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異世界ラジオ体操

作者: ヤックル



 『ビリリリ、ビリリリ……』


 カチャッと、とある爺いが目覚ましを止める。起きたばかりだというのに、その様子は全く眠そうではない。欠伸をする様子すらない。


 「うーむ、今日も目覚ましと同時に起きたか……」


 いつの頃からか、目覚ましと同時に起きるようになった。必ず毎日同じ時間。一度電池が切れていて、時計が遅れてしまっていたことがあった。しかしその日もキッチリ6時3分前にはパチっと目が覚める。


 「さてと……」


 寝巻きから動きやすいいつものシャツと短パンに着替える。着替えながら頭の中で爽快な音楽が流れ始める。


 『あたーらしーいーあーさがきたー……』


 これもいつの頃からか、完全に再現出来るようになっていた。あのラジオ体操の放送を、である。音はもちろん、歌声もピッチも何もかも完全にである。


 「これが出来るようになった時は嬉しくて皆んなに報告したのにのぉ……」


 そう、この爺い、改め、岸和田とおるはラジオ体操が大好きなのだ。いや、好きという言葉では表せれない、異常なほどラジオ体操なのだ。1日も欠かすことなく、毎日同じ時間にラジオ体操をする。1日も欠かすことなくだ。これがどれだけ異常であるか……。




 とおるが5歳の時、二つ上の兄に連れて行ってもらった公園から、彼のラジオ体操人生は始まる。とおる自身も眠たいながら一生懸命兄について行き、公園に集まっている子供たちと合流する。


 そう、夏休みのあの朝の恒例行事である。


 集まった子供たちはそれぞれ色んな表情を見せていた。ただただ眠たそうなもの。欠伸を隠すことなく大きな口を開けているもの。ブツブツと愚痴のような言葉を紡ぎながら不機嫌そうなもの。


 そんな時にあの爽快な音楽が流れ始める。


 その後はラジオから流れる指導の声を聞き、周りを見ながら精一杯体操をする。何分か経って、ラジオからの音声も切れた時、とおる少年の身体は湯気をたつほど汗をかいていた。しかし、不快な汗ではない。スッキリしたような、眠気などどこに行ったのか分からなくなるほどの気持ちよさ。


 周りを見ると体操前の眠そうな子供は一人もいない。皆んな清々しい顔をしてこの後の遊びの予定などを立てている。


 この日の、この瞬間の事は忘れない。


 こんな素晴らしい体験があったのか……。


 とおる少年はこの日からラジオ体操の虜となった。文字通り虜だ。兄より先に起き、グズる兄を引っ張って公園に行く。そしてあの爽快な音楽を聞き、体操をするのだ。





 あの1日だけの感動かと思ったが、そうではなかった。毎日、毎日……。何年も経っても毎回感動するのだ。朝が待ち遠しくなるくらい。いつも体操が終わった後は気持ちが良くなる。嫌なことも、朝の怠さも、なんなら前の日の疲れなども全て吹き飛ぶのだ。どんなけ前日に怒るような事があっても、朝の体操の後には全て無くなっていた。だからこそ、とおるは周りの人たちから信頼される、優しい人間として認識されていた。





 愛すべき妻である美代子もそんな優しさに惹かれてとおるに恋に落ちた。いや、容姿もそれなりに整っている。それどころか隠れてファンクラブサイトが運営されるくらいにモテる男であった。しかし、欲もラジオ体操と共になくなってしまうのだから恋も出来ていない状態だった。


 美代子に会うまでは……。


 「美代子が先に逝ってもう20年か……」


 いつも通り頭で再生される音に合わせて体操をする。惚れ惚れとするような動き。見本となる女性たちよりも、いや世界中のどんな動きよりも神々しい、とおるの体操。


 最初は公園や、庭で体操していたのだが、いつの頃からか、近所の人だけでなく動物(犬、猫など)も集まってくるようになり、居心地悪く部屋の中で体操するようになった。


 「しかし、美代子も建太も感動を分かち合ってくれなかったなぁ……」


 妻と子供、建太にもラジオ体操の素晴らしさを伝えて一緒に行っていたのだが、流石に毎日は付き合ってくれなかった。気持ちはいいけど、それほどか? というような感じで生暖かく見守ってくれていた。頭で放送を再現出来る! と興奮していた時も、「よかったわね。」とは言ってくれたものの、少し困ったような笑顔であった。


