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熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。  作者: 七賀ごふん
火照る席

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#8



宗一さんは、ぎりぎりまで波打ち際に寄り、俺の手をとった。


「息するのが気持ちいい、って何か良いですね」

「ふふっ。私も初めて思ったことだけどね」


美しいものに触れるほど、自身の醜さに嫌気がさしてしまうことも多いけど。確かに洗い流されるものもあるんだろう。


俺にとっては恐怖と不安。自分に対するやるせなさ。

少しずつではあるけど、心にこびりついたものが落ちている気がする。自分の力で行動しようすることが増えて、ようやく自我が芽生えた。

「ありがとうございます、宗一さん」

本当に幸せだ。

初めて見る、きらきらした貝殻を拾い上げる。それは少し欠けてしまっていた。他にも色々見ていると、宗一さんがひとつ持ってきてくれた。

「これなんてどう?」

「わ、綺麗! これ、勝手に持って帰るのはまずいですか?」

「貝殻集めは皆やってるし、一個ぐらいなら大丈夫だよ。でも怪我しないようにね」

「はい!」

大事にポケットに仕舞い、車の方へ戻った。

道中、宗一さんを見る女性がたくさんいて……改めて少し気になったけど、当の本人が気にしてないから気付かないふりをした。


他所の人からしたら、俺と彼はどういう関係に見えるんだろう。

歳は離れてるけど似てないし、兄弟には思われないはず。こんなかっこいい人の隣に俺みたいな人間がいたら、皆近付き難いかな……。


「白希。次は夏に海に行こうね。泳いでもいいし」


帰路につき、宗一さんはサングラスを外して微笑んだ。

「良いですね。でも泳げるかどうか……!」

「水に浸かるだけでいいんだよ。お風呂に入れるんだから平気さ」

「海は波がありますよ?」

「私が支えてあげるから心配ない。ね?」

鼻の先を指でつつかれ、わっ、と瞼を閉じた。

彼がいればとりあえず大丈夫な気がしてくるから怖いなぁ。


「その時は宜しくお願いします。……宗一さん、今夜はなにか食べたいものあります?」

「うーん、そうだねぇ……お刺身があったから、海鮮丼とかにして食べたいかも」

「わかりました。お任せください!」


無事に家に帰り、彼のリクエスト通り鮪の丼をつくった。ただお米に乗せるだけなのに、たくさんの海苔をかけて食べると至福の味で、宗一さんも満足そうだった。

「家に魚があるから向こうで食べなくて良かった。白希が料理上手になって、私は本当に幸せだよ」

「あはは、これは乗せるだけですから」

お腹も満たされて、二人でソファで寛ぐ。その時、ふとリビングの小棚が目に入った。


「……」


あまりに見つめてしまっていた為、気付いた宗一さんが首を傾げる。

「白希? どうかした?」

「あ、いいえ! あ……あの棚、黒くてかっこいいな、って思って」

咄嗟に答えてしまったが、嘘ではない。すると宗一さんも「ありがとう」と言って笑った。どうもオーダーメイドらしく、モダンな造りにこだわりを感じた。

「白希はモノクロが好きなのかな」

「言われてみればそうですね……白か黒が一番分かりやすいし、何でも合わせやすくて好きです」

色使いって難しい。自分に合うとも限らないし、それなら白黒のようなパキっとした感じが好きだ。


グレーがなくて、意志がはっきりしてる。ある意味宗一さんのよう。

俺も、実はそうなりたい。曖昧で逃げ腰な自分を変えたかった。


浅ましいかもしれないけど、本当はもっと宗一さんに近付きたい。甘えたいし、甘やかしたい。


意を決して、ゆっくり腰を上げた。棚の前まで行き、そっと天板に触れる。

「宗一さん。な……中……見たら駄目ですか?」

「え」

振り返ると、彼はあからさまにドキッとした。

その反応でほぼ確信する。笑ってはいるけど、間違いなく動揺している。

白希が示したのは上に小さな引き戸があって、下は本や雑誌を入れる収納スペースがある棚だ。

あえて引き戸の中を見たいと言ったのには訳がある。決して個人的なものを見たいと思ってるわけじゃない。だがこの要望が失礼なものだということも分かっている。


「す、すみません。やっぱり大丈夫です」


彼が嫌だと思うことを、無理やりしたくはない。諦めて一歩離れると、彼はゆっくりこちらへ近付いてきた。


「いいよ。白希が欲しいものが入ってるかどうか、分からないけど」


宗一さんは壁に寄りかかるようにして、腕を組んだ。

……彼にとっても重大な決断のはずなのに。

「本当に良いんですか? あ、開けちゃいますよ? 本当に!」

「本当に良いよ。止めませんので、どうぞ」

慌てふためく白希に吹き出し、宗一さんは片手をひらひらと振る。温度差が激しいものの、白希はひと呼吸のあと、戸を手前に引いた。


中に入っていたのは、一枚の用紙。それをそっと手に取り、仰々しい文字の羅列を確認する。宗一が真隣にやってきて、悪戯っぽく笑った。

「お望みのものはありました? お姫様」

「はい……」

婚姻届。

言葉でしか聞いたことがないもの。それを手にし、白希は消え入りそうな声で呟いた。


「もう宗一さんの名前が書いてあります」

「私はいつでも準備万端だから、あとは妻になる人。の、本当の気持ちだけだ」


……っ。

周りをきょろきょろ見回してると、彼は近くのスタンドから万年筆をとってくれた。それを受け取り、恐る恐るキャップを外す。

「おや、大丈夫? 心の準備は?」

「もう、昨日のうちにできてます。でも書き損じたらごめんなさい」

「それは何枚でも取りに行くから大丈夫さ。……にしても思いきりがいいね。男らしいよ!」

満面の笑みで拍手する彼に、とても誇らしい気持ちになる。ただ乗せられてるだけの気がしないでもないけど、気持ちは彼と同じだ。


用紙をテーブルへ持っていき、手の震えを押さえながら自分の名前を書いた。


「書いちゃったね」

「書いちゃいました」


住所やその他、記入できる場所は埋めていく。待ち望んだ魔法の一枚は、思いの外早くに出来上がった。

「綺麗な字だ」

対面に座る宗一さんは、恍惚とした表情で婚姻届を手にした。

「白希の希は、ご両親にとってなにかの願いなのかな」

「……」

そんなこと考えたこともなかった。何となく語感が良いから名付けたのかな、ぐらいの。


こんな自分でも、生まれた時は彼らの希望になったんだろうか。考えたら急に後暗い気持ちになってしまった。

「ごめん、何でもないよ! それより白希、よく婚姻届があの棚の中にあると分かったね。前から知ってたのかい?」

「あ、いいえ。その棚の中に限らず、自分の部屋と洗面所の棚以外は一度も開いたことありません! 命懸けます!!」

「別に開けてもかまわないけど……じゃあどうして」

不思議そうに両手で頬杖をつく彼に、そっと打ち明ける。

「その……俺のただの妄想というか、自意識過剰だと思ってたんですけど。宗一さんがあの棚を大事そうに撫でるところをよく見てたので」

棚も気に入ってるんだと思っていたけど、それ以上になにか大事なものを仕舞ってる気がした。そしてそれが、俺と彼の関係を結ぶものだったら良い、なんて。


推測は当たったが、今思っても恥ずかしい。自惚れにもほどがある。

だけど宗一さんは、嬉しそうに手を叩いた。


「いやー、今回の観察眼はおみそれしたよ。さすが私の白希だ」

「いえいえ。……えへへ」


と、結局彼に乗せられている。

自分も大概単純で、思わず苦笑した。




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