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闇夜に煌めく金の瞳は星空を見つめていた。
普段と変わらず穏やかで美しい夜だ。雲は少なく、美しい星達が夜空を彩っている。
「ーーこんな世界なんて消えてしまえばいい」
反吐が出る、と吐き捨てられた言葉は闇夜に染み込んで消える。
なぜこんな世界を神は作ったのか。なぜ人々を罰すべき存在である神が世界から消え去ったのか。
「ーー神が人を罰しないのなら、我々が手を下そう」
その言葉を合図に、音もなく黒衣の者達が次々と姿を現していく。
「我々が世界を在りし彼の時へと戻すのだ」
『ーー全ては世界の〈白き日〉を迎えるために』
世界はやがて、変わるのだ。我々の手によって。
憎悪に燃えるその瞳は憎々しげに世界を睨みつけていた。
「ーーおい、この糞子供! 待ちやがれ!」
手に数個のパンを抱えた少女が人々の合間を走り抜けている。しかし、成人男性の足に敵うはずもなく、呆気なく捕まってしまう。少女は男の腕から逃れようと両手両足を振り回し暴れる。
「こんの、汚ねえ子供が!」
鈍く重い音がし、少女の腹部に拳がめり込む。少女が低く呻き声を上げ抱えていたパンを道へと落とす。
「ーーちっ! 商品が駄目になっちまったじゃねえか!」
男がさらに少女の腹部に蹴りを入れる。
「誰か、騎士団を呼んでくれねえか! この糞子供を牢屋にぶち込んでやらねえと気が済まねえ!」
男が周囲に大声で叫んでいる中、慌てた様子の女性が駆け寄ってくる。
「ーージョセフ、大変だよ! また泥棒だよ! それも二人だ!」
「何だって!?」
ジョセフと呼ばれた男は女性の言葉に、数回少女と自分の店の方角へ動かし、数十秒の間逡巡する。
「ちっ! 今度やったらただじゃおかねえからな!」
ジョセフは店に戻ることを決めたようで、唾を吐き捨て急いで店の方へと戻って行く。
「……っ」
痛む身体を必死に起こしながら、砂に塗れたパンに手を伸ばした。
「ーーリリ! 今のうちだ。逃げるぞ!」
リリアネアが霞む目を懸命に開くとそこにいたのは、貧民街で暮らす孤児の仲間達がいた。
「ーールディ、リリを担げ! 早くここから離れるんだ」
首と膝裏に腕の感触を感じ、身体が浮く。
「よし、行くぞ!」
リリアネアは振動による痛みに耐えながら、両手に掴んだパンを握りしめる。
セオンとルディは身を隠すため、貧民街へ急ぐ。ここは薄汚れた自分達のような孤児には目立ちすぎる場所だからだ。整備された道に、建物。定期的に見回っている騎士団もいる。
全力疾走で進むうちにやがて周囲の景色は変わり、ぼろぼろの建物ともいえない骨組みだけに近い廃墟の並ぶ区画に到達する。
「ここまでくれば大丈夫だろ」
セオンが足を止め、肩で息をしながらルディを振り返る。
「うん。多分大丈夫じゃないかな。リリ、大丈夫?」
頷いたルディがゆっくりとリリアネアを地面に下ろし、顔を覗き込んでくる。
「……っ、大丈夫な訳ないだろ」
咳き込みながら据わった目で、リリアネアはルディを睨む。
「ははっ。それだけ睨む元気がありゃ、とりあえず命に別状はなさそうだな。それにしても、そんなになってもパンから手を離さねえとは、すげぇ根性だな」
パンを握りしめているリリアネアを見てセオンが大声を上げて笑う。
「やられっぱなしで収穫なしなんて有り得ないから」
こんなに痛い思いをして、収穫なしだなんてことはあり得ない。今日で丸三日も何も食べていないのだ。空腹で動けなくなる前に何か胃に入れなくては餓死してしまう。
「今日は、無理に行かなくても教会の炊き出しがあるって言ってたのによ。そんなに嫌いか? 教会の奴らが」
「何回も言わせんなっての。あーいう偽善者がいっちばん腹立つんだよ、私は」
服の砂を払いながらリリアネアは、ふんと鼻を鳴らした。
「腹は立っても、腹が減ったら困るだろ? 飯をくれるっていうんだから、大人しく貰えるもんは貰っときゃいいと思うんだけどな、俺は」
「僕もそう思う。リリって変なところで頑固だよね。そんなに砂に塗れたパンを食べるより、温かいスープを貰える方がよっぽどいいのに」
「……砂を払って、後でしっかり拭けば食える」
ルディの言葉に、リリアネアは一瞬言葉に詰まりながらもボソッと言った。
「お前がいいなら別にいいけどよ、腹壊すなよ? ここじゃ薬なんて手に入らないんだからな」
呆れた様子で言うセオンの視線を受けたリリアネアは、そっぽを向く。
「おーい、セオン! 大丈夫だったか?」
「おう! そっちも問題なかったみたいだな。助かったぜ。ゼキア、ダズ」
セオンの言葉にゼキアは肩をすくめ苦笑する。
「困った時はお互い様だしな。それにしてもさー、リリはいつも単独で突っ走り過ぎだよ? 毎度毎度、助ける俺達の身にもなってよ」
「……誰も頼んでない」
リリアネアはむすっとした表情で、ゼキアを睨みつける。
「ほらまたそういうことを言う。俺達が居なかったら今日こそ騎士団に捕まっていたかもしれないんだよ? ちょっとぐらいは感謝してもいいんじゃないのー?」
「……ふん。別にあそこで捕まったってよかったんだ」
どこまでも捻くれた言葉しか発しないリリアネアの様子にセオンが苦笑する。
「はいはい、ゼキアもそのぐらいにしとけって。ほんと、リリは全くいつまで経っても捻くれてんな」
「うるさい」
「それだけ憎まれ口を叩けるなら、心配いらないな。リリは隠れ家に戻って休んでろ。俺達は教会に行くからな。今から並んでおかないと、せっかくの飯を逃しちまう。行こうぜ、みんな」
セオンの言葉に皆が頷くと、リリアネア以外の全員が教会の方角へと姿を消す。
一人その場に残されたリリアネアは、砂埃に塗れたパンに視線を落としてゆっくりと立ち上がる。痛む身体を叱咤し、立ちあがったリリアネアは一人ポツリと呟く。
「教会の奴らなんて皆嘘つきだ。あんな奴らの施しなんて受けるもんか」
吐き捨てるようにそう言ったリリアネアは、ふらふらとおぼつかない足取りで隠れ家へと向かうのだった。