#2
「店長、お疲れ様です」
「文樹。あれ? 今日休みだろ?」
「そうなんですけど、友達連れて来ちゃいました」
店長と呼ばれた男の人は、いじっていた楽器から手を離し、近くにやってきた。
「お友達? ようこそ。ゆっくり見てってね」
「あ、ありがとうございます」
三十半ばだろうか。まだ若い人だ。
でもこれだけの楽器を扱うんだから、相当な知識量を持ってるんだろうな。
「店長、このコ白希って言うんですけど、篠笛やってたらしいんですよ。琴はあんまないけど、この前いくつか入ってましたよね」
「あぁ。タイプを教えてくれれば持ってくるよ。試し吹きしてみる?」
「え! いいえ、今はもう吹けません! 最後に吹いたの七、八年前だし!」
「いいからいいから。奥に連れてったげて」
「うぃーす」
そんなつもりなかったのに、成り行きで篠笛を渡されてしまった。
何でこんなことに……。
泣き泣き口を当ててみる。久しぶり過ぎて最初はスカスカ息がもれてしまったけど、段々感覚を取り戻し、唇の当てどころがわかってきた。
「へぇ~……綺麗じゃん」
「本当。音だけじゃなくて、なんて言うんだろ。……立ち振る舞いが」
五分後、初歩的な旋律ぐらいなら奏でられるようになっていた。
「ありがとうございました……」
買う気ないのに吹かせてもらって、正直罪悪感がすごい。すると文樹さんは、にやにやしながら別の篠笛を持ってきた。
「ちなみにこれとか買う気ない? 絵に金箔使ってんだけどさあ」
「え!」
「こら、文樹。無理やり売りつけるんじゃない。友達なくすぞ」
「あはは、冗談ですよ。白希って純粋だから、反応が可愛いっつーか面白くて」
冗談だったらしい。ほっとして、口を拭いてから店長さんに手渡す。
「ありがとうございます。久しぶりに触って、ちょっと懐かしくなりました」
「それは良かった。文樹じゃないけど、また興味出てきたらいつでもおいで。最近は来客少ないから時間あるんだ」
「オンラインで買う人間増えたからさ。実際に触って見た方が絶対良いのに」
文樹さんは笑いながら、俺の腕に手を回した。
「ていうか、バイト欲しがってたじゃないですか。良かったらこいつ雇ってくださいよ。そしたら俺もシフト多めに入れるし」
「え!?」
またまたあらぬ方に話を振られ、滝のような汗が流れる。
店長さんもびっくりしていたが、バイト探してるの?と訊いてきた。
「探そうとは思ってますけど……お、俺には務まりませんよ。知識も経験もないんです。まず働いた経験がないし、学校を出てないので履歴書も真っ白です」
「それはまた……じゃあ今無職なの? 学校行ってないからいつでも入れる感じ?」
「あ、こいつ主婦なんですよ。俺と同い年だけど、もう奥さんだから、無職ってわけでもないです」
文樹さんのフォローはさすがと思ったけど、こんなどこの馬の骨とも分からない人間を雇おうなんて思わないだろう。
やんわりなかったことにしようとすると、店長さんは人差し指を宙に向けた。
「じゃあさ、やる気あるなら来てくれない? ちょうど短期で欲しがったんだ。裏方でいいから、接客はしなくていい」
「掃除とか雑用で良いってことみたいよ。楽器屋でこんな美味しい話ないって、白希。ちょっとだけやってみ。俺が教えてやっから」
「…………」
こういう時、自信のなさを発揮してやんわり断れたら良いんだけど……勢いに負けて、一日体験することになった。
職業訓練とか社員のトライアルじゃあるまいし、普通は有り得ない。まるで引きこもりの支援だ。
「文樹さん……本当に良いんですか? 俺、絶対ご迷惑をお掛けしてしまいます……」
「良いんだよ! 使えるものは使う! ……なんて言ったら店長に殺されるけど、お前は日雇いも向いてないと思うよ。店長は面倒見いいひとだから、とりあえず挑戦してみな」
文樹さんの強行には焦ったけど、結局優しいんだ。
「ありがとうございます。がんっ頑張りま……っ」
「言えてないけど大丈夫?」
心配そうに覗き込む彼に頷き、病人のような青白さで帰宅した。
まさか婚姻届を出した日に職まで見つかるとは。願ってもないことなのに、不安で仕方ない。
さっそく宗一さんに話すと、彼も不安で仕方ないといった様子で慄いた。
「大丈夫、白希……? 何も無理に社会の荒波を受けなくてもいいんだよ」
「すみません……でも確かに、こんな有り難い話はこの先一生ないな、と思いまして」
冷静に考えれば考えるほど、学歴なし職歴なしの自分は働く前のハードルが高い。完璧にコネだけど、せっかくの好意だ。できる限りのことをやってみようと思った。
宗一さんはネクタイを外し、目元を押さえて椅子に座った。
「本当、日に日に成長していって……私の自慢の妻だよ。それならとりあえず指導してもらいなさい。重いものを持つ時は私に電話をくれれば、なるべく向かうようにするから」
「いやそれは宗一さんがきついですよ……大丈夫です! 最近は力が暴走することも少ないし、短時間の勤務なので頑張ります!」
拳を握り締めて奮い立つと、宗一さんは物思いにふけった様子でため息をついた。
「初日だけずっと後ろについて見守っていたい…………」
「お、抑えてください。頑張りますから」




