#1
家に帰る頃にはへろへろだけど、心地いい疲れがあるということを久しぶりに思い出した。
子どもの時、辛くていつも泣いてた舞踊の稽古も、終わりの時だけは嬉しかったっけ。おばあちゃんがまだ元気な時は、必ずジュースとお菓子を持ってきてくれた。
些細なことかもしれないけど、自分にとってはかけがけのない宝物だ。気が抜けない生活の中で、唯一安心できる時間だった。
「すごい汗……」
今日は特に気合いが入って、夜まで力の練習をしてしまった。帰ったらすぐ夕食の準備を始めようと思っていたのに、服を着替えても汗臭い気がする。
しょうがない、サッとシャワーだけ浴びちゃおう。
服を脱いでシャワーを浴びる。ボディソープで体を洗い終わったところで、ふとある考えが浮かんだ。
最初は水で出して、理想的な湯温にしてみようか。
バーを水側に回し、シャワーから冷たい水が吹き出る。手を翳し、温かいお湯になるよう念じる。ところが。
「あれ……?」
中々お湯にならない。それどころか、温かくすらならない。
おかしいな。そんなわけないのに。
その後も何度もお湯のイメージをしたが、結局最後までお湯には変わらなかった。
「ううん……?」
何でだろう。こんなの初めてだ。
疑問だったけど、宗一さんが帰ってくるから急いで浴室から出た。
「白希、ただいま」
「おかえりなさい! 今日もお疲れ様です」
十九時半。仕事から帰ってきた宗一はさっそく白希の頬に口付けし、コートを脱いだ。
「今日も遅くまで外で練習してたのかな?」
「あ、はい。お昼は買い物もしてきました」
夕食に作った野菜たっぷりのカレーを器に盛り、テーブルに並べる。
宗一はすっかり脱力しながら舌鼓を打った。
「美味しい。カレーも久しぶりだよ。ほっとする味だ」
「気に入っていただけて良かった」
野菜の選び方とか、料理の仕方はだいぶ身についてきた。でも本当はもっと上達したいから、色々な本や記事を読んで頑張ろう。
美味しそうに食べる宗一さんを眺め、自身もスプーンを口に運ぶ。
この何気ない瞬間こそ、“家”と“家族”を連想する。宗一さんが俺に与えてくれるのは、お金じゃ買えないものだ。
「宗一さん。ありがとうございます」
「急に何だい? なにかしたっけ?」
「いえ。いつものお礼です」
笑って答えると、彼は嬉しそうに頷き、多めの一口を食べた。
「白希は他にしたいことはない?」
「と、言いますと?」
「習いたいこととか、やってみたいこととか。……住所を移したばかりだけど、住む場所を変える、という選択肢もある」
宗一さんはスプーンを置き、行儀悪くも頬杖をついた。
「正直、この立地は白希にはあまり向いてないんじゃないかと思ってね」
「そ、それは……住む場所を新しく探してほしい、ということですか?」
青い顔で答えると、彼は慌てて手を振った。
「すぐじゃないし、その時はもちろん私も一緒だからね? 君だけどこかへ引っ越すって意味ではないよ」
「ああ、良かった……。いえ、そうなったら受け入れるんですけど……やっと、宗一さんのお手伝いができて嬉しく思ってたから」
やってることは誰でもできる家事ばかりだけど。
俯いて顔を赤くすると、また頭を撫でられた。
緩やかに時間が流れていく。
特別やりたいことはない。本当に、彼と一緒にいられるならそれだけで充分なんだ。
ただ、現実は色々あるもので。
「わぁっ!」
食後、歯を磨いて部屋に戻ろうとすると、途端に視界が上昇した。
理由はひとつ。宗一さんが俺の体を軽くし、また横向きに抱き上げたからだ。
「宗一さん?」
「明日はお休みだし、今夜は私の部屋で寝よう。ねっ?」
とても素敵な笑顔を浮かべる彼は、少し異様なオーラを放っている。
もしかして、かなり我慢してるんだろうか。最近ちょっとご無沙汰だったから。
嫌な汗をだらだら流していると、案の定部屋に入るなりベッドに押し倒された。
「宗一さん、ちょっと待って……!」
「良い香り。もうお風呂入ったんだ?」
強い力で抱き締められ、手足をばたつかせる。
大丈夫だって分かってるけど、最初はやっぱり抵抗してしまう。
だって恥ずかしいし。
「私がいないときは、寂しくなかったかい?」
前髪を持ち上げられ、優しく額を撫でられる。
彼の甘い台詞も気恥ずかしくて、思わず口端を引き結んだ。
「そ……そういうことは心配しないでください。俺ももう大人ですから……っ」
顔を横に逸らしたまま、努めて素っ気なく答える。
「本当に?」
「っ」
けど彼に耳朶や首筋を愛撫されると、全身が震える。
誤魔化すなんて高等技術、俺にはやっぱり無理だった。
「や……宗一さん、俺……っ」
「何?」
「ごめんなさい。その、やっぱり、……寂しい。……です」
涙でぬれた瞳で見上げると、宗一は微笑みを崩さぬまま、白希の口に指を入れた。
「大丈夫。たくさん愛するから」
始まる。濃くて長くて、……甘い夜が。
「宗一さんを独り占めできる夜さえあれば、ほんとのほんとに、何も要らないんです……」
生理的な涙を零しながら、彼の腕にすがりつく。必死の想いで彼の動きに合わせていたけど、息を奪う激しいキスが始まった。
「ん……ふっ……!」
気持ちいい。全身をくまなく愛撫する舌も。……注がれる熱い視線も、今は自分が独占している。
醜い欲望ばかり高まってしまう。
「嬉しいな。もっと私を求めて。全部さらけ出してくれ、白希」