 「あれからもう100年かぁ……」





 そう、この爺い、岸和田とおるは現在105歳。105歳である。しかし想像する105歳とは全く違う。足腰がしっかりしている、という次元ではない。先ほども語ったが、とても美しい動きをするのである。見た目もいっていて60代。見ようによっては40代後半。なぜか分からないが彼は人より老いが少ないのである。定年退職である65歳の時などまだ30代にしか見えてなかったほど。


 しかし、間違いなくあの初めてのラジオ体操からちょうど100年経ったのだ。

 

 「ふぅ、なんか今日はいつも以上に身体が軽くなったのぅ。また何かを掴んだか……。なにっ!? 」


 いつものように体操を終わらせて、いつものように気持ちよくなり、いつものように日常を始めようとした時、突然眩しい光に包まれた。






 「ふふふ、久しぶりの達成者が来たと思ったら……。なんて面白いスキルなんだよ! なんだよ、ラジオ体操って! 」


 





 光の中からそんな子供のような驚いた声が聞こえた……。




 「ふふふ、久しぶりの達成者が来たと思ったら……。なんて面白いスキルなんだよ! なんだよ、ラジオ体操って! 」



 不思議な光の中から、驚いたような、それでいて楽しそうな子供の声が聞こえた。


 「君、本当に面白いね! 戸惑ってるはずなのに全く表面に出さない! 正直君を部下に欲しいほどだよ! 」


 さっきから聞こえてる声が、もっともっとテンションを上げて聞こえてくる。とおるは爺いにしては若者が読む、異世界転生ものを楽しく拝読していたために、ただの爺いよりも若い人達に近い感覚を持っていると自覚している。


 だから思う。これは異世界転生、神様案件だな、と。建太と孫の宗介が見てたよなぁ。ワシも大好きな設定じゃった、と納得をしていく。美代子が亡くなった後、とおるは仕事もせず、年金を使い、生活の全てをネットで賄っていた。空いた時間を息子の建太と、孫の宗介が大好きだった、異世界転生ものの小説を読み漁っていたとしても、誰からも文句も出なかった。


 「貴方様は神様……ということですかな? ワシは死んでしまったのでしょうか? 」


 「本当面白いね、君。僕はね、三千世界を管理する管理人なんだ。君たちからすると、もしかしたら神様ってことになるかもね。今、君たちが生きているこの世界を作ったのは僕だから。」


 「管理人……でございますか。それでワシは……? 」


 「あぁ、ごめんね。君は死んでないよ。っていうか、信じられないくらい健康体だよ。今回この場所に呼んだのは、達成者にご褒美をあげるためなんだ。」


 「先ほどもおっしゃっておりましたな。達成者……。すいませぬ、ワシには何のことだか分かりかねまして……。」


 「そうだよねぇ。達成者なんてもう二千年は出てなかったし、前回も違う世界だったからね。地球では最高でも60くらいかな? 」


 「はて? 60ですか? 」


 「大丈夫、ちゃんと説明するよ。心配しないで、分かってないことを分かっているから。」


 不思議な空間で眩しいわけではないが、ずーっと光っている何か、自分では管理人と言っている存在が優しい口調で話し始める。


 「まずね、ボクがこの世界を作るのに『スキル』っていう設定を作ったんだ。生産系とか戦闘系、芸術系もあるね。本当に沢山作ったんだよ。」


 この『スキル』っていうのは本当に多々あるようで、『剣術スキル』や、『体術スキル』、『鍛治スキル』や、『歌唱スキル』など……。生活スキルもあるということだった。


 「それでね、スキルを獲得して伸ばし続けてる子達にはご褒美を用意していたんだ。能力付与、アビリティっていうのかな? それを各レベル10毎に付与してあげるようにしていたんだ。」


 管理人が言うには、スキルにはレベルがあるらしい。きちんと努力をし続けていれば、そのレベルは上がる。さらに10レベルずつ、ご褒美でアビリティを付与していくようだ。


 「地球でもいたでしょ? 達人とか、匠って言われてる人。その子達が大体レベル50くらいだね。50までのアビリティは、そのスキルを使いやすくしたり、補助するようなものが多いんだ。補助って言っても有る無しじゃ全く違う。生産系なら簡単な鑑定や完成系を想像できたり、戦闘系なら動きが全く変わってくる。スポーツとかでもそうだね。50を超えると一流って言われるくらいになるよ。」


