第3話 夜明けのアイドル、アイドルを辞める
朝が微妙な空気で終わってしまったから、お昼休みはどうなるんだろうと授業中気がかりだった。体育からの数学ですぴーしたけれど、それも頭を悩ませていたせいだろう。
質問攻め……は、ないと思うけど。
面倒になりませんように。
そんな願いが通じたのか、俺の気がかりは肩透かしとなる。
「お昼、食べに行こう?」
鐘が鳴った途端、ユウさんがお弁当を持って寄ってくる。朝に恥ずかしい思いをしたばかりなのに、意外とめげないなと感心する。見た目の小動物感も相まって、メンタルは弱々だと思っていたのに。
この光景を見た同級生が餌に喰い付くハイエナのように詰め寄ってくるかなと思ったけれど、教室内はいつもと変わらない昼休みの喧騒で、仲のいい友人たちできゃっきゃしている。
ちらりと目を向けてくる子もいるけど、それぐらいだった。
これは……気遣われてる?
繊細なユウさんの反応のおかげか、見守る方向になったのかもしれない。それならそれでいいのだけれど、観察されていると思うと背中が痒くなる。アイドルが変装して街中を歩く理由も、こういうことなのかもしれない。
「じゃあ、そうしようか」
言った途端、どこかでガタンッと物音がした。
偶然なのか、こちらを見て反応しているのか。自意識過剰ならいいけど、と重い体を持ち上げながら、「購買でなにか買ってくる」と伝える。
「一緒に行く」
付いてくるのか。またガタッと音が鳴る。……普段は物音なんて気にならないのに、意識すると小さな音すら敏感に拾ってしまう現象をなんて言うんだろうか。
「星観くん?」
呼ばれて、なんでもないと手を振る。
そのままユウさんを伴って教室を出ようとすると、開けっ放しの出入口で人とぶつかりそうになる。
「ごめん」
と、咄嗟に謝ったけど、相手を見て瞼が半分落ちる。謝罪はいらない相手だった。が、その顔をよく見て、訝しむようにさらに目を細める。
「……どうかした?」
「……」
ぶつかりそうになったのは前の席に座る級友だ。
元気とウザいと自己中で構成されたような、普段はなかなかにウザい相手なのだが、今日はその元気が鳴りを潜めている。
顔は青を超えて土気色。足元もふらついていて、見るからに健康ではない。ただ、こいつの場合、徹夜でアイドルのライブ映像を観てたとか宣って、こんな顔色になることが稀によくある。心配して損をする。
なので、気遣うかどうか悩んでいると、まるで俺に気付かなかったようにふらふら今にもこけてしまいそうな足取りで教室の中に入っていってしまう。
そのまま崩れるように椅子に座る。というか、落ちる。
死にそうな顔……というか、ゾンビみたい。
そもそも、なんでこんな時間に登校してきたのか。もし俺がこんな時間まで寝坊したら諦める。ふかふかベッドでまた寝るか、遅めの朝ご飯を優雅に食べるはずだ。体調が悪いならなおさら休む。
級友も熱があれば学校休みだー! と元気になるタイプだ。
体調悪いので休みますと溌剌なガラガラ声で電話があったと、渋い顔で言っていた担任教師を思い出す。
となると、ほんとになんなのか。級友が学校にいる理由が謎すぎる。
「……ちょっと待っててもらえる?」
「うん」
ユウさんが頷いたのを見て、教室の中に戻る。
それとなく、他の同級生も気にかけているのか、遠目に級友を窺っている。ただ、普段とのギャップに声がかけづらい。そんな雰囲気を感じた。
「なにかあった?」
「……」
「体調悪いなら、先生に言うけど」
「……」
死にそうな顔なんだけど、間抜けな顔で無視されているようにも見えて殴りたくなる。これが悪ふざけならぐーだ。でも、今日ばかりはそんな雰囲気ではないから、暴力的な衝動をぐっと堪える。
「聞けっての」
苛立ちを乗せて、強めに頭を小突くとよろよろと級友が顔を上げる。
光のない目。
真っ暗な瞳に俺を映しているのがちょっと怖い。
「ヨゾラ……」
「う、うん」
なんか反応まで怖い。
本当になにがあったのか。怖気づきそうになりながらも踏み留まっていると、級友が体を震わせてなにかをぽつりと呟く。
「…………が、あ……て」
「……? なんて」
声がカスカスすぎてまるで聞こえない。
眉根を寄せて訝しんでいると、体の震えがさらに大きくなっていく。
怖い怖い。ホラーかよ。
悪霊に憑かれたのかとこっちが震えそうになっていると、ぶわっと急に涙を流してぎょっとする。
「――夜明けのアイドルが、アイドル辞めるんだってー!」
涙腺が壊れたように滂沱の涙を流す級友。だけど、それ以上に悲鳴のような嘆きの叫び、その内容にこそ愕然としてしまう。
頭痛が痛いみたいな言葉だったけど、そんなのが気にならないぐらいに衝撃の内容だった。
夜明けのアイドルが、シノがアイドルを辞める?
その叫びは大きく、教室だけでなく廊下にまで響くほどだった。騒がしくなる同級生たちを気にする余裕もなく、呆然としながらほとんど無意識に振り返る。視線の先にはユウさんがいて、
「きゅう、し……?」
信じられない。そんな気持ちが伝わってきそうなほど、顔から感情が抜け落ちていた。





