11
「ぁあ……!?」
思わず濁音付きで発してしまったのは、この場合仕方がないだろう。初対面でこの言い方は、相手に喧嘩を売っているようなものだ。
艶やかな髪、薄い唇。整った眉。美しく整ったその姿形から培った好感度はさっきの一言で台無しになった。リリアネアはむっとしながら男を見返した。
「俺の姿がきちんと見えているんだね? そこだけは流石というべきかな?」
リリアネアはその言葉の意味が分からず、首を傾げながら男を再度観察した。男が構えた右手には精巧な紋様が浮かび、光を放っている。見慣れないその光景を食い入るように見つめた。
(……あれが、魔術? なのか?)
学がないので詳細は不明だが、ザリカ曰く精霊が使う魔法は自然界に作用するものが多く、人間が使う魔術は生活に使用するものや戦闘に使用するものが多いらしい。大雑把な性格で、説明な苦手な彼女はそれ以上の言語化は難しいようで、リリアネアはそれ以上のことを知らない。
「ーーおや? 加減しすぎたかなあ? 小物の癖に丈夫だね」
男の柳眉が動き、その顔は不快感を顕にしている。視線を追うと吹っ飛ばされた魔物がその身を起こし、だらだらと流涎を垂らしながら唸り声をあげていた。
「ーーはっ!」
魔法陣が強烈な光を放ち、轟音と共に白雷が魔物の腹部を抉る。リリアネアは視界を灼く白い光を遮るため、腕を眼前で交差した。
(す、すごい……!)
魔物の巨体は痙攣しながら力を失い、地面に倒れ伏す。同時に男の前に浮かんでいた魔法陣はさらさらと砂のように崩れ、消え去っていく。魔物の肌を刺すような圧迫感がなくなり、ようやく息がしやすくなる。
「ぅう……」
「ザリカ!」
リリアネアは地面に力無く伏せるザリカの側に膝をつき、彼女をゆっくりと両手で抱えようとした。
「うっ……!」
火傷をした時のような痛みが指先に走り、反射的に手を引っ込める。訳がわからず自身の両手を見ると、僅かに赤くなっていた。
「何、これ……?」
「それは、澱と呼ばれるものだよ」
よどみ。初めて聞く言葉だ。
「それが何か詳しい説明はあと。このままだとその子、死ぬよ? ほら、澱がどんどん侵食していく」
リリアネアの視線がそれは何だ、と語っていたのだろう。言葉を制した男が、ザリカに視線を落とした。
「……え?」
続いて視線をそちらに向けたリリアネアは、男の言うとおり澱と呼ばれるものが彼女の身体に広がりつつあるのを確認した。
「ど、どうしたらいいんだよ?」
彼女は幾度となく自分を助けてくれようとした。それをこのまま死なせる訳にはいかない。
「魔術? だっけ。あんたは、あんなすごいもんが使えるんだ。ザリカを助けてくれよ!」
リリアネアが必死に懇願するも、男から返ってきた言葉は残酷だった。
「無理だね。できるのは聖人か聖女くらいじゃないのかな。それとも今から神殿に行って助けてもらう? 間に合うか定かではないし、神殿で診てもらうにはお金が必要だよ? 君、お金はあるの?」
男がお金があるようには見えないけど、とリリアネアのボロ雑巾のような身なりを確認して言った。
「……金なんて、ある訳ないだろ……」
お金があるなら、こんなところにはいない。盗んだ食べ物を何日かに分けて食べ、空腹をしのぐ日々。嵐や寒さが過ぎるのをただ耐え、それで風邪を引いても薬を買う金などある筈もなく。神殿に行っても汚らしい物乞いに与える物などないと、怒鳴られ足蹴にされた孤児を知っている。そして、彼が翌日冷たい身体で見つかったのことも。
リリアネアは生まれ持った身体の丈夫さ故か、風邪をひいても死ぬことはなかった。しかし、仲間の孤児の死を目にして、救いを謳う神殿でさえ、結局は上辺だけだったことをその時知った。リリアネアはその日から神に祈ることを辞めた。
何かを得るには必ず対価が必要なのだ。もしくはそれを強制させる権力が。
「……じゃあ冷たいことを言うようだけど、ここで彼女は死ぬしかないね」
リリアネアにとっての言葉の刃が、容赦なく男の口から発せられていく。
(……このまま、死ぬ……? ザリカが?)
浅い呼吸を繰り返す小妖精を見つめる。人間は嫌い、と言いつつもリリアネアを助けてくれていたザリカ。
リリアネアは群れるのが嫌いだ。裏切りや騙し合い。汚い場面を色々と見てきた。一人でいる方が面倒事も少なく、他人に左右されない。
その方が心が、楽だから。
そう思っていたし、今でもそうだ。だからと言ってずっと側に居続けて助けてくれようとした彼女に何も感じていない訳ではなかった。
死んで欲しくない。
そう思えるだけの月日があったのだ。
(……そんなの駄目だ……!)
リリアネアは両手を伸ばし、ザリカを地面から掬い上げた。皮膚を焼かれるような感覚に歯を食い縛って耐える。
「……無理、しないで。私のことは、いいから」
うっすらと目を開けたザリカが弱々しくそう言って笑い、目が徐々に光を失っていく。
「駄目だ、目を開けろって! ザリカ!」
ーーこのままでは本当に、彼女が死んでしまう。
リリアネアの中に、魔物と対峙した際とはまた違う恐怖が沸き起こる。
どうにかして助けなくては。どんな術でもいいから。どうか。
心の奥底からそう祈った時、リリアネアの中で温かいものが全身を巡っていく。
「…………?」
「ーーっ!」
リリアネアは痛みを忘れて、ザリカを抱えた己の指が白い光に縁取られているのを見て目を瞬いた。その白く輝く光は、ザリカを覆う澱を消し去っていく。
ザリカの体から押し出された澱が光となって鱗のように宙を舞い、風に流されて霧散するのをリリアネアは呆けた様子で見つめる。
「……な、に?」
呼吸がしやすくなったのか、意識を取り戻したザリカがリリアネアの掌の上で身を起こす。
「どうなってんの……?」
ペタペタと自身の体を触りながら首を傾げている彼女を見て、安堵の息を吐く。
「ザリカ、良かっ……」
「ちょ、ちょっと。リリ!? 大丈ーーーー」
リリアネアは突然身体に力が入らなくなり、強い目眩に目を閉じた。ザリカの声が次第に遠のいていく。返事をしたいのだが、口が動かない。
(あ、れ……?)
リリアネアは暗転した視界を記憶したのを最後に、意識を失った。