1.
プシュ、と少し気の抜けたような音がして、電車のドアが開いた。
六月にしてはやけに暑い空気が、ドアの隙間から入り込んできて思わず顔を顰める。
着いてしまったものは仕方ない。じめっとした空気に向かって一歩を踏み出した。
電車とホームの間の大きめの隙間は、記憶のそれと変わらなかった。
「あちぃ」
と一言つぶやくが、ホームに降り立ったのは私一人で、少し声が響いた。
見慣れた景色に思えたが、出っ張りの小さくなった点字ブロックや、錆びて汚くなった電光掲示板が、二十年という歳月を感じさせた。
何も変わっていないように見えて、
それでも確かに、時間は過ぎていた。
買い換えたばかりの新しいカメラを持ち上げて、ファインダーを覗く。
湿った空気と、誰もいないホームの白線と、少しだけ濁った空。
そのすべてを枠の中に収めて、シャッターを切った。
一枚だけ。
ただ、それだけでよかった。
これからどうしようか。
故郷に帰ってきたはいいが、どこに行こうか。
ホームの椅子に腰をかけ、一息つく。
家を出たあの日から、まともに連絡も取っていない両親に、どんな顔をして会えばいいのだろう。
20年、言葉で言うのは簡単だが、それは人が老いるには十分な歳月で。
18歳だった私も気付けば立派なおっさんで。
両親は元気にしているのだろうか、と今更ながらに思う。私を見て、どう思うのだろうか。
怒るだろうか、笑うだろうか、泣くのだろうか。
そんな考えばかりが頭で渦を巻いて、しばらく座ったまま動けなかった。
ふと、風に混じって、かすかに醤油の匂いがしたような気がする。
商店街の一角にあった焼き鳥屋。あれもまだ残っているだろうか。
きっとこのまま座っていても、一歩が重くなってしまうだけだ。
そう思い、肩にカメラを持ち直して、腰を上げる。
ホームから改札へ向かう階段は、あの頃のままだった。
足の裏に伝わるざらつきが、二十年前の感覚を連れてくる。
改札を抜けると、やはり見覚えのある景色のままで。
絶妙に狭いアーケードと、クリスマスだけ点灯するイルミネーションは木に巻きついたまま。私が小学生の時に設置していたのを見たことがあった。
利用している人間を見たことがない古ぼけたバス停に、青の塗装が剥げて木目が剥き出しになっているベンチ。バスに乗るでもなく、いつもここに座っていた爺さんは、きっともういないんだろう。
駅を出て右手に、あの焼き鳥屋があったはず。
行ったことはないが、高校の帰りに商店街を必ず通っていた。
夕方になれば、煙と共に醤油の匂いが店から漏れ出してくる。それが空腹に拍車をかけて、毎晩夕飯が楽しみだったことを思い出した。
商店街にたどり着くと、その焼き鳥屋は確かにあった。看板だけ。
シャッターの降りたままの店先には、人の気配もなく、錆びた看板だけが、時の流れをまざまざと突きつけてきた。
ふと周りを見渡せば、焼き鳥屋以外の見慣れていた店すらなく、商店街は軒並みシャッター街へと成り変わっていた。
カメラを構えて、静かにシャッターを切る。
きっとこれは、ただの自己満足だ。
それでも思う。これを残すのは、きっと自分だけだと。