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宇宙の目

 「大丈夫か?」


 ロビー奥の廊下から窓の外を眺める貴之に声をかける。先ほどスピーチを打ち切った様子もおかしかったが、それよりも私は貴之があの日について語った内容が気になっていた。今を逃せばまた話す機会を失う気がする。


 「少し気分が悪くなってさ」

 窓の外を眺めたまま、貴之が答えた。その顔は確かにどことなく青白く、疲労の色が見える。


 「あの日、声を聞いてたなんて初めて知ったよ」

 「ああ、話したことないもんね」

 「今でも……聞こえたりするのか?」

 「心配しなくても、あれから聞こえたことはないよ」


 貴之がこちらを向いてぎこちなく笑う。誤魔化すような、取り繕うような様子で。まさか今更自分の不思議な体験を疑われたり、気味悪がられたりするとは思っていないだろう。何せ私もあの日、弟のそばにいた当事者の一人なのだから。ならば、いったい何を今更誤魔化す必要があるのだろうか。


 「光を今でも見るって言ってたよな」

「ああ、見るよ。絵を描いてるとね」

 「その光も最初に見た……螺鈿(らでん)の?」

 「……いや、あれを見たのはあの日だけだよ。今見ているのはもっと生気のない……普通の星って感じかな。絵を描くたび、毎回違った星の配置が見えるんだよ。昔にーちゃんに見せてもらった銀河っぽい時もあったよ」

 「それで、今回は地球が見えたってわけか」


 不思議な話だった。地球が見えたから絵に描いたのだとしたら、これまでの絵に描かれていた星空も貴之が見たものなのだろうか。職業柄、星の位置関係などは大体頭に入っている。だからこそ、わかる。これまで貴之の絵に既知の星並びはなかった。実在するのは地球だけだ。


 「……俺さ、ちょっと怖いんだよ」

 

 貴之の手が震えている。


 「さっき毎回違う星の配置が見えるって言ってただろ」

 「ああ」

 「さっきの作品以降、何度新しい絵を描こうとしてもさ……」


 「もう地球しか見えないんだ」



 そういう貴之の顔は先ほどよりも辛そうに見える。今にも倒れそうな様子に思わず駆け寄り、肩に手を置く。想像力の根源に異変が起きた画家へ、なんと声をかけるべきか。それもここまで憔悴した弟に。出てきたのは安易な慰めだけだった。


 「しばらく休んだらどうだ。時間が経てば、また新しい星が見えるかもしれないしな」

 「ああ、ああ、そうだよな。疲れてるのかもな。これまでずっと描いてきたんだから」


 「貴之くん、こちらにいましたか。お兄さんもお久しぶりです」


 いつのまにか背後に松下所長が立っていた。


 「貴之くん、随分お疲れの様子ですね。今日はもう帰られてはいかがですか。パーティの方は心配しないでください。みなさん、貴之くんの絵に夢中ですし、個別の紹介はまた日を改めてもできますから」


 「すいません、松下さん」

 

 貴之が頭を下げる。弟が主役のパーティなのにここまで気遣いしてもらえるとは。貴之は本当に松下さんに可愛がられているのだろうと思った。私も隣で頭を下げる。


「謝ることはありませんよ。ここまでの大役、本当にお疲れ様でした」


◇ ◇ ◇


 松下所長に別れを告げた後、貴之を自宅マンションまで送り届けさらに20分ほど運転し帰宅した。貴之は車の中に乗り込みシートベルトを閉めるとすぐに眠ってしまったので、ろくに会話をする暇もなかった。


 たとえ会話できたとしても、何を話せばよかったのか。普段はそんなこと考えもしないのに、あの日のことや貴之の憔悴した様子を前にして、私は何もいうべきことが見つからずにいた。とにかく今は熱いシャワーが浴びたかった。


 風呂場へ行き、壁に手をついたまま熱いシャワーを頭から被る。髪を伝って排水溝へ流れるお湯を見つめていると、次第に思考もクリアになってきた。


 裏側さんこと大眉さん、地球が描かれた貴之の絵、なれないパーティに弟の二十年越しの告白。まるであの日を清算するかのような怒涛の一日だった。やはり一番印象に残ったのは、貴之の見聞きした声と螺鈿(らでん)の星。そして、地球に固定された視点。


 貴之はあの日依頼、絵を描くたびに星を目撃したという。妄想や啓示の類だとするなら、それは余りにも一貫した体験だ。一貫した出来事には必ずその背景に目的があるはずだと思う。では、この一連のなかで目的を持ったもちうるのは誰なのだろう。貴之ではあるまい。彼は見たものを書いているだけだ。せいぜい目的達成のための媒介だろう。ならば登場するのは螺鈿(らでん)の星とその他の星たち、そして……地球。ふと夕方に見た幻視、アンタレスに寄生した白い星を思い出す。見えるはずのない星。螺鈿の星が宇宙から私たちを探し、ついには見つけたのだとすれば……。だめだ、私もどうかしている。