 これにはとおるもビックリしている。確かに達人や匠という一流の方達はいた。それがスキルの影響、アビリティの影響だったとは。どうやらレベルの上がりやすい、才能の高い低いもあるようだが。


 「これでね、50から上はアビリティの質が格段に上がるように設定してたんだよ。ご褒美だからね。こうあればいい、というような強い願いをアビリティとして付与するようにしてたんだ。すごいよ? 剣術スキルだと斬撃が飛んだりね。流石に60を超えてくる子達はほとんどいなかったけどね。」


 「なるほど……。それで達成者というのは……? 」


 「そう、達成者だよね。これはレベルを上限まで上げたもの、100まで上げた者の事をいうんだ。」


 「……?! それがワシだと……? ワシ、そんな達人でも匠でもありませんが……。」


 「それなんだよねぇ。なぜか『ラジオ体操』っていうスキルがレベル100になってるんだよ、君。」


 「ラジオ体操がスキルなんですかの? そんなスキルでいいんですかな? 」


 「ボクもよく覚えてないんだけど……。でもスキルに認定されてるってことはボクが設定したってことなんだけど……。」


 






 ……これは実は100年以上前、管理人が酔っ払って設定したものだった。彼は完全に忘れているが、先輩管理人が遊びに来た時に、地球上で発明されたお酒、ウイスキーを自慢がてら振る舞っていた時。あまりの美味しさに先輩も彼も朝まで飲んでしまい、その時地球の日本で朝早くから全国の子供達が同じ動きをしていて。ラジオの音に合わせて多くの子供達が動くのがツボにハマったらしく、ついこの動きをスキルとして設定してしまったのだ。








 「まぁ、スキルになってしまったからにはね、仕方ないよね。それで君は達成者だからね。何でも言って? 出来ないことは基本ないと思ってくれていいよ? 」


 「何でもですか……。ワシはもう1世紀も生かせて頂きましたし、別段欲しいものは……。」


 「若返りとかでもいいんだよ? 前回の達成者はそれにしたよ。」


 「前回のですか……。どんなスキルだったのかは聞いてもよろしいので? 」


 「もちろんいいよ。『魔法スキル』だったかな? 凄く違法ギリギリの延命をしてね。達成した時は300歳超えてたかな? それでご褒美で若返りを選んだんだ。20歳くらいになって元の世界に戻ってね。その時にはアビリティも凄いものになっていたから、何でも思い通りだったんじゃないかな? すぐに欲に溺れて、魔王って呼ばれてたよ。30年くらいで他の人間に討伐されたけどね。フフフ、面白いよね? 」


 「なんと……。魔法ですか……。やはりそういう世界があるので? 」


 「うん、あるよ。剣と魔法の世界。地球も自慢の世界だけど、その世界もボクの自慢なんだ! 

  ……っていうか疑問はそれ? 」


 「いや、そういう世界に憧れもありましての。ところで300歳を超えていた、ということですが、なぜワシは105歳で達成できたのですかの? 」


 「あぁ、それはね。毎日ボーナスっていうのも設定してたんだよ。」  


 「毎日ボーナス……? 」


 「そう。1日も休まず、毎日スキルを活用していたら一年でレベルが1上がるようにね、設定してたんだ。」


 「そうなのですか……。しかしそれだと達人などはもっといても良さそうに感じますが……。」


 「君は毎日っていうのを甘く見てるね。どれだけ才能があってもレベルを上げるのは大変なんだ。スキルを使用するってカウントされるには大体1時間は使用しないとね。毎日何十回か素振りをしても毎日ボーナスはつかないんだよ。」

 


