第4話 人気アイドルの引退。双子の妹への影響。
阿鼻叫喚というのは、こういうことを言うんだろうなぁ。
人ごとのように教室を眺めながら、そんなことを思う。
級友が昼休みに投下した爆弾は、爆発が爆発を呼び学校中に広がっていった。
級友に詰め寄る子。
泣き崩れる子。
ネットで真偽を確かめようとする子。
どうあれ、夜明けのアイドル引退発言によって、誰も彼もが混乱の中にいた。
その混乱は学校を巻き込むまでに波及して、
「個人のことなので、深入りはしないように」
と、臨時ホームルームまで開かれる始末。これが普通の高校なら、ここまで大きな騒ぎにはならなかったのだろうけど、自分の学校を代表する身近なアイドルだっただけに、衝撃は火山噴火ぐらいはあったのだろう。至るところでその余波が広がっている。
学校側もこれはもうダメだと諦めたのか。
放課後……というには、時刻は本来六限目が始まるぐらいで早いのだけれど、授業にならないと判断されたか残りは中止。臨時ホームルームはそのまま帰りのホームルームとなって、わけもわからないままさようならとなった。
……それではい解散、となるわけもないのだけど。
「なんで急に引退っ!?」「本当なの!?」「ネットのどこにもそんなこと書いてないけど!」「この前だって、CD発売の握手会やってたよ?」「ライブだってあるのに」「どこ情報」「でも学校側は否定しなかったし」「やーめーなーいーでー」「あわわわわ」「ちょっと先生に確認しようよ」「今日登校してるのかな」
せっかく早まった放課後だというのに、尽きない衝動と話題に喧々囂々。答えの出ない課題を出されて、永遠と終わらない会議のように言葉をぶつけ合っている。
これはしばらく燃えそうだ。
SNSでよく見かける炎上を、まさか現実で目にするとは思わなかった。暴動の一歩手前ぐらいの雰囲気があってちょっと怖いぐらいだ。
静かなのは夜明けのアイドル引退爆弾を持ち込んだ級友と――
「……大丈夫?」
自分の席に座ったまま、遠くを見るようにぼーっとしているユウさんぐらいだった。
朝に昼に。
暇さえあれば俺のそばに来ていたのに、夜明けのアイドル引退爆弾を聞いてからというもの、心ここにあらずといった状態になっている。
一応、俺の言葉は聞こえているようで、「……うん」と返事をしてくれるけど、レスポンスが悪すぎる。サーバー攻撃でも受けているんじゃないかってぐらいの反応の遅さだ。
普段も早いというわけじゃないけど、今日は極端にすぎる。亀だってもうちょっと早く歩ける。
誘われたなら別だけど、今日は一人で帰るつもりだった。
……だったけど、セミの抜け殻状態のユウさんを置いていくのは、後味が悪いし、なにより心配だった。
誰かに付いていったりしないか、車に轢かれないないか。
そんな不安を抱えて帰るよりも、家まで送った方が健康的なはずだ。なんだか、初めてのお遣いを娘にやらせる親の心情ではなかろうか、これ。
一児どころか、彼女すらできたことないのに。
「あー……帰る?」
まさか俺から誘うなんてと思いつつ、照れくささもあり頭の後ろをかきながら聞いてみる。
そうすると、ゆっくり小さくだけれどこくりと頷いてくれた。
その所作がまた幼く見えて、やっぱり親の気分だなぁとなんとも言えない気持ちになって、唇がもにょもにょするのだった。
■■
商店街まで続く長い山道を下っていると、この姉妹の関係もわからないよなぁって、そんな考えが頭に浮かぶ。
それは、ユウさんと一緒に帰っていても会話がなかったから、考える暇があったというのもあるが、やっぱりアイドル活動引退に引っ張られているんだと思う。
ただ、どれだけ学校中が騒ぎになろうと、アイドルの引退だけだったら、ふーんと鼻を鳴らしてそんな話題忘れたはずだ。そこまでアイドルというものに興味がない。
