第1話 一夏を終えた同級生の火力(可愛らしさ)が上がりすぎている
『今、なにして、……る?』
八月も中旬。
いつの間にか夏休みは折り返していて、カレンダーを睨みながら休みの残りを数える日が続いていた。
長かった休みも残り二週間かそこら。
短いと感じるか、長いと感じるかは人それぞれだろうけど、バツの増えたカレンダーを見ると俺は残っている宿題を終わらせてしまおうという気持ちにさせられる。
とはいえ、夏休みが始まった頃から手を付けてはいたので、残りはそんなになかったりする。小学生のように毎日書かなければならない日記もない。適当に読書感想文をでっち上げれば、残りの夏は開放感と共に過ごせるだろう。
そうして、座布団の上で昔ドラマにもなっていた探偵物の小説を読んでいると、ユウさんからポコンッとメッセージが飛んできた。文庫本をローテーブルに置いてスマホを手に取る。
控えめ、だけれど構ってほしいという期待と不安が垣間見えるような文章だった。
「今」
宿題をしているわけだけど、はたしてその答えに面白みがあるだろうか。ワントークで終わってしまう。返したところで、そうなんだ以外の返信が思いつかない。
そんなことを思いつつ、気になるのはメッセージの内容よりも、メッセージそのものというか、送ってきたユウさん本人だった。
「ずいぶんと、メッセージが増えたな」
さっと、スマホの画面を上から下に撫でる。ちょっとした時間旅行。過去を遡ると、ここ十日ほどで溜まったユウさんからのメッセージが、文字とともに思い出される。
連絡先を交換してしばらくは連絡の一つもなかったのに。
よくある交換して満足。連絡先の数が一人増えてよかったね、とそんな程度のものだと思っていたけれど、どうやらそんな薄っぺらい関係でもなかったらしい。
慣れたのか、それとも一度メッセージを送ったら踏ん切りが付いたのか。
ユウさんではない俺には、彼女の内心を正確に推し量るなんて真似できはしないけど、きっかけ、というかそうなったタイミングはわかっている。
「学校だよね」
夏休みだというのに学校に行った日。
早朝から我が家を訪ねてきたユウさんに連れられる形で校舎裏に行った。
なにかがあったわけじゃない。
というか、いまだにどうして俺を誘って学校に行ったのか理解していなかった。
授業があるわけでもない。
部活があるわけでもない。
昼休みのように、校舎裏のベンチに座っただけ。……だけ、というには、泣かれて、抱きつかれもしたけど、衝動的なモノで最初からそうしようと思っていたわけじゃないだろう。たぶん。
夏の陽に耐えかねるように、わけもわからないまま解散となって、気付けば毎日のようにメッセージが送られてくる。
内容はこうした他愛のないもので、返信に困っているのも見受けられるけど、同時に頑張りも見える。メッセージのやり取りに頑張りが混ざっているというのも、どうかと思うのだけど。
あの日、ユウさんの心情にどのような変化があったのかもわからないまま、スマホでのやり取りが続いていた。
それが嫌というわけではないけど、なんでだろうという疑問が頭の裏側で、視界の端をチラつくように見え隠れしている。
警戒心の強い小動物に懐かれた。そう思えばいいのだろうか。
「まぁ、ひとまず返信か」
夏休みの宿題中、と。
さて続きをやるかと意気込んだ後、スマホの画面が消える間もなく返ってきたのは『そうなんだ』という一字違わず想像通りの文章で、やっぱりそうだよね、と気の抜けた息が口からもれ出た。
■■
そうこうしているうちに、長かったような短かったような夏休みはあっさりと終わりを迎えた。
余韻というには残暑が厳しすぎるけれど、昼までベッドの上で過ごす時間とはおさらばだ。