 「しかし、ワシ、1時間もラジオ体操してませんが……。せいぜい数分くらいかと……。」


 「……うん。そうなんだよね……。何考えてたんだろ? 当時のボク……。」


 「やはり毎日ボーナスがないとレベルは上がりにくいんですかの? 」


 「そうだね。例えば364日毎日スキルを使用するとしよう。で、1日だけ休んだ。それだと才能で多少は違うけど、0.3くらいにしかならないんだ。だからボーナスなしでは大体3年に1レベルって感じなんだよ。ただ、50レベル超えてくる子たちは本当に1日も休まず鍛錬していたからね! ただ、やはり年には敵わなくなって、レベルはそこで打ち止めっていうのが多かったみたいだね。」


 地球上での達成者がいないのも納得である。なにせ、100歳を超えるのも少ないのだ。その上、100年間毎日鍛錬するなど……。老人虐待かと疑われてしまう。だからラジオ体操が特別なのだ。


 しかも初期アビリティから体調管理系のものが多かった。そのせいで成人してからも、とおるは人より老いが遅かった。病気も怪我もなんのその。過保護なラジオ体操が全て癒していったのだから。


 「それでは毎日同じ時間に目が覚めたり、ラジオ体操の放送が頭の中で完全再現されたりするのは……。やはりアビリティということなのですかの? 」


 「あはは。本当に面白いよね? そうだよ、アビリティ。こうであればいいっていうのを体現するのがアビリティなんだけど、普通そういうの願う? 目覚ましとステレオあればいらないんだよ? 」


 「ワシにとっては本当に嬉しいアビリティですぞ。いや、本当に。最高のご褒美ですので。」


 「まぁ、それだったら良かったよ。それで? 達成ご褒美はどうする? 若返る? 」


 「いや、実はですの。ワシの中の少年がまだ残っておったようでですの。その……、剣と魔法の世界に転移させてはいただけないかと……。」


 「えっ? 君、若く見えるけど105歳でしょ? それでいいの? 」


 「はい。地球では愛する妻にも先立たれ、子供も、孫も立派に独り立ちしておりますので。もう1世紀生きましたので、別の世界も見てみたいと……。」


 「あははは! なるほどね。いいよ、そしたら自慢の世界にご案内しよう! でも、凄く苦労すると思うよ? 覚悟はいい? 」


 「もちろんですじゃ! 何だかワクワクしてきましたわい! 」


 「うん……。本当に苦労すると思うんだけどね。そんなにキラキラした目を見せられたらね。じゃあ早速……っとその前に、ここでの話は他言無用だよ? スキルを認識されたら面白くないからね。まぁ、禁則事項は話せないように制限させてもらうけど。」


 「分かりましたですじゃ。しっかり楽しんできますですじゃ。」


 「うん、行っておいで。どれだけ楽しめる時間があるかは分からないけど、君の旅立ちを応援させてもらうよ! 」


 「はい! 色々本当にありがとうございましたですじゃ! 」





 ――『転移』――


 


 とおるの身体が光に包まれ、スゥッと消えていった。


 「しかし、本当なんであんなスキル作ったんだろ? まぁ悪い子じゃないし、面白いからいいか。」


 管理人は全く思い出せそうにない。どれほど酔っ払っていたのか……。しかし、とおるとの会話も楽しかったらしく、後悔している感じではなかった。


 「レベル100のアビリティって何なんだろ? あの子が願うものの究極って興味あるなぁ。どれどれ……。っ?! 『最適化』って! ものすごい貴重なアビリティじゃないか! これならもしかしたらあの世界でも楽しめるかも……。もう会うことはないけど、貴重な達成者だからね。楽しんでくれるのを願っているよ。」





 管理人はアビリティをしっかり見ていなかった。実はレベル100アビリティには隠しアビリティが設定されていたのだ。酔った先輩管理人によって……。



 ――『不老』と……――








 眩しい光が落ち着いた頃、少し肌寒いくらいの風を感じたトオル。くんっと息を吸うと緑の香りを強く感じる。


 「おぉ……。ここが……。」


 周りはこれぞ森! という感じの大きな木が、生えていた。地球と植生も似ているのか、本当に異世界かどうかの確信はもてない。しかし、あの管理人が嘘をつく必要もないし、天性の人を疑う事を知らないトオルはここが異世界だと確信していた。


