第4話 勝ち気なアイドルも妹には弱い
これじゃあシノに会えないな、と一旦諦める。
他の方法……はまだ思いつかないけど、放課後までにはなにかいい案が浮かぶだろうと他人事のように考える。
思い詰めたところで煮詰まって焦げ付くだけだ。絶対に今日会わないといけない、なんてこともない。
追い立てられるように芸能クラスの教室がある廊下を抜ける。
そのまま階段を下りながら目指すは購買部だ。
お腹は空きっ腹。
まだまだけたたましいセミの鳴き声にも負けない音がお腹から響いた。
「けど、いいもの残ってないだろうなぁ」
激戦タイムは終了している。
売れ残っているのは、味気ないかキワモノのパンだろう。ハムとパクチーのサンドを思い出すと物悲しくなる。
せめて具がなくてもいいからおにぎりでも残っていないかと淡い希望を抱いていると、後ろからたったと走ってくる足音が聞こえてきた。
廊下は走るものじゃないよー。
人のことを言えない俺が、心の中でそんなことを思いながら丁度一階まで下りきった時、背中を強い衝撃が襲った。
「ぶべ」と息が詰まる。
勢いに押されるまま、つんのめるように前に押し出される。危うく倒れそうになったところをどうにか堪える。
危ない。
一体誰だこのやろーと吊り上げた眉が、突き飛ばしてきた者の正体を知った瞬間、落ち込んで八の字を描いた。
「うぇ」
「どういう意味、その反応」
片足を浮かせたシノが、ぶすっと不機嫌そうに下唇を持ち上げていた。
どうって。
「出会っちゃいけない人に出会ったような?」
「もう一発いっておく?」
浮いた足をゆらゆらと揺らす。
やっぱり蹴ったのか、その足で。
「ぼうりょくはんたい」
「ふん」
鼻を鳴らされた。
この状況を喜ぶべきかどうか、少し悩む。
シノに会うという当初の目的は果たしたので、わーいと両手を上げればいいのかもしれないけど、その不機嫌そうな顔を見るとどうにも不安が先に立つ。
さっきの子もそうだけど、機嫌悪いのが芸能クラスの標準なのだろうか。近寄り難い存在だ。恐ろしいという意味で。
「こそこそ人のこと嗅ぎ回ってるからでしょ」
「会いに来ただけなんだけど」
棘のある声音にこっちもちょっとむくれて見せる。
というか、
「気付いてたんだ」
「教室の入口であれだけ騒いでれば当然でしょ」
バカにしてるのかと睨まれる。
別にバカにしてるつもりはない。ただ、俺とて言い分はある。
「だって、こっち見向きもしなかっただろ」
一瞥もくれないで、窓の外を見続けていた。その姿は絵にこそなっていたけど、俺が来たことに気付いたような反応は一度も示さなかった。
言うと、見るからにこちらをバカにしたようにジト目を向けられる。
「教室で反応できるわけないでしょう」
「まぁ、それもそうか」
大手を振って『ヨゾラくーん』と笑顔で出迎えられても困っていただろう。鳥肌も立っていた。それなら、こうして後から追ってきてくれた方が助かるというのもわかる。わかるが、
「蹴る必要はなかった」
「べー」
舌を出された。はらたつ。
怒りのボルテージがぐんぐん上がるが、「で、なんの用?」と促されて爆発一歩手前で堪える。
せっかく得た機会だ。
ここでシノが悪い悪くないの応酬をして時間を無駄にするわけもいかなった。俺は大人と自分に言い聞かせて、荒ぶる心を沈静化させる。
「シノは――」
口を開いて、
「あー……」
訊こうとした質問が喉で止まった。
「……? なによ」
「なにって」
それはアイドルを辞めた理由についてだと、もう一度口にしてみようとして、やっぱり止まる。別に声が出せなくなったわけではない。ただ、口にするのを悩んでるだけだ。
訊いていいものか、て。
ここまで来ていまさらな話ではあるのだけど、シノの顔を見たら黄色信号を見た時のような躊躇いが生まれてしまった。
行くべきか、止まるべきか。
小さな葛藤。
ユウさんのためって思ったけど、理由を訊くことがユウさんのためになるかは別なんだよな。それはシノにとっても。
そんな当たり前のことに土壇場で気付いてしまった。
そもそも、素直に答えるとも思えない。そのつもりだったら、メッセージを送った時点で返答しているはずだ。しなかった、ということが明確な返答だったのかもしれない。いや、深読みしすぎな気もするけど。
シノを見ると、黙り込んだ俺を訝しんでおり、「なにか言え」と迫ってくる。
どうするのが正解か。
久しぶりにフル回転する脳が導き出した答えは取り下げ。もうちょっと慎重に行動しようというものだった。
代わりに、
「ユウさんが心配してる」
とだけ、俺が来た動機を簡潔にだが伝えておく。
それだけでも伝わるものはあるのだろう。
意表を突かれたように目を見開いたシノは、これまでの勢いが嘘だったように消沈し、気まずそうに床に視線を落とした。
白い素肌を晒す腕を擦って、
「……そう、なんだ」
喉を絞るように、弱々しい声を出した。
さっきまでとは別人のような儚さを見せる。触れたら溶けて崩れてしまいそうな、雪像のような淡さ。
今の状態で尋ねればアイドル引退についても話してくれそうだけど、弱みに付け込むようで嫌だし、ここで追い打ちをかけるほど俺も鬼ではなかった。
「なんでもいいけどさ」
意識を誘うように言って、
「メッセージは見ろ。そして返せ」
文句は言っておく。
そもそも、返事の一つもあれば芸能クラスに行くなんて面倒な真似をする必要もなかったんだ。誰が悪いかと言えば、だいたいシノが悪い。
目元に影を落としていたシノはこちらを見ると、なにかを堪えるようにぐっと下瞼を持ち上げる。ふんっと鼻を鳴らして他所を向いた。
「いろんなところからの連絡が鬱陶しくって、電源切ってたの」
少しは悪びれろ。
そう思うも、言葉にはしなかった。
今日はこのぐらいで勘弁してやると、池に映る月のように揺れる瞳を見て、そう思ったから。
◆第2章_fin◆
__To be continued.