頭を焼く日差し。重なるセミの鳴き声。
夏休み前と変わらない登校環境に、時間がループしたような感覚を覚える。ただ、そう感じたとしても残念なことにエンドレスでエイトな夏休みは帰ってこない。
うだるような暑さの中、汗をかきながら山道を登る。
暦の上では秋だけれど、まだまだ快適な気候は遠い。山を登って降りて。変わらない学校生活に戻っていくのかぁと思っていられたのは、教室のドアを潜るまでだった。
「はふ」
火照った体に、冷房の風が心地よい。今にも溶けてしまいそう。
それは一学期ぶりに見た同級生たちも同じようで、額に汗をかきながら夏バテしたように机にへばっている姿がちらほら見られる。でも、やっぱり久方ぶりの友人との再会だからか、語らう声は楽しげだ。その顔に笑顔を乗せて軽快な会話に花を咲かせている子たちもいる。
元気だねぇ。
路上に落ちたアイスのように溶けてしまいそうな俺とは大違いだ。へばへばしながら自分の席に鞄を置く。初日から授業はないが、今日提出する夏休みの宿題が、鞄を重くしていた。
そのまま崩れるように椅子に座る。腰を下ろすと根を張りそうだった。
早く帰りたいなぁ。
夏休み明けの登校にして早々、帰巣本能が発露していると、ふっと影が差した。
なんだろう。
右頬を机で潰すように首を回す。そのまま頑張って見上げると山があった。視界を隔てるそれがユウさんの胸であると遅まきながらに気が付いたのは、しばらく注視してからだった。
うわぷと顔を上げる。危うく頭をふくよかな山にぶつけそうになるも、どうにか躱す。陽炎のように揺れていた脳は、こちらを伏し目がちに見下ろしてくるユウさんの顔を見てようやく覚醒する。
「あ、えっと、ユウさん?」
「う、うん。ユウさん」
戸惑いつつも頷かれる。
その格好は夏休みの間に会っていた時とは違い、レンズの大きい眼鏡に三つ編み。心の中で文学少女モードと呼んでいる、教室でよく見かけるやや地味なものだった。
ここ最近一緒にいる時は眼鏡を外したら美少女モードが多かったので、少しばかり新鮮に感じる。
ユウさんにとっては、素顔を隠した文学少女モードこそ普段の装いなんだろうけれど。
眼鏡の奥に見える宵の星が水面のように揺れている。
「おはよう」
「おは、よう?」
脳は目覚めても、状況の理解が追いつかない。
処理速度が一昔前のスマホ並みに遅かった。ホームページを一つ開くのに十数秒かかってしまう鈍間さがある。
フリーズしかけてる俺を見て、屈託……と呼べるほどの自然さはなく、ブリキの人形のようなぎこちなさがあるけれど、ユウさんはえへっと笑う。とりあえず、俺も笑い返してみる。
「えー、えへ?」
みるけど、状況はよくわかってない。
なんでユウさんに教室で挨拶されてるの?
同級生なんだから、挨拶の一つや二つおかしなことではないのだけれど、二年に上ってからこれまで教室で会話をしたのはこれが初めてだったのだから驚きもする。
それは校舎裏で話すようになってからもで、そうするのが暗黙の了解だと勝手に思っていた。教室で目立ちたくない。そんな思いの現れだと思っていたのが、ユウさんはひょいっとあっさり一線を超えてきた。
ユウさんの行動にぽかーんとしていると、ユウさんはそのまま自分の席に戻ることなく、机の横でしゃがむ。え、なんで。
「どうし、……たの?」
彼女のたどたどしさが移ったように言葉が稚拙になる。動揺で声が震える。
ちょこんっと机の端に両手を置いて、琥珀の瞳を向けてくるユウさんは夏の陽で溶けたように頬を緩ませてはにかむ。
「そばにいたいな、て」
ダメ? と、可愛らしく小首を傾げられ、俺は自分の頬を抓ってみた。痛い。どうやら、夏の暑さにやられた俺の脳が見せる幻ではなかったらしい。
そうなのか。……大事件だ。