 「さて、森に転移したのはいいが、これからどうするかのぉ。ワシ、何にも持ってないぞぃ。靴も履いとらんし……。」


 そう、ラジオ体操の後で転移しているので、動きやすくはあるが森に来るような格好ではないのだ。こういう時は最初に水の確保だな、と異世界転移ものの定番に沿っていくことにしたトオル。水の音でも聞こえないか、と思い耳を澄ますが、そんなに都合よく近くに川があるはずもなく、木々が風で震える音や、生き物の鳴き声が遠くに聞こえるくらいだった。


 「困ったのぉ。果物でもあれば水分補給はできるんじゃが……。」


 とりあえずまだ日も高いようなので、周りを動いて回ることにした。かなり土に栄養があるのか、さまざまな植物が生えている。アマゾン熱帯雨林などがこんな感じじゃったかな? など、行ったこともないのに歩きながら食べられそうな草や果物のようなものを集めていく。





 2時間ほど歩き回った時、近くでガサっと何かが動く音が聞こえた。


 「むっ?! 動物か?! 」


 少し身構えながら音の下方向を見つめる。そこから現れたのは中型犬ほどはあろう、角の生えたウサギだった。


 「!!! ウサギ?! いや、角があるぞぃ! 魔物というやつではないか?! 」


 両手いっぱい集めていた食料を下に落とし、身構える。しかし、トオルは少年期に少し中国拳法をしていただけで喧嘩をした経験もない。戦うことなどできるはずもない。


 「逃がしてくれるかのぉ。とんと怪我などした事はないが、痛いのは嫌じゃ……。」


 ウサギも腹が減っているのか、逃がしてくれる様子もない。ジワジワと距離を詰めてくる魔物。ゴクリと唾を飲み込む音が、自分で出したと信じられないくらい大きく聞こえた。心臓もバクバクなっている。その時……。


 右脇腹に強烈な痛みが走った。


 「ぐぉぉおぉお!!! 」


 痛みに思わず叫びを上げた時、ウサギの角が刺さっているのに気がつく。飛びかかってきて刺したのだ。全く気がつかなったほどのスピードで。


 「ぐぅう……。なんのこれしき……! 」


 頭を掴み引き抜くと、とりあえず近くの木にぶつける。


 ドカッ! っと大きな音がしてウサギの魔物も弱らせたか? と見てみるが、普通にスクっと立ち上がる。


 「ヤバいのぉ。こりゃ敵う気がせんわい。転移したばかりでこれか……。」


 生存の可能性はかなり低い。諦めかけていた時、ウサギの後ろから木が襲いかかった。いや、木と間違えるくらいの太さのヘビだった。


 「うお! なんじゃ、この大きさ! しかし今なら……! 」


 ウサギを丸呑みしよとヘビが大きな口を開けた瞬間、トオルは逃げることにした。落とした食料をつかめるだけつかみ、脇腹の痛みをグッと我慢して思い切り走った。走りまくった。10分ほど走った時、危機は去ったと思った。その瞬間、身体は震え始めドッと冷や汗が流れ出るのを感じる。ペタッとその場に座り込み、大きくため息をつく。


 「ふぅ……。ありゃヤバすぎじゃろぅ……。流石に死ぬかと思ったわい。今のうちに身体を隠せる場所を探さんと……。」




 

 その後は小さな音を聞き逃すことをないように、周りを警戒しながら身を隠せる場所を探した。


 小さな丘を見つけ、ここなら、と思い体一つくらい入る穴を掘る。もちろん素手で。爪は剥がれるは、手のひらは傷だらけになるはで、散々な状況だったが、一心不乱に掘り続ける。ある程度惚れた後、周りの木々から枝を数本折り、穴に座り込んだ自分を隠すように塞ぐ。


 身体が完全に隠れると安心したのか腹がなる。


 「腹が減ったのぉ。このリンゴのような果物が二つだけか……。まぁ仕方ない。これを食べて少し眠ろう。」


 あたりは気がつくともう暗くなっていた。果物を齧ると、甘味は一切なくただ酸っぱいだけの果汁が口に広がった。


 「くぅ!! 酸っぱい!! しかし、しっかり果汁はあるんじゃ、貴重な水分。蓄えとかんとな。」


 あまりの酸味に鳥肌を立てながら二つとも完食する。明日にかなりの不安を感じながら、しかし相当疲れていたのかすぐに瞼は落ちる。腹の痛みと両手の痛みを我慢しながら、それでもすぐに眠りに落ちた。







