#8
会いたくて仕方ないなんて、まるで実家にいたときみたいだ。
あの時は距離が遠かったということもあるけど、それ以前に近付くことを禁じられていた。自分の要望が通ることはないと諦め、夢の世界に住む人のように思ったんだ。
それが今は、心音が聞こえてしまいそうなほど近くにいる。同じベッドの上に乗って、抱き合ってる。だからいつまで経っても現実感が湧かないんだろう。
「白希。もっともっと私を求めて。その倍以上、私は君にもらった愛を返すから」
「え?」
何のことか分からず、慎重に顔を上げる。
だが言葉ではなく、優しい眼差しを向けられるだけだった。
「あ」
その表情の理由を尋ねようとしたけど、部屋の外からなにかの音楽が流れてることに気付いた。
「ごめん、電話だ。ここで休んでいて」
去り際に頭を撫で、宗一は廊下へと出て行った。
休むにしても、ここは宗一の寝室だ。長居すべきじゃない。
そう思うのに……白いシーツからは彼の香りが漂った気がして、無意識に身を屈めた。
枕もクッションも、些細なものまで彼の存在を感じる。冷静に考えてみると、すごい空間だ。宗一さんのファンがここに来たら、感動で失神しそう。
一般人相手に思うことではないけど、それぐらい距離のある人、という認識だ。
性別は二の次。性格は右に、経歴は左に。
彼なら力を発現しても安心だと大人達が笑っていたのを知っている。
それに引き換え、“私”はいつも比べられた─────。
心の中に巣食う黒い根。普段は布を被せて隠しているのに、あらわになった。息苦しさを覚えて俯くと、家中にインターホンが響いた。
「……はい。どちら様ですか?」
部屋の外で、宗一さんが誰かと通話してる声が聞こえた。もしかして電話の相手だったんだろうか。
ちょうど宗一の寝室が廊下側に面してる為、窓をそっと窺う。
会社の人……は、こんな時間に自宅に来たりしないか。ベッドから離れて、ドアの方へ行こうとした。その時。
カッ、カッ、という固いものが擦れる音が聞こえた。
足が上がりきらないから地面に引き摺るような。石畳を渡る、下駄の音。
視界に靄がかかる。夜明け前の白んだ空の下、深い山へ連れて行かれそうになった時の……あの焦燥が蘇った。
行きたくない。お願い。
『……それなら早く、力を使いこなせるようになれ』
村の後ろに聳えるその山は、古くから恐ろしい何かが棲んでいると言われていた。それは小さな子どもが遊びで入らないよう、怖がらせる為につくったものだと思う。
妖怪より何より、方向感覚を失い遭難する方がずっと恐ろしい。歳を重ねれば誰もが分かることだ。
奥まで行ったら出てこられない。そんな場所にひとりで入るように言われ、冷静でいられるわけがない。
怖い。
……何が?
自明の問いを繰り返す。すぐに思い浮かぶのは孤独、飢え、寒さ、その先にある闇。
死。
死にたくない。死ぬのが怖い。
一番死を意識する歳だった。“死”というものを頭でしっかり認識した時期だったんだろう。何でもするから許して、と泣いて懇願した。
結果的に山には入らなくて済んだけど、そこから屋敷に籠る日々が始まったんだ。
あの人に会うのが怖い。会いたくない。
下駄で歩く音が一歩ずつ近付いてくる。地響きのような大きな音が傍で聞こえたとき、心が波打った。