挿絵(By みてみん)


◇ ◇ ◇


 風呂を出た後、私はノートパソコンを開いて貴之の作品群を検索していた。貴之のこれまで書いた絵は、最初のクレヨン画以外は全てデジタル化されて誰でも閲覧できるようになっている。これも松下所長の援助の一環だった。曰く、貴之の軌跡はすべての人類が見るべきだという信念によるものらしかった。


 松下海洋研究所には、深海生物の微細構造を撮るために改造した“アート・マイクロスキャン室”がある。天文屋の私から見ても、あの機材はモンスターだ。一度実際の手順を貴之と一緒に見せてもらったことがある。


 まず5µm/pix のラインセンサでキャンバスを16bit RAW収録し、同時に 400–700 nm まで 10 nm 刻みの分光データを取る。実質、星雲を撮るときのスリット分光と同じ原理で、絵具のスペクトルをピクセル単位で計測しているわけだ。


 そのあと 8KモノクロCMOS+偏光フィルタ で2ショット追加。0°/90°で交差撮りにすると、表面反射と内部散乱が分離できる。天体写真で言えば、散光星雲と前景の回折スパイクを別レイヤーで抜くようなものだろうか。


 出来た16bit TIFFを JPEG-XL無劣化 でタイル化、IIIFサーバへ放り込む──ここまでが所長の執念のワークフロー。メタデータには温湿度・分光チャート・偏光位相差まで添付されている。将来もし絵具が劣化しても、元の分光特性を引き算で復元できるという理屈だ。


 webページ上には最新作の"夜と道 #200"が早速アップされている。そのままスクロールしていくと、貴之の作品のサムネイルがずらりと並んで見える。こうやって俯瞰してみると、とても暗い作品群だ。目立つのは真ん中に変わらず描かれた道だけ、サムネイル越しでは星が見えない絵もあった。ざっと星が見える絵を確認したが、やはり既知の星空と一致する点はなかった。

 

 手持無沙汰で何気なく"夜と道 #199"をクリックする。製作は1年前。ということは#200は1年ぶりの新作というわけだ。ほかの画家のペースについては知らないが、弟の絵はかつてこれほど期間が空いたことがない。#199の夜空に描かれているのはいくつかの点。中心に見える黄みを帯びた星を中心とする恒星系だろう。恒星を除く星の数は……。


 

 ―― 6



 震える手でマウスカーソルを揺らしながら、急いで星図シミュレータ"Mitaka"を起動する。地球視点から離陸して……視点をどこに置くか逡巡し、アンタレスの方向までズームアウトした。余分な恒星の表示をオフにして、時刻の設定を550年前にする。ちょうど地球とアンタレスの距離が550光年なので、今アンタレスから見る太陽系は550年前の光景になる。そこからアンタレスを背に太陽に向かってマウスホイールを転がしズームインする。300、100、30と光年を区切る輪をくぐり、発光する細胞のようなオールトの雲を突き抜ける。さらに青色の輪、ハウメアやエリスの恒星軌道を抜け、10天文単位の地点から太陽系を確認すると……その配置は#199の星の並びとぴったり一致していた。



 ―― ありえない。 ありえない。 ありえない。

 常識的に考えてアンタレスの地点から太陽はともかく、その周りの惑星が見えるはずなどない。



 しかし今観測した事実はどうだ。少なくとも貴之の絵に打たれた星の並びは、製作時期からみて550年前のアンタレス方向から見た太陽系だったではないか。多少絵画技法で誇張されているとしても、太陽から10天文単位内の惑星の光を認識できる目からみた光景だろう。そして約1年前に550光年の彼方にいたその目は、今は地球のそばにいる。単純計算でも光速度の550倍、完成までのラグを考えるともっと早いのだろうが、物理学をどの程度無視するかなど些細な問題だ。普通は無視などできないのだから。


 こんなもの、すべて想像の産物だ。貴之の発言のつじつまがたまたま合っただけに過ぎない。地球を見つめる目、遥か彼方からやってきた何かなどいるはずがない。


 

 今日は疲れているから考えるのをやめよう。



 カーテンの隙間から夜空が見えたが、いつものような喜びはなかった。私はカーテンを閉めなおし、貴之に550年前の太陽系の画像と偶然の一致を驚く内容をメッセージアプリで送信し、ベッドに潜り込んだ。

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