 ぱちッと目が覚め、今の状況を思い出す。


 「あぁ、そうじゃ。異世界に来たんじゃったな……。痛みはまだまだあるのぉ。これからどうするか……。」


 これからどうするか悩んでいたら頭の中であの爽快な音楽が流れ始めた。


 「そうじゃな……。まずはラジオ体操をしてから考えよう。」


 100年続けた習慣はものすごい。かなりの不安のはずなのに、身体は動き始める。痛みが全身に走るが、なんとか体操をし続ける。いつものように汗をかき、さまざまな不安や痛みが引いていく気がする。そしてついに体操を終えた時、身体が震えた。


 


 周りに他の人が居たら言っただろう。


 『全身が淡く光っていた』と。




 そう、最適化が行われた。あのレベル100のアビリティだ。それと同時に80アビリティの怪我修復と、90アビリティの全ての状態異常回復も。


 怪我は全て治り、微かに毒性を持っていたあの果物の毒も綺麗に無くなった。そして、もう二度とウサギの角で怪我をしないように身体は頑丈に作り変えられた。






 過保護な最適化の爆誕である。




 身体が淡く光り、ゆっくりと収束していく感覚が残る。


 「むぅ……。何とも不思議な感覚じゃのう……。」


 トオルは両手を見つめながら、少し動かしてみた。昨日の掘削で爪は剥がれ、手のひらには無数の傷が刻まれていたはずだ。しかし、今は驚くほどきれいな手がそこにあった。しっとりと潤いすら感じられる。


 「痛みもない……。まるで若い頃の手じゃ……。」


 脇腹も確認してみると、角で刺された傷口どころか、血痕すら残っていない。見事に完治しているのだ。


 「なんじゃこりゃあ……。これが最適化の力かのぉ……。」


 驚きとともに、ふつふつと湧き上がるのは喜びだった。100年間毎日ラジオ体操を続けた成果が、ここまでの力となって返ってくるとは思わなかった。管理人が酔った勢いで作ったスキルとはいえ、異世界でこれほどの恩恵を得られるとは、まさに神の贈り物である。


 「しかし、これだけで安心はできん。腹も減っておるし、これからどう動くかじゃな……。」


 トオルは昨日隠れていた穴から這い出し、周囲を慎重に観察する。夜の間に大きな動きはなかったようだが、油断は禁物だ。再びウサギの魔物やあの巨大なヘビに襲われたら、今度は最適化が間に合うかどうかわからない。


 「まずは水じゃな……。食べ物よりも水がないと持たん。」


 再び耳を澄ませてみる。昨日よりも慎重に、細かい音にも注意を向ける。


 ――ポツ、ポツ……ポツポツポツ……。


 遠くから微かに、水の滴る音が聞こえた。


 「おぉ……? あっちの方か?」


 すぐに音の方向へ慎重に進む。森の中を歩く音も最小限に抑えながら、1歩1歩確実に進んでいく。



 5分ほど進むと、木々の合間から小さな泉が見えた。水面は穏やかで、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。


