外伝3章3話【最終話】 雪解けの湖と、終わらない青春の座標
2009年。熱狂の時代は、新たな年を迎えても猛烈な速度で加速を続けていた。
年末の巨大な祭典(コミックマーケットC75)での熱気は、達成感とともに静かに収束した。
僕たちは日常へと戻り始めていたが、次の大きなイベントまでにはまだ時間がある。
この束の間の静寂の中で、僕たちは一時的に喧騒から離れ、冷たい雪と静寂が支配する場所へと向かう計画を実行した。
一泊二日のスキー旅行。それが表向きの目的だった。
だが、本当の目的地は、もちろんスキー場そのものではない。
僕のオタク人生、そして僕らの世代のアニメ文化の代表作、
ある作品の聖地巡礼だったのだ。
目的地は長野県。言わずと知れた、
『おねがい☆ティーチャー』、そして『おねがい☆ツインズ』の舞台となった、木崎湖周辺のエリアだ。
鷲宮神社が、誰もが参加できるコミュニティイベントとして社会現象に押し上げた「熱狂の加速点」だったなら、この木崎湖こそは、僕という人間が二次元の世界に深く傾倒し、
その文化を愛するきっかけとなった「起源」の場所だった。
高速バスの予約を取り、仲間たちと待ち合わせたのは早朝の池袋駅前。
まだ夜明け前の冷たい空気の中、長野行きの高速バスに乗り込んだ。
バスに揺られながら、僕は窓の外の暗闇を眺めていた。
あの『おねがい☆ティーチャー』の美しい物語が放送されてからすでに数年が経つ。
だが、僕の心の中で、あの作品の切なくも温かい世界観は、少しも色褪せていなかった。
バスの中は静かだった。
そんな中、僕の心はすでに、あの作品のメインキャラクターたちが過ごした、あの湖畔の風景へと飛んでいた。
彼らの物語が僕に与えてくれた影響は計り知れない。
僕が、ただゲームをするだけでなく、物語の切実さや、ヒロインの感情に没入する楽しさを知ったのは、あの作品からだったと言っても過言ではない。
昼前に、僕たちは目的地である長野県のスキー場併設ホテルに到着した。
ロビーは、家族連れやカップル、スキーやスノーボードを楽しむ観光客で賑わっていた。
皆、真っ白な雪と、晴れ渡った青空の下へと急いでいく。
彼らにとって、この場所は純粋なレジャーの場だ。
しかし、チェックインだけを済ませたオタク一行の行動は異なっていた。
分厚いスキーウェアも着ずに、すぐにホテルの外に出る。
他の客がリフトに向かう中、僕たちは雪道を避け、最寄りのローカルバス乗り場へと急いだ。
「よし、予定通りだ。ここからが本番だぞ」
友人が、今日の巡礼ルートを確認する。
地元の住民が利用する小さなバスに乗り込み、木崎湖エリアへと向かった。
ローカルバスの車窓から見える景色は、作中の作画そのままだった。
雪が積もった山々、寂れた駅舎、そして静かに水を湛える湖。
「マジで、まんまだな…」誰かが呟いた。その一言が、僕たちの興奮を一気に高めた。
バスを降り、僕たちがまず向かったのは、作品にも登場したローソンだ。
僕たちは店に入ると、ヒロインのお気に入りのお菓子、「ポッキー」を一箱買った。
ポッキーを買うという、なんの変哲もない行為が、この場所で、アニメの文脈と結びつくことで、一種の儀式となる。
「ポッキーがないとこの旅は始まらないよな」
そんな軽口を叩きながら、僕たちは湖畔へと足を踏み出した。
そして、その瞬間に僕の呼吸は止まった。
冬の木崎湖は、あまりにも美しかった。
真夏のコミケや、都市の喧騒とは対極にある、静謐で、どこまでも澄み切った美しさだ。
雪化粧をした山々が湖面に映り込み、その水面は冷たい冬の太陽の光を反射して、プラチナ色に輝いている。
空気はキンと冷え、その冷たさが僕たちの疲れた頭を冴えさせた。
僕たちはその景色を深く心に刻み込み、次に湖畔の公園へと移動した。
そこに、あのベンチがあった。
湖を望む、作中のオープニングにも使われた、あのベンチだ。
僕たちは迷わず、オープニングテーマのカットと同じポーズを真似て、交代で写真を撮り合った。
湖畔のベンチに立つその瞬間、僕の心臓は二次元と三次元をつなぐ熱で高鳴った。
それは滑稽な行為かもしれないが、我々にとっては、真剣なパフォーマンスだった。
二次元の物語を三次元の現実に「再現」し、「同期」させる行為だ。
シャッターを切るたびに、作中のBGMやヒロインの声が、雪が積もった湖畔の静寂の中に響き渡るような錯覚を覚えた。
次に訪れたのは、作中に登場した駅だ。
雪に埋もれそうな小さな無人駅は、普段なら見過ごしてしまうだろう。
だが、ここには多くの「同志」が訪れた証があった。
駅の待合室には、ファンが持ち寄った「巡礼ノート」が置かれていたのだ。
ノートを開くと、数えきれない巡礼者の記録が残されている。
美しいイラストや、作品への熱いメッセージ、「ついに来ました!」という興奮の声。
次の巡礼者への挨拶もあった。
僕らは、そのノートに日付と感謝のメッセージを書き残した。
仲間の一人が得意な作中のキャラクターのイラストも添える。
この場所は、単なるロケ地ではない。
物語を愛する者たちが繋がり合う、生きたコミュニティの場所であることを、このノートは証明していた。
ノートにペンを走らせるその手は、冷たい外気とは裏腹に、熱い興奮に震えていた。
そして、いよいよ本命の学校だ。
雪に覆われた校庭と、作品に登場したままの重厚な校舎が見える。
その風景は、まさに作中のカットそのものだった。
屋上の手すり、教室の窓枠、昇降口の形。
作中の虚構が、この現実世界に、完璧な座標を打ち込んでいた。
一行はカメラを構え、あらゆる角度から写真を撮る。
僕にとって、この風景はただの景色ではない。
それは青春の象徴であり、夢の座標だった。
この聖地は、僕にとって単なる巡礼地以上の意味を持っていた。
僕のオタク人生を歩み始めるきっかけの一つ、あるいは、「切なく、美しい物語を愛する」という僕の感受性の方向性を定めた作品、それが『おねがい☆ティーチャー』だった。
あの物語が教えてくれた「非日常と日常の境界線で生きることの尊さ」、僕自身の青春のすべてに深く影響していた。
かつて、僕は物語の熱狂をただ消費するだけだった。
冬、僕は『らき☆すた』の聖地で、現代の熱狂が現実を書き換える瞬間を目撃した。
そして今、僕は僕の原点、物語の静謐な故郷を訪れていた。
この旅は、僕のオタクとしての歴史を完成させる最後のピースだ。
創造と熱狂、現象と共有(鷲宮)、そして起源と感情(木崎湖)。
全ての座標を巡り終え、僕はついに、自分が何者であるかを完全に理解できた気がした。
この愛と情熱を、現実世界で誰にも遠慮なく体現できる。その確信が胸の中に生まれた。
僕はこの聖地巡礼を、心から楽しんだ。
陽が傾き始め、湖畔の聖地巡礼を終えた僕たちは、再びローカルバスに乗り、スキー場へと戻った。
夜。スキーウェアに着替え、夜間スキー(ナイター)を楽しむ。
昼間の巡礼の興奮と、コミケの疲れ、冷たい外気が混ざり合い、テンションは最高潮だ。
静かにライトアップされた雪の中を、仲間たちと滑り降りる。
昼間、ポーズを決め、写真を撮り、物語を追体験した場所から、
ほんの数キロ離れたこの場所。僕たちは今、ただの若者として雪と闇の中を滑っている。
二次元と三次元、熱狂と日常。そのすべてが矛盾なく僕の中で共存していた。
翌日も午前中いっぱいはスキーを楽しみ、
全身が心地よい疲労に包まれた状態で、僕たちは無事に帰路についた。
高速バスの窓の外を流れる景色は、夜の帳が降り始めていた。
僕たちはほとんど会話を交わさなかった。言葉は必要なかった。
「『おねがいティーチャー』知ってる? 」
この一言で始まったオタク人生。
コミケの熱狂が教えてくれた情熱と、この聖地が教えてくれた優しさを胸に、
僕はこれからもアニメとゲーム、そして物語と、かけがえのない思い出を糧に、
この終わりなき青春の道を走り続けるのだ。
この小説を書いたきっかけは、
dアニメストアで「おねがいティーチャー」と「おねがいツインズ」が配信開始されたことでした。
昔の記憶が鮮明に蘇り、僕のオタクとしての原点に近いこの2作品やKOTOKOの思い出を整理したくなったのです。
濃いオタク人生の中で経験してきたことや、エンタメの歴史をなぞった作品でした。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
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自身がオタクになったきっかけのアニメもあればぜひ!
完結したので、一気に読み返すのもおすすめです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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