことを言う。
露骨に眉間を寄せてしまい、慌てて手で隠した。
「変ですね」
「何が?」
宗一も布団に入り、部屋の証明を落とした。薄暗い空間に早変わりし、身を寄せ合う。
白希は宗一の方に向き、頭を枕に乗せた。
「本当に以前の私を好きだったとして。大事な人の記憶がなくなってしまったのに、何でそんなに落ち着いてられるんですか?」
これは夜の公園で会った時から抱いていた疑問だ。
どうしても解せない。普通パートナーが自分のことを忘れていたら、もっと悲しみ、取り乱すものではないか。この世の全てに絶望し、塞ぎ込んでもおかしくない。
だが宗一は落ち着き過ぎている。白希に対し今まで通りに接し、笑みも絶やさない。それが不自然で、空恐ろしい。
固唾を呑んで返答を待っていると、宗一は少しだけ視線を横にずらし、それから考える仕草をした。わざとらしいが、すっとぼける気満々なのは逆に感心する。
「確かに、何でだろうね? 驚いてはいるけど、白希だから大丈夫……みたいに、ちょっと楽観的に考えてしまってるのかもね」
「何が大丈夫なんです?」
「本質的なところは変わってないというか……いずれ思い出してくれる気がしてる。もしそうならなかったとしても、何度でも再構築してやろうって思ってるから」
こそこそ話でもするような距離で、宗一と向かい合う。
……本気で言ってるとしたら、楽天家どころじゃ済まない。
何でも持ってる人の余裕だろうか。道源も似たようなところがある。
物が壊れたら新しいものを買えばいいと思っている。執着も愛着もない。
でも、宗一は白希に執着している。凄まじい独占欲を秘めている。
やはり似て非なる二人だ。可笑しくって、声もなく笑った。
「……よく分からないけど、つまり自信に満ち溢れてるってことですよね」
「そうだね。愛のパワーかも」
「はいはい、素晴らしいですね」
誇らしそうに笑う彼を賞賛しつつ、瞼を伏せる。
宗一の熱すぎる愛は触れなくても火傷しそうだ。白希は内心舌を出した。
彼が以前の白希を愛しそうに話す度、何故か胸の奥がきりきりと痛む。
疎外感でも抱いてるんだろうか。自分と“彼ら”の間には、絶対に越えられない壁があるから。
人の関係を羨むなんて馬鹿みたいだ。口端を引き結び、仰向けになる。すると不意に頬をつつかれた。
「何ですか」
「明日、私が仕事に行ってる間……寂しかったら電話していいからね。極力出るように努力する」
「……だから、子ども扱いしないでください」
頭を撫でる手を振り払い、白希は顔を赤くした。怒りより羞恥心の方が勝っている。彼は人を辱める天才だ。
心の中で悪態をつきながら、今夜も心地のいい眠りにつくことができた。