 「助かったのぉ……。」


 思わず声が漏れる。トオルは辺りに注意を払いつつ、ゆっくりと泉に近づいた。幸い、魔物の気配はないようだ。屈んで手のひらで水をすくい、少し口に含む。


 「んん……? これは……?」


 ただの水ではない。ほんのりと甘みがあり、口に含んだ瞬間に身体がじんわりと温かくなるような感覚が広がる。


 「こりゃあ……ただの水ではないな……。」


 最適化された身体がすぐに反応する。この水はただの水ではない。明らかに何かしらの回復効果、あるいは魔力的な作用があることを本能的に理解していた。


 「この水……貴重なものじゃな……。」


 しかし容器がない。水を持ち運ぶ手段もないため、今はとにかく身体に取り込むしかない。ゆっくりと何度も水をすくい、喉を潤した。


 「ふぅ……。生き返るわい……。」


 喉の渇きが癒され、心なしか体力も回復しているように感じる。これで少し余裕ができた。


 「さて、今のうちにもう一度確認しておくかの……。」


 トオルは昨日の異常な回復力と、身体の変化についてもう一度整理することにした。


 「まずは、最適化……。こりゃあどうやら身体が自動的に最も良い状態に戻してくれるようじゃな。」


 まるで100年間のラジオ体操で培われた健康の極致が、異世界でも維持され続けるかのようだ。


 「そして、怪我の修復と状態異常回復……。こいつも毎朝のラジオ体操とともに自動で発動するんじゃな……。」


 さらに昨日の戦いで分かったことがある。


 「ダメージを受けた時も、自動的に身体を頑丈にして再発しないようにしておる……。」


 つまり、刺された部分はもう二度と同じ攻撃では傷つかないほど強化されているということだ。


 「なんとも過保護な……。まるでワシ専用のチートスキルじゃのぉ……。」


 だが、トオルは浮かれることはなかった。どれだけ身体が頑丈でも、油断すれば命を落とすことになる。それは100年間、健康と向き合ってきたトオルだからこそ、よく分かっていた。



 「次は……安全な拠点作りじゃな……。」


 周囲をもう一度見回す。泉の近くでありながら、魔物の気配が薄い場所を探す。少し歩いたところに、大きな木の根元がくぼんだ場所があった。


 「ここなら、ある程度身を隠せそうじゃ……。」


 木の根を利用して、簡易的なシェルターを作ることにした。幸い、周囲には枯れ枝や大きな葉っぱも多く落ちている。それらを集め、木の根元を囲うように積み上げる。これで簡単な風除けと視界の遮断はできた。


 「これで夜は少しは安心じゃな。」


 穴の中よりも格段に快適で、少しばかり安心感が増した。



 翌日、トオルは再び食料探しに出かけた。


 「水は確保できたが、食べ物も探さねばな……。」


 森の中を慎重に歩きながら、果物らしきものを探す。すると、少し先に赤紫色の果実が鈴なりに実っている木を見つけた。


 「おぉ、これは……食えそうじゃの。」


 ひとつ手に取り、慎重に匂いを嗅ぎ、舌先で少しだけ舐めてみる。苦味もなく、毒の気配もない。


 「まぁ、大丈夫じゃろ。」


 意を決して果実をかじると、意外にも甘酸っぱい味が口の中に広がった。


 「んんっ?! これは意外とうまいのぉ!」


 喜び勇んでいくつか収穫し、シェルターに持ち帰った。食べながらふと気づく。


 「ん? なんじゃ、この感覚は……?」


 再び身体が淡く光り始めた。


 「ま、まさか……この果実の成分まで最適化しとるんか?!」


 そうなのだ。トオルの身体は食べた果実の栄養素を最大限に引き出し、身体の中で効率よくエネルギーに変換していた。単なる果物ではなく、異世界の成分さえも最適化の対象になっている。


 「これなら栄養不足も心配いらんのぉ……。」


 最適化の力は予想以上だった。トオルはこの異世界で、確実にサバイバルの基盤を築きつつあった。




 そんな生活が3日ほど続いた頃――。


 「む? あれは……?」


 森の奥から、カサカサと草を踏みしめる音が近づいてきた。


 トオルは咄嗟に身を隠し、様子を伺う。そこに現れたのは――


 「……人間?!」


 ボロボロの布をまとった少年だった。年の頃は10歳くらい。痩せこけており、顔には疲れと恐怖の色が濃い。


 「助けを求めておるのかのぉ……?」


 トオルは迷ったが、100年間のラジオ体操で培った精神は、見て見ぬふりなどできなかった。


 「おーい、大丈夫かの?!」


 声をかけると、少年は驚いて身をすくませたが、トオルの優しい顔を見ると、ほっとしたように近づいてきた。


 「おじいちゃん……助けて……。」


 か細い声でそう呟く少年を、トオルは優しく抱きかかえた。


 「よしよし、大丈夫じゃ。ワシがついとるぞい。」


 この出会いが、トオルの異世界での本格的な冒険の幕開けとなることを、彼はまだ知らなかった――。


 


 トオルの新たな旅路は、たったひとりでは終わらない。この少年との出会いが、さらなる奇跡と試練を呼ぶことになるのだった。


 「さて、ワシの冒険も、これからが本番じゃのぉ……。」


 最適化された身体と、不屈の精神。異世界での新たな一歩が、今、始まろうとしていた。



 

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