#3
「まいってたのは、直忠も一緒だと思うんだ」
部屋の中に戻った後、宗一さんは吐息と共に呟いた。
「私も村を出てからは、彼と交流があったわけじゃない。だから助けを求められた時は只事じゃないと思った」
久しぶりに飲みたいと言うので、宗一さんのワインボトルを用意し、グラスを差し出した。グラスに白く透き通ったワインが注がれていく。スパークリングの為パチパチと弾ける泡が綺麗だった。
「君と、君の家族の身に何が起こってるのか知りたくて……父の反対を押し切って、また村へ行ったんだ。そこで村人達が物騒な話をしてるところを聞いてね」
「物騒……」
「前も言った通り……厄災をもたらす前に、何とかしよう、と」
彼はまた、わざと言葉を濁してくれた。
つまり、早く処分しよう。……ということだ。
「俺は誰にとっても疫病神……でした」
佇んだまま、前で両手を揃える。
「実際になにかしたわけじゃなくても、ただ存在してるだけで周りの方を不安にさせる」
「……白希」
宗一さんは立ち上がり、俺の顔をそっと上げさせた。
「君は悪くない。大丈夫だよ。力だって、ほとんどコントロールしたも同然だ」
手のひらを合わせ、彼は微笑む。
「もう、誰と触れ合っても何も起こらないだろう?」
「それは……」
「この力が厄災だと言うなら、それを起こさせるのはいつだって周りの人達だ。攻撃的なことを言われたら、誰だって身構える。防衛反応として力が働く。当たり前のことじゃないか」
宗一さんは身を翻し、両手を広げた。
「だから私は、君のことも守ると決めたんだ」
カーテンを再び開け、夜の街を一望している。窓を少し開けると、涼しい宵の風が入ってきた。
「私もこの力を御しきれなかった頃は、自分自身を強く憎んだ。でもそんな駄目な自分を許したら、心が随分軽くなった。白希も同じだと思う」
頬を撫でられ、くすぐったさに身を捩る。また身体が軽くなり、ソファまで連れていかれた。
宗一さんの膝に乗ったまま、彼に髪を梳かれる。
安心できるにおいだ。何度も包まれる度に、ここが世界で一番心地良いと確信する。
「宗一さんは、力が使いこなせなかったときはどう生活してたんですか? 学校は行ってました?」
「私も、酷い時は一ヶ月近く行かなかったよ。同級生はこの力のことは知ってたけど半信半疑だったし、私もなるべく冷静を装ってたから」
ワインを口にし、彼は瞼を伏せた。
「半年は不安定で、一年ほど経った頃、やっと落ち着いてきたね。この振り幅は、思春期が特に酷いように感じる」
ただでさえ多感な年頃は悩みがつきものだ。力のコントロールをするどころじゃなかったり、とにかく振り回される。
「……でも私は、両親が受け入れてくれたから。あの村で珍妙な扱いを受けるより、誰も知らない場所に行って、普通の生活を送ろう……そう言ってくれたことが大きかった」
「本当に、宗一さんのご両親は素晴らしいです」
「今は君の義父と義母だからね。たくさん甘えてあげな」
宗一さんは、私も恩返しをするよ、と上を向いた。
「やっぱり、俺にとっては皆すごい人です」
彼の決意に鼓舞されている。
さっきまでの緊張はやわらぎ、暗い心に光が射し込んでいる。
月でもあり、太陽のような人だ。
……兄も、俺にとっては手の届かない、大きな人だった。
「物心ついた時から、学校の勉強より稽古をしていました」
彼が自分のことを話してくれたから。記憶の箱を開く為に、少しづつ紐解く。
朝早くから夜遅くまで、屋敷の広間で、祖母が元気だった頃は彼女に師事していた。村の伝統舞踊の継承者として……長男とは全く違う道を歩もうとしていた。
それが一変したのは、やはりこの力を発現したせいだ。十歳のとき、突然寝ていた布団が熱くなって飛び起きた。
手が触れていた部分が熱くなり、親に知らせようと慌てていたらドアノブを少し溶かしてしまった。今思うととても恐ろしい。
何代かに渡って力を持つ者が現れることがあるのは知っていたが、まさか自分にそれが降り掛かるとは思わなかった。
そして、もっと早くにコントロールできるものだと思っていた。
「これが物語の主人公だったら、早くに修得できたりするのに。……そんな妄想もよくしてました」
ところが一向にマシにならない。むしろ力の幅ばかり大きくなり、周囲に危険を及ばす。
父は激昂し、俺を外に連れ出した。
「昔、父に山奥に連れて行かれそうになって……俺を脅かす為だったと思うんですけど、そこでまた酷くなりました。死んだ方が楽かもしれないのに、いざとなると怖くて仕方ないものなんですよね。子どもだったので、それはもう、すごい泣きじゃくりました」
自分は悪い子なのだと、その時に頭に刻み込まれた。優秀な兄と違い、父を怒らせ、母を悲しませる。
なんて酷い人間だろう。俺は生まれてくるべきじゃなかった────。
「その日を境に、父は怒らなくなりました。代わりに、俺に会いに来ることもなくなった。納屋や蔵の中で過ごして、自分だけの世界に閉じこもるようになった」
膝を立て、手を前に回す。
心の中に刻まれたのは、変えようのない現実と、自分でつけた古傷。
熱い何かが込み上げてきそうになって、慌てて首を横に振った。
昔のことを思い出したら駄目だ。耐性がないから、すぐ感傷に浸ってしまう。
「すみません! 兄さんに会えて、父と母が無事だったことも分かった。こんな嬉しい報せはありません」
精一杯笑いかけたつもりだったのだが……宗一さんは眉を下げ、俺の頬を優しくつまんだ。
「白希。……無理に笑わなくていいんだよ」
肩を掴まれ、抱き寄せられる。自分の心臓がばくばく言ってる。彼に聞こえてしまうんじゃないかと思い、内心焦った。
「辛かったことは、そう簡単に消えない。記憶が薄れても、魂が覚えてる」
「魂……」
「そう。心とはちょっと違う。もっと本質的な部分さ」
それに抗うのは、とても大変なことだと彼は言う。
「でも、嬉しかったことも同じだ。しっかり思い出せなくても、何故か心が弾むときがある。君にはそれを大事にしてほしい」
目元に、彼の指の腹があたる。また泣いてると思われたのかな。
……確かに、心の方は洪水が起きていたかも。
「宗一さんの言うことは難しいです」
「あはは、確かに。ごめんね」
「いえ。それでも、何となく分かる気がするんです。記憶が全てじゃないっていうのかな……俺が宗一さんに巡り会えたことは、死ぬまで俺の細胞に刻まれる気がします」