でも、夜明けのアイドルは友達で、一緒に帰っているのはその妹だ。日常の繋がりがあると、どうしたって意識しないわけにもいかなかった。
で、天津の姉と妹。その関係。
俺からの印象は姉からの妹への一方的な愛だと思っていた。
やけに重く、かといってベタベタするわけでもない。端的に言えばシスコンで終わるのだけど、それだけとも言えない感情があるのもなんとなくは察している。
でも、それは空から雨が降るように一方向だと思っていた。地面から雨が降る、なんて言葉が少々おかしいが、そんなことは起こりえないとばかり。
けど、実際はそうでもないようだと、歩幅小さく、隣を歩くユウさんを見る。
「……」
夏休み前のおどおどした様子とも、教室で話しかけてくるような積極性とも異なる、彼女の知らない一面。その内側でどのような感情が渦巻いているかは、薄い表情からは読み取れない。
でも、そうなった発端が夜明けのアイドル、というか、姉であるシノの引退にあるのは間違いないはずだ。
正直、こんなに動揺するとは思わなかった。
姉を嫌っている、ないし遠ざけようとしているとばかり思っていたから。
愛し憎し。
アンビバレンスということだろうか。兄弟姉妹のいない俺にはよくわからない感情だった。
「お昼、食べれなかったね」
「…………うん」
「お腹空いてる?」
「…………ううん」
聞いてる、んだよね?
返事のバリエーションが『うん』と『ううん』しかない。
うが一つ多いか少ないか。
無言よりは気を紛らわせるだろうと話題を振ってみたけれど、生返事しかない現状は果たして無言とどちらがいいのか。
ちなみに、俺はお腹が空いている。騒ぎのせいで購買すら行けなかったからだ。おのれシノ。
ここにはいないアイドル様に八つ当たりをしつつ、お腹を撫でる。
帰りにラーメンでも食べに行こうかな。抜け殻のユウさんを伴ってというわけにもいかないので、送ってからだけど。
でも、このまま会話なしというのもお辛い。かといって、気遣った話題じゃ『う』と『ん』しか返ってこないのは実践済み。一人で話しているようで虚しくなってしまう。
少し怖いけど。
唾を飲みつつ、それとなくシノの話題に触れてみることにする。
「シノがアイドルを辞めるって、本当なのかね」
「っ」
ユウさんの肩が震える。
効果は覿面。突っぱねるように「……知らない」と返してくるのは、いい傾向と受け取るべきか。爆弾処理でもしてるようなドキドキ感がある。
「アイドル引退の話も、職員室でちらっと聞いただけらしいし、実際のところはわからないよね」
「そう、……だけど」
目を伏せる。元々遅かった歩みが、止まりそうなほど遅くなる。
「気になる?」
「……気にしない」
肩に重く伸しかかっていたものを振り払うように、スタスタと足取りが早くなる。
少しは気を持ち直したかな?
なかなかに危険な処理だったと額の汗を拭う。
しかし、気にしない、ね。
なんだか本音が見え隠れしているけど、これに触れたらばーんっと弾けそうなので見なかったことにする。
爆発するとわかっている爆弾に触れるのは、勇気ではなくただの自殺願望者でしかない。幸い、俺にはスリルを楽しむ感性は薄い。絶叫系も苦手だった。
「ジェットコースターに乗る人の気持ちって、わからないんだよなぁ」
「……? なんの話?」
なんの話だろうね。
きょとんとするユウさんに肩を竦めて見せて、たっと一歩、前に出る。
ご飯を食べて、寝て、明日になって。
全部丸く収まっているといいなぁ。そんな安易で、子どもみたいなことを願ったけれど、たぶん、そうはならないんだろうと頭の冷静な部分が判断している。
その願いが叶うには、夜明けのアイドルは人気すぎるから。